ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 22-2

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 そんな煮え切らない日々、ルイのパルスが鳴る。
「シャム、今度は何だ」
「ルイさ、僕の代わりに恒例の夜会に行かないか? 僕、すっかり忘れててその夜、子供と映画に行く約束しててさ」
「公務だろ。忘れたってなんだよ。仕事しろ」
 カンはいいくせにこういうところは抜けている。オレはパルスを切ろうとディスプレイに指を当てる。
「金目をつける、って言ったら?」
 ………あいつはランチの付け合わせサラダか。
「なんだそれ」
「いや、あの夜会、みんな女同伴だろ。ご存知の通り、大体嫁かミケシュを連れて行くんだけどさ、僕が行けないからミケシュにまだ話し通してないんだよ。おまえが行くなら、金目に行かせる。楽しい夜になるぞお」
 結局、シャムに乗せられたかたちに成ったが、ーーそれも、オレが行くことは伏せられていた。完全な詐欺だーー後日ミケシュに無理やり連れられ、ショップであいつのドレスを選んだ。
 当日、それを身につけた金目は、格別だった。
 彼女はオレの出現にかなり驚いていたが、すぐに観念したようだった。
 オレの視線は、彼女の露になったうなじから背中の白さに釘付けだった。
 それは、ほのかに光を放っているようにも見えた。まるで彫刻のようなきめ細かい肌には、本当に血が通っているのかどうか、確かめずにはいられなかった。
 何度かさりげなく背に手を這わせた。踊ればそれはしっとりと熱を帯び、オレの手に気持ちよく吸い付いた。
 押し付けられた胸は盛り上がり、オレを挑発していた。
 バルコニーで我慢できずに、キスをした。
 その瞬間を待ち望んでいただけに、その唇がとりわけ甘く感じた。
 それから再びあいつを説得しにかかった。獅子王とあいつを別れさせるなら、どんな汚い手も使うつもりだった。
 それでもなるべく穏便に事を進めようと、生物学の半端な知識も混ぜ込んで、もっともらしく話した。
 話しているうちに、自分が言っていることもまんざらではないと思い始めた。
 金目はオレの言葉に体を震わす程、相当ショックを受けながらもオレの「矛盾」を切り込んだ。
 ーー悪くない。
 それでもあいつは優しいというか、やっぱり甘かった。
 すぐにオレを非難したことを恥じ、怯えて目を合わそうともしなかった。
 あまりにもいじらしく、後ろから抱きしめた。金目は小さな声で何かを言った。
 まだ、愛というやつにこだわっているらしい。どうしたらわかってくれるのか。
 ならば、オレなりの愛し方を。
 オレは彼女をドアに押し付け、熟れたみずみずしい果実の皮を剥き、貪った。
 ただ、我も忘れて、貪り、流れる果汁を啜り、飲んだ。
 想像以上だった。
 指が吸い付く柔肌も、舌触りも女の香りも味も、声も。
 禁断の果実とは、よく言ったものだ。
 極上の味を知ってしまった以上、オレはもう、楽園に戻れない。
 それにしても、あのとき、彼女の濡れた柔らかな襞の中に無理矢理自分を埋めさせなかった、理性の片鱗を褒めてやりたい。
 なすがままだったあいつは、きっと胸中でオレを軽蔑していたに違いない。
 金目をタクシーに乗せたとき、こいつを今ここでさらって二人でどこか遠くへ行こうか、と一瞬バカな考えがよぎった。
 ルイはそこで一旦回想をストップさせ、デスク上のグラスの水を一気に煽った。
 体の芯が熱い。
 無理もない、金目を想えばこそ起る、自然な生理的現象だ。
 ーーもう少し、彼女のことを考えていたい。
 ルイは再び、どさりと椅子に体を倒した。

 数日後、あんな仕打ちを受けても、あいつはオレと『話したい』とメッセージを送って寄こした。
 あれだけの仕打ちの後であり、期待はしなかったが、やはりアクセサリーを返しに来ただけだった。
 『持っていろ』と言ったが、速攻で拒否られた。もう、そんな返しはデフォルトだ。
 オレも学習しないなと、密かに自嘲する。
 それから彼女は何か、妙なことを言った。
 オレが女に慣れているとか。そんな事実は皆無だが、仮にオレが女慣れしているとあいつにどんな得があるのか。
 訳が分からず、眉をひそめた。
 
