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灰色の剣士編
熟練度カンストの皿洗い2
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朝になる。
風の巫女の朝は早い。
夜が明けきらない頃合いに、ごそごそ起き出すので、俺も釣られて目が覚める。
「ユーマはまだ寝てていいよ」
「俺は一応護衛なのだ」
彼女が酒場の給仕をしている間は、明らかに離れた場所で働いていたと思うのだが、それはそれである。
俺は妙な使命感とともに、下の階へ降りていくリュカに続いた。
「水が湧いてるところがあるから、そこから水を汲んでくるんだって。あ、シルフさんおはよう」
朝から透明な風の乙女が、リュカの周囲を包んで何やら話しかけている。
「ええー、そんなにピッタリだった? 大変なんだから」
恐らく、昨日の仕事の話をしているのだろう。
二人で水をいれるための桶を持つと、水汲み場へ向かった。
早朝だと言うのに、それなりに人が多い。
水汲み場は泉のようになっていた。
みんなめいめいに水を汲んでいる。
水深はいきなり深くなるらしく、行水などは危険らしい。
水中には色々と、危険な生き物も住んでいるようだ。水を汲むくらいが、この水場とのちょうどいい付き合いなのかもしれない。
「おや、あんたたちがハンスの酒場の新人さんかい? よろしくね」
「よろしくですー」
近所のおばさんらしき方々と挨拶するリュカ。
俺はちょっと会釈しておいた。
水を汲み、持ち帰る。
これを何往復もする。
朝から結構な労働だ。
掃除も使うし、皿洗いにだって使用する。
正直、俺はこの水運びで腕の筋肉がパンパンになってしまった。
水道とかは無いだろうから、料理にしても、俺の皿洗いにしても、この汲み置きの水が生命線なのだ。
「お疲れさまー。いやあ、助かっちゃったよ」
後からやって来た、酒場の看板娘クラーラが、俺達をねぎらってくれた。
店のテーブル周りと外の掃除はリュカ。
水回りと、最後にトイレ掃除は俺である。
終わった頃合いにクラーラが来て、朝飯にありつけた。
朝から腸詰め入りのパンか。重い。だが美味い。
「おおおいしいい」
感激の声をあげながらリュカ。
「リュカ、昨日体を洗わないで寝ちゃったでしょ。うちはね、このヘチマを使って体を洗うの。やったげる」
「ヘチマ?」
ヘチマを初めて見るらしいリュカである。
ふむ、女の子と女の子が体を洗うのか。
俺はそわそわする。
「妹の裸を覗いちゃだめよ、お兄ちゃん?」
クラーラに念を押されてしまった。
だが大人しくしていられようか。二人が外に出ていった後、食器を軽く片付けた俺はそそくさと後を追った。
娯楽の少ない世界である。
こうして自ら娯楽を求めねば、男としても枯れ果ててしまう。
これは必然的な、己へのメンテナンス。心へのご褒美なのだ。
「ほーら、腕を上げて。そうそう。それじゃあ、この洗剤を薄めてつけるの。やってあげるね」
「くすぐったーい」
ヌウー。
俺はじわりじわりと近づいていく。
そこは、トイレ脇に設けられた、割りと適当な囲いである。
天井など無いし、木の板でおざなりに囲ったスペース。
「おっ」
「おっ」
先に来ていた者がいる。
これは、雇い主の息子であるハインツである。
彼は俺を見ると、うむ、と重々しく頷き、手招きした。
俺も彼の横に並ぶ。
「この隙間から見るのだ」
「ありがとうございます」
きちんとお礼が言えた。
男たちの間に、余計な言葉はいらぬ。
俺達は上下に顔を並べて、じっと隙間を見つめる。
むうっ、白いものがきゃっきゃうふふと。
ほう、クラーラさん、なかなかけしからんお体をされていますな……。
リュカは、こうして隙間からだが、まじまじと眺める機会はあったようで無かったような。
将来に期待でしょうな。
「将来に期待だな」
ハインツと意見が合った。
何、お前もか、という目で俺を見てくるハインツ。
とりあえず、固く握手した。
俺と彼との間に友情が芽生えた瞬間である。
と、その時。
俺の磨き上げられた剣術スキルが、危険を察知したようだ。俺は隙間から顔をずらす。
直後に、ハインツが
「ぐわーっ!! 目に、目に洗剤がーっ!!」
「やっぱり覗いてたわねハインツ! もう、どうしようもないんだから!!」
俺はカサカサとその場を高速で撤退した。
さらばハインツ。お前の犠牲は忘れない。
しかしリュカ、俺は思うのだが、髪を染めたはいいが、上下で色が違うのはあれだな。
ともあれ、発展途上ながらも将来を楽しみにさせてくれる、リュカの可能性を垣間見た俺。
心の栄養を得た心地なのである。
昼の営業前に、食材の買い出しなのである。
俺はハンスに連れられて、ハインツと共に市場に来ている。
そろそろ、普通であれば朝という時間帯。
なのに市場は最高に盛り上がっている。人が多い。
「ヴァイスシュタットの朝は早いんだよ。こうしてみんな早く起き出してきて、朝のパンやら食材を一気に買い込むわけさ」
仕事が終わった夕方に、外出したくないからだという。
市場も、この朝の時間帯だけで物を売り切ってしまう。
ここで、野菜やら豚肉やらをどっさり仕入れる。
大量の荷物を持って帰ってくると、店の前には荷馬車が来ていた。
馬鹿でかい樽が大量に詰まれている。
「ありゃビール屋だな。今日の分を卸してるんだ」
カミラとクラーラ、そしてリュカが、みんなでビールの樽を運んでいる。
ゴロゴロ転がしている。あ、いや、リュカは抱えて運んでいた。豪腕……!
