37 / 39
第九章 昨日とはちがう明日へ
3
しおりを挟む
病院の駐車場に車を入れたところで、お父さんは深いため息をついた。
「私はここで待っている。母さんの――おばあちゃんの顔を見ると、どうしても言い合いになってしまうから。病み上がりで興奮させるのもまずいだろう」
今までの二人の関係からすると、おばあちゃんの方はさして興奮しないんじゃないかな。
けど、別にそれを口に出す必要性はないから、まあいいか。
私は慌てて車を降りた。
病棟へ向かって走りながら――ふと思い出して、くるりと踵を返す。
停車した車に向かって、軽く頭を下げる。
ぴこん、とヘッドライトが一度だけ点滅したのが見えた。
病棟に入り、受付で入館証を貰う。
首にかけながら、おばあちゃんの病室に向かってエレベーターを上がっていく。
二階……三階……四階……待ちきれずに足踏みしていると、ぽーん、と音がしてエレベーターが止まった。
開いた扉の隙間から駆けだしかけて、ここが病院だということを思い出し、何とか早足に切り替える。
おばあちゃんの病室を見付け、勢いよく飛び込もうとしたところで、ちょうど出て来たお母さんとぶつかりそうになった。
「ちょっと、遥花! 危ないじゃない」
「ご、ごめんなさい……それよりおばあちゃんは!?」
「一度目を覚ましてから、ちょうど今はまた眠っているところよ。だけど、酸素マスクも取れたし、お医者さんはこの様子なら心配ないって」
「良かった……」
ほっと息をつくと、膝から力が抜けてそのままへたり込みそうだった。
扉に手を突いて、なんとか身体を支える。
お母さんは頷いて、私の肩を叩いてくれた。
「もう大丈夫だから。それより、あなたが来てるってことは、お父さんも来てるわね?」
「うん。おばあちゃんと会うと喧嘩になるから、車で待ってるって」
「あの人ったら本当に……お母さん、ちょっと話してくるけど、あなたどうする?」
「もうすぐ面会時間終わりだよね? おばあちゃんの顔見てから、帰る」
「分かったわ。じゃあ、駐車場で落ち合いましょう」
手を振ってお母さんと別れ、私は病室に足を踏み込んだ。
真っ白な何もない部屋に、おばあちゃんがじっと横たわっていた。
酸素マスクがないからか、その表情は前に見たときよりもずっと安らかに見える。頬にもいくぶんか血の気が戻ったようだ。
じっと見ている内に、その唇が、不意に動いた。
「……来たわね、遥花」
「起きてたの?」
「あんたたちの話声でね」
ゆっくりと開いた瞼が、微笑みの形に細められる。
「どうも下手打っちゃったわね、心配したでしょ、遥花」
「したよ……もう一生分した。二度とこんなことないようにしてね」
言いながら、胸の中では、そんなことは不可能だって声が響いていた。
だって、私は知っている。
おばあちゃんは、この二年後の春、脳卒中で今度こそ帰らぬ人になるのだと。
未来を隠して、私はおばあちゃんの手を握った。
「ずっと元気でいて。おばあちゃんだって、もっと色んな映画、見たいでしょう?」
「そうねぇ。まあ、今回は何とか乗り切ったけど、あんたはもう分かってるでしょ。あたしの寿命なんてそう長くはないって」
「そんなこと言わないで――」
「大丈夫よ、二度は立ち会わせないから。あんたとはもう、一度さよならしたもんね」
いたずらっぽい表情で、おばあちゃんが囁いた。
驚きで、言葉が喉に詰まる。
私が口をぱくぱくさせているのを見て、おばあちゃんは掠れた声で笑っている。
「そんな、餌をねだる鯉みたいな顔はやめなさい。おばあちゃんみたいないい女になれないわよ」
「だ、だ……だって、おばあちゃん……」
「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って、おぼえてるかい?」
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』――未来からタイムマシンで過去に戻った高校生が、危険をかいくぐって無事元の未来に戻るまでの映画だ。
つまり――私も未来に戻れる、ということをおばあちゃんは言いたいのだろうか?
ううん。その前に、おばあちゃんは私が未来から来たということを知ってる――?