 金目がオレの香水のことでなじる。
 獅子がオレの香水と断定したかはわからない。ヤツとはバーシスで顔を合わせることはほとんどない。それでも、気付かれたら面倒だ。
 この日、二人きりになったチャンスを生かして、彼女をデスクの上に組み伏せる計画はこれで流れた。
 どこまでも獅子王はオレの邪魔をする。
 シャワーを浴びて匂いを消しておけ、と忠告するが、あいつは終わりまで聞かずに出て行った。一刻も早くオレから離れたかったのだろう。
 正しい判断だ。
 なんと、金目がオレを誘った。デートだ。一瞬耳を疑った。
 そして、当日久々にアフィスの丘に来ると、胸の内の強張りががゆるゆると解けていく気がした。
 光の満ちる健全な空間に金目と二人というシチュエーションのせいかもしれない。フローナの名前を出すと、あいつの顔色が変わった。
 まさか嫉妬でもあるまいと思いつつ『気になるか』聞いたが、案の定、即否定された。
 少し、萎えた。
 隠しておく理由も無いから教えてやると、それだけの事にあいつの笑顔が輝いた。
 金目といると欲情もするが、同時に心が和むことにも気がついた。
 やっぱり、その笑顔はオレだけのものだ。この丘の風に宥められ、大人しくしていたはずの独占欲が再び頭をもたげた。

『地球に帰る』と、あいつが断言した時には、心に亀裂が走った。
 それでも、気になる獅子との話題を振る。あいつはどうしてオレが獅子に忠告しないのかと聞き返す。
 おまえはバカか。おまえみたいな特別な女を、やすやすと手放す男がいるか。
 おまえが獅子を好きならそれはそれでいい。でも、オレはおまえの香りを追う。
 ずっと、追い続ける。
 おまえがまだ鳳乱のことで、痛手を負っているのはわかっている。
 慰みの一つにでもなればと、鳳乱も楽になったと気休めを言ってみる。
 言葉にしてみると、案外そうだったかもしれないという気にもなった。
 それに対して、あいつはもうわだかまりは無いと憤慨する。獅子を憎んでいないとも。……そうか、それならいいんだ。

 そして、オレは不覚にも眠り込んだ。いくら和んだといってもあいつの隣で、熟睡だ。
 それにしても、あの丘の風はオレの心に平安をも運んだようだった。
 がつがつと金目の心を蝕んでいたのは、このオレなのかもしれない。
 土足であいつの気持ちを踏みにじっていたのは。悪い事をした。あいつはオレの側にいて、ひとときも気が休まることはないだろう。
 あいつに対して寛容とは言え無いまでも、後悔に似た、緩やかな心境の変化を緑の梢の下で自覚した。
 そして、やはりオレにとって金目が「絶対」なんだということも。
 昼寝から起きると、唇の甘さに違和感を感じた。
 まさか、と期待を抱きつつ金目に鎌をかけると、これも即否定、それも二重、三重に。
 かなり落ちる。
 
 おまけに帰りは、有吉と一緒になれば丸く収まるとほざく。
 おまえが帰ることは、タダでさえダメージでかいのに、そのうえ有吉と幸せになられてたまるか。
 有吉にとって僥倖ぎょうこうこの上ないだろ! 再び上手く言いくるめるように話し出したが、途中で嫌になった。
 オレだって、偉そうなことをいいながらも、あいつにとっては厄介者以外の何ものでもない。
 それも仄めかしたら、あいつにとって図星だったのか、黙り込んでしまった。
 オレの隣に金目がいる。
 手を出さずにいられないのは、もう、病に冒されているようなものだ。
 引き寄せ、くちづける。金目は抵抗しない。諦めか、呆れているのか。
 それでもあいつは、オレのキスに慣れてきた。オレを楽しませさえする。
 『んぅ』とあいつの声が耳に甘く響いた。ヤバい。押し倒しそうになるのをギリギリで堪えて、身を離す。
 彼女の潤んだ瞳は、オレの理性を容易に揺るがす。
 オレに隙を与えたことを後悔しているのか、あいつは項垂れた。
 その場を取り繕うようにバカみたいに、キスの感想を述べた。『甘すぎる』。
 うまいんだよ、単純に。それでも、やっぱりオレのしていることは『よくないこと』だろう。
 あいつもまたそこでオレの意見に同意した。