リュカがこっちに気づいて、手を振ってきた。
俺は両手が塞がっているので、振り返せなかった。
ざっと朝の仕込みを終える。
腸詰めを作って、野菜を酢で漬けて、ビールを並べて。
そして、朝のお茶をしてから昼寝である。
ちょっとしたお菓子みたいなものをつまんだ。
蜂蜜を混ぜ込んだ焼き菓子である。
「あーまーいー!」
感激するリュカ。
そうだな。俺たちが森のなかで食べる甘いものなんて、花の蜜くらいだったからな。
どうしてリュカが発見してくる木の実は、甘みよりも青臭さが強いんだろうな。腹には溜まるけど。
リュカとクラーラはすっかり仲良くなっていて、談笑している。こうしてみていると、姉妹のようだ。
俺はと言うと。
「ユーマ。お前、リュカとは実は兄妹じゃ無いだろう」
「ハッ、な、なぜそれを」
「やっぱりか……。明らかに髪の色や肌の色が違うからな。……で、どうだ、妹の発育振りを見てだな」
「ハインツ氏こそお姉さんの裸を見ているが」
「あれはけしからんだろう。近々嫁に行ってしまうのだと思うと俺も勿体なくてな」
「ハインツ氏にはお相手は」
「一応はいる。市場で野菜を売ってた女がいるだろ。あいつだ」
「ほう」
「で、どうなんだお前は」
「共に旅をしていて、ムラっとしないかと言われると嘘になりますな」
「やはりか。だが手を出さないとは、鋼の自制心だな」
チキンなだけである。
そのような遣り取りをした後、お昼寝タイムとなった。
お昼直前まではだらりと過ごすのだ。
俺とリュカは屋根裏に戻って寝た。
「ユーマはハインツと、なんの話をしてたの?」
「ひ、ひみつだ」
「ふーん」
詮索を華麗に受け流す俺。
俺もリュカも、寝られる時に寝るという癖を身に着けている。
ということで、横になってちょっとするとすぐにぐうぐうと夢の中である。
クラーラが起こしに来なかったらこのままずっと寝ているところであった。
「さあ、仕事だぞ!」
「今日もバッチリ洗ってくれよ。皿が回収されるまでは、テーブルを拭いておいてくれ」
「うい」
俺は指示を受け、水で濡らした雑巾でテーブルを拭く。
着古してもう着られなくなった服を、仕立て直して雑巾にするのである。
ごしごしと、テーブルや椅子を拭いている。
「いらっしゃいませー!」
「ませー!」
クラーラとリュカの声がした。
客である。
昼飯時の到来であった。
「ほら、どんどん持っていけ!」
「腸詰め三つ、お待ち!」
俺とリュカが寝ている間に、この腸詰めは仕込まれたものらしい。
市場で買ってきた痛みやすいものは昼のうちに消費して、持つものは夜用として作っておく。
ハンスの自宅には燻製室もあるそうで、そこで営業時間外は腸詰めを燻しているのだとか。
洗い物も増えてきたので、俺はせっせと洗った。
暇が出来ると、客たちの話し声に耳を傾ける。
なんとなく、訛りのある会話に聞こえる。
これが、ディアマンテとエルフェンバインの言葉の違いなのだろう。
そして、メニュー書きを見たり、時折客が置いていく新聞……この世界のは、薄い板に書かれたものだ……を読ませてもらったり。
何日もこういう事をしていると、徐々に文字が拾えるようになってくる。
俺とリュカの先生は、クラーラだ。
午後のお茶の時に、教えてもらう。
「ねえユーマ、出かけてみない?」
焼き菓子を食べ終わって一服。お茶をいただいていると、リュカが誘ってきた。
俺たちが三度目の給金をもらった日のことであった。
給料は、割りとハンスの気分次第で払われるので、三日に一度くらい、目分量でもらう事になっている。
俺としても、この世界の物品の価格は分からない。
出かけて買い物をするのもいいだろう。
何より、女子と買い物に出かけるなど、生まれて初めてである。
これはあれであろう。
デートだ。
俺は間違いなくリア充である。
だが、相手がリュカという辺りで、何やら日常の延長的な気持ちになる。
「出かけるのいや?」
「いや、行こう」
他でもない、俺を誘ってくれたのだ。
行かねばなるまい。
俺はお金を握りしめて立ち上がった。
「観光客目当てのお店とかは、ぼったくってくるから気をつけるのよ」
