ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 2-1

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耳にざわざわと波の音が届く。
 生暖かい風が、頬を撫でる。

 まどかは薄くまぶたを開けた。
 長い眠りから覚めた時のように視点はまだ定まらず、視界は全て輪郭がぼやけている。
 ひんやりとした石の上に、うつぶせになっているようだった。
 腕を伸ばして上体を少し起こした。重い頭を上げ、目の前に広がる光景を見て思わず息をのむ。
 視界一面に広がるのは、ジャングルだった。周りは緑一色だ。
 ざざあ、と風が頭上を一吹きすると、巨大な木々が葉を揺らし、潮騒のような音を立てる。
「なんなの、これ……」
 後ろから、まどかの心の言葉が聞こえ、驚いて体をひねって振り返る。
 背後では防波堤で一緒に座っていた三人がゆっくりと体を起こしたり、既にあぐらをかいて周りを見回していた。
 まどかの言葉を代弁したのはみちるだった。顔色が少し青い。
「う、うーん」
 うめき声がし、そちらを見ると、すぐ隣でうつ伏せになっていた有吉が頭を上げていた。
「大丈夫? 有吉」
 声をかけると、眩しそうに目を開けて「ああ、なんとか」低い声で答えた。
「おまえは?」
「うん。私も大丈夫」
「離ればなれにならなくてよかった……」
「うん。みんな一緒だね……」
 今はそれだけ言うのが精一杯だった。

 空を仰ぎ見る。
 ちぎれた綿菓子のように、青空に雲が二つ三つ浮かんでいた。
 空に突き出た石柱と、空を横切る太い石の梁。それらに蔦がぐるりと何重にも絡まっている。
 梁の肌が見える部分からは、石には繊細な彫刻が施されているのが伺えた。
 五人はどうやら、遺跡のようなものの上にいるらしかった。
 少し離れたところに、石造りの祭壇らしきものもある。
 呆然と辺りの風景を見渡すまどかの目の前を、一羽の鳥が横切って行った。
 鳥と言うよりは、昔恐竜図鑑で見た「始祖鳥」というのに近い気がした。しかし始祖鳥は、飛べない。
 湿気を含んだ温かい空気が肌にまとわりつく。

「どこだよ、ここ。俺たち、海にいたよな」
 山口も驚きをあらわに、やっと言葉を発した。
 そう。ここは一体どこ? まどかは自問する。
「ちょっと、探検しようぜ」
「いや、さすがにムリだろ、有吉! オレ、ビーサンだし。こんな軽装でジャングルに入ったら危険だろ。どんな虫がいるかわかんねーし」
「虫!? やだやだやだ! 絶対嫌だからね、私」
「虫より、人食い植物とかいそうな雰囲気だよね。ていうか、人食い人種も。あれはやばいよ。映画で見たけど」
「じゃあどうすんだよ! ずっとここにいるわけにいかねーだろ」
 山口とみちるに、有吉が声を荒げた。
「ちょっと待ってみんな。落ち着いて。はい、これ。あそこに固まって落ちてたからさ」
 吉野が祭壇を指差しながら、皆のペンダントヘッドを配り始めた。
「あ、これだよこれ!! これが光ってから俺、すごい頭痛がして……なぁ、こいつがまた光ったら、元に戻るんじゃねーか!?」
 山口はペンダントヘッドを握りしめ、皆の顔を見回す。
「ねぇ、これって、もしかして夢じゃない……? あるいはまだみんな酔ってるか」
 まどかがふと、思いついたことを口にすると、一瞬水を打った様にその場がしん、となり、四人の視線が一斉に集まった。
「じゃ、なんだ。俺たちは同時に同じ夢を見ているんだな?」
 有吉は大きなため息をついた。
「金目、ちょっと」
「ん?」
 山口に手招きされて彼の前に立つと、彼はまどかの頬を軽くつねった。
「いたっ!」
 思わず頬に手を当てる。
「夢じゃなかろう」
「つねる事無いじゃん! そんな古典的な手を……」
「うーーん、夢じゃないならなおさら、どうしようね。水も無いし、食べ物も無い」
 吉野の一言で、自分たちが窮地に立たされている現実を思い出す。
 葉のざわめきが急に不気味に響き、不安をますます煽った。
 五人は誰からとも無く円陣を組んで座り、再び黙り込んだ。山口はみちるの肩をしっかり抱いている。

 ざわ……

 まどかはうつむき、手の上のペンダントヘッドをじっと見つめていた。
 何を考えていいのかわからない。

 ざわざわ

 急に有吉が顔を上げてあたりを見渡した。顔は緊張でこわばっている。
「おい」
「なんだよ?」
「音が……近づいてねーか?」
「何の?」
 山口はぎゅっとみちるを引き寄せる。
「しっ」
 有吉は人差し指を口に当てた。

