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聖女の受難
幾度も繰り返す
幾度も繰り返す。
幾度も失い、幾度も愛す。
⎯⎯⎯静寂。
精霊界の奥深く、時の流れだけが澄んだ水のように満ちていた。
無数の砂時計が空を覆い、ひと粒ひと粒が世界の営みを刻む。
時の精霊は、その中心に腰を下ろし、古びた羊皮紙をめくっていた。
知識こそが己の糧であり、時の観測こそが存在理由。
人間の営みはただの流れ、偶然に過ぎず、感情で心を揺らす理由などない。
...はずだった。
突如、精霊である自身の心臓に脳に痛みが走った。
「……っ」
銀の睫毛を震わせ、精霊は片手で額を押さえた。
まるで、胸にぽっかりと空洞が穿たれたようだった。
理由もなく、ただ酷い喪失感だけが押し寄せる。
「⎯⎯⎯...?」
ただ痛い。胸が痛い。頭が痛い。苦しい。泣きたい。⎯⎯⎯悲しい。感情に支配され、時の精霊は両手で地を着き、地に落ちる砂を鷲掴みにした。
砂時計の砂がざあざあと崩れるような幻聴。
その瞬間、端に置かれていた一冊の書物が、淡く光を放った。
おもむろに手に取ると、それは自分自身の筆跡で書かれている。
《理知と均衡と愛についての方程式》
ページに刻まれた言葉が、時紋により忘却から守られている。
震える指先で開く。
そこに書かれていたのは「レン」という名。
途端に、心臓が激しく脈打った。
段々と、ゆっくりと、彼の姿が、彼の匂いが、彼の声が、彼の笑顔が、彼がこちらに向けて伸ばした手が、抱きしめてくれた体温が、彼が興味深そうに私の話を聞き、瞳を輝かせていた瞬間が。
⎯⎯⎯私の記憶に轟いた。
途端精霊は、涙が溢れて止まらなかった。
「とうとう来たのですね。この時が」
世界の均衡を保つために1人の愛しい存在が消された時が。理屈では理解していたのだ。
レンと過ごした日々を思い出しても、もうレンはこの世界にはいない。レンを失い空になったこの喪失感を、どう埋めれば良いのかも分からない。
最初、時の精霊は、レンの魂の行先を探した。
様々な時間を飛んで、歪んで、巡った。
世界の誕生も目にしたし、世界の終焉も目にした。
しかし本当に見つけたいものは見つからなかった。
何故ならレンは別の世界に行ったからだ。
時の精霊はそれに気づいた後絶望した。
時間を支配できても、次元を支配するのは出来なかった。しかし、世界は、宇宙は、巡りに巡り円となりまた同じ終点へと始点へと辿り着く。
時の精霊は、レンの魂がまたいつの日か戻るのを待っていた。
その途方もない年月を時の精霊は繰り返した。
レンの魂が来ないまま、彼が好きだった文明が、森が、この世界が衰退した時もあった。
その度に時の精霊は、"世界の時間"のみを元に戻した。そしてまた自身は数百、数千、の再創世の記憶を持ち、最愛を待ち続けた。
42回目の世界の巻き戻しを遂げた時、時の精霊の精神は、精神体であるのにも関わらずその世界を巻き戻す力に耐えきれずに疲弊していた。
とうとう時の精霊は耐えられずに、過去に飛んだ。
彼がまだ生きている日々へ。
彼が笑い、私を呼んでくれる時間に。
その時初めて、時の精霊は、「観測者」ではなくなった。過去に干渉したからだ。
時の精霊は、レンがまだ居る時空へと飛んだ時、思わず彼に抱きつき号泣をした。
しかしそんな情けない自身を見ても彼は突き飛ばす事も失笑することもせず、ただただ母のようにして優しく抱擁を返したのだ。
形は違えど、幾千万にも渡る時間の末に最愛の人にまた会えたのだ。時の精霊はレンの肩で嗚咽を漏らした。
⎯⎯⎯それからは堕落するのが早かった。
