ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 2-2

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 まどか達三人が再び広場に戻ると、鳳乱と仲間が待っていた。
 男達三人は鳳乱と随分と親しくなったようで、自然な様子で言葉を交わしている。
 みちるに気がついた山口は、両腕を広げて猛突進してくると、がしっと彼女を抱きしめた。
「無事だったかぁ!」
 みちるは顔を真っ赤にして、慌てて山口を引きはがす。
「だ、大丈夫っ。それより、なんかすごい事になりそうよ。どうやらこの村の人たちは私たちを待っていたらしいの」
「君たち、無駄話は後にして。やっと数が揃ったんだから長の所へ案内しよう。長はもう長いことお待ちだ」
 鳳乱はそう言い、きびすを返した。その少し後ろに獅子王は続き、固まって五人が続く。
「なんかさぁ、鳳乱って私たち女の前だと異様にピリピリしていると思わない? 極度の女嫌いなんだね」
 ひそひそとみちるが山口の耳に顔を寄せる。
「うーん、わかんねぇな。俺たちと話している時は、打ち解ける、まではいかないまでも普通だったけど。なんかさ、あれじゃね、修行とか。トラウマとか」
「修行って何!? 女と話しちゃいけないって? 有り得ない。あとはまぁ、こっぴどくフラれたとかね。辛い過去から立ち直れない系」
「フラれたとか、そっちのが有り得ねーだろ。あんなイケメンが。やっぱ修行だ。いろいろあるんだって。所変わればって言うだろ。大体ここ、結構日本と変わってるっぽいしな」
「『ぽい』じゃないでしょ、大違いでしょ! あーー、帰りたい」
 みちるの何気ない一言で、一瞬その場にどんよりとした空気が立ち込めた。
 陽は強く肌を焼き、通り過ぎる人々は白い歯を見せて笑いかけているというのに。
(帰れるのかな、私たち)
 まどかは、この知らぬ土地ですでに何度目かのため息をついた。
 ーー両親は私と連絡がつかずに心配しているかも。
 仕事は? 患者さんは? 
 それより……そもそも誰か私を待っているの?ーー
 胸に不安がどんどん膨らんでいく。
 その時、「ぽんぽん」と頭を軽く叩かれた。
「大丈夫だから」
 我に返って隣を見ると、有吉が片目を瞑った。
 考えが漏れていたのか。まどかは有吉の心遣いに笑顔で答えた。
「心配するな」と言われるより、「大丈夫」と断言される方が、ずっと安心する。
 たとえその言葉に何の根拠がなくとも。
「困難な状況ってのはさ、受け入れちまうと結構すんなり先に進むもんだよ。受け入れるまでが難しいけどな。この妙な出来事も、いつの間にか終わりを迎えているはずだよ」
「帰れるってこと?」
 そう言ってすぐに「しまった」と思う。それは有吉にだって答えられるわけがない。
「終わりを迎える」。
 その言葉に妙な不安を感じて、つい口にしてしまった。
「帰れるよ。おまえが帰りたいと望めば。おれが連れて帰る」
 有吉の強い瞳に引かれ、まどかはしっかりと頷いた。
 それとも、有吉は自分自身に言ったのだろうか。

 広場を抜け、住人達の寝処である茶色い立派なテントを見ながら、どんどん奥へ進む。
 シダやソテツに似た植物が道を狭くし、道にも葉や蔦があたりに無造作に散っていた。
 フラットシューズのまどかと、ビーチサンダルの山口は村人からもらった革靴を履いていた。
 スニーカーのようにソールはないが、ほどほどに歩きやすい。
「うわっ、う、動いた! へ、ヘビじゃね、あれ!?」
 吉野が珍しく大声を上げた。彼の指す方を見ると、木の枝からだらりとぶら下がっている蔦が、急に小さな頭を持ち上げ、ちろちろと小さな舌を揺らした。気をつけてよく見ると、蔦だと思ったのは、ほとんどが蛇だった。
「俺、ニュロニョロするもんはマジ、苦手なんだよ~」
 吉野が有吉の腕にしがみついた。
「ちょっと鳳乱、これ大丈夫なんだろーーなあ」
 山口は先頭を行く、頭一つ分出ているその長身の背中に問いかける。鳳乱は歩みを止め、深い丸出しの顔を振り向かせた。
 この人、眉間の皺が無くなることってあるんだろうか?
 まどかも釣られて眉を寄せる。
「君たち、少しは黙って歩けないのか? 喋った所で何か状況が変わるのか?」
「少しは気分が和むけど」
 まどかはすかさず言った。
 口を挟まれた鳳乱は相当気を悪くしたようだ。
 彼の鋭い視線を受けて、まどかは慌てて明後日の方向を見る。
「蛇はこの村、ゼルペンスの神なんだ。村中にいて当然だ。そもそも蛇にとっておまえ達がぎゃあぎゃあ騒いでいる方がよっぽど迷惑なんだ。おまえ達が静かなら何もしない。せいぜい蛇に敬意を払うことだ」
「敬意を払うって……」
 みちるが苦笑する。
「冗談じゃないみたい」
 まどかも声のトーンを落とした。
 その後は一様に、できるだけ蛇に敬意を払い、沈黙のまま道を進んだ。
 やがて、目の前に土地が開け、立派な木造の神殿が現れた。
 その周りには木が生い茂り、陽の光を遮っている。ひんやりと湿った空気が流れ、火照った肌に心地よい。
 神殿の入り口を支える左右の太い柱には、天に昇る二匹の絡み合う大蛇が彫られていた。
 その柱は長年磨かれているのか、黒々とした木肌は濡れた様に光り、彫刻の蛇たちは今にもくねくねと動き出しそうだ。
 鳳乱を先頭に一団が一列になって入り口をくぐると、焚かれている香木の香りが濃く部屋に漂っていた。
 ほぼ真四角な部屋には四隅の天井近くにランプが備え付けられ、小さな炎が揺らめいていだけで、薄暗い。
 目が慣れてくると、背の高い椅子に座った、肌が浅黒い壮年の男性の存在に気がついた。
 簡単な白い布を、体に一枚巻き付けたような服を着て、やはり立派な蛇革のベルトを巻いている。
 手首を、鈍く金色に光る蛇の腕輪が飾っていた。この人が長にちがいない。
 この薄暗い部屋でも、長の陽に焼けた肌には皺を刻んでいても張りがあり、盛り上がった腕の筋肉と素足のところどころに、古傷がいくつかあるのがわかった。
 肩まで伸びた髪と眉は灰色だが、深い緑の目が生命力の強さを物語るように光っている。
 椅子の後ろに見えるのは、巨大な鎌首をもたげてとぐろを巻いた蛇の彫刻だ。その石の彫刻はつるつるとした体に、ランプの光を怪しく反射して今にもその椅子ごと男を飲み込みそうな迫力があった。
 部屋の右手の壁際には若い女が二人、老婆が二人、蔦を編んだ美しい長椅子に座り、五人の訪問者を静かに見つめている。
 その一人は、みちるとまどかに最初に話しかけて来た女性だった。
「ようこそお越し下さった。鳳乱、獅子王、ご苦労だった」
 低いが、よく通る声だ。長は五人を案内した二人の男を労った。
 鳳乱と獅子王は深く頭を垂れた。長は小さく頷き、そして五人に顔を向けると、静かに口を開いた。
「五使徒殿。そなたがたはこのゼルペンスを救うために神が使わされた使徒。どうか我らの願、聞き召されよ」
 誰も何も言わなかった。蓋を開けてみれば、自分たちの置かれた身がまったく想像とはまるで違っていたからだ。
 おもむろに鳳乱が口を開いた。
「長殿。この力漲る神意満たされき若き五使徒は、その誇りと勇気という剣を武器とし、長に仕える光栄を、この鳳乱に声高く陳べられました」
(は? 誰の話?)
 五人揃って、鳳乱のでまかせ口上にあっけにとられたが、それを鵜呑みにした長は、緑の瞳を輝かせた。
「ならば話は早かろう。五使徒殿、ゼルペンス、この村神は今、非常なまでにお怒りだ。その瞋恚(しんい)の炎収まらず、疫病湧かしめぬ。それも神の祠(ほこら)を巣食い、荒らすもの有りきに。我は神に問うた。『おお我らが神ゼルペンス、いかにして我らを救わんや』我は神の声を聞いた。『エーゼルに使徒を呼ばせよ。我が五使徒、必ずそなたの祈り納受せむ』我らは祭壇にて二十一の祈祷を続け、アカイネの鳴く朝、五使徒は我々の前にその御身を現された!!」
「えーと、さーせん……」
 山口がおもむろに口を挟んだ。鳳乱と獅子王は、その山口の砕けた口調に、とっさに振り向く。
「つまり、たぶんだけど……話を要約すると、神様の家を荒らすものがいて、神が怒って村が大変だと。で、俺たちはそいつらを追い払えばいい?」
 二人の、肩越しに山口を見た顔の表情は固まっている。だが長は顔色一つ変えずに頷いた。
「聞き召されるか」
「やるしかないだろ。じゃないと、蛇の餌になりそうだもんな」
 山口は大げさに手を広げた。もちろん全員、彼に同意だ。
(とにかく先に進まないと)
(ロールプレイングゲームだ。クエストを攻略すりゃいいんだ)
 吉野と山口が囁いている。
 山口の言葉に長は満足したようだ。椅子に背を預けると、長椅子に座っている女の一人に目で合図をした。女は二回、軽く手を叩く。
 たちまち外からぞろぞろと、胸に籠を抱えた五人の男たちが入って来た。

 長椅子から、手を叩いた女が立ち上がり、脇に用意してあった盆を、もう一人の女が既に長の前に用意をした小さなテーブルの上に運んだ。そこには小さなグラスが五つ用意され、中には透明な液体が半分ほど注がれていた。
「御身、名は何と申される」
 長は目を山口に定めて訊いた。
「山口 覚」
「ヤマグチ サトル」
 長はゆっくりと、復唱した。そして、待機している男達の一人に言い放つ。
「山口殿、前へ。そして山口殿には『木の命』を!」
 山口は言われたままに、グラスの置かれたテーブルの前まで進み出た。
 そして、真ん中の男が籠を抱えたまま長の元へ歩み寄る。籠を地面に置き、恭しく長に頭を垂れてから、ぐっと胸を反らすと慎重に蓋を開け、中からほっそりとした深緑の蛇を取り出した。
 男はその小さな頭を、親指と人差し指で押さえている。蛇は男の肘まで螺旋らせんを描いて絡みついた。
 それを見て、まどかの全身に鳥肌が立つ。
 男は一つのグラスの上にヘビを掲げ、腰から小さなナイフをすらりと抜くと、その鋭利な先で蛇の(胸だと思われる)位置に狙いを定めてさっと、最低限の動きで裂いた。
 ナイフを持った手に赤い飛沫しぶきが散る。男はもう一度その小さな傷口をナイフの先でえぐり、器用に小指の先ほどの固まりをグラスの中に落とした。
 ぽちゃ
 頼りない音が、しかし部屋中に響いた気がした。この瞬間五人は、グラスの中身を一気に飲み干さなくてはいけないのだと、確信していた。
 長が深く頷く。
 驚いたことに、山口は少しも躊躇する事無く素早くグラスを取ると、まだ液体の中で血の糸を引く中身を一気に喉に流し込んだ。
「御身と神は今一つになった」
 長は言った。
 その儀式は続き、有吉が『火の命』を、吉野が『金』、みちるが『水』を、そしてまどかは『土の命』だった。
 まどかは皆と同様に前へ進み、男が、レモンのような鮮やかな黄色の蛇をグラスの上にかざすのを見ていた。
 男の手がわずかに動いただけで、真紅の塊が液体の中あに落ちる。
 グラスを鼻先に持っていくと、強いアルコールのにおいがツンと鼻をついた。
 小さな塊は、まだ体の外に取り出された事に気がついてないかのごとく、とくとく、収縮している。
 まどかは目を瞑り、息を詰めてそれを一気に呷った。
 盆の上にグラスをもどす。手の平が汗でべとついていた。
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