 ざわざわ

 まどかには葉の擦れ合う音しか聞こえない。有吉は他に何か聞こえるのだろうか。

 ざわざわざわ

 そのとき、確かに葉ずれの音がだんだんこちら向かっているのがはっきりとわかった。
 三人の男たちは、みちるとまどかの盾になるように前へ出ると、音のする方をじっと見た。
「く……首狩り族とか……?」
「よ、余裕ね、みちる」
「な、なんか喋ってないと、緊張して……」

 がさっ

 音が一段と近くで聞こえた。
 びくっとまどかの肩が跳ねる。思わず有吉のTシャツの背中を掴む。
 心臓の音が大きく鳴り、周囲の音が聞こえない。
 まどかは有吉の背から、前方で何が起こっているのか見ようと顔を出そうとした。
 すると有吉は、後ろ手にまどかを背後に押しやる。
「おい、本当にいたぞ」
 仲間の声でない、男の声がした。誰かと話しているのだろうか。すると、男一人ではない?
「でも、こんなの? 長が言ってた奴……」
 まどかは痺れを切らし、有吉の腕の下から顔を出した。そして少し離れた前方の茂みの中に、二つの顔を見つけた。
「げ、女もいる」
 声を発した方と目が合った。
 男の髪は遠目に見てもはっきりわかるほど金色で、ゆるく波打っている。その前髪は長いが、他はすっきりとうなじの見えるくらい短い。
 もう片方は、金髪男と比べると華奢で、シルバーアッシュのまっすぐな髪は肩のあたりで風に遊んでいた。
「おまえら、今からそっちに行くけど、変なまねするなよ」
 何か言うのは、いつも金髪の方だ。仲間の男達から、少し緊張の解けた様子が伝わった。
「変なまねするなって……その言葉、そのまま返してやりたいよ」
 吉野がつぶやく。
 がさがさと草をかき分けて、男二人が近づいて来る。見た限り、武器は持っていなさそうだ。
 二人ともモスグリーンのTシャツに、迷彩柄のアーミーパンツのようなものを着ていた。
 どちらも割とタイトで、二人の引き締まった体の線がよくわかる。 
 ここに辿り着くには、石段をよじ登らなくてはいけない。
 しかも石段の石一つ一つはかなり大きく、高さは大人の腰の辺りまである。
 二人はそれを軽々とよじ登り始めた。五人はすでに立ち上がり、興味津々でその様子を見下ろした。
 二人の腕が最後の石段の縁にかかり、同時に腕が上体を引き上げ、頭が、胸が現れる。
 気がつけば五人の前に立っていた。
 少し距離を保って、お互いに無言で仔細に観察し合う。
 金髪の方はゆうに180センチ以上はあるだろう。相当鍛えられているようで、上体は綺麗な逆三角形だ。
 半袖のシャツから覗く腕には強い筋肉がしっかりついている。目は濃い琥珀色だった。
 彫りの深い顔には興味津々、とはっきりと浮かんでいる。
 一方、銀髪の方は線が細いが、やはりしなやかな筋肉が目立つ。
 上背は金髪より少し低いくらいで、だが十分長身と言える。
 オリーブグリーンの目で、ストレートの髪は肩につくかつかないか。細面の輪郭をなぞっている。
 面立ちは、こんな状況でなければため息が出るほど美しいが、表情は冷淡で何を考えているか全くわからない。
「あんたたち、誰?」
 山口が最初に口を開いた。
 金髪が銀髪と顔を見合わせる。銀髪が軽く頷いた。
 すると金髪が答えた。
「俺は獅子王ししおう、こっちが鳳乱ほうらん。五人が来ることは知っていた。だから迎えに来た。ただ、どんなのが来るかはわかんなかったけど」
 そして、再びちらりとみちるとまどかを見た。その目には、露骨に『迷惑』という色が浮かんでいた。
「お前らは俺たちと一緒に来てもらう。仕事があるんだ。そいつをやってもらう」
 獅子王は淡々としている。
 敵なのか味方なのか。彼らの様子からはわからない。