***
最初に出会った日のことを覚えている。
突如、部屋に現れた自分を彼は驚きもせず、ただ眩しいほどの笑顔で迎えた。
普通なら祈り、恐れ、崇めるはずだ。
だが彼は、まるで古くからの友に声を掛けるように自然だった。
その無邪気な笑顔が、胸をじんわりと温めていく。
⎯⎯⎯その瞬間を、時の精霊は幾度も幾度も繰り返した。何度見ても胸の奥が疼き、離れられなかった。
*
またある日、精霊はふと残酷で美しいこの世界を語った。
「西の砂漠には、1000年に1度咲く黒い薔薇があって⎯⎯⎯」
話を終える前に、レンは目を輝かせて身を乗り出した。
「そんな世界もあるんだ!行ってみたいなあ!」
「……なぜそこまで楽しそうに聞けるんですか」
思わず問いかける。しかし答えなど分かっていた。
何故ならレンは異世界人として隠されて育ち、ずっとこの辺境の小さな家で過ごしていたから。
しかし時の精霊の考えとは反対に、レンはあっけらかんと笑った。
「だって、時の精霊さんが楽しそうに話すから」
その言葉に、胸の奥でない心臓が跳ねた気がした。
観測者であるはずの自分が、ただの人間の一言で心を揺さぶられる。
⎯⎯⎯その会話を、精霊は幾度も幾度も繰り返した。聞き飽きることはなかった。
精霊は、その度に違う世界の話を聞かせた。
***
だが、最後の瞬間は必ず訪れた。
水の精霊の光が揺らめき、レンを包み込み、
消えゆく彼の姿が淡く霞んでいく。
その仕草を最後に、レンは時空から掻き消える。
どれだけ叫んでも、どれだけ手を伸ばしても、必ずそこが終点だった。
「...あ...れ...僕...」
レンの言葉が途切れて消える。
初めてその光景を目にしたとき、時の精霊は頭のどこかで冷静だった。分かっていた。世界が均衡を保つために、彼を排除するだろうことを。
だが現実に目の前でその瞬間を見せつけられることが、これほどまでに痛いとは。
⎯⎯⎯しかし、その別れの瞬間すら、精霊は幾度も幾度も繰り返した。
忘れたくなかったから。たとえ胸を抉られるとしても、彼を抱えていた時間を失いたくなかった。
***
レンの声を聞き、
レンの笑顔を見て、
レンの消える背を追って、
また時を巻き戻す。
何度も、何度も。
甘美で残酷な時を何度も繰り返した。
笑顔も、再開も、別れも。
輪のように繰り返し、繰り返し、時の川を逆巻かせる。
それは精霊にしかできない歪みであり、同時に呪いのようでもあった。
けれど構わなかった。
レンと過ごした日々を忘れないためなら、世界の均衡などどうでもよかった。
それが愚かだと知っていても、抗えなかった。
それでも、時は進む。
世界を越えることはできない。
精霊はただ、繰り返し繰り返し、あの短い日常を追体験するだけ。
……そして、いつか。
時の流れの向こうで、レンの魂が再びこちらへ戻ってくる日を。
その瞬間を迎えるために。
「必ず……また見つけます」
深い時の闇に囁く声は、決して途切れることなく続いていった。
***
蝗帑コ比ク?蜈ォ荳?? 回目。
その時がきた。
感じたのは懐かしいエネルギーと波動。
そして声、魂、願い。
同じものだった。
祈りの儀式の場で、私は彼を見つけた。
もう「レン」ではなく「蓮」として在る彼を。
私は涙した。
何千回も、何万回も失った存在が、確かに目の前にいたから。
『やっと……やっとこの時空で見つけました』
繰り返れた過去ではなく、進む時間を生きる愛しい存在の頬に触れた。
私が繰り返し続けてきた時空は、ここで終わるのだろう。私はすべてを捨て、この現在に戻った。
私は知っている。
何度失おうとも、私は彼を見つけるだろう。
何度遠くへ行こうとも、私は彼を追うだろう。
幾度も繰り返した。
幾度も失った。
幾度も愛した。
しかし、今この瞬間からは“繰り返し”ではなく“進む”時間を生きる。
彼と共に歩むために。
***
精霊界は人の世界の自然に似ているのに、どこか夢の奥で見た景色のように現実味が希薄だった。
地平線という概念すら曖昧で、ただひたすらに緑の絨毯が永遠に続いている。草原の一葉一葉が光を宿し、風に揺れるたび淡く輝きを返す。見渡す限りに咲く花に規則性はないが、不思議と調和して並んでいた。
頭上の空は透き通るほど青く、雲の影は生き物のように草原を泳いでいく。空と大地の境目が霞んでいて、歩けばいつかそのまま空に踏み出してしまいそうだった。
その景色の中に精霊が居る。
『なんかさー、時の精霊のせいで大事になってない?』
あっけらかんと声を出したのは、闇の精霊だった。
蓮が聖女として就任するにあたって姿を消していた『風』『闇』『水』の3精霊である。
彼らは精霊界へと移動し、蓮を見ていた。
蓮が人間の王子に剣を向けられた時、真っ先に精霊界から降り立ち、王子を殺そうとしたのは闇の精霊だった。一切の感情を映さない瞳が、ただ一人を見据えていた。それだけで十分だった。次の瞬間、その命が闇に沈む未来を、誰もが予感し、空間を裂いて王子の命を呑み込もうとした。
しかし、それは水の精霊の一言で止められる。
『蓮の人生を台無しにする気か?』
その一言に、闇の精霊は眉間に小さな影を寄せた。怒りは変わらないが、水の一言は確かに効いた。闇は冷たく囁くように返す。
『...そんなの、歯向かうものは全て殺せばいい』
『そうすれば全て終わるだろう。しかしそれで上手くいくとは限らないが』
水の精霊は静かに言葉を整え、場に流れる緊張を緩やかに保とうとした。風の精霊⎯⎯⎯ゼフは声を持たずに、ただそっと葉擦れのように抗議の風圧を送るだけだった。
『...』
闇の精霊はそれに応じたのかその場にあぐらをかいて座った。ただひたすら、憎悪を堪え、王子を見据えていた。
しかしそれも長く続かずに、闇の精霊が再び怒りを顕にした。
それは王子に対してではなく、自身の同胞、知恵を司る者⎯⎯⎯「時の精霊」に対してである。
『...お前と蓮に接点なんてないはずだよね?』
今まで、己の精霊界に留まったかと思えば、頻繁に時空を行き来していたりと、同じ精霊達の前にすら姿を見せたことがなかった時の精霊が、何故か突然蓮の所に現れて、強欲にも蓮への信託を、失われた神に成り変わり行ったのだ。
精霊達は、現世の時が止まり、時の精霊が蓮に信託を授けたのを見た。精霊界にいたから影響を受けずに一部始終を見れたものの、想定外の出来事に体が固まった。
精霊界にて⎯⎯⎯
時の精霊は、闇の精霊に胸元を鷲掴みにされていた。
闇の精霊の顔は相変わらず無表情だった。だが、その瞳には冷え切った闇色の激情が宿っている。怒号も、唸り声もない。ただ淡々とした無機質さで、目の前の存在を裁断する意志だけが燃えていた。
その静けさは、逆に声を荒げるよりも恐ろしく、周囲の花すらざわめきを止めるほどだった。
しかし、掴まれたままの時の精霊は動じなかった。冷淡な視線を返し、光沢ある純白のローブを乱した闇の精霊を見据え、手首を静かに掴んで剥がす。
『全てにおいて私が一番、蓮を理解している事を知らないのは愚かですね』
その声音には感情らしきものが欠片もなく、ただそれは「事実」として告げる冷たさがあった。
『……お前は一体、何を言ってるんだ?』
闇の精霊の口元がわずかに歪む。だが笑っているのか怒っているのか、判別はつかない。
『お前が失われた神に成り変わるなんて冒涜に当るんだけど?』
闇の精霊にとって、堕ちた神は自身の主君として敬うに等しくなく、何故堕ちたのかという疑問も興味がなかった。ただの結果論である。しかし、何故かその神の座に別の存在が成り変わる事はどうしても解せなかった。どうしてか、それは考えても分からなかった。
水の精霊は眉を寄せ、風の精霊は音もなく衣を揺らした。精霊界の空気そのものがひび割れるように緊張していた。
途端、時の精霊の表情がわずかに歪む。
普段は冷徹に整った美貌のまま、けれどその双眸に燃えさかるような光が宿った。
声を荒げることもない。けれど吐息に滲む熱が場を震わせ、長い銀髪が風もないのに揺れる。
『貴様らが……』
低く、しかし胸の奥を抉るような響き。
『貴様らがレンを愛さなければ……最初から、神も、私も、レンも、このようなことにはならなかった!』
そう、全ては愛が因果なのだ。
時の精霊は嘆いた。しかし時の精霊がいくら嘆いたところで、消されたレンの事を鮮明に覚えているのは、自分くらいしか居ないように思えた。
時の精霊の言葉に、他の精霊は困惑した。
いつも冷静で知を司る精霊が、激情を吐き出し取り乱したからだ。
『……愛?』
水の精霊が低く呟いた。その蒼い瞳には、ほんの僅かに動揺が走る。
風の精霊の周囲の草花が一斉にざわめき、抗うように空気を揺らした。
闇の精霊は掴んでいた手を放し、しかし無表情のまま睨みつける。
『……狂ったの?君ほどの精霊が、そんな感情に侵されるなんてさ』
静寂が落ちる。
しかし時の精霊のその瞳だけは強く光を宿したままだ。
水の精霊が、やや溜息を混じらせて口を開いた。
『……お前を庇うつもりは毛頭ない。だが、ここまで取り乱す理由があるのなら……まぁ、何か考えがあったんだろうな』
その声は宥めるというより、「認めざるを得ない」という響きだった。
風が再びさやめき、遠くで花が小さく揺れた。
幾度も失い、幾度も愛す。
⎯⎯⎯静寂。
精霊界の奥深く、時の流れだけが澄んだ水のように満ちていた。
無数の砂時計が空を覆い、ひと粒ひと粒が世界の営みを刻む。
時の精霊は、その中心に腰を下ろし、古びた羊皮紙をめくっていた。
知識こそが己の糧であり、時の観測こそが存在理由。
人間の営みはただの流れ、偶然に過ぎず、感情で心を揺らす理由などない。
...はずだった。
突如、精霊である自身の心臓に脳に痛みが走った。
「……っ」
銀の睫毛を震わせ、精霊は片手で額を押さえた。
まるで、胸にぽっかりと空洞が穿たれたようだった。
理由もなく、ただ酷い喪失感だけが押し寄せる。
「⎯⎯⎯...?」
ただ痛い。胸が痛い。頭が痛い。苦しい。泣きたい。⎯⎯⎯悲しい。感情に支配され、時の精霊は両手で地を着き、地に落ちる砂を鷲掴みにした。
砂時計の砂がざあざあと崩れるような幻聴。
その瞬間、端に置かれていた一冊の書物が、淡く光を放った。
おもむろに手に取ると、それは自分自身の筆跡で書かれている。
《理知と均衡と愛についての方程式》
ページに刻まれた言葉が、時紋により忘却から守られている。
震える指先で開く。
そこに書かれていたのは「レン」という名。
途端に、心臓が激しく脈打った。
段々と、ゆっくりと、彼の姿が、彼の匂いが、彼の声が、彼の笑顔が、彼がこちらに向けて伸ばした手が、抱きしめてくれた体温が、彼が興味深そうに私の話を聞き、瞳を輝かせていた瞬間が。
⎯⎯⎯私の記憶に轟いた。
途端精霊は、涙が溢れて止まらなかった。
「とうとう来たのですね。この時が」
世界の均衡を保つために1人の愛しい存在が消された時が。理屈では理解していたのだ。
レンと過ごした日々を思い出しても、もうレンはこの世界にはいない。レンを失い空になったこの喪失感を、どう埋めれば良いのかも分からない。
最初、時の精霊は、レンの魂の行先を探した。
様々な時間を飛んで、歪んで、巡った。
世界の誕生も目にしたし、世界の終焉も目にした。
しかし本当に見つけたいものは見つからなかった。
何故ならレンは別の世界に行ったからだ。
時の精霊はそれに気づいた後絶望した。
時間を支配できても、次元を支配するのは出来なかった。しかし、世界は、宇宙は、巡りに巡り円となりまた同じ終点へと始点へと辿り着く。
時の精霊は、レンの魂がまたいつの日か戻るのを待っていた。
その途方もない年月を時の精霊は繰り返した。
レンの魂が来ないまま、彼が好きだった文明が、森が、この世界が衰退した時もあった。
その度に時の精霊は、"世界の時間"のみを元に戻した。そしてまた自身は数百、数千、の再創世の記憶を持ち、最愛を待ち続けた。
42回目の世界の巻き戻しを遂げた時、時の精霊の精神は、精神体であるのにも関わらずその世界を巻き戻す力に耐えきれずに疲弊していた。
とうとう時の精霊は耐えられずに、過去に飛んだ。
彼がまだ生きている日々へ。
彼が笑い、私を呼んでくれる時間に。
その時初めて、時の精霊は、「観測者」ではなくなった。過去に干渉したからだ。
時の精霊は、レンがまだ居る時空へと飛んだ時、思わず彼に抱きつき号泣をした。
しかしそんな情けない自身を見ても彼は突き飛ばす事も失笑することもせず、ただただ母のようにして優しく抱擁を返したのだ。
形は違えど、幾千万にも渡る時間の末に最愛の人にまた会えたのだ。時の精霊はレンの肩で嗚咽を漏らした。
⎯⎯⎯それからは堕落するのが早かった。
***
最初に出会った日のことを覚えている。
突如、部屋に現れた自分を彼は驚きもせず、ただ眩しいほどの笑顔で迎えた。
普通なら祈り、恐れ、崇めるはずだ。
だが彼は、まるで古くからの友に声を掛けるように自然だった。
その無邪気な笑顔が、胸をじんわりと温めていく。
⎯⎯⎯その瞬間を、時の精霊は幾度も幾度も繰り返した。何度見ても胸の奥が疼き、離れられなかった。
*
またある日、精霊はふと残酷で美しいこの世界を語った。
「西の砂漠には、1000年に1度咲く黒い薔薇があって⎯⎯⎯」
話を終える前に、レンは目を輝かせて身を乗り出した。
「そんな世界もあるんだ!行ってみたいなあ!」
「……なぜそこまで楽しそうに聞けるんですか」
思わず問いかける。しかし答えなど分かっていた。
何故ならレンは異世界人として隠されて育ち、ずっとこの辺境の小さな家で過ごしていたから。
しかし時の精霊の考えとは反対に、レンはあっけらかんと笑った。
「だって、時の精霊さんが楽しそうに話すから」
その言葉に、胸の奥でない心臓が跳ねた気がした。
観測者であるはずの自分が、ただの人間の一言で心を揺さぶられる。
⎯⎯⎯その会話を、精霊は幾度も幾度も繰り返した。聞き飽きることはなかった。
精霊は、その度に違う世界の話を聞かせた。
***
だが、最後の瞬間は必ず訪れた。
水の精霊の光が揺らめき、レンを包み込み、
消えゆく彼の姿が淡く霞んでいく。
その仕草を最後に、レンは時空から掻き消える。
どれだけ叫んでも、どれだけ手を伸ばしても、必ずそこが終点だった。
「...あ...れ...僕...」
レンの言葉が途切れて消える。
初めてその光景を目にしたとき、時の精霊は頭のどこかで冷静だった。分かっていた。世界が均衡を保つために、彼を排除するだろうことを。
だが現実に目の前でその瞬間を見せつけられることが、これほどまでに痛いとは。
⎯⎯⎯しかし、その別れの瞬間すら、精霊は幾度も幾度も繰り返した。
忘れたくなかったから。たとえ胸を抉られるとしても、彼を抱えていた時間を失いたくなかった。
***
レンの声を聞き、
レンの笑顔を見て、
レンの消える背を追って、
また時を巻き戻す。
何度も、何度も。
甘美で残酷な時を何度も繰り返した。
笑顔も、再開も、別れも。
輪のように繰り返し、繰り返し、時の川を逆巻かせる。
それは精霊にしかできない歪みであり、同時に呪いのようでもあった。
けれど構わなかった。
レンと過ごした日々を忘れないためなら、世界の均衡などどうでもよかった。
それが愚かだと知っていても、抗えなかった。
それでも、時は進む。
世界を越えることはできない。
精霊はただ、繰り返し繰り返し、あの短い日常を追体験するだけ。
……そして、いつか。
時の流れの向こうで、レンの魂が再びこちらへ戻ってくる日を。
その瞬間を迎えるために。
「必ず……また見つけます」
深い時の闇に囁く声は、決して途切れることなく続いていった。
***
蝗帑コ比ク?蜈ォ荳?? 回目。
その時がきた。
感じたのは懐かしいエネルギーと波動。
そして声、魂、願い。
同じものだった。
祈りの儀式の場で、私は彼を見つけた。
もう「レン」ではなく「蓮」として在る彼を。
私は涙した。
何千回も、何万回も失った存在が、確かに目の前にいたから。
『やっと……やっとこの時空で見つけました』
繰り返れた過去ではなく、進む時間を生きる愛しい存在の頬に触れた。
私が繰り返し続けてきた時空は、ここで終わるのだろう。私はすべてを捨て、この現在に戻った。
私は知っている。
何度失おうとも、私は彼を見つけるだろう。
何度遠くへ行こうとも、私は彼を追うだろう。
幾度も繰り返した。
幾度も失った。
幾度も愛した。
しかし、今この瞬間からは“繰り返し”ではなく“進む”時間を生きる。
彼と共に歩むために。
***
精霊界は人の世界の自然に似ているのに、どこか夢の奥で見た景色のように現実味が希薄だった。
地平線という概念すら曖昧で、ただひたすらに緑の絨毯が永遠に続いている。草原の一葉一葉が光を宿し、風に揺れるたび淡く輝きを返す。見渡す限りに咲く花に規則性はないが、不思議と調和して並んでいた。
頭上の空は透き通るほど青く、雲の影は生き物のように草原を泳いでいく。空と大地の境目が霞んでいて、歩けばいつかそのまま空に踏み出してしまいそうだった。
その景色の中に精霊が居る。
『なんかさー、時の精霊のせいで大事になってない?』
あっけらかんと声を出したのは、闇の精霊だった。
蓮が聖女として就任するにあたって姿を消していた『風』『闇』『水』の3精霊である。
彼らは精霊界へと移動し、蓮を見ていた。
蓮が人間の王子に剣を向けられた時、真っ先に精霊界から降り立ち、王子を殺そうとしたのは闇の精霊だった。一切の感情を映さない瞳が、ただ一人を見据えていた。それだけで十分だった。次の瞬間、その命が闇に沈む未来を、誰もが予感し、空間を裂いて王子の命を呑み込もうとした。
しかし、それは水の精霊の一言で止められる。
『蓮の人生を台無しにする気か?』
その一言に、闇の精霊は眉間に小さな影を寄せた。怒りは変わらないが、水の一言は確かに効いた。闇は冷たく囁くように返す。
『...そんなの、歯向かうものは全て殺せばいい』
『そうすれば全て終わるだろう。しかしそれで上手くいくとは限らないが』
水の精霊は静かに言葉を整え、場に流れる緊張を緩やかに保とうとした。風の精霊⎯⎯⎯ゼフは声を持たずに、ただそっと葉擦れのように抗議の風圧を送るだけだった。
『...』
闇の精霊はそれに応じたのかその場にあぐらをかいて座った。ただひたすら、憎悪を堪え、王子を見据えていた。
しかしそれも長く続かずに、闇の精霊が再び怒りを顕にした。
それは王子に対してではなく、自身の同胞、知恵を司る者⎯⎯⎯「時の精霊」に対してである。
『...お前と蓮に接点なんてないはずだよね?』
今まで、己の精霊界に留まったかと思えば、頻繁に時空を行き来していたりと、同じ精霊達の前にすら姿を見せたことがなかった時の精霊が、何故か突然蓮の所に現れて、強欲にも蓮への信託を、失われた神に成り変わり行ったのだ。
精霊達は、現世の時が止まり、時の精霊が蓮に信託を授けたのを見た。精霊界にいたから影響を受けずに一部始終を見れたものの、想定外の出来事に体が固まった。
精霊界にて⎯⎯⎯
時の精霊は、闇の精霊に胸元を鷲掴みにされていた。
闇の精霊の顔は相変わらず無表情だった。だが、その瞳には冷え切った闇色の激情が宿っている。怒号も、唸り声もない。ただ淡々とした無機質さで、目の前の存在を裁断する意志だけが燃えていた。
その静けさは、逆に声を荒げるよりも恐ろしく、周囲の花すらざわめきを止めるほどだった。
しかし、掴まれたままの時の精霊は動じなかった。冷淡な視線を返し、光沢ある純白のローブを乱した闇の精霊を見据え、手首を静かに掴んで剥がす。
『全てにおいて私が一番、蓮を理解している事を知らないのは愚かですね』
その声音には感情らしきものが欠片もなく、ただそれは「事実」として告げる冷たさがあった。
『……お前は一体、何を言ってるんだ?』
闇の精霊の口元がわずかに歪む。だが笑っているのか怒っているのか、判別はつかない。
『お前が失われた神に成り変わるなんて冒涜に当るんだけど?』
闇の精霊にとって、堕ちた神は自身の主君として敬うに等しくなく、何故堕ちたのかという疑問も興味がなかった。ただの結果論である。しかし、何故かその神の座に別の存在が成り変わる事はどうしても解せなかった。どうしてか、それは考えても分からなかった。
水の精霊は眉を寄せ、風の精霊は音もなく衣を揺らした。精霊界の空気そのものがひび割れるように緊張していた。
途端、時の精霊の表情がわずかに歪む。
普段は冷徹に整った美貌のまま、けれどその双眸に燃えさかるような光が宿った。
声を荒げることもない。けれど吐息に滲む熱が場を震わせ、長い銀髪が風もないのに揺れる。
『貴様らが……』
低く、しかし胸の奥を抉るような響き。
『貴様らがレンを愛さなければ……最初から、神も、私も、レンも、このようなことにはならなかった!』
そう、全ては愛が因果なのだ。
時の精霊は嘆いた。しかし時の精霊がいくら嘆いたところで、消されたレンの事を鮮明に覚えているのは、自分くらいしか居ないように思えた。
時の精霊の言葉に、他の精霊は困惑した。
いつも冷静で知を司る精霊が、激情を吐き出し取り乱したからだ。
『……愛?』
水の精霊が低く呟いた。その蒼い瞳には、ほんの僅かに動揺が走る。
風の精霊の周囲の草花が一斉にざわめき、抗うように空気を揺らした。
闇の精霊は掴んでいた手を放し、しかし無表情のまま睨みつける。
『……狂ったの?君ほどの精霊が、そんな感情に侵されるなんてさ』
静寂が落ちる。
しかし時の精霊のその瞳だけは強く光を宿したままだ。
水の精霊が、やや溜息を混じらせて口を開いた。
『……お前を庇うつもりは毛頭ない。だが、ここまで取り乱す理由があるのなら……まぁ、何か考えがあったんだろうな』
その声は宥めるというより、「認めざるを得ない」という響きだった。
風が再びさやめき、遠くで花が小さく揺れた。
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初投稿なので優しい目で見守ってくださると助かります‼️ご指摘などございましたら、気軽にコメントよろしくお願いしますm(_ _)m
温泉旅館の跡取り、死んだら呪いの沼に転生してた。スキルで温泉郷を作ったら、呪われた冷血公爵がやってきて胃袋と心を掴んで離さない
水凪しおん
BL
命を落とした温泉旅館の跡取り息子が転生したのは、人々から忌み嫌われる「呪いの沼」だった。
終わりなき孤独と絶望の中、彼に与えられたのは【万物浄化】と【源泉開発】のスキル。
自らを浄化し、極上の温泉を湧き出させた彼の前に現れたのは、呪いにより心と体を凍てつかせた冷血公爵クロード。
半信半疑で湯に浸かった公爵は、生まれて初めての「安らぎ」に衝撃を受ける。
「この温泉郷(ばしょ)ごと、君が欲しい」
孤独だった元・沼の青年アオイと、温もりを知らなかった冷血公爵クロード。
湯けむりの向こうで出会った二人が、最高の温泉郷を作り上げながら、互いの心の傷を癒やし、かけがえのない愛を見つけていく。
読む者の心まですべて解きほぐす、極上の癒やしと溺愛のファンタジーロマンス、ここに開湯。
最弱白魔導士(♂)ですが最強魔王の奥様になりました。
はやしかわともえ
BL
のんびり書いていきます。
2023.04.03
閲覧、お気に入り、栞、ありがとうございます。m(_ _)m
お待たせしています。
お待ちくださると幸いです。
2023.04.15
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
更新頻度が遅く、申し訳ないです。
今月中には完結できたらと思っています。
2023.04.17
完結しました。
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます!
すずり様にてこの物語の短編を0円配信しています。よろしければご覧下さい。
転生したが陰から推し同士の絡みを「バレず」に見たい
むいあ
BL
俺、神崎瑠衣はごく普通の社会人だ。
ただ一つ違うことがあるとすれば、腐男子だということだ。
しかし、周りに腐男子と言うことがバレないように日々隠しながら暮らしている。
今日も一日会社に行こうとした時に横からきたトラックにはねられてしまった!
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魔法使い、双子の悪魔を飼う
よんど
BL
「僕、魔法使いでよかった」
リュシーは宮廷専属の優秀な魔法使い。
人が寄りつけない程強い自身の力のせいで常に孤独なリュシーは、ある日何気なく街を歩いていた際に闇商人の話を聞いてしまう。貴重で価値ある''モノ''を高値で買い取る悪趣味な会が近くであるらしく気になったリュシーは其処で不思議な双子と出逢いを果たす。
本の見よう見まねで無償の愛を与え続けるリュシーに育てられた双子はいつしか胸の内に何とも言えない感情を抱く様になり...
独りぼっちだった魔法使いが出逢いを通して彼等と関係を紡いでいき幸せを知る微闇要素有りのBLファンタジー。
(※) 過激描写のある話に付けています。
*** 攻め視点
※不定期更新です。
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※何でもOKな方のみ拝読お願いします。
扉絵
YOHJI@yohji_fanart様
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