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1章
1-4 家族追放
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私とレオノール様の婚約破棄の一件は、父、カスマン・アブドゥナー辺境伯のプライドを大きく傷つけた。
しかし、それ以上に彼のプライドを傷つけたのは、レオノール様との一件以来、私と婚約を検討する貴族達が一切いなくなってしまったことだった。
おそらく理由は、私の痘痕が多くの人に知られてしまったからだ。
私の顔右半分を覆う痘痕は、私が十歳の時に流行り病にかかったことで出来たものだ。
問題はこの流行病の原因が、巷では悪霊の仕業だとか穢れだとか言われ、相当数の人にそれが信じられてしまっていることにある。
この流行病を研究した医学書によれば、痘痕のある者は二度と流行り病にかからないことが知られていて、痘痕のある人間の血を使って流行り病になることを防ぐ薬の研究も進められている。
けれど、そのことはほとんどの人が知らないことなので、多くの人は自分の家の血に痘痕のある人間の血が混じることを徹底的に嫌うのだ。
私は父にそのことを説明してみたけれど、それでも父の憤りは収まらなかった。
きっと父はこう思っていたのだろう、――サウスティカ王国の前線守備の一翼を担っている自分の娘ならば、犬でも豚でも死体でも、結婚したいと願う貴族が大勢いて当たり前なのだ、と。
だが残念ながら、現実は彼の思っているようにはならなかった。
……そこで、彼は考え始めた。ならばいっそのこと、オーレリアを修道女にしてしまえばいい。そうすれば結婚相手が見つからないことにも言い訳がつく。
その考えがとうとう実行に移されたのは、一年後の冬――、私の十三歳の誕生日のことだった。
出発の朝、私の出発の準備で慌ただしくなっていた城内に、突然、兄のクリストフが早馬を走らせてやって来た。クリストフは父から領地の一部を任されていて、私が修道女になるという話を直前まで知らされていなかった。
「父上も母上も気は確かなのか!? レーアはまだ十三だぞ!」
城の中へ入るなり、クリストフは急いで父のところへ向かい、私のことで抗議をした。
本来、家長である父親に面と向かって反抗することは言語道断とされることだ。けれど、クリストフは一人息子でアブドゥナー家唯一の後継者候補ということもあり、父に意見を言うことも多い。
父はクリストフに詰め寄られても、動かざる岩のように頑として彼の言うことを聞こうとしなかった。
「オーレリアは自ら修道院に入りたいと言ったのだ。お前はまだ十三というが、十三であれば修道女になる年齢としてそれほど早くはあるまい」
「それは騎士のような上級平民の場合だろう! レーアは貴族の娘だぞ! あなたの娘だ! メリッサだって結婚したのは十四だった! なぜレーアだけを突き放すような真似をなさるのだ!」
今にも父を殴り飛ばしそうなほど勢いで言葉を続けるクリストフに、父は少したじろいで口を閉じた。
にらみ合う父と兄のクリストフ。
二人の口論を間近で見ていた私は、そんな二人の様子を見ていられなくなり、母の制止を振り切って口を開いた。
「おやめください、お兄様! 修道女になりたいというのが私の希望であることは事実です!」
「レーア! 父をかばうのはやめろ!」
クリストフは私の方へ振り返って言った。
「かばってなどいません! 私はディアック伯子息との一件で思ったのです。結婚するなら、対等に話をしていただける方と結婚したい。けれど、このような醜い容姿をした私と対等に話をしてくれる殿方は、この世界には多くはないのだと。……ですから、いっそ修道女となり、人々の助けがしたいと思ったのです。……私は誰かに必要とされたいのです」
私は涙ながらにクリストフに訴えた。
そんな私の姿を見て、彼は溜飲を下げて仕方なさそうな顔をした。そして、私に静かに歩み寄り、私の肩に手を置いた。
「大きな声を出して悪かった、レーア。お前は年の割に賢い娘だ。お前がそこまで言うのなら、私もお前の言葉を尊重しよう」
クリストフは自分のできる限りの優しい口調で私に言ってくれた。
「お兄様、ありがとうございます」
「……教会へは馬車で行くのだろう? 途中まで私も護衛に加わろう。お前とはしばらく話をしていなかったからな」
クリストフはその言葉どおり、私を途中まで見送ってくれた。
馬車というからには屋根付きの馬車だと思っていた私と兄だったけれど、父の家臣が手配したのは屋根のないごく普通の荷馬車だった。私を身分を低い者だと見せて誘拐を防ぐためだと彼は言ったが、本当のところは自分をないがしろにした私と兄への罰だと感じた。
外の風を感じるのは嫌いではないけれど、季節は冬だ。
防寒用のクロークをぎゅっと握りながら私が小さくなっていると、横を馬で並走していたクリストフが自分のマントを取って私に渡してくれた。
「……父上は愚かだよ。お前のような良識があって我慢も出来る娘を、むざむざ家から追い出すなんて」
