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Mと戦争編

第三十四話:ドMと魔王となし崩しの停戦

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 本物を目の前にすると、恐怖とかは感情の振り幅を振り切ってしまうらしい。
 兵士たちも、クラスのみんなも、突然現れた魔王ベリアルを目の前にして、動く事ができなかったみたいだ。
 膝をがくがく震わせて、でも座り込むことも、倒れる事もできなくて、その場に棒みたいに突っ立っている。

 ひょい、とエカテリーナ様を見たら、滝のような汗をかいて、真っ青な顔をしていた。
 この人がこんなに余裕がなさそうな顔をするのは初めて見る。
 アストンさんを見る。
 千年来の仇敵を見つけたような顔をしていた。でも、アストンさんほどの人の膝が笑っている。

 ベリアルはすいっと周囲を見回した。
 目が合ってしまったらしい兵士が、泡を吹いて立ったまま失神する。

 なんということだろう。誰もこの中では動けないのだ。
 僕はどうしたものかと、腕組みして考えた。

「おっ、みんな動きが止まったっすよ! もしかして今は、財布とか取り放題だったりするっすかね?」

 あっ、新聞屋が普通に動いてる!!
 ベリアルもそれに気づいて、お、って感じの顔をした。
 とりあえず、僕もさっきからきょろきょろしたり腕組みしたりしてるわけで。
 魔王の注目は僕たちに集まったようだ。
 とりあえず、僕は一歩、魔王に向けて歩み寄った。

 そして、

「こんにちは」

 挨拶をしてみた。
 すると、ベリアルはうむ、と頷き。

「こんにちは」

 と返してきた。
 きちんと礼儀のできた人ではないか。あ、人じゃないか、悪魔だ。

「あうあうー」

 僕の隣では、グレモリーちゃんが恐怖から漏らしてしまっている。
 仕方ないなあ。あとでパンツを替えてあげよう、うっへっへ。

「この場で小生と向き合える者は四名か」

 あ、変わった一人称だ。
 ベリアルが見るのは、アストンさん、エカテリーナ様、僕、そして新聞屋。
 つまり、この四人が、この中では飛びぬけて強いとかそういうことかな?

「人の戦と聞いて見物に来たのだが、久方に血が騒いでな」

 なんか僕を見てる。

「あれですか、僕の戦いに見惚れてしまったんですね!」

「あんな奇怪な戦をする者を見たことが無い」

「奇怪!!」

「奇怪!!」

 僕と新聞屋がこの表現におののく。
 凄い! 文語表現に長けた人だ!

「ハリイ、お主はなぜ平然と会話していられるのだ……? 分からないのか。こやつから発せられる強烈な瘴気が……!」

「えっ、よく分からないです! ベリアルさん、割と礼儀正しいですよ」

「いや、この魔王こそ、世界を二つに切り離し、ガーデンを作り上げた最強の悪魔……! 人間全ての宿敵とも言える存在ですぞ!!」

 そうなのかな。
 アストンさんから敵意を向けられても、ベリアルは平然としている。
 彼は腰に、無造作に剣を紐で結わえている。
 マフラーに黒い帽子、黒いコート、ブーツ。剣も、刃が潰れたように見える無骨なやつだ。
 一見すると普通に人間に見える。

「しかし、私がこの場で貴様に会えたのは幸運だったのかもしれん……! 魔王ベリアル、ここが貴様の墓場と知るのですぞ!!」

 アッー!
 アストンさんがいったー!

「”##生体加速__ブースト__”……!!」

 彼が叫ぶと、アストンさんの速度が上がった。
 それこそ、目にも留まらぬ速さっていうやつだ。
 でも、なんか今の僕は目で追える。

「おひょー、速いっすねえ!?」

 新聞屋も見えてるみたいだ。
 こいつ、おやつを取り出してくつろいだ感じで座り込んだぞ。

 アストンさんは斧を抜くと、その速度に任せてベリアルの周囲を走る。

「食らえ!! 奥義”撃魔斬”!!」

 投擲された斧がベリアルに向かう。
 物凄い速さで、なんか衝撃波が生まれてる。
 でも、これをベリアルはひょいっとかわした。衝撃波も全く堪えてないみたい。
 だけど、斧が投げられた先には既にアストンさんがいる。
 また斧が投げられ、回避されればアストンさんが受け止め、また投げる。
 彼が一人でベリアルを包囲して、凄い速度で斧を投げ続ける。
 まるで全ての方向から、超音速の斧が飛来し続けるような感じだ。
 これはすごい!
 だけど、エカテリーナ様が解説する。

「だめだ……! 魔王には通じていない! 並みの悪魔であれば、一瞬で塵になるまで粉砕する刃の嵐だというのに……その全てを見切っているなんて!!」

「な、なるほどー!」

 そういう状況なんだねあれ。
 ベリアルはぼーっと突っ立ったままみたいな姿で、攻撃を避け続けているみたいだ。
 避ける速度が速すぎて、動いてないようにしか見えない。
 あ、いや、違うぞアレ。
 ベリアルは撃魔斬で放たれる斧を受け止めて、全部アストンさんに投げ返しているのだ。
 本当に一歩も動いていない。
 刃の方がベリアルに向かって来るはずなのに、それを指先でつまんでキャッチして、取っ手のほうをアストンさんに投げ返すのだ。
 あれは遊んでるなー。