「お前さんたち、この国の人間には見えないからな。客引きに引っかかるなよ」
「心得た」
貴重な情報に感謝である。
俺たちは、この町に来てから十日目くらいにして、初めて商店街へ繰り出した。
午後のゆったりとした時間である。
この国の人間は、昼飯時をかなり長く取る。
たっぷり飯を食い、お茶を飲み、ゆったりとして、腹の中のものが消化しきったあたりで働き出す。
で、日が暮れると仕事を終える。
あとは酒を飲んで飯を食って、歌って騒いで寝る。
そして早朝に起きてきて仕事を始める。
そういう国だ。
「ディアマンテはもっと硬い感じだったんだけど、こっちは結構ゆるいみたい?」
商店街の入口で、リュカの感想である。
お店の奥に座った店主たちは、まったりとした感じで客を待っている。
馴染みの客と談笑している奴も多い。
反面、目をギラギラと光らせて、外国人や旅人らしき人間をせっせと呼び込む店主もいる。
ああいうのに注意なのだな。
「ねえねえ、ユーマ、この小物可愛い」
「ほう」
早速、一つの店でリュカが立ち止まった。
小物を売っている店なのだが、きちんとどれも実用品である。
リュカが手に取っているのは、細工物の木箱、手のひらに収まるほどのサイズで、蓋を閉めて細工を動かすと、きっちり蓋が固定される仕組みになっている。
デフォルメされた花の模様が刻まれており、そこに絵の具で色が付いていた。
「薬草なんか入れられそうじゃない? ちょっとかさばるけど」
「ふむ、分かった」
「お目が高い。そいつは細工師の某が作ったもんでして」
「よし、くれ」
「ええ、ちょっとした細工が施された自信作……え?」
「幾らだ。くれ」
「ま、毎度」
俺は金を支払って小箱を購入した。
店の主人は比較的良心的だったようで、ぼったくっては来なかった。
多分。
俺から箱を受け取ると、リュカは目を丸くした。
「ええっ、私がお金払うのに。いいの? もらっていいの?」
「うむ……リュカの薬には本当に何度も助けられているからな。感謝の気持ちだ」
俺的にはちょっとかっこよく微笑んだつもりだったのだが、引きつり笑いみたいになった気がする。
表情筋を動かすのは難しい。
「ありがとう! 大事にするねっ」
小箱を抱きしめて嬉しそうなリュカ。
うむ……いい買い物をした。
さて、次は何を買おう。
そんな風に過ごしていた俺達だったのだが。
「おい、なんだあいつら」
「ああ、確かディアマンテから巡礼者連中がやって来てるとか」
「さっさと通過してくれよ……」
「あいつら、売り物にけちつけるからなあ。信仰を盾にするなっつうの」
店主たちがぼやいている。
そちらには、見覚えのある黒い衣装の一団がいた。
ラグナ教徒たちである。
その先頭。
ずんぐりとした男が、俺を見た。
「よう、また会ったな兄ちゃん」
街道で遭遇した、ロバの引く車に乗っていた男だ。ろくでもないことになりそうな気配がする。
「この再会は、神のおぼしめしかもしれねえな」
とんでもない。
だとしたら、その神は疫病神に違いない。
風の巫女の朝は早い。
夜が明けきらない頃合いに、ごそごそ起き出すので、俺も釣られて目が覚める。
「ユーマはまだ寝てていいよ」
「俺は一応護衛なのだ」
彼女が酒場の給仕をしている間は、明らかに離れた場所で働いていたと思うのだが、それはそれである。
俺は妙な使命感とともに、下の階へ降りていくリュカに続いた。
「水が湧いてるところがあるから、そこから水を汲んでくるんだって。あ、シルフさんおはよう」
朝から透明な風の乙女が、リュカの周囲を包んで何やら話しかけている。
「ええー、そんなにピッタリだった? 大変なんだから」
恐らく、昨日の仕事の話をしているのだろう。
二人で水をいれるための桶を持つと、水汲み場へ向かった。
早朝だと言うのに、それなりに人が多い。
水汲み場は泉のようになっていた。
みんなめいめいに水を汲んでいる。
水深はいきなり深くなるらしく、行水などは危険らしい。
水中には色々と、危険な生き物も住んでいるようだ。水を汲むくらいが、この水場とのちょうどいい付き合いなのかもしれない。