 (でも、仕事って?)
 まどかの不安がさらに増す。
「ちょ、ちょっと待てよ。何であんた達、全然人種違うのに俺たちの言葉が通じるの? っていうか、なんで俺たちがあんた達の言葉がわかる……? それに、ここ何処だよ。日本じゃ、ないよな」
 吉野はこんな時でも的確に要点をおさえる。確かにこんなに外見の違う人間と、なぜ普通に話せるのか疑問だ。
 鳳乱と呼ばれたほうが、初めて口を開いた。
「細かいことは後で話す。でも、君の二つの質問には答えておこう。一つ。ここはどこか。まだ言えないが、君たちのもともといた所からとても遠く離れた所だ。乗り物で二日三日とかそういう距離じゃない。多分、時空とかそんな単位で離れていると考えてくれた方がいい。ふたつ。言葉だが、我々は言葉そのものというより、波長をとらえて、それを交換している。確かに物理的に『言葉』と言う物も存在する。でも、その物理的な『言葉』を使わなくとも、対象にチャンネルを合わせれば、会話は成り立つ。ただ、『波長が合わない個体』とは話が上手く通じない事もある。我々の『物理的な言葉』の方は、その波長を使う事に慣れてくれば、だんだん使える様になる。ただ、読み書きはモトリックな物だから、練習が必要だが」
「テレパシーみたいなもの?」
 まどかは鳳乱に訊いた。彼は一瞬顔をしかめ、だが答えた。
「いや、心を読むのとは全く違う。我々は心は読めない。相手が会話の焦点を合わせて始めて、会話が成り立つ。例えば我々が君たちの放送局の周波数をとらえ、合わせるのが君たちよりもずっと早い。瞬時で合わせられる。君たちはまだノイズも多いが、なんとか我々の同じレベルの周波数に近づこうとしている、まだ過程の段階だ。ま、すぐに慣れると思うが。わかる? 言ってること」
「え、ええ。わかるけど。どうして?」
「そう? なんだか僕と君とは波長があまり合わないような気がしたから」
 彼がまどかを見下しているのが、手に取るようにわかる。
 まどかは露骨に眉を寄せた。
「そうか? 俺はそんな風に感じないけどな」
 隣の獅子王が鳳乱に声をかける。
「お前は特にコミュニケーションに長けているいるからな」
 なぜか鳳乱は獅子王を睨んだ。
「そろそろ出かけようぜ。おさが待っているだろ。この仕事、さっさと終わらせて解放されたいしな」
 じゃあいくか、と獅子王は五人にくるりと背を向け、軽々と石段を飛び降りた。
 五人は顔を目配せをする。波長など不要の、五人のコミュニケーションだ。
(ついていく?)
 その様子を一瞥した鳳乱は静かに言った。
「君たち、ここにいても君たちが望むような事は何も起こらない。今すぐ帰れると期待するな」
 彼の言葉には、どこか説得力があった。五人は軽く頷くと、それぞれ石段を降り始めた。まどかはワンピースだったので、少し躊躇していると、それを見た鳳乱が肩をすくめた。
「女はだから面倒だ」 
「そ、そんな事無いわよ。こう見えても運動は得意なんだから」
 相手はそれには答えず、顔を背けた。
「金目、おまえのパンツ見ても欲情しねーから、安心して降りてこい」
 先に石段を降り切った山口が叫ぶ。
「それすごい微妙!」
 まどかは腕を振り上げて見せた。一段降りた所で有吉が笑う。
「金目、オレはおまえのパンツの色を知っているから安心して降りて来い」
 私にだけ届く声で言った。
 まどかは顔を赤くしながら石段を降り始めた。有吉はその都度手を貸してくれた。
 全員が降りると獅子王と鳳乱は先に立って、来た道を戻ろうとした。
「ちょっと! 私これでこんな所歩けないから!」
 ショートパンツ姿のみちるが、二人に声をかける。
