見つけた、いこう

かないみのる

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「奈菜、今度の幾何学Bのテスト、どんな感じ?大丈夫そう?」


「大丈夫だよ。きちんと復習してるし」


そうだな。


「そろそろ研究室配属だし研究室は成績順で決められるから、今回のテストは大事なんだからな」


「言われなくてもわかってる」


うむ。


「本当か?奈菜は案外天然だから、ちょっと心配だな」


「わたしのこと馬鹿にしてるの?心配されなくても大丈夫」


そうだそうだ。


「そんな怒るなよ。放課後、俺がテストに出そうなところ教えてやるから」


「放課後は女子みんなで談話室に集まって勉強会をするの」


それが日課だもんな。


「女子で集まっても、雑談して終わりだろう?時間の無駄じゃねえ?まあいいや、じゃあ明日は?」


「明日も無理。用事はないけど無理」


いいぞいいぞ。


「お前本当に冷たいよな」


「あなたにお前なんて言われる筋合いないんだけど? 授業始まるし、席に着いたら?」



奈菜にそう言われて、恭平はしぶしぶ自分の席に方へ戻った。


俺は二人の様子を少し離れた後ろの席から眺めていた。恭平は席に戻る途中、俺の席に寄って話かけてきた。



「橘、今度の幾何学Bの範囲、変更になったこと、知ってる?」


「知らない」


「マジかよ。相変わらずぼけーっとしてんな。前、先生が言ってたのは教科書の49ページから75ページまでだったろう?それが少しずれて、65ページから120ページまでに変更になったんだよ」


「範囲、増えすぎじゃね?」


「学科の掲示板に『試験範囲変更のお知らせ』って書いてある紙が掲示されてたんだよ。確認しとけよな。もう掲示期間が終わったから剥がされちゃったけど、きちんと対策しておいたほうがいいぜ」


「ありがとう。助かったよ」



恭平は俺を軽蔑の眼差しで一瞥し、席に戻っていった。



 授業開始ギリギリの時間に、拓也が慌てて教室に入ってきて俺の隣の席に座った。

メールで遅れそうだと連絡が来ていたが、ギリギリ間に合ったようだ。



「お疲れ。間に合ったんだな」



俺が拓也に声をかける。

拓也は息を切らしながらリュックの中から筆箱を取り出した。



「セーフ?」


「セーフ。まだ先生来てないよ」


「そっか。健吾はもう間に合わないから休むってさ」


「マジか。ところで、拓也、幾何学Bの試験範囲覚えてる?」


「覚えてはないけど、教科書見ればわかるよ。印つけてるから」


「範囲が変更になったっていう掲示、見た?」


「え?学科の掲示板は毎日見るようにしてるけど、そんなのあった?そんな大事な連絡があったら気付かないわけないと思うんだけど」


「だよな。サンキュ。忘れていいよ」


「いや、忘れられるかよ。変更になったの?」


「いや、なってない。俺の勘違い」



そこで先生が勢いよく戸を開けて教室に入ってきたため、俺たちの会話は途切れた。

俺は恭平に対する苛立ちを抑え、ひたすら板書を写すことに集中しようとした。

つい筆圧が強くなってシャープペンの芯が何回も折れた。



 最近恭平からの風当たりが強くなった。

恭平はもともと俺のことを見下している節があったが、最近になってそれが顕著になった。

原因は分かっている。

俺と奈菜の関係だ。



俺と奈菜が付き合い始めてから、一緒にいる時間がかなり増えた。

放課後に一緒に勉強するようになったり、一緒に歩いて帰ったりするようになった。

その様子を不審に思った恭平が奈菜を問い詰めて、奈菜はあっけらかんと俺達の関係を答えたらしい。



それから瞬く間に俺達のことは学科の外まで広がった。

今まで俺は奈菜と付き合っていることを拓也と健吾以外に打ち明けていなかったし、奈菜も公佳さんや仲のいい一部の友人にしか伝えてなかったので、クラスの中では知っている人の方が少なかった。