 閉館時間も近い。図書館で少しばかり残った単純作業をただこなしていた。
 アンドロイドを稼働させるまでもない。ほとんどの人間が席を立つこの時間に、金目は、入って来た。
 あのデート以降、残念ながら呼び出す特別な理由も無かったため、あいつを見るのは研修室でのみだった。
 驚きで顔を上げそうになるも、ぐっと気持ちをおさえ、目の端で彼女の姿を追う。

 図書館に残るのは金目だけになった。
 オレは奥のコーナーであいつの後ろ姿を認めた。
 声をかけると、慌てて立ち去ろうとするあいつの腕を咄嗟に取った。
ーー帰したくない。頭で思うよりも先に、手が伸びた。

 金目の唇が欲しい。冗談混じりに『キスをしていけ』と言うと、あいつはすごい剣幕で喰いついてきた。
『からかうな』と。そして、『心動かされていた』とも。
 自分の耳を疑った。
 おまえが? オレに?
 それなら、どうして獅子といるんだ。どうして素直にオレの腕の中に飛び込んで来ない。
 混乱し、感情を吐き出しそうになる自分を抑えながら聞くと、あいつは、ぼろぼろになった自分を曝け出した。
 始めて本当にあいつを哀れだと思った。
 そこまで自分で自分を追いつめていたとは、気がつかなかった。
 いや、あいつのポーカーフェイスぶりを、強がりと言う名の防衛を、見破れなかったオレが悪い。
 金目を救う、と息巻いていたオレがなんてザマだ。
 もう一度、チャンスをくれ。
 祈るような気持ちで金目に問う。『オレの腕の中に来ないか』と。
 そうだ。もうオレは誰にも遠慮しない。
 金目の気持ちがはっきりした今、何の障害もないはずだ。
 それでも、選ぶのは、彼女だ。
 あいつが、オレの言葉に応えた時、全身に震えが走った。
 気がつくと金目はオレの腕の中にいた。
 もう待てない、待たない。
 「迎えにいく」そう言うと、あいつが微かに息を飲む音が耳に届いた。