私は兄が貸してくれたマントにくるまる。
思いやりの深い兄の匂いがして、私は少しだけ幸せな気持ちになった。
「お兄様。私は私で上手くやりますから、お兄様はお兄様で父の後継者として、立派な領主になってください。その時には私も、お兄様のこれまでの厚意に答えられるよう立派な聖女として尽くします」
私は言った。
クリストフは溜め息をついた。
「お前はお前でいいのだ、レーア。私はお前の身の上を哀れに思ったことはあるが、お前を恥だと思ったことは一度もない。お前を家から追い出したのは父だ。だから、追い出されたお前は家のことなど気にせず自由に生きていいのだよ」
兄はそう言った後、私にいくらかのお金を餞別だと言って渡し、自分の領地へと帰っていった。
クリストフがいなくなった後、私は兄のマントに顔をうずめながら涙を流した。
そうしていると、ずっと前を見ていた初老の御者が、おもむろに私の方へと振り返って言った。
「オーレリアお嬢様、よろしければ速度を落としましょうか?」
慣れない荷馬車の振動に弱っていた私を気遣っての言葉だった。
「いい。早く行って。あなたも馬も、早く仕事を終えたいでしょう?」
私が言うと、御者は小さくうなずいて前を向いた。
「私のことを気に留めてくれてありがとう」
御者が前を向いたまま何度かうなずいて返事をした。
彼との会話で涙が収まった私は、ふと空を見上げた。とても澄んでいて、青一色だというのに、まるで名画のような青空だった。
「あの、聞いてくれる?」
私は言った。
「へえ」
御者は答えた。
「私ね、自分のこの容姿を不幸だと思ったことはたくさんあるけれど、幸福だって思ったこともたくさんあるのよ」
「はあ」
そっけなく返事をする御者。あまり会話が好きな方ではないらしい。
私は彼のそんな反応が少しおかしくなって、口元がゆるんだ。
「私は貴族ですごく恵まれた生活を送ってきたけれど、この容姿のおかげで恵まれない人の気持ちだってわかるようになった。そのうえ、人の好意を当たり前だと思わず、小さな気遣いに感謝をすることも忘れないでいられる。あなたがこうして、私の話を何も言わずに耳を傾け続けてくれることにもね」
御者は何も言わずに微笑した。
私も笑った。
「……とはいえ、私もこれから平民になるんですもの。そんな悠長なことをいつまでも言ってもいられないわ。お兄様もああ言ってくれたことだし、私は自分の思うように生きてみようと思う。……不細工だって清く図太く生きていってやる」
私は空を見上げながら言った。
無口な御者の笑い声が、空高くまで響いていった。
しかし、それ以上に彼のプライドを傷つけたのは、レオノール様との一件以来、私と婚約を検討する貴族達が一切いなくなってしまったことだった。
おそらく理由は、私の痘痕が多くの人に知られてしまったからだ。
私の顔右半分を覆う痘痕は、私が十歳の時に流行り病にかかったことで出来たものだ。
問題はこの流行病の原因が、巷では悪霊の仕業だとか穢れだとか言われ、相当数の人にそれが信じられてしまっていることにある。
この流行病を研究した医学書によれば、痘痕のある者は二度と流行り病にかからないことが知られていて、痘痕のある人間の血を使って流行り病になることを防ぐ薬の研究も進められている。
けれど、そのことはほとんどの人が知らないことなので、多くの人は自分の家の血に痘痕のある人間の血が混じることを徹底的に嫌うのだ。
私は父にそのことを説明してみたけれど、それでも父の憤りは収まらなかった。
きっと父はこう思っていたのだろう、――サウスティカ王国の前線守備の一翼を担っている自分の娘ならば、犬でも豚でも死体でも、結婚したいと願う貴族が大勢いて当たり前なのだ、と。
だが残念ながら、現実は彼の思っているようにはならなかった。
……そこで、彼は考え始めた。ならばいっそのこと、オーレリアを修道女にしてしまえばいい。そうすれば結婚相手が見つからないことにも言い訳がつく。
その考えがとうとう実行に移されたのは、一年後の冬――、私の十三歳の誕生日のことだった。
出発の朝、私の出発の準備で慌ただしくなっていた城内に、突然、兄のクリストフが早馬を走らせてやって来た。クリストフは父から領地の一部を任されていて、私が修道女になるという話を直前まで知らされていなかった。
「父上も母上も気は確かなのか!? レーアはまだ十三だぞ!」
城の中へ入るなり、クリストフは急いで父のところへ向かい、私のことで抗議をした。
本来、家長である父親に面と向かって反抗することは言語道断とされることだ。けれど、クリストフは一人息子でアブドゥナー家唯一の後継者候補ということもあり、父に意見を言うことも多い。
父はクリストフに詰め寄られても、動かざる岩のように頑として彼の言うことを聞こうとしなかった。
「オーレリアは自ら修道院に入りたいと言ったのだ。お前はまだ十三というが、十三であれば修道女になる年齢としてそれほど早くはあるまい」
