たとえ空がくずれおちても

狼子 由

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第三章 静かな図書室で

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 少し驚いた。ほとんど話したこともない楠原くすはらくんが、私の「非読書家」ぶりを知ってることに。

「私、その……確かに本はあんまり読まないんだけど、どうしてそれを知ってるの?」
「本好きには、本好きが分かるから、かな」
「そ、そういうものなの? 勘とか、嗅覚みたいな?」

 くすっと、息だけの笑い声。

「嘘。単純に、市立図書館でもここでも商店街の本屋でも、日上ひかみさんを見かけたことがないってだけ」
「ああ、そっか……」

 狭い街だもの。どこにいっても常に顔を合わせる――とまではいかなくても、よく行く場所ではクラスメイトとすれ違うことが多い。本が好きな子は、きっと偶然に図書館で出会う確率が高いのだろう。
 楠原くんはまだ目尻に笑いの余韻を残したまま、書棚の方に向き直った。

「それで、今日はどうしたの? そんな日上さんが、わざわざこんなとこへ」
「どう、ということもないんだけど、本を探してて……」
「どんな本?」

 私の視線に、訝しげな雰囲気を感じたのだろう。
 慌てたように、楠原くんは軽く手を振った。

「ごめん、詮索するつもりじゃないんだけど。この図書室の本ならだいたい、どこに何があるかは分かるから。普段来ないんでしょう? 何か探し物なら手伝えると思って」
「あっ、ごめん。私も疑ってるわけじゃなくて、なんでそんなに優しいのかなって……」
「優しいかな? 本ってやっぱり面白いからさ、日上さんがその楽しさに踏み込もうとしてるなら、歓迎するってことだよ」

 彼のこんな悪戯っぽい笑顔は、教室にいるときは見たことがなかった。
 先生にあてられたときなんかで、声を聞いたことはあったけど。
 こんなに面倒見がいいんだってことも、初めて知った。
 ううん、もしかしたら、教室でも友達といるときはこんな風だったのかもしれない。ただ、私が全然人のことを見てなかっただけで。

 こんなところでも、どれほど他人に興味がないのかってことを知らされるような気がして、勝手に恥ずかしくなった。
 私は顔を伏せながら、図書室に来た目的を――大いにオブラートでくるみつつ、当たり障りのない部分だけ話すことにした。

「あの……いじめが出てくるお話ってないかな? いじめられてる子が主人公のお話、とか」
「いじめ? ……ああ、なるほど。そうだな……」

 咄嗟に、社会問題としてのいじめをテーマにした本、と言わなかったのは、そういう本だと解決策よりも社会への影響をメインテーマに語りそうな気がしたからだ。
 お話だったら、その主人公が、いじめをどうやって乗り越えたかも書いてあるんじゃないかなって。

 書棚をぐるりと回った楠原くんの後を、私もついて歩いた。
 背の高い彼は、すっすっと滑るように移動していく。追いついた私に、手にした本を差し出した。

「これはどうかな、『キャリー』っていう本なんだけど」
「えっと……『作者:スティーブン・キング』? 映画の『STAND BY ME』の原作の人?」
「そうだよ、よく知ってるね」
「おばあちゃんが、映画が好きで」

 手に取った本は文庫本で、表紙には赤いドレスの女の子が写っていた。

「その『キャリー』も映画になっているよ。俺は映画の方はみていないけど、どちらも評判が良かったと思う」
「そうなんだ。この、表紙の子がいじめられるの?」
「前半でね。で、後半に入るとそれがすごく――あー……いや、うん。それは読んでからのお楽しみかな」

 その口ぶりからすると、後半でこの子がいじめを脱却するのだろう。
 言いたくて仕方ないけど何とか口を噤んだって感じで、思わず笑ってしまった。

「ありがとう。読んでみる。ここの貸し出しって、どうすればいいの?」
「ああ、ちょっと待って」

 楠原くんは、それから入り口脇のカウンターの中に入ると、内側から私の図書カードを持ってきた。
 名前とクラス、住所、連絡先が書かれたそのカードに、手早く今日の日付と本の情報を書き込んでくれる。

「貸し出しも返却も本当は司書の先生が管理するんだけど、あの人、あんまりここには来ないんだ。返すときは……うん、俺は放課後だいたいここにいるんで、声かけてくれたら戻しておくよ」
「えっ、そんなに全部、楠原くんにしてもらうのは悪いよ」
「大丈夫。それに、すすめた本が面白かったかどうか、教えてほしいから」

 首を傾けると、前髪が揺れて、きれいな目がのぞく。
 その目には純粋に楽しいものを共有したいって思いしか浮かんでない気がして、私は慌てて「ありがとう」と答え、親切を受け入れたのだった。
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