「お、おばあちゃん……それって、もしかして」
「つまりね、あんたをこの時代に呼んだのは、あたしの差し金ってことだよ」
にんまりと笑う顔はいつものおばあちゃんだ。
いつもよりちょっと頬がこけていても。
その腕にまだ、点滴が刺さっていても。
明るくて、ちょっと皮肉っぽい。
その表情がもう懐かしくて、それだけで少し泣きそうになった。
「……本当に、私を過去に戻したのはおばあちゃんなの?」
「ああ、それはちょっと語弊があるねぇ。差し金ってことはつまりね、こうしてほしいと頼んだのはあたし。実際に実行したのは、あの子の力さ」
「あの子?」
「ほら、今入ってきただろう? あの子だよ」
おばあちゃんの指さす先、病室の入り口に立っているのは、楠原くんだった。
「私はここで待っている。母さんの――おばあちゃんの顔を見ると、どうしても言い合いになってしまうから。病み上がりで興奮させるのもまずいだろう」
今までの二人の関係からすると、おばあちゃんの方はさして興奮しないんじゃないかな。
けど、別にそれを口に出す必要性はないから、まあいいか。
私は慌てて車を降りた。
病棟へ向かって走りながら――ふと思い出して、くるりと踵を返す。
停車した車に向かって、軽く頭を下げる。
ぴこん、とヘッドライトが一度だけ点滅したのが見えた。
病棟に入り、受付で入館証を貰う。
首にかけながら、おばあちゃんの病室に向かってエレベーターを上がっていく。
二階……三階……四階……待ちきれずに足踏みしていると、ぽーん、と音がしてエレベーターが止まった。
開いた扉の隙間から駆けだしかけて、ここが病院だということを思い出し、何とか早足に切り替える。
おばあちゃんの病室を見付け、勢いよく飛び込もうとしたところで、ちょうど出て来たお母さんとぶつかりそうになった。
「ちょっと、遥花! 危ないじゃない」
「ご、ごめんなさい……それよりおばあちゃんは!?」
「一度目を覚ましてから、ちょうど今はまた眠っているところよ。だけど、酸素マスクも取れたし、お医者さんはこの様子なら心配ないって」
「良かった……」
ほっと息をつくと、膝から力が抜けてそのままへたり込みそうだった。
扉に手を突いて、なんとか身体を支える。
お母さんは頷いて、私の肩を叩いてくれた。
「もう大丈夫だから。それより、あなたが来てるってことは、お父さんも来てるわね?」
「うん。おばあちゃんと会うと喧嘩になるから、車で待ってるって」
「あの人ったら本当に……お母さん、ちょっと話してくるけど、あなたどうする?」
「もうすぐ面会時間終わりだよね? おばあちゃんの顔見てから、帰る」
「分かったわ。じゃあ、駐車場で落ち合いましょう」
手を振ってお母さんと別れ、私は病室に足を踏み込んだ。
真っ白な何もない部屋に、おばあちゃんがじっと横たわっていた。
酸素マスクがないからか、その表情は前に見たときよりもずっと安らかに見える。頬にもいくぶんか血の気が戻ったようだ。
じっと見ている内に、その唇が、不意に動いた。
「……来たわね、遥花」
「起きてたの?」
「あんたたちの話声でね」
ゆっくりと開いた瞼が、微笑みの形に細められる。
「どうも下手打っちゃったわね、心配したでしょ、遥花」
「したよ……もう一生分した。二度とこんなことないようにしてね」
言いながら、胸の中では、そんなことは不可能だって声が響いていた。
だって、私は知っている。
おばあちゃんは、この二年後の春、脳卒中で今度こそ帰らぬ人になるのだと。
未来を隠して、私はおばあちゃんの手を握った。
「ずっと元気でいて。おばあちゃんだって、もっと色んな映画、見たいでしょう?」
「そうねぇ。まあ、今回は何とか乗り切ったけど、あんたはもう分かってるでしょ。あたしの寿命なんてそう長くはないって」
「そんなこと言わないで――」
「大丈夫よ、二度は立ち会わせないから。あんたとはもう、一度さよならしたもんね」
いたずらっぽい表情で、おばあちゃんが囁いた。
驚きで、言葉が喉に詰まる。
私が口をぱくぱくさせているのを見て、おばあちゃんは掠れた声で笑っている。
「そんな、餌をねだる鯉みたいな顔はやめなさい。おばあちゃんみたいないい女になれないわよ」
「だ、だ……だって、おばあちゃん……」
「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って、おぼえてるかい?」
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』――未来からタイムマシンで過去に戻った高校生が、危険をかいくぐって無事元の未来に戻るまでの映画だ。
つまり――私も未来に戻れる、ということをおばあちゃんは言いたいのだろうか?
ううん。その前に、おばあちゃんは私が未来から来たということを知ってる――?