「おや、あんたたちがハンスの酒場の新人さんかい? よろしくね」
「よろしくですー」
近所のおばさんらしき方々と挨拶するリュカ。
俺はちょっと会釈しておいた。
水を汲み、持ち帰る。
これを何往復もする。
朝から結構な労働だ。
掃除も使うし、皿洗いにだって使用する。
正直、俺はこの水運びで腕の筋肉がパンパンになってしまった。
水道とかは無いだろうから、料理にしても、俺の皿洗いにしても、この汲み置きの水が生命線なのだ。
「お疲れさまー。いやあ、助かっちゃったよ」
後からやって来た、酒場の看板娘クラーラが、俺達をねぎらってくれた。
店のテーブル周りと外の掃除はリュカ。
水回りと、最後にトイレ掃除は俺である。
終わった頃合いにクラーラが来て、朝飯にありつけた。
朝から腸詰め入りのパンか。重い。だが美味い。
「おおおいしいい」
感激の声をあげながらリュカ。
「リュカ、昨日体を洗わないで寝ちゃったでしょ。うちはね、このヘチマを使って体を洗うの。やったげる」
「ヘチマ?」
ヘチマを初めて見るらしいリュカである。
ふむ、女の子と女の子が体を洗うのか。
俺はそわそわする。
「妹の裸を覗いちゃだめよ、お兄ちゃん?」
クラーラに念を押されてしまった。
だが大人しくしていられようか。二人が外に出ていった後、食器を軽く片付けた俺はそそくさと後を追った。
娯楽の少ない世界である。
こうして自ら娯楽を求めねば、男としても枯れ果ててしまう。
これは必然的な、己へのメンテナンス。心へのご褒美なのだ。
「ほーら、腕を上げて。そうそう。それじゃあ、この洗剤を薄めてつけるの。やってあげるね」
「くすぐったーい」
ヌウー。
俺はじわりじわりと近づいていく。
そこは、トイレ脇に設けられた、割りと適当な囲いである。
天井など無いし、木の板でおざなりに囲ったスペース。
「おっ」
「おっ」
先に来ていた者がいる。
これは、雇い主の息子であるハインツである。
彼は俺を見ると、うむ、と重々しく頷き、手招きした。
俺も彼の横に並ぶ。
「この隙間から見るのだ」
「ありがとうございます」
きちんとお礼が言えた。
男たちの間に、余計な言葉はいらぬ。
俺達は上下に顔を並べて、じっと隙間を見つめる。
むうっ、白いものがきゃっきゃうふふと。
ほう、クラーラさん、なかなかけしからんお体をされていますな……。
リュカは、こうして隙間からだが、まじまじと眺める機会はあったようで無かったような。
将来に期待でしょうな。
「将来に期待だな」
ハインツと意見が合った。
何、お前もか、という目で俺を見てくるハインツ。
とりあえず、固く握手した。
俺と彼との間に友情が芽生えた瞬間である。
と、その時。
俺の磨き上げられた剣術スキルが、危険を察知したようだ。俺は隙間から顔をずらす。
直後に、ハインツが
「ぐわーっ!! 目に、目に洗剤がーっ!!」
「やっぱり覗いてたわねハインツ! もう、どうしようもないんだから!!」
俺はカサカサとその場を高速で撤退した。
さらばハインツ。お前の犠牲は忘れない。
しかしリュカ、俺は思うのだが、髪を染めたはいいが、上下で色が違うのはあれだな。
ともあれ、発展途上ながらも将来を楽しみにさせてくれる、リュカの可能性を垣間見た俺。
心の栄養を得た心地なのである。
昼の営業前に、食材の買い出しなのである。
俺はハンスに連れられて、ハインツと共に市場に来ている。
そろそろ、普通であれば朝という時間帯。
なのに市場は最高に盛り上がっている。人が多い。
「ヴァイスシュタットの朝は早いんだよ。こうしてみんな早く起き出してきて、朝のパンやら食材を一気に買い込むわけさ」
仕事が終わった夕方に、外出したくないからだという。
市場も、この朝の時間帯だけで物を売り切ってしまう。
ここで、野菜やら豚肉やらをどっさり仕入れる。
大量の荷物を持って帰ってくると、店の前には荷馬車が来ていた。
馬鹿でかい樽が大量に詰まれている。
「ありゃビール屋だな。今日の分を卸してるんだ」
カミラとクラーラ、そしてリュカが、みんなでビールの樽を運んでいる。
ゴロゴロ転がしている。あ、いや、リュカは抱えて運んでいた。豪腕……!
