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第1章 あなたは誰

出会い①

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 う~ん、ここはどこかしら?
 目を閉じて横になっているんだけど、この布団、肌触りに馴染みがないのよね。
 それに、寝ている時に近くに人がいたことなんて、あったかしら? 何故か、人の気配を近くに感じるし。

 だって、いつも一人で目覚める――……? あれ? 本当にそうだったかしら?

 ん? えぇ? そもそもわたしは……誰だろう。
 そう思いながら、むくりと起き上がれば、耳に心地良い穏やかな声が届く。

「あ、良かった……目が覚めましたか?」
「……」
 体を起こすとほぼ同時。目の前にいる見知らぬ好青年が、赤い瞳……いいえ、黒い瞳を細め、にこりと笑う。

 随分と見た目が良い。
 一度見たら目の奥に焼きつく容姿にもかかわらず、「この顔に見覚えは……ないわよね」と自問自答しているんだけど、彼はわたしの知り合いかしら……?

 どうしよう。よく知る人物の顔も見分けられないなんて、失礼にもほどがあるわ。

 優しい雰囲気の彼が一体誰なのか? 一向に思い出せず、ただひたすらドギマギしてしまう。
 
 彼を探るヒントを得ようと思ったけれど、あれれ……ここはどこかしら?

 首を左右に動かし周囲を見渡すけれど、全くもって見覚えがない。
 ……どうしてここにいるのかと、首を傾げる。

 目に映る部屋は狭くない。
 けれど、窓と思き場所は、厚地のカーテンが隙間なく閉められ、時計の針は五時を示している。
 それだけでは、朝なのか夕方なのかも分からない。

 小さな木の机以外、家具らしいものが見当たらない殺風景な薄暗い部屋。漆黒髪の紳士が、ベットの横に木製のチェアーを置いて座っていた。

 彼は読みかけの本を開いたまま手に持っているけど……やっぱり誰だろう? 分からない。

 上質ではあるものの、ブランドとは無縁のセーターを着る男性は、笑顔を保ったままだ。

 しばらく黙りこくっていれば、見知らぬ男性が読みかけの本をパタンと閉じ、椅子から立ち上がる。
 そうして、わたしの瞳を覗き込む。

「ここはカステン軍の事務所で、そこを僕が家として借りしているんです。へぇ~。琥珀色の瞳ですか……珍しいですね」
「……」
 琥珀色の瞳。それがわたしの瞳を指すのかも分からず、ぼんやりと聞き流す。

「あなたの名前は?」
 と訊ねられてしまい、彼を見つめながら、こてりと首を傾げる。

 わたしの名前……? そう聞かれても、さっぱり分からない……。
「さ、さあね――」
 
「ふふっ。何もしませんから、そんなに警戒しないでください。僕はアンドレです。……家族に捨てられた身なので、家名はありませんけどね」

「ぁ…。ええ、アンドレね……」

「あなたの名前くらい教えてくれませんか。なんて呼んでいいか分からないですしね」

「それが……自分が誰なのか分からないのよ」
 事実を伝えると、それまで見せていた穏やかな表情から一変。顔をしかめた。

「あ~。僕としたことが、とんでもない失敗をしたようですね。よりによって、面倒なものを拾ってきたのか……」
 と言いながら扉を一瞥する。

「ねぇ! 拾ってきたって、どこから? わたし……最後に何をしていたのかも思い出せないわ」
 彼はわたしを追い出そうと考えたのだろう。
 扉に向かい離れていこうとする。それに気づき、彼の腕を慌てて引き止めた。

 わたしの記憶には、しっかり、はっきりとルダイラ王国で生まれ育った記憶が残る。

 それにもかかわらず、周囲にいた人物の顔も名前も、何もかも思い出せない。

 けれど自分は、毎日のように魔法や魔物について、勉強していたのかもしれない。
 その類の知識に関しては、これでもかというくらい頭の中に詰まっている。

 だが、いざ「それを誰から習っていたのか?」と聞かれてしまえば、そこはさっぱり分からない。

 これまで培ってきた知識は残っているのに。自分は誰で、どこで、何をしていたのか、微塵も残っていない。

 自分という存在だけが、頭の中からすっぽりと消えているんだから。

 ――酷く気持ち悪い。


「君……。本当に自分のことが分からないんですか?」

「ええ、自分のことはさっぱり分からないの。ここがどこか教えて欲しいわ」

「ここはカステン辺境伯領だけど、君は馬で三十分離れた森の中の道沿いで眠っていたんだ。あんな所で寝ていてよく狼に襲われなかったね」

 平坦な口調で告げられた。

「どうして、そんなところで寝ていたのかしら。だけど、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
 彼は当然のことをしたまでですと、微笑んだ。

 そう言ってくれるなら、穏やかな彼に更に甘えたいところだ。
 この部屋。どう見ても余っている客間だし、このまま居候したいと目論み、彼の人となりを探る。

「ねえアンドレの年齢は? 仕事は?」

 そうすれば、はぁ~っと深いため息が返ってくる。

「君ねぇ……。記憶がないわりに、随分と踏み込んだことを聞いてきますね。図々しいですよ」

「だって、わたし……。行く当てがなくて。しばらくここに置いてもらいたいもの。それに、年齢くらいは普通でしょう」

「やれやれ。新手の詐欺師ですか。本当に、とんでもないものを家に入れたみたいですね」

「詐欺じゃないわよ」

「まあ大抵の詐欺師はそう言うでしょう」
「だから違うってば」

「さあさあ、目が覚めたのなら出て行ってください」

「えぇぇ~。そんな冷たいことを言わないでよ」

「冷たいも何もないでしょう。森から拾ってきて、目が覚めるまでここに置いてあげたんですよ。それも、名前さえ知らないと言う変な女性を。それだけでも十分親切だと思いますよ」

「変な女って酷いわ。……自分の方が、何者なのか知りたいのよ」

「どうせ、その辺にお仲間でもいるんでしょう。その方に聞くといいですよ。本気で迷惑なので立ち去ってください」

 静かに怒りを露わにするアンドレに、バッと布団をはがされた。
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