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第3章 貴女をずっと欲していた

運命の赤い糸⑥

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【SIDE 弟マックス】

 姉はフレデリック殿下から手紙が届いていると聞いても、ピクリとも表情が動かない。
 姉は既に、自分は事務官だったと、殿下を吹っ切っているのだから当然か……。

「そうだったの。そんなに手紙を書く方とは、知らなかったけど、わたしが返事を書かなかったせいかしら。もう終わったことなのに随分と熱心ね」

「殿下は姉上の公務もご自分でなさって、姉上の帰りを待っています。戻りますか?」
「わたしの公務まで、フレデリック様お1人で……。――ううん、わたしは屋敷にいた方がいいから、フレデリック様が何を言っても、城には帰らないわ」
 微かに震えた姉の声。
 本当は、僕から愛してると言われたことで、相当に困っているはずだ。
 それでも、姉は僕のことを気にしてくれた、それだけでいい。
 貴女が、本当に傍にいたい男の元へ行くべきだ。


「それと、もう一つ重要な報告ですが、フレデリック殿下が怪我を負っています。公務の疲労で上手く危険回避が出来なかったのでしょう。今朝は、意識はまだありましたが、うつろな状態でした。殿下はアリーチェ妃が10日間の休養を取っていると、公言していますので、姉上は形式上、まだ殿下の妃ですから伝えておきます」

「フレデリック様が、ぉっお怪我をっ! どうして? 何があったの?」
「王室内の私的なことですから、詳しくは知りません」
「城に、イエール城へ急いで行かなきゃ」

 動揺する姉は、馬車の窓から見える、城だけを目で追っている。
 ここに来るまでは、全く視線を向けていなかったのに。

 姉は、ずっと殿下から構われていなかったのに、殿下のことを気にするとは……、僕には、貴女の気持ちが理解できない。

「フレデリック様は医務室かしら、それともご自分のお部屋かしら」
「殿下は、おそらく執務室にいるでしょう」
「ええっ! フレデリック様は、そんな状態でお仕事をされているの! 一体どうなってるの、この国の公務はっ! マックスは事務官長として、ちゃんと仕事しているの!」

 信じられない、仕事は完璧にしているだろう。
 貴女の夫の執着心に巻き込まれて、どうして僕に火の粉が飛んで来るんだっ!
 あの殿下に、後で嫌味の1つでも言わなければ、僕の気が済まない。
「殿下は先ほどお伝えした、本来姉上がすべき公務をされているんです」
 僕の言葉は、青ざめている姉の耳には全く届いていないようだ。


 王子自ら厨房で、姉の為にサンドイッチを作っていたのだろう。
 殿下の怪我は包丁で指を切った掠り傷だけど、姉の嫌いな嘘は吐いていない。
 必死になってフレデリック殿下を心配する姉には悪いが、僕がいれば素直になれない姉には、もう少し騙されてもらうしかない。

 殿下の執務室へ向かうまで、城の中でも、社交界でも見かけない僕の横を歩く美女に、男達が皆、食い入るように振り返っていた。

 殿下の執務室の前に立つ衛兵に、姉は、僕の恋人でも部外者は入れられないと止められる始末。
 恋人……。
 昔から、僕の中では、貴女は姉ではなく、僕の恋人だった……。

 姉は、まさか自分が止められているとも思わず、そのまま突き進み、僕が衛兵に殿下の妃だと正体を説明した。
 毎日ここで姉の姿を見ていた者でさえ酷く驚いていたが、僕の恋人ではないと、自分で口にしたことの方が僕には衝撃だった。

「フレデリック様っ! いっ、いないじゃない。もしかして容体が急変して……。どうしようマックス――。わたしのせいでフレデリック様が死んじゃう。こんなことなら、嫌いになりたくても、やっぱり好きだって、ちゃんと伝えれば良かった。嫌いって言っちゃったのが最後になっちゃった」

 僕は泣きじゃくる姉を初めて見た。
 そんなに殿下のことが好きなのか……。
 姉は意地悪する僕に、いつも静かに優しいだけだったけど……。

 全く……こんな時間まで、あの殿下は……。
 フレデリック殿下が決裁すべき未決の箱は、全くの手付かずで、朝に僕が置いたままの状態で残っている。

 夕方まで、自分の仕事をさぼって何をやってんだか。
 もう既に自分の執務室へ戻ってきていると思ったが、今日に限っては、その場所から離れられなかったのか。 

「ここで泣いてるだけでは、もう2度と殿下に会えなくなりますよ。フレデリック殿下は姉上の私室にいるはずです。僕は、貴女の部屋まで行けないから、殿下のところには1人で行ってください。ほら急がないと、殿下の傷が悪化して意識がもうないかも知れません」

 姉が噴水を眺めていた午後の同じ時間。
 殿下は、視察のない日は決まって、姉の私室で過ごしている。
 姉の部屋から、ワーグナーの屋敷にいる、見えるはずのない姉を探している。
 姉が噴水を眺めていた時間は、もうとっくに過ぎているのに。

 僕は、この部屋から駆けだして行く姉の背中を見送った。

 どこまでも運がいい殿下が羨ましい。
 たった一度だけ、姉が僕と離れたときに、偶然2人は出会っていた。
 これまでの人生の大半を費やした僕の計画は、そんな奇跡には敵わなかったのか。

 僕が今夜、姉とするはずだったことは、姉上の為に殿下へ譲ってあげることにした。
 でも決して、殿下の為ではないから。


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