別に隠すつもりは無かったが、かといって公に言うつもりも無くなんとなく黙っていただけだなので、俺達の関係がバレたところで問題はない。


 と、俺は思っていたが、問題はすぐにやってきた。

恭平が奈菜に近づく事が多くなった。

いや、恭平に限った話ではない。

なぜか奈菜に声をかける男子学生が増えたのである。

恭平は以前から奈菜によく声をかけていたが最近は以前にも増して話しかけるし、恭平以外のクラスの連中や、学科外、学部外の学生も奈菜に声をかけるようになったのだ。

もともと奈菜は一部男子学生から人気があったが、実際に近づいてくるのは一握りだったのに。



ひょっとして、俺と付き合い始めて、奈菜はさらに綺麗になったからではないだろうか。

女の子は恋をすると変わるというし、きっと奈菜も例に漏れず、美しさに磨きがかかったのだろう。

なんと幸せな事だ。

恭平からの嫌がらせなんて笑って受け流してやるさ。



集中力を切らした俺は授業そっちのけでくだらない分析をしていた。

そして、分析結果に一人で不気味に微笑んでいたら、先生に問題を解くよう指名され、たいそう焦ることとなった。
 


授業後、奈菜は俺のところに来て、二階の談話室で勉強することと、夜に電話がしたいということを告げた。

俺は了承し、奈菜が公佳さん達と教室を出ていくのを手を振って見送った。



 教室を出た後、俺と拓也は一階の談話室でテスト勉強をすることにした。

談話室に入ると、休んでいたはずの健吾が携帯電話をいじっていた。



「あれ?健吾、なんでいるの?」



拓也が間髪入れずに聞いた。



「授業は諦めたけど、今日の分のノートは今日中に写させてもらおうと思って、お前らが来るのを待ってた」


「なんと図々しい」


「可那人君お願い!」



健吾が高速で瞬きする。高速すぎて白目を剥いている。



「気色悪ぅ! 何っ!?」


「藤谷さんの真似」


「ノートを見せて欲しけりゃ今すぐ止めろ」



俺は健吾にノートを手渡した。

健吾は 恭うやうやしく受け取り、驚くほどの速さで自分のノートに書き写し始めた。



「可那人、何か悩んでるだろ」



教科書を読みながら、拓也が言った。

俺は自分の心の中を急に言い当てられて焦った。



「え、なんだよ急に」


「俺にはわかる。藤谷さんとのことだ」


「なんでわかるんだよ」


「顔に書いてある。『俺は彼女とうまくいってません』って」


「うまくいってるから」


「なんだ、つまらん。でも悩んでるってのは顔に書いてある」


「嘘だろ」


「嘘だよ。なんで男の顔をまじまじと眺めないといけないんだよ、気持ち悪い」


「自分で言ったんじゃねえか」



拓也との茶番はさておき、実際に悩んでいることがあるのは事実である。

俺は恭平をはじめ奈菜にアプローチする男子が増えたことを素直に話すことにした。



「奈菜が最近、モテだした」


「前からじゃねえか。なんだよ惚気かよ」


「いいから聞いてくれよ」


「初めて彼女ができた男は相談と称して惚気始める。反例は無しだ」



名言を読み上げるかのごとく拓也が言う。



「何それ?格言?」


「おれの発見した定理だ。拓也の恋愛定理」


「は?」


「テイラーの定理とかガロアの基本定理とかあるだろ。それと同じ」


「何に使えるんだよ、お前の恋愛定理は」


「『拓也の恋愛定理より、お前の相談はただの惚気である』ということが証明される。おれはそんなもの聞く気はない」


「しょうもないこと言っていないで聞いてくれよ」


「男の惚気ほど気持ち悪いものはない。オレの人生定理だ」


「ただの一意見だろうが。偉人達が発見した定理と一緒にするな」


「人生で必死に見つけた定理、それが人生定理だ」


拓也はその後も、フーリエ変換はオレの人生だのなんだのとわけのわからないことを言い続けたため、俺は一方的に話し始めた。



「確かに前から奈菜のことを意識している男子は多かったけど、実際に声かけるのは一部の自信過剰なやつだけだったろう?最近は、そういうやつだけじゃなくて、あんまり尖っていないというか、特徴がないというか、いわゆる普通の男子生徒も奈菜にアプローチしているみたいなんだよ」


