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3章
3-2 人生の分岐点(2) 大聖堂の事件
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その朝、私はシスター・アメルのいる院長室に、アルバートへの手紙を提出しに行った。
修道院や教会は秘密にしなければならないことがとても多い場所だ。そのため、外に出す手紙は必ず修道院長であるシスター・アメルに見てもらい、問題がないかをチェックしてもらわなければいけない。
……つまり検閲である。
複数の修道院に滞在したことのあるベルゾーニ侯爵夫人もといシスター・ルシールの話では、この手の検閲はどこの修道院でも行われているらしく、厳しいところでは文章の訂正まで命令されるらしい。
とはいえ、普段の生活態度に対しては悪魔のように厳しいシスター・アメルは、検閲に関してはとてもゆるかった。文章を指でなぞって問題のある単語が入っていないかだけ確認すると、彼女は一言「よろしい」とだけ呟いて、私の手紙を教会間郵便の木箱の中に入れた。
「シスター・オーレリア、大聖堂では滞りなく務めていますか?」
シスター・アメルは言った。
「はい。昨日も、司教様から私が一番作業が早く進んでいたとお褒めの言葉をいただきました」
「よろしい。では、今後もその調子で務めなさい」
その後、私はシスター・アメルに会釈をしてから退室した。
そして、二階の窓から中庭で聖歌の練習をしているシスター達の様子を少し眺めてから、修道院の玄関を抜けて大聖堂へと向かう。
大聖堂は司教様や神父様といった高位聖職者やブラザー達しか出入りしない、いわば男の園である。シスターが出入りをすると言ったら、清掃のためか行事関係くらいで、普段は全くといっていいほど女性は出入りしない。
そのため、大聖堂にいる時の私はひどく浮いていた。
ブラザー達も私のことをちらちらと見ることはあるものの、基本的にいない者として扱い、必要以外で話しかけてくることは一度としてなかった。
その日も、私は十数人のブラザーに混じって、写字室で聖典の写本作業を行っていた。
その事件が起こったのは、日が少し暮れ始めた夕方のことだった。
私達が写字室で黙々と写本を続けていると、やがて外の廊下から、ガタガタガタと何かが崩れる音がした。
その後、大聖堂中に叫び声が響いた。
廊下の一番近くで座って作業していたブラザーが立ち上がったのを機に、私達は次々と立ち上がり、部屋を出て何が起こっているのかを確かめに行った。
すると、
階段の下で一人の若いブラザーが足を押さえてうめいていた。
見れば、彼の近くには大きな木箱が転がっていて、中に入っていたらしい物が辺りに散乱していた。
「大丈夫か!? おい。誰か、医療師を呼んでこい!」
階段の下でうずくまっている彼の傍にいたブラザーが私達の方に向かって声を張り上げた。
私の近くにいた二人のブラザーが、大聖堂の外へと走っていく。
ちょうどその時、騒ぎを聞きつけた神父様が、階段へとやって来た。
「どうしたのだ! 何があった!?」
「足を踏み外して階段から落ちたようです」
ブラザーが神父様に報告した。
すると、それを受けて神父様はしゃがみこみ、うずくまっているブラザーの足の様子を確認しはじめた。
「これは、おそらく脱臼だな。今すぐ足をはめよう。お前達、ちょっと来て手伝いなさい」
そう言って、神父様はブラザーを何人か呼んで、うずくまっているブラザーの体を押さえさせた。
「よし、いいぞ。痛いのは一瞬だからな、我慢しろ」
神父様はうずくまる彼の足を動かした。
瞬間、彼はおたけびのような悲鳴をあげた。
そしてその時、私の耳にコリコリという何かがきしむような音が聞こえた。
「ちょっと待ってください!」
私は叫んだ。
私の声に驚き、手を止める神父様。
私は走って彼らの元へ行く。
「今、軋轢音が聞こえました。たぶん、これは脱臼ではありません。骨が折れています。不用意に動かしてはいけません」
私は言った。しかし、神父様は反論する。
「いや、だが、骨折にしては、腫れがどこにもないではないか」
「骨折の中には、腫れるまでに時間がかかるものがあるらしいです。ですが、先ほど足を動かした時に鳴った軋轢音からして、骨折だというのは間違いないように思います」