 二人はゆっくりと振り返り、同時に渋面を見せた。獅子王がやれやれ、とため息をつき、すぐに口に指を当てて鋭い口笛を吹いた。
 すると、さほど離れていない所からガサガサと音がし、また何かが近づいて来る気配がした。
「こ、今度は何よ……」
 さっきの威勢は何処へやら、みちるが及び腰になる。
 ざっとひときわ大きな音がして、大きな獣が三頭、目前に躍り出た。
 わっ、と五人は同時に声を上げた。獣は、狼と鹿を足して二で割ったような姿だった。
 肩までの上体が狼で、胴体、脚は蹄を持った鹿、そして、ふさふさとした尾は狼のものだった。
「なに? おまえ達三匹なの?」
 獅子王が一頭の獣に語りかける。獣は嬉しそうに獅子王の手に頭を擦り付けた。
「ま、いいか」
「良くないでしょ! それに乗せてくれるんでしょ!? 足りないじゃない!」
「うるさいなー。だから女は嫌なんだよ」
 後ろ首に手を当て、コキコキと首を鳴らしながら、獅子王は横目で鳳乱を見る。
「お前が良ければ、やれば?」
 鳳乱が呟いた。
 (なんだろう?)
 まどかの好奇心が頭をもたげた。
「よし、男はこいつらに乗って行け。女はちょっと待て」
「俺たち、離ればなれになるわけにはいかないんだけど?」
 吉野が意外と慣れた様子で、獣の背にまたがって言った。
「心配するな。すぐ追いつく。どうせおまえら五人一緒じゃなきゃ意味が無いんだ」
 獅子王は吉野に答えて、獣に何か耳打ちすると、獣は歩き出した。鳳乱もその横について行く。
 一番後ろの山口が、何度も後ろを振り向きながら、それでも、熱帯の大きな葉の陰に姿を消したとき、みちるがぎゅっとまどかの手を握った。
 仲間の姿が見えなくなると、獅子王は残された二人を睨んで「逃げるなよ」と声をかけてから、大きく息を吸った。
 筋肉質の胸が大きく膨らむ。
 ぐ、あぁぁぁ……。
 彼は喉から声を絞り出した。そして体が二倍にも三倍にも大きくなり、たちまち、ふさふさとした金色の毛が体中を覆いだす。
 まるでそれは、特撮映画のワンシーンを見ているようだった。
 彼はとうとう両手を地面につけた。耳が尖り始め、尾が伸び、それが一振り空を切る。
 そして一頭の大きな獅子に姿を変えるまで、さほど時間がかからなかった。
 その獅子の大きさは、普通のライオンの五倍はあるだろう。豊なたてがみを揺らし、肩で荒く息をしている。
 獅子はぶるるっと大きく体を振り、琥珀の目で鋭く二人を睨んだ。彼の着ていた服はばらばらに裂けて、地面に散らばっている。
 ただ立ちすくんでいる二人の前で、彼は前脚を折って上体を低くした。
「乗れ、ってこと?」
 みちるはまどかに訊ねた。
「グルル……」
 まどかが答えるよりも先に、獅子王が唸る。早くしろ、ということか。
 まず、みちるがたてがみを掴んで背によじ上り、後ろにずれてまどかの場所を作った。
 二人が背に収まると、彼はぐっと体を起こして、走り始めた。
 まるで二人を乗せた事など忘れたように、すごい勢いで茂みを次々と飛び越えて行く。
 まどかは振り落とされないよう、しっかりと獅子の体にしがみ付いていた。
 同時に、内股に触れる毛は柔らかく、温かだな、とも思った。
 地球ではない異星にいる、という恐怖感や焦りは全くなかった。
 いや、そもそも実感がない。
 ただ、脳が完全に二つに分割し、それぞれ単独で働いているようだった。
 一方はものすごく混乱しているが、もう一方はなぜかとてもクリアで、次々変わる状況を瞬時に判断し、受け入れている感じだった。
 それでも、ここに自分一人だったら、絶望と混乱で何も受け入れられなかっただろう。
 でも、仲間がいる。まどかの心を支え、冷静な自分を保てているのはその事実だった。
 
