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第2章 あなたは暗殺者⁉

離したくないあなたは……僕の暗殺者⑧

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 小一時間ばかり空けた寄宿舎へ戻ったわたしは、昼食の支度をしようと、厨房の扉を開ける。
 そうすると、作業台をテーブル代わりにして一人でお茶を楽しんでいるエレーナと目が合った。

「あれ? 随分と早く帰ってきたんだね。第一部隊の隊長さんからちゃんと報酬はもらったのかい?」

「それが……、パジャマを選んでいる途中でいなくなってしまって。結局、アンドレに買ってもらったんです」

「ふふっ、パジャマね……。アンドレさんがジュディちゃんに買ってあげたかったんでしょう」
 にこっと、エレーナが笑う。

「違いますよ。安月給でカツカツのアンドレが、致し方なく買ってくれたんです。それはもう、憐れむような目をされたんですから! 酷いと思いませんか!」

「そんなことはないと思うけどね。最近のアンドレさんは楽しそうだもの。ジュディちゃんのことが好きなんでしょう」

「いいえ。アンドレはわたしのことが嫌いなんです。彼は優しいから拾ったよしみで気にしてくれているだけですし」

 彼の気持ちはちゃんと分かっている。
 彼はわたしのことが、とにかく嫌いだ。そうでなければ、コーヒーゼリーを断るのに、あんなに冷めた顔をするわけがない。
 ……彼にとってはたかがゼリーでも、丁寧に作ったからショックだった。

 それに、わたしが栞を消失させたときも、体がすくむ位、怖い顔で睨まれた。
 まあね、あれに関してはわたしが悪いけど、何もあんなに怒らなくてもいいのに。

 どう考えても彼はわたしに嫌悪感を抱いているし、わたしだって、アンドレを好きにならない。
 カステン辺境伯から忠告されているんだし、その意味くらい理解している。

 決して恋心ではないが、彼と一緒にいなければいけない運命的なものを感じる。ただそれだけ。それ以上の感情はない。

 もし、アンドレの傍にいるのを断念すれば、記憶を一生取り戻せない気がするから。

「アンドレさんは良家のご令息だから、ちょっとお高くとまっているだけよ。絶対ジュディちゃんのことが好きだと思うけどね」

「あれ? どうして、良家のご令息だって思うんですか? カステン辺境伯の遠縁ですよね」

「だって、洗濯する時に彼が使う水魔法も風魔法も綺麗だからね」
「魔法が綺麗……?」
 何度か彼の魔法を見たが、そんな風に感じなかったため、パッとしない返答をする。

「これまでの人生で、いろんな人の生活魔法を見てきたけど、アンドレさんのような完璧な魔法を発動させる人はいなかったもの。彼は血筋がいいんでしょう」

「それならどうして、ここで隠れるように暮らしているのか分かりませんよ」

「アンドレさんは忌み子だからでしょう。あっ、これはここだけの話よ」
 口を滑らせたと思ったエレーナが、立てた人差し指を自分の口元に当てる。

「忌み子?」
 聞き慣れない言葉に首を傾げる。

「二人同時に子どもが生まれることがあるのよ」
「エエッ! 同時に二人もですか⁉」

「そうよ。ほらあるでしょ、神話の双子。天使と悪魔の話が。全く同じ顔の人物が並ぶと、片割れは不吉を招くからって、昔からこの国では生まれた時にどちらかをね……引き離すのよ」

「引き離す、ですか……」

「まあ大抵は産婆さんが何も言わずにどちらかを死産したことにするから、世間では、そんな兄弟姉妹を見る機会はないけどね」
 とても言いにくそうに、それでいてどこか寂し気に語った。

「随分と詳しいんですね」

「私の産んだ子がそうだったからね。産声は二人分あった気もするけど、その後すぐに、一人は死産だって聞かされたのよ。義母からは、『二人揃っていると村から追い出されるから、死産で良かったね』って、言われたんだから。頭にくるでしょう。悪魔の化身なんてのは、どうせただの迷信に過ぎないのにね」

「今、お子さんはおいくつなんですか?」

「——ジュディちゃんと同じくらいかなぁ。魔力なしの私に嫌気がさした義母と元亭主から家を追い出されて、もう十五年以上会ってないし」

「そうだったんですか。聞いてしまってごめんなさい」
 詳しいと口走ったばかりに、言いたくない話を喋らせた気がする。

「あ~、気にしないで。だからかなぁ、ジュディちゃんと一緒にいると嬉しくてね」

「そう言ってくれるのは、エレーナさんしかいませんから、わたしも嬉しいですよ」
 にぃっと笑ったエレーナへ応えるように、笑顔を返す。

「きっとアンドレさんのことを、産婆さんが手をかけられなかったんでしょう。まあ私も、自分が体験しなきゃ知らなかったけどね」

「なんだか……聞いてはまずい話な気がするので、胸の中にしまっておきます」

 カステン辺境伯が、アンドレの身分証は、ここにはないと言っていた意味。それは、彼の弟か兄かは知らないけど、その人物の身分証という意味なんだろうか?

 いや、仮にそうだとしても、やはりアンドレのものではないだろうに。

 ――ん? っていうか、なんてことはない。
 どこかの家の養子にでも入れば、アンドレとご令嬢の結婚も、あながち現実味のある話なのかもしれない。そう思えてならない。

 ええっ、そもそもカステン辺境伯の籍に、アンドレが入ればいいだけじゃない!
 どうしてだ? なんだって、それをしないのか分からない。

 あれれ……。
 もしかして、そうしようとしていた矢先。わたしが妻を招くための邸宅に転がり込んで、彼の邪魔しているのだろうか⁉

 エエエー、どうしよう。そんな香りがぷんぷんする。

 アンドレといい、カステン辺境伯といい、わたしをあの事務所から追い出すのに必死なんだもの。

 そうだと分かれば、うかうかしていられない。どうやら真剣にアパートを探す必要がありそうだ。

 ◇◇◇
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