 途中でベリアルは飽きたのか、隙間も無いくらい斧の刃が埋め尽くす円陣を、悠然と歩き始めた。

「くっ、こ、このおおお!!」

 アストンさんの咆哮が響く。
 だけどベリアルは解さない。
 彼が手を伸ばし、アストンさんの残像に触れた……と思ったら、無数にいたアストンさんが消えていた。
 ベリアルの目の前に、本物のアストンさんが一人だけ。
 彼はベリアルに肩を掴まれて、動けなくなっている。

 ベリアルはアストンさんを見下ろして、一言。

「未熟。精進せよ」

 そのまま手に力を込め、

「ぬうおおおおお!!」

 アストンさんが悲鳴を上げた。
 彼の体が、一気に地面に首まで埋まってしまう。
 ベリアルは事も無げに立ち上がった。
 誰もが動けない。
 エカテリーナ様の顔に絶望の二文字が浮かぶ。
 うん、この人、こういうくっころ顔が凄く似合うよね。
 そんな空気の中でだ。

「いやー!! さすがですね旦那!! お強い! あっし、すっかり感服つかまつりましたよー! げっへっへっへ!」

 中腰で揉み手しながら新聞屋が擦り寄った!
 ベリアルはじーっと新聞屋を見ている。
 お、なんかアストンさんと戦っている時よりも、ちょっと興味ありそうな目だぞ。

「いやあ、もう、あの聖騎士をちょいちょいーっとやったところなんて、へっへっへ、胸がすかーっとしましたよ! え? あっし? へへへ、あっしはもう、ほら、その、旦那の熱狂的ファンってやつっすよー! もう、やだなー旦那! あっしは旦那の味方ですよ! こんな、この辺にいる、弱い連中なんてペッペッ!! ってなもんですよ! ウッヘッヘ!」

 僕はこの新聞屋のぶれなさはちょっと尊敬するなあ。
 ベリアルはしばらく新聞屋の言葉を聴いていて、そして彼女に額に手を当てると、

「おや、旦那、これはいったぎゃぱあ――――――っ」

 デコピンした。
 新聞屋はそのまま凄い距離を吹っ飛んで行った。
 ずーっと悲鳴が聞こえてるから、無事らしい。タフだなー。

「次はお前か」

 ベリアルが僕を見る。
 僕はスッと歩み出て言った。

「いやどす」

「?」

 僕のお断り宣言に、ベリアルは首をかしげる。

「いいですかベリアルさん。ベリアルさん男じゃないですか。僕はですね、女の子にいびられたりなじられたりすると、気持ちいいし楽しいんです。でも、男じゃ駄目なんですよ。全然楽しくないんですよ」

「ふむ」

「なんで、楽しくも気持ちよくもないことをやらなきゃいけないんですか? 人間、やっぱり楽しい事とか気持ちよいことをするのが一番幸せだと思うんですよ。僕はそんな幸せだけを追求していたいんです。つまりですね。僕の幸せの中に、ベリアルさん! あなたは別に入ってないんですよ!!」

 ズバアーン! と指差す。
 エカテリーナ様は唖然。

「なので僕は戦いません。何度でも言います。いやどす」

「承知した」

 分かり合えた!!
 そうだね、僕にメリットが無いからね。

「貴様とあの女は、小生に達するやもしれんな」

 ベリアルはそれだけ言って、優しく僕の肩をポンと叩くと、くるりと僕に背を向けた。
 去っていく。
 うーむ、どうやらあの人、対等な相手を求めてるらしいなあ。
 善とか悪とかそういう次元じゃないのだけは分かった。

「ひいー、死ぬかと思ったっすー」

 新聞屋が戻ってきた。
 無事である。
 ダメージは自分で回復したらしい。


 結局この後、アストンさんを救出して、将軍を失ったイリアーノ軍の統制はエカテリーナ様が取る事になった。
 最高責任者となったエカテリーナ様は、聖王国側の停戦勧告を受け入れることにした。
 そんなこんなで、戦争は終わってしまった。

「張井くん、あんた、よく無事で帰ってこれたわね……」

 出羽亀さんは目に包帯を巻いていた。

「あいつの能力を見ようとしたら、目が凄く熱くなって……。血が出たみたい。あれ、やばいよ。ベルゼブブよりもやばいやつだよ」

 つまりラスボスどころじゃなく、裏ボスと遭遇してしまった感じらしい。

「でも、あの人がこの世界で最強なんでしょ? じゃあベルゼブブさんにも勝てるかもしれないね」

「……張井くん、あなたポジティブシンキングねえ……」

 そんな訳で、なんとかエカテリーナ様が無事だった。
 だけど気になることもできたわけである。
 とりあえず僕は、イリアーノに同行する事にして、もうちょっとエカテリーナ様を守ろうと思うんである。
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