「それは騎士のような上級平民の場合だろう! レーアは貴族の娘だぞ! あなたの娘だ! メリッサだって結婚したのは十四だった! なぜレーアだけを突き放すような真似をなさるのだ!」
今にも父を殴り飛ばしそうなほど勢いで言葉を続けるクリストフに、父は少したじろいで口を閉じた。
にらみ合う父と兄のクリストフ。
二人の口論を間近で見ていた私は、そんな二人の様子を見ていられなくなり、母の制止を振り切って口を開いた。
「おやめください、お兄様! 修道女になりたいというのが私の希望であることは事実です!」
「レーア! 父をかばうのはやめろ!」
クリストフは私の方へ振り返って言った。
「かばってなどいません! 私はディアック伯子息との一件で思ったのです。結婚するなら、対等に話をしていただける方と結婚したい。けれど、このような醜い容姿をした私と対等に話をしてくれる殿方は、この世界には多くはないのだと。……ですから、いっそ修道女となり、人々の助けがしたいと思ったのです。……私は誰かに必要とされたいのです」
私は涙ながらにクリストフに訴えた。
そんな私の姿を見て、彼は溜飲を下げて仕方なさそうな顔をした。そして、私に静かに歩み寄り、私の肩に手を置いた。
「大きな声を出して悪かった、レーア。お前は年の割に賢い娘だ。お前がそこまで言うのなら、私もお前の言葉を尊重しよう」
クリストフは自分のできる限りの優しい口調で私に言ってくれた。
「お兄様、ありがとうございます」
「……教会へは馬車で行くのだろう? 途中まで私も護衛に加わろう。お前とはしばらく話をしていなかったからな」
クリストフはその言葉どおり、私を途中まで見送ってくれた。
馬車というからには屋根付きの馬車だと思っていた私と兄だったけれど、父の家臣が手配したのは屋根のないごく普通の荷馬車だった。私を身分を低い者だと見せて誘拐を防ぐためだと彼は言ったが、本当のところは自分をないがしろにした私と兄への罰だと感じた。
外の風を感じるのは嫌いではないけれど、季節は冬だ。
防寒用のクロークをぎゅっと握りながら私が小さくなっていると、横を馬で並走していたクリストフが自分のマントを取って私に渡してくれた。
「……父上は愚かだよ。お前のような良識があって我慢も出来る娘を、むざむざ家から追い出すなんて」
私は兄が貸してくれたマントにくるまる。
思いやりの深い兄の匂いがして、私は少しだけ幸せな気持ちになった。
「お兄様。私は私で上手くやりますから、お兄様はお兄様で父の後継者として、立派な領主になってください。その時には私も、お兄様のこれまでの厚意に答えられるよう立派な聖女として尽くします」
私は言った。
クリストフは溜め息をついた。
「お前はお前でいいのだ、レーア。私はお前の身の上を哀れに思ったことはあるが、お前を恥だと思ったことは一度もない。お前を家から追い出したのは父だ。だから、追い出されたお前は家のことなど気にせず自由に生きていいのだよ」
兄はそう言った後、私にいくらかのお金を餞別だと言って渡し、自分の領地へと帰っていった。
クリストフがいなくなった後、私は兄のマントに顔をうずめながら涙を流した。
そうしていると、ずっと前を見ていた初老の御者が、おもむろに私の方へと振り返って言った。
「オーレリアお嬢様、よろしければ速度を落としましょうか?」
慣れない荷馬車の振動に弱っていた私を気遣っての言葉だった。
「いい。早く行って。あなたも馬も、早く仕事を終えたいでしょう?」
私が言うと、御者は小さくうなずいて前を向いた。
「私のことを気に留めてくれてありがとう」
御者が前を向いたまま何度かうなずいて返事をした。
彼との会話で涙が収まった私は、ふと空を見上げた。とても澄んでいて、青一色だというのに、まるで名画のような青空だった。
「あの、聞いてくれる?」
私は言った。
「へえ」
御者は答えた。
「私ね、自分のこの容姿を不幸だと思ったことはたくさんあるけれど、幸福だって思ったこともたくさんあるのよ」
「はあ」
そっけなく返事をする御者。あまり会話が好きな方ではないらしい。
私は彼のそんな反応が少しおかしくなって、口元がゆるんだ。
「私は貴族ですごく恵まれた生活を送ってきたけれど、この容姿のおかげで恵まれない人の気持ちだってわかるようになった。そのうえ、人の好意を当たり前だと思わず、小さな気遣いに感謝をすることも忘れないでいられる。あなたがこうして、私の話を何も言わずに耳を傾け続けてくれることにもね」
御者は何も言わずに微笑した。
私も笑った。
「……とはいえ、私もこれから平民になるんですもの。そんな悠長なことをいつまでも言ってもいられないわ。お兄様もああ言ってくれたことだし、私は自分の思うように生きてみようと思う。……不細工だって清く図太く生きていってやる」
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無口な御者の笑い声が、空高くまで響いていった。
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