リュカがこっちに気づいて、手を振ってきた。
俺は両手が塞がっているので、振り返せなかった。
ざっと朝の仕込みを終える。
腸詰めを作って、野菜を酢で漬けて、ビールを並べて。
そして、朝のお茶をしてから昼寝である。
ちょっとしたお菓子みたいなものをつまんだ。
蜂蜜を混ぜ込んだ焼き菓子である。
「あーまーいー!」
感激するリュカ。
そうだな。俺たちが森のなかで食べる甘いものなんて、花の蜜くらいだったからな。
どうしてリュカが発見してくる木の実は、甘みよりも青臭さが強いんだろうな。腹には溜まるけど。
リュカとクラーラはすっかり仲良くなっていて、談笑している。こうしてみていると、姉妹のようだ。
俺はと言うと。
「ユーマ。お前、リュカとは実は兄妹じゃ無いだろう」
「ハッ、な、なぜそれを」
「やっぱりか……。明らかに髪の色や肌の色が違うからな。……で、どうだ、妹の発育振りを見てだな」
「ハインツ氏こそお姉さんの裸を見ているが」
「あれはけしからんだろう。近々嫁に行ってしまうのだと思うと俺も勿体なくてな」
「ハインツ氏にはお相手は」
「一応はいる。市場で野菜を売ってた女がいるだろ。あいつだ」
「ほう」
「で、どうなんだお前は」
「共に旅をしていて、ムラっとしないかと言われると嘘になりますな」
「やはりか。だが手を出さないとは、鋼の自制心だな」
チキンなだけである。
そのような遣り取りをした後、お昼寝タイムとなった。
お昼直前まではだらりと過ごすのだ。
俺とリュカは屋根裏に戻って寝た。
「ユーマはハインツと、なんの話をしてたの?」
「ひ、ひみつだ」
「ふーん」
詮索を華麗に受け流す俺。
俺もリュカも、寝られる時に寝るという癖を身に着けている。
ということで、横になってちょっとするとすぐにぐうぐうと夢の中である。
クラーラが起こしに来なかったらこのままずっと寝ているところであった。
「さあ、仕事だぞ!」
「今日もバッチリ洗ってくれよ。皿が回収されるまでは、テーブルを拭いておいてくれ」
「うい」
俺は指示を受け、水で濡らした雑巾でテーブルを拭く。
着古してもう着られなくなった服を、仕立て直して雑巾にするのである。
ごしごしと、テーブルや椅子を拭いている。
「いらっしゃいませー!」
「ませー!」
クラーラとリュカの声がした。
客である。
昼飯時の到来であった。
「ほら、どんどん持っていけ!」
「腸詰め三つ、お待ち!」
俺とリュカが寝ている間に、この腸詰めは仕込まれたものらしい。
市場で買ってきた痛みやすいものは昼のうちに消費して、持つものは夜用として作っておく。
ハンスの自宅には燻製室もあるそうで、そこで営業時間外は腸詰めを燻しているのだとか。
洗い物も増えてきたので、俺はせっせと洗った。
暇が出来ると、客たちの話し声に耳を傾ける。
なんとなく、訛りのある会話に聞こえる。
これが、ディアマンテとエルフェンバインの言葉の違いなのだろう。
そして、メニュー書きを見たり、時折客が置いていく新聞……この世界のは、薄い板に書かれたものだ……を読ませてもらったり。
何日もこういう事をしていると、徐々に文字が拾えるようになってくる。
俺とリュカの先生は、クラーラだ。
午後のお茶の時に、教えてもらう。
「ねえユーマ、出かけてみない?」
焼き菓子を食べ終わって一服。お茶をいただいていると、リュカが誘ってきた。
俺たちが三度目の給金をもらった日のことであった。
給料は、割りとハンスの気分次第で払われるので、三日に一度くらい、目分量でもらう事になっている。
俺としても、この世界の物品の価格は分からない。