「お前は医療師の心得があるのか? どこでそんな知識を学んだ?」
神父様は尋ねた。
「本です。城の書庫にあった医学書に書いてありました」
私は答えた。
そして、私はうずくまっているブラザーの足を観察する。
「ぶつけたところから出血があります。止血のために水と清潔な布を。……それから、足を固定するための添え木と布が、医療師の先生がいらっしゃった時に必要になるかと思います。どなたか用意をお願いできませんか?」
私は一緒にいたブラザー達の方を向いた。
「わかった。用意しよう」
ブラザー達はうなづいて、私が言った物資を取りに行ってくれた。
それから医療師の先生がやって来るまでに、あまり時間はかからなかった。
先生はうずくまるブラザーの足を観察した後、骨折だと診断し、他のブラザー達が持ってきてくれた添え木と布で彼の足を固定し、搬送させた。
「……神父様、完璧なご判断でした。しかし、骨折だとよくわかりましたね?」
医療師の先生は神父様に言った。
途端、神父様がすごく罰の悪そうな顔をしたので、先生はすぐに指示をしたのが別の人間だと気付く。
その後、ブラザー達が私に視線を集め、先生はそれが私だと知った。
「……その年で。すごいな。父親は医療師か?」
「いえ……父は、貴族です。知識は本で読みました」
神父様はうらめしそうにちらっと私を見た後、何も言わずに去っていった。
「……謹慎?」
翌日の朝、私はシスター・アメルから伝えられたその言葉を聞いて、呆然としてしまった。
「どうしてですか? 私は何かしましたか?」
院長室の椅子に腰かけるシスター・アメルに、私は尋ねた。
すると、シスター・アメルは深く溜め息をついた。
「それを聞きたいのは私の方です。謹慎の理由は、神父様の言葉を無視し、自身の勝手な判断で年長のブラザー達にあなたが命令をしたことだとだけ伝えられました。いったい、あなたは何をやったのですか?」
私はすぐに、それが昨日の一件が原因だと気がついた。
そして、シスター・アメルに事の顛末を説明し、自分の無実をうったえた。
再び、深い溜め息をつくシスター・アメル。
「あなたが行ったことは、人としてはとても正しいことだと私も考えます。しかし、やはりシスターとしては、年長の神父様やブラザーに意見や命令をするのは慎むべきでした」
シスター・アメルはいつものように無表情で言った。
「それでは、私は黙っているのが正しかったということですか? 骨折したブラザーが誤った判断でもっと重症になるのを、黙って見ていればよかったということですか?」
「他にやり方があったのではないか、という話をしています」
シスター・アメルの言い分は、私も理解できなくはなかった。
けれど、
「苦しんでいる人を目の前にして、やり方も何もないと私は思います! 結局、神父様は自分のプライドが傷つけられたから、私を制裁しているだけじゃないですか! 人の命よりもプライドを優先させる方が正しい行いなのですか!?」
私は頭に血がのぼってしまい、感情のままにシスター・アメルに訴えた。
「口を慎みなさい、シスター・オーレリア」
「慎めません! ブラザー達だって、それが仲間を救うために正しいと思ったから、子どもの私の指示に従ってくれたんでしょう!? そんな彼らの想いも、間違いだと言うんですか!?」
「慎みなさいと言っているのです! オーレリア!!」
シスター・アメルの怒鳴り声が院長室に響いた。
私は言葉を止め、深く息を吐いて気持ちを落ち着ける。
シスター・アメルがそんな私を見ながら、穏やかな口調で話しかける。
「シスター・オーレリア。私はあなたが間違っているなどとは一言も言っていません。もし私があなただったとしても、あなたと同じ行動をしたかもしれません」
シスター・アメルはそう言って、私の目を見てうなずいた。
「……けどね、大人には立場というものがあるのです。それが正しい行いではないと思っても、しなければならないこともあるのです。神父様は若い修道士達を指導されるお立場ですから、おそらく彼には彼なりの理屈があるのでしょう」
私はシスター・アメルの言葉を黙って聞いていた。
けれどその時、私は頭の中で『そんなこと絶対あるわけない』と何度も唱えて、シスター・アメルが口にした大人の理屈を否定した。