 緑が後ろに線となって流れて行く。景色はずっと変わらない。
 しばらく走った後、ひときわ高く彼の体が跳ね、お腹の下がふわりと浮かんだ。
 お腹に浮遊感を感じたと思うと、すぐにずしんと、地に降り立った衝撃が体に伝わって来た。

 獅子王の体に埋めていた顔を恐る恐る上げると、自分たちはジャングルを抜け、村の前にいるのがわかった。
 村というよりはまるで映画のセットのようなインディアンの集落に近い。
 そして少し離れた場所から、簡単に布を縫い合わせた簡素な衣服を着た男女が、物珍しそうにこちらを見ている。
 そこに驚きや、敵意は感じられない。
「人がいる……って、宇宙人?」
 後ろからみちるが声を漏らす。
「いや、それきっと、私たち……」
 その時、獅子王が前脚を折り、意表を突かれた二人はほとんど落ちかけた。
 それでもそのまま上手く地面に降り立つと、獅子王はぶるんと体を一振りして歩き始めた。
「ちょっと待ってよ! どこに行くの!? あんたの相方と山口達はどこ!?」
 獅子王に追いついたみちるに、彼は牙をむき出しながら「グルル」と唸り、そのままプイと前を向いて村の中に入ってしまった。
 ついて来るな、ということか。
 代わりに、遠巻きに見ていた数人の男女のうち女性一人が私たちに近づき、笑顔で語りかけてきた。
 肌は良い具合に日に焼けていて、黒い瞳の綺麗なひとだ。長い黒髪は腰まであった。
 落ち着いた緑色に染めた質素なワンピース姿で、腰には見事な蛇革のベルトが巻き付いていた。
 足首を紐で結ぶ革靴を履いている。
「私たちは神からのお告げで、皆さんのお越しを今か今かとお待ちしておりました」
「……は? か、神ぃ?」
 みちるとまどかは同時に声を出し、顔を見合わせた。
「詳しい話は私どもの長(おさ)からあります。どうぞ一緒にいらしてください。ご案内します」
 にっこりと小さな顔を傾かせ、村の方へ促す。
「えーと、あと三人来るんですけど……」
 みちるの言葉は飲食店で席に案内する店員には正解だが、状況はちょっと違う。
 まどかは思わず苦笑していた。
 黒髪の女性は、二人の不安な気持ちを汲み取ったらしい。
「それでは皆さんが来られるまで待たれますか。あ、獅子王さんが来られますよ」
 彼女は、村の広場を横切る獅子王に顔を向けた。
 獅子王は先ほどの格好とはまるで変わって、まるでアラブ諸国の大富豪が着るような、くるぶしまで隠れる白い長いシャツ姿だ。
 随分リラックスした様子で歩いてくる。確かにその格好の方がこの熱帯の気候には理にかなっているかもしれない。
 彼はまどか達の前まで来ると、女性ににっこりと微笑んだ。
「ありがとう。あとは僕がこの方達を長の元に連れて行くから」
 女性は獅子王の言葉を聞くと、微笑み、軽く頷いて行ってしまった。
「あんな風に笑えるんだ」
「誰、『この方達』って。猫かぶり? 獅子なだけに」
 二人は口々に彼のあまりの態度の違いに、速攻突っ込んだ。
 獅子王は初めて、気まずそうに視線を泳がせる。
「だってなぁ、あの娘は長の第二夫人だからなぁ」
「その長って、何なの? そんなに偉いの?」
「ばあか、『長』って言うくらいだから偉いに決まってんだろ。この村で、というよりはこのユランでもかなり力を持つからな」
「ユラン?」
「この惑星」
 みちるは「ふうん」、と納得したようなしないように鼻を鳴らした。
 まどかもその言葉を頭の中で反駁した。まだピンと来ない。ユランなんて星、学校で習ってない。
「あ、それよりもトイレに行きたい」
 みちるは突然思いだしたように言った。
「あ、じゃあ私も」
 獅子王は小さくため息をついた。だが、生理現象は仕方がないだろう。
「しょーがねえな、ついて来い」
 背を向け、歩き出した。
「ねえ、ところでなんで獅子王はライオンに変身出来るの? 魔法かなにか?」
 みちるは獅子王にまとわりつく。
「うるせえな。あんた達には関係ない」
 短く吐き捨てる。取りつく島も無いとはこういうことか。
 みちるはまどかに向いて大げさに肩をすくめ、それ以上質問せずに彼を小走りで追った。

 村から少し離れた静かな一角に、工事現場の仮設事務所を彷彿させる、長方形の小屋があった。
 バナナのような大きな葉を茂らす木が囲むそこに、隠れ家のような佇まいだ。
 大自然のジャングルとは全く対照的な建物だったが、それが獅子王と鳳乱の寝床らしかった。
 彼は二人のためにドアを開けた。
「汚い靴、脱げよ」
 開かれたドアの向こうは、質素な外見と一転して随分重厚な雰囲気だった。
 床も濃い色の木材が張られ、壁は真っ白な漆喰塗り。窓は大きく、麻のカーテンを通して陽光がたっぷりと注ぎ込んでいる。
「そこがオレの部屋、あっちの突き当たりが鳳乱の。入るなよ。本当に殺されるぞ。あ、その手前のドアだ」
 長い廊下が入り口からまっすぐ鳳乱の部屋のドアに通じ、入口を入ってすぐのドアが獅子の部屋らしかった。みちるが先にトイレを使った。
 その間、まどかは獅子王と二人、外で壁に寄りかかりながら行き交う人々を眺めていた。
 隣で手持ち無沙汰な様子の獅子王が、突然「おまえ、鳳乱に気をつけろよ」と呟いた。
「え?」
 長身の彼を見上げると、彼は真顔でまどかを見下ろしていた。
 その時初めてまともに見たが、彼の琥珀色の瞳は少しつり目がちで、それだけを見ると本当にネコ科の動物のようだった。
「お待たせ、まどか」
 みちるがすっきりした顔をして出て来たので、まどかは彼に問うことはあきらめ、中に入った。
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