「ああ、そういうことか」



拓也は教科書に書き込みをしながら相槌を打ってくれた。

散々文句を言ってもきちんと聞いてくれるのが拓也のいいところである。



「なるほどねー」



健吾はノートから目を離さずに言う。

必死にノートを書き写していたと思いきや聞いていたらしい。



「男のヤキモチとか、なんか恥ずかしいから嫌なんだけど、やっぱり気になるだろう?」



自分の気持ちを打ち明けるのは恥ずかしく、俺は照れ隠しで口を窄めながら言った。



「うん、気持ち悪いからお前のヤキモチは聞きたくない。けどまあ、藤谷さんがモテだした理由はアレだ、可那人、お前が原因だ」



拓也がクイズ番組の回答者のようにハッキリと言って俺を指差した。



「やっぱり?俺と付き合い始めて奈菜が綺麗になったから」


「違うよ」



俺が言い終わる前に拓也が切り込んだ。



「え、違うの?」


「うん。確かに、藤谷さんは可那人と付き合って綺麗になったような気はするけど、理由はそれじゃない。可那人が、藤谷さんへ近づくハードルを下げたからだ」



その言葉を聞いて健吾はうんうんと頷いていた。

拓也の意図するところはよくわからないが、かなり失礼なことを言っているというのは鈍い俺でもわかる。

俺は少し不貞腐れ気味に膨れた。



「可那人もさっき言っていたようにさ、藤谷さんには一部男子しかアプローチしてこなかった。それは、藤谷さんが比較的クールで近寄りがたい存在だったからだ。オレは、友人として話す分には特に問題はないが、藤谷さんと恋愛の駆け引きをしろと言われたらまずできない。だから可那人が藤谷さんと付き合ったと聞いた時には、お前の身の程知らずなところと藤谷さんが意外に変わり者な事に驚いた」


「ん?身の程知らず?変わり者?」


「まあそれはいいとして、藤谷さんは美人で、かつ、お嬢様で、不必要に笑顔を振りまくような人間ではない。藤谷さんに好意を寄せる大半のやつは、『藤谷さんは同じクラスの男子生徒なんて眼中にない』、そう思っていたわけだ。きっとどこかの御曹司とか、イケメン外国人あたりにしか興味ないんじゃないかって思って近寄らなかったんだよ。それが、可那人と付き合ってからは、『藤谷さんは可那人みたいなやつでも恋愛の範囲内なんだ』ということが分かった。だったら自分とも付き合ってもらえるんじゃないかって考え始めたんだよ。そして、『相手が可那人だったら勝てる』、そう思った男たちがこぞって藤谷さんにアプローチを始めた。つまりそういうことだ」



拓也は探偵のごとく、自分の推理を得意げに話した。

所々さりげなく俺を馬鹿にしていたところは解せないが、さすが成績がいいだけあって理路整然とした証明には頭の下がる思いだった。

俺は認めたくはない一方、その推理に納得していた。

そして同時に、そんな理由で奈菜に近づく男たちに、言いようのない怒りを覚えた。

俺自身が馬鹿にされるのは慣れているが、奈菜のことを『付き合うハードルの低い女』と評している身勝手さに腹が立った。

奈菜はきちんと俺を見て付き合ってくれているのだ。

俺レベルの人間であれば誰とでも付き合うというような軽い女ではない。

それは、付き合っている俺が一番分かっている。

奈菜の一部分しか知らないやつらに、奈菜について何か言われる筋合いはない。


───本当に分かっているのだろうか。


俺は不意に思い浮かんだ疑問に、急な不安を感じた。

奈菜は本当に俺が良くて付き合っているのだろうか。

まだ付き合い始めたばかりとはいえ、俺は、どれだけ奈菜のことを知っているのだろうか。

彼氏という立場に驕っているだけで、本当は奈菜のことまだ何も知らないのではないか。



一度はまると、負の思考回路から寝るまで抜け出せなくなる。

俺は嫌な気分から頭を切り替えられない自分に苛立った。


「まあ、藤谷さんはなんだかんだ言って可那人のことが好きみたいだし、あんまり気にする必要はないんじゃねえの?それより、はやく問2、解いてみ。俺はもうお手上げだ」



拓也は俺の苛立ちに気付いたのか、少しだけフォローして話をそらした。

健吾はノートを写し終わったらしく、大袈裟に頭を下げて俺にノートを返して来た。



「ううん、考えてはいるんだけど、全然集中できてないみたい。たぶん明日の朝には解けると思うから、解けたらメールするわ」


「ありがとう可那人くんっ」



拓也が甲高い声で言う。



「何だよそれ、気持ち悪い。何の真似だよ」


「藤谷さんの真似」



俺は無言で拓也の鎖骨あたりを小突いた。

全くどいつもこいつも。

しかし拓也と健吾に話した事で、幾分気持ちが軽くなったようだ。
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