シスター・アメルの言葉の意味を理解出来るようになるには、当時の私はまだ若すぎたのだった。
修道院や教会は秘密にしなければならないことがとても多い場所だ。そのため、外に出す手紙は必ず修道院長であるシスター・アメルに見てもらい、問題がないかをチェックしてもらわなければいけない。
……つまり検閲である。
複数の修道院に滞在したことのあるベルゾーニ侯爵夫人もといシスター・ルシールの話では、この手の検閲はどこの修道院でも行われているらしく、厳しいところでは文章の訂正まで命令されるらしい。
とはいえ、普段の生活態度に対しては悪魔のように厳しいシスター・アメルは、検閲に関してはとてもゆるかった。文章を指でなぞって問題のある単語が入っていないかだけ確認すると、彼女は一言「よろしい」とだけ呟いて、私の手紙を教会間郵便の木箱の中に入れた。
「シスター・オーレリア、大聖堂では滞りなく務めていますか?」
シスター・アメルは言った。
「はい。昨日も、司教様から私が一番作業が早く進んでいたとお褒めの言葉をいただきました」
「よろしい。では、今後もその調子で務めなさい」
その後、私はシスター・アメルに会釈をしてから退室した。
そして、二階の窓から中庭で聖歌の練習をしているシスター達の様子を少し眺めてから、修道院の玄関を抜けて大聖堂へと向かう。
大聖堂は司教様や神父様といった高位聖職者やブラザー達しか出入りしない、いわば男の園である。シスターが出入りをすると言ったら、清掃のためか行事関係くらいで、普段は全くといっていいほど女性は出入りしない。
そのため、大聖堂にいる時の私はひどく浮いていた。
ブラザー達も私のことをちらちらと見ることはあるものの、基本的にいない者として扱い、必要以外で話しかけてくることは一度としてなかった。
その日も、私は十数人のブラザーに混じって、写字室で聖典の写本作業を行っていた。
その事件が起こったのは、日が少し暮れ始めた夕方のことだった。
私達が写字室で黙々と写本を続けていると、やがて外の廊下から、ガタガタガタと何かが崩れる音がした。
その後、大聖堂中に叫び声が響いた。
廊下の一番近くで座って作業していたブラザーが立ち上がったのを機に、私達は次々と立ち上がり、部屋を出て何が起こっているのかを確かめに行った。
すると、
階段の下で一人の若いブラザーが足を押さえてうめいていた。
見れば、彼の近くには大きな木箱が転がっていて、中に入っていたらしい物が辺りに散乱していた。
「大丈夫か!? おい。誰か、医療師を呼んでこい!」
階段の下でうずくまっている彼の傍にいたブラザーが私達の方に向かって声を張り上げた。
私の近くにいた二人のブラザーが、大聖堂の外へと走っていく。
ちょうどその時、騒ぎを聞きつけた神父様が、階段へとやって来た。
「どうしたのだ! 何があった!?」
「足を踏み外して階段から落ちたようです」
ブラザーが神父様に報告した。
すると、それを受けて神父様はしゃがみこみ、うずくまっているブラザーの足の様子を確認しはじめた。
「これは、おそらく脱臼だな。今すぐ足をはめよう。お前達、ちょっと来て手伝いなさい」
そう言って、神父様はブラザーを何人か呼んで、うずくまっているブラザーの体を押さえさせた。
「よし、いいぞ。痛いのは一瞬だからな、我慢しろ」
神父様はうずくまる彼の足を動かした。
瞬間、彼はおたけびのような悲鳴をあげた。
そしてその時、私の耳にコリコリという何かがきしむような音が聞こえた。
「ちょっと待ってください!」
私は叫んだ。
私の声に驚き、手を止める神父様。
私は走って彼らの元へ行く。
「今、軋轢音が聞こえました。たぶん、これは脱臼ではありません。骨が折れています。不用意に動かしてはいけません」
私は言った。しかし、神父様は反論する。
「いや、だが、骨折にしては、腫れがどこにもないではないか」
「骨折の中には、腫れるまでに時間がかかるものがあるらしいです。ですが、先ほど足を動かした時に鳴った軋轢音からして、骨折だというのは間違いないように思います」
「お前は医療師の心得があるのか? どこでそんな知識を学んだ?」
神父様は尋ねた。
「本です。城の書庫にあった医学書に書いてありました」
私は答えた。