 獅子は研究室を鳳乱と共同で使っていた。今、獅子はそこにいる。
 オレは金目と図書館で別れた後、アポ無しでそこへ直に踏み込んだ。
 獅子は針の先で、蝶に何かを注入しているところだった。オレがデスクを挟んで近寄っても顔を上げない。
「獅子。オレ、今夜、金目を抱くからな」
 獅子は「まあ待て」と片手を上げてオレを制し、蝶をそっと両手で包むとガラスケースに戻した。
 それからどっかと椅子に体ごと投げるように座り、挑戦的な目で見上げた。
「何? そんなこと宣言しにわざわざ来たの。それで、そのお楽しみを想像して今からお前のモノをおっててるわけ。そりゃ、楽しいわ」
 オレは獅子を睨みつける。相手は口を歪めて続けた。
「アンタはネチネチまどかをいじめるし、あいつはアンタの匂いをプンプンさせてくるし。鼻につくんだよ、あの香水は。趣味悪すぎ。その上、あいつはオレを連れて帰って来た手前、責任感じちゃってアンタのことをオレに打ち明けて出て行くことも出来ず、ただバレないようにかなり神経尖らせてたぜ? すり減らしてたって言った方がいいか。あいつはそういうところ不器用なんだから、アンタが味方になってやれないってどういう扱いよ? せっかくいい具合にオレがあいつに肉付けたのにまた痩せたらどうすんだよ。そんなことも考えられないようなバカに、まどかはやらねえ」
「まどかって、おまえが呼ぶな。それに、おまえのものじゃないだろ」
「なったんだよ、今。今日、あいつはオレの部屋に帰って来て、オレのベッドで眠る。オレがあいつを抱く。それは、あいつが帰ろうと思うまで続く。あいつがオレにどんなネガティブな感情を持とうが、そうやって執着しているうちは、まどかはオレのものだ」
 最後の言葉に反論の余地がない。金目が獅子を憎んでいるうちは、執着の鎖は二人を拘束し続ける。
 獅子は勝算有りと踏んだのか、狡猾な笑みを浮かべた。
「それに何? アンタまだあいつを名前で呼べないの。照れ? それとも『教官と教え子』『上司と部下』っていうプレイ? オイシいよね、それ」
「おまえには関係ない」
「へぇ? オレには関係なくて、シャムにはあるわけ? アンタ、シャムにまで片棒担がせるって本当にいやらしいヤツだな。夜会のときといい、今回の虫退治といい。……その割に手こずってるみたいだけど」
 獅子は目を細めて薄く笑う。オレはその笑いを無視して、なるべく獅子を刺激しないよう言葉を選びながら反撃に出た。
「シャムは全く関係ない。オレもあいつが何を考えてあんなことをしているかわからん。……まあ大凡想像はつくがな。ミケシュと賭けでもしてるんだろ、ヒマなんだよ、あいつは……とにかく、金目がおまえをここに連れ戻したのは、あいつ自身のために起こした行動だ。自分が側にいる事で鳳乱をおまえに常に思いださせ、精神的苦痛を与えることで自分が楽になると思った、まあ単純だが、あの時はそうする他あいつには苦しみから逃れる術はなかったんだよ。誰にぶつけていいかわからない怒りを胸に抱えながら、悲しみを訴えたところで鳳乱は戻って来ない。なんとか自分の脚で立ち上がろうとして、どんなかたちでもいいから杖を必要とした。それが、たまたまおまえだったんだ。随分歪んだ杖だったが、あの時の金目にとってはそれしかなかったんだ。今、あいつは大分立ち直った。おまえもそういう意味では一役買ったかもしれん。だが、あいつは見かけよりもずっと強い。あいつは自分の仕事を見つけ、そんな生活を通じて、心の内を見せられるDr.リウとも巡り会えた。もう大丈夫なんだよ。悪いがおまえの役目はもう終わりなんだ、獅子。それはおまえも、薄々感づいているだろう?」
「何? あいつの仕事まで斡旋して、お膳立てして、それでその後釜がおまえ、ってわけ? いずれ帰る人間に? 頭おかしいんじゃないの、アンタ」
 獅子は唸るように言葉を発した。急所を突かれたとみた。形勢逆転だ。
「そうは言わん。たとえオレがあいつを抱いたところで、あいつがオレを受け入れるかどうかはわからん」
「あぁ、自信無いんだ。あっちの方。なんならあいつの弱いところ教えてやってもいいよ、一発でイかせるやり方とか」
 一瞬、金目が獅子の体の下で、汗に、体液にぬめる肢体を開き、よがっている姿が瞼の裏にちらついた。視界が真っ赤に染まる。
「獅子、おまえは自分が何をしたのかわかっているな!? 金目とのぬるい生活でボケたなんて口が裂けても言うな。鳳乱さえ生きていればあいつが痛手を負うことも無かったし、事は複雑にならなかったんだよ。オレはおまえの、自分の尻拭いをしろと言ってるだけだ。あいつが自らおまえを切り離せない。それくらい、おまえでもわかるだろう。少しでもおまえに良心ってものが残ってるなら、黙っておまえから去れ!」
「もういい、わかった」
 獅子は窓の外を仰ぎ見ながら言った。その露骨な態度から、オレの言葉に耳を貸す気が無いのが、ありありと見て取れる。
「わかったって……おまえ、本当に……」
「そう言わないと、アンタもいい加減その口を閉じないだろ。アンタみたいな男からキャンキャン説教されるほど、胸くそ悪いことは無いんだよ。アンタだって、鳳乱がいなくなったから安心してまどかに手が出せた、ってことを忘れんなよ。えぇ? それは誰の御陰だ? ……まあ、そんなことどうでもいい。でも、まどかに別れの挨拶くらいさせろよ。オレはオレであいつとちゃんと話して色々清算したいしな。まあ、アンタがいつでも部屋に来れるようにオレのピースは預けておくけどさ、どうせあいつを迎えに来るんだろ?」
 オレは無言で頷いた。なかなか物わかりがいい。金目と一緒にいる間、少しは何か学習したか。

 獅子は白衣コートのポケットからピースを出すと、下から放り投げた。
 オレは顔の前で、その小さな金属の塊を片手で受けた。
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