出かけて買い物をするのもいいだろう。
何より、女子と買い物に出かけるなど、生まれて初めてである。
これはあれであろう。
デートだ。
俺は間違いなくリア充である。
だが、相手がリュカという辺りで、何やら日常の延長的な気持ちになる。
「出かけるのいや?」
「いや、行こう」
他でもない、俺を誘ってくれたのだ。
行かねばなるまい。
俺はお金を握りしめて立ち上がった。
「観光客目当てのお店とかは、ぼったくってくるから気をつけるのよ」
「お前さんたち、この国の人間には見えないからな。客引きに引っかかるなよ」
「心得た」
貴重な情報に感謝である。
俺たちは、この町に来てから十日目くらいにして、初めて商店街へ繰り出した。
午後のゆったりとした時間である。
この国の人間は、昼飯時をかなり長く取る。
たっぷり飯を食い、お茶を飲み、ゆったりとして、腹の中のものが消化しきったあたりで働き出す。
で、日が暮れると仕事を終える。
あとは酒を飲んで飯を食って、歌って騒いで寝る。
そして早朝に起きてきて仕事を始める。
そういう国だ。
「ディアマンテはもっと硬い感じだったんだけど、こっちは結構ゆるいみたい?」
商店街の入口で、リュカの感想である。
お店の奥に座った店主たちは、まったりとした感じで客を待っている。
馴染みの客と談笑している奴も多い。
反面、目をギラギラと光らせて、外国人や旅人らしき人間をせっせと呼び込む店主もいる。
ああいうのに注意なのだな。
「ねえねえ、ユーマ、この小物可愛い」
「ほう」
早速、一つの店でリュカが立ち止まった。
小物を売っている店なのだが、きちんとどれも実用品である。
リュカが手に取っているのは、細工物の木箱、手のひらに収まるほどのサイズで、蓋を閉めて細工を動かすと、きっちり蓋が固定される仕組みになっている。
デフォルメされた花の模様が刻まれており、そこに絵の具で色が付いていた。
「薬草なんか入れられそうじゃない? ちょっとかさばるけど」
「ふむ、分かった」
「お目が高い。そいつは細工師の某が作ったもんでして」
「よし、くれ」
「ええ、ちょっとした細工が施された自信作……え?」
「幾らだ。くれ」
「ま、毎度」
俺は金を支払って小箱を購入した。
店の主人は比較的良心的だったようで、ぼったくっては来なかった。
多分。
俺から箱を受け取ると、リュカは目を丸くした。
「ええっ、私がお金払うのに。いいの? もらっていいの?」
「うむ……リュカの薬には本当に何度も助けられているからな。感謝の気持ちだ」
俺的にはちょっとかっこよく微笑んだつもりだったのだが、引きつり笑いみたいになった気がする。
表情筋を動かすのは難しい。
「ありがとう! 大事にするねっ」
小箱を抱きしめて嬉しそうなリュカ。
うむ……いい買い物をした。
さて、次は何を買おう。
そんな風に過ごしていた俺達だったのだが。
「おい、なんだあいつら」
「ああ、確かディアマンテから巡礼者連中がやって来てるとか」
「さっさと通過してくれよ……」
「あいつら、売り物にけちつけるからなあ。信仰を盾にするなっつうの」
店主たちがぼやいている。
そちらには、見覚えのある黒い衣装の一団がいた。
ラグナ教徒たちである。
その先頭。
ずんぐりとした男が、俺を見た。
「よう、また会ったな兄ちゃん」
街道で遭遇した、ロバの引く車に乗っていた男だ。ろくでもないことになりそうな気配がする。
「この再会は、神のおぼしめしかもしれねえな」
とんでもない。
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