そして、私はうずくまっているブラザーの足を観察する。
「ぶつけたところから出血があります。止血のために水と清潔な布を。……それから、足を固定するための添え木と布が、医療師の先生がいらっしゃった時に必要になるかと思います。どなたか用意をお願いできませんか?」
私は一緒にいたブラザー達の方を向いた。
「わかった。用意しよう」
ブラザー達はうなづいて、私が言った物資を取りに行ってくれた。
それから医療師の先生がやって来るまでに、あまり時間はかからなかった。
先生はうずくまるブラザーの足を観察した後、骨折だと診断し、他のブラザー達が持ってきてくれた添え木と布で彼の足を固定し、搬送させた。
「……神父様、完璧なご判断でした。しかし、骨折だとよくわかりましたね?」
医療師の先生は神父様に言った。
途端、神父様がすごく罰の悪そうな顔をしたので、先生はすぐに指示をしたのが別の人間だと気付く。
その後、ブラザー達が私に視線を集め、先生はそれが私だと知った。
「……その年で。すごいな。父親は医療師か?」
「いえ……父は、貴族です。知識は本で読みました」
神父様はうらめしそうにちらっと私を見た後、何も言わずに去っていった。
「……謹慎?」
翌日の朝、私はシスター・アメルから伝えられたその言葉を聞いて、呆然としてしまった。
「どうしてですか? 私は何かしましたか?」
院長室の椅子に腰かけるシスター・アメルに、私は尋ねた。
すると、シスター・アメルは深く溜め息をついた。
「それを聞きたいのは私の方です。謹慎の理由は、神父様の言葉を無視し、自身の勝手な判断で年長のブラザー達にあなたが命令をしたことだとだけ伝えられました。いったい、あなたは何をやったのですか?」
私はすぐに、それが昨日の一件が原因だと気がついた。
そして、シスター・アメルに事の顛末を説明し、自分の無実をうったえた。
再び、深い溜め息をつくシスター・アメル。
「あなたが行ったことは、人としてはとても正しいことだと私も考えます。しかし、やはりシスターとしては、年長の神父様やブラザーに意見や命令をするのは慎むべきでした」
シスター・アメルはいつものように無表情で言った。
「それでは、私は黙っているのが正しかったということですか? 骨折したブラザーが誤った判断でもっと重症になるのを、黙って見ていればよかったということですか?」
「他にやり方があったのではないか、という話をしています」
シスター・アメルの言い分は、私も理解できなくはなかった。
けれど、
「苦しんでいる人を目の前にして、やり方も何もないと私は思います! 結局、神父様は自分のプライドが傷つけられたから、私を制裁しているだけじゃないですか! 人の命よりもプライドを優先させる方が正しい行いなのですか!?」
私は頭に血がのぼってしまい、感情のままにシスター・アメルに訴えた。
「口を慎みなさい、シスター・オーレリア」
「慎めません! ブラザー達だって、それが仲間を救うために正しいと思ったから、子どもの私の指示に従ってくれたんでしょう!? そんな彼らの想いも、間違いだと言うんですか!?」
「慎みなさいと言っているのです! オーレリア!!」
シスター・アメルの怒鳴り声が院長室に響いた。
私は言葉を止め、深く息を吐いて気持ちを落ち着ける。
シスター・アメルがそんな私を見ながら、穏やかな口調で話しかける。
「シスター・オーレリア。私はあなたが間違っているなどとは一言も言っていません。もし私があなただったとしても、あなたと同じ行動をしたかもしれません」
シスター・アメルはそう言って、私の目を見てうなずいた。
「……けどね、大人には立場というものがあるのです。それが正しい行いではないと思っても、しなければならないこともあるのです。神父様は若い修道士達を指導されるお立場ですから、おそらく彼には彼なりの理屈があるのでしょう」
私はシスター・アメルの言葉を黙って聞いていた。
けれどその時、私は頭の中で『そんなこと絶対あるわけない』と何度も唱えて、シスター・アメルが口にした大人の理屈を否定した。
シスター・アメルの言葉の意味を理解出来るようになるには、当時の私はまだ若すぎたのだった。
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