「お、おばあちゃん……それって、もしかして」
「つまりね、あんたをこの時代に呼んだのは、あたしの差し金ってことだよ」
にんまりと笑う顔はいつものおばあちゃんだ。
いつもよりちょっと頬がこけていても。
その腕にまだ、点滴が刺さっていても。
明るくて、ちょっと皮肉っぽい。
その表情がもう懐かしくて、それだけで少し泣きそうになった。
「……本当に、私を過去に戻したのはおばあちゃんなの?」
「ああ、それはちょっと語弊があるねぇ。差し金ってことはつまりね、こうしてほしいと頼んだのはあたし。実際に実行したのは、あの子の力さ」
「あの子?」
「ほら、今入ってきただろう? あの子だよ」
おばあちゃんの指さす先、病室の入り口に立っているのは、楠原くんだった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら
瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。
タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。
しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。
剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
【完結】幼馴染に裏切られたので協力者を得て復讐(イチャイチャ)しています。
猫都299
青春
坂上明には小学校から高校二年になった現在まで密かに片想いしていた人がいる。幼馴染の岸谷聡だ。親友の内巻晴菜とはそんな事も話せるくらい仲がよかった。そう思っていた。
ある日知った聡と晴菜の関係。
これは明が過去に募らせてしまった愚かなる純愛へ一矢報いる為、協力者と裏切り返す復讐(イチャイチャ)の物語である。
※2024年8月10日に完結しました! 応援ありがとうございました!(2024.8.10追記)
※小説家になろう、カクヨム、Nolaノベルにも投稿しています。
※主人公は常識的によくない事をしようとしていますので気になる方は読まずにブラウザバックをお願い致します。
※「キスの練習相手は〜」「幼馴染に裏切られたので〜」「ダブルラヴァーズ〜」「やり直しの人生では〜」等は同じ地方都市が舞台です。関連した人物も、たまに登場します。(2024.12.2追記)
※番外編追加中・更新は不定期です。(2025.1.30追記)←番外編も完結しました!(2025.9.11追記)
※【修正版】をベリーズカフェに投稿しています。Nolaノベルでは全話限定公開・修正中です。(2025.10.29追記)
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
オッサン齢50過ぎにしてダンジョンデビューする【なろう100万PV、カクヨム20万PV突破】
山親爺大将
ファンタジー
剣崎鉄也、4年前にダンジョンが現れた現代日本で暮らす53歳のおっさんだ。
失われた20年世代で職を転々とし今は介護職に就いている。
そんな彼が交通事故にあった。
ファンタジーの世界ならここで転生出来るのだろうが、現実はそんなに甘く無い。
「どうしたものかな」
入院先の個室のベッドの上で、俺は途方に暮れていた。
今回の事故で腕に怪我をしてしまい、元の仕事には戻れなかった。
たまたま保険で個室代も出るというので個室にしてもらったけど、たいして蓄えもなく、退院したらすぐにでも働かないとならない。
そんな俺は交通事故で死を覚悟した時にひとつ強烈に後悔をした事があった。
『こんな事ならダンジョンに潜っておけばよかった』
である。
50過ぎのオッサンが何を言ってると思うかもしれないが、その年代はちょうど中学生くらいにファンタジーが流行り、高校生くらいにRPGやライトノベルが流行った世代である。
ファンタジー系ヲタクの先駆者のような年代だ。
俺もそちら側の人間だった。
年齢で完全に諦めていたが、今回のことで自分がどれくらい未練があったか理解した。
「冒険者、いや、探索者っていうんだっけ、やってみるか」
これは体力も衰え、知力も怪しくなってきて、ついでに運にも見放されたオッサンが無い知恵絞ってなんとか探索者としてやっていく物語である。
注意事項
50過ぎのオッサンが子供ほどに歳の離れた女の子に惚れたり、悶々としたりするシーンが出てきます。
あらかじめご了承の上読み進めてください。
注意事項2 作者はメンタル豆腐なので、耐えられないと思った感想の場合はブロック、削除等をして見ないという行動を起こします。お気を悪くする方もおるかと思います。予め謝罪しておきます。
注意事項3 お話と表紙はなんの関係もありません。
白衣の下 第一章 悪魔的破天荒な医者と超真面目な女子大生の愛情物語り。先生無茶振りはやめてください‼️
高野マキ
ライト文芸
弟の主治医と女子大生の甘くて切ない愛情物語り。こんなに溺愛する相手にめぐり会う事は二度と無い。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる