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第三章 天使とディーバの取引明細
30.本を買いに出かけたら知り合いをみつけました。
しおりを挟む駅前の書店で本を買う。
今夜は外食で済ませるようにと母から言付けられ、食事代をもらっていた。ファミレスでドリアとサラダのセットを注文して、簡素な夕食を終えてから、ついでに参考書を見繕いにきたのだ。
敷地面積も広く、市内外から客を集めるほどの大型店舗だからか、店内にはネクタイを締めたサラリーマンのほかに学生服や私服姿の少年少女も見受けられた。
夏休みがはじまって間もない八月の、金曜の夜のことだった。
学習参考書コーナーをうろちょろと歩きまわっていた。
品揃え豊富な店舗だ。教材が壁面の書棚を埋めるようにところせましと並べられている。
目当ては微分積分を重点的に出題している問題集と、受験勉強に特化した長文英語の読解教材。
店頭ではさほど迷うこともなく、いくつかの候補を見つけることができた。僕のように塾に通っておらず、自力で学習カリキュラムを立てなければいけない生徒にとっては、先人の知恵が記された書物は心強い味方である。
参考書にもジンクスが存在する。
あの問題集を紐解いて難関大学に合格しましただとか、こちらは某有名私塾の人気講師お墨つきの名著であるとか、模試で良い結果を残すためにはこの本を読めだとか
。
半分ほどは眉唾なのだろうが、大学受験をひかえた学生たちの間で受け継がれる与太話として、聞くぶんには面白い。
ちなみに僕は「問題集のわかりやすさを左右するのは、ある程度は字の大きさや紙面構成によるものなので、自分が読みやすいと感じた本を買いなさい」と、黒板を背に言い放った講師の言を信頼している。
身も蓋もない助言ではあるが、なかなかどうして、真理をついているのではないだろうか。
一冊、抜き出す。書棚より発掘したのは、章啓社から出版されていた数学の問題集だ。目次と本文に目をとおし、ふむふむと読みふける。
紙面構成も簡潔で、出題難易度もこれならば無難だろう。ほかにもいくらか棚を物色し、比較検討を終える。帰りしな、文庫とコミックコーナーの新刊をぶらりと冷やかして、レジカウンターの列に並ぶ。
と、出入口付近に立つ女性が目についた。
視線を奪われたというほうがより正確だ。
美女がいた。それはうつくしいひとが店頭の自動ドアを抜けていったのだ。これがただの美女ではない。日本人離れした派手な目鼻立ちに、局部的に豊かな肉づきと、しなやかなくびれのコントラスト。
あえて仰々しく表現するならば、枕詞として「絶世の」や「妖艶な」がつくであろう女性だ。
顔を赤らめた男性に無理やり腕を引かれて、夜の街へと連れ出されていったのだ。
彼女の顔には見覚えがあった。
前方の客が消え、つづけてレジカウンターに呼ばれる。ほがらかに笑いかけてくる書店員のお兄さんを目前にして。
「いきなりすみません。家に財布、忘れました。この本取り置きお願いします!」
早口で押し切った。お兄さんが快諾してくれたのが救いだった。
あたりは歓楽街である。
ここは伊奈羽市内では唯一新幹線が停車するターミナル駅の近郊だ。野外に飛び出ると、堅牢な書棚がぞろりと立ち並ぶ書物の森を抜けた先とは、とても思えないような光景が広がっていた。
目に飛び込んでくるのは、ビルの合間を縫うように埋める、うるさいほどの文字表記だ。
電光掲示板に、居酒屋の看板に、道路標識に、街中では誰かが選んだ無数の名前がぽっかりと浮かんでいる。都会の街角を彩る彼らは、月よりも星よりもはるかに主張が激しい。が、群衆は一瞥もせずただ道を行く。
靴音を鳴らして駆けていく大学生たち、うつろに語らうスーツの男たち、軽薄な客引きをするキャッチー。
蛍光色のネオンサインが明滅して、窓明かりと水銀灯がきらびやかに闇を照らす。
目的を思い出す。
――ひとを探している。人波に消えたはずの誰かを。
信号機の点滅する先を見れば、駅ビル地下街へと降りる出入口付近に、うしろ姿を見つけた。
街明かりを受けてまるでコマーシャル映像のように艶めく、ぬばたまの黒髪。
今夜はまったく運がいい。見失ってしまえば諦めもつくというのに、尾行を試みてしまう。横断歩道を渡ろうと慌てて駆け出した。
標的は、男女二人組である。地下街に降りていく二人から距離をとりつつ接近する。聞き耳を立てるに、いくつかの単語がかろうじて拾える。
「飲みっぷり」「いい店」「映える」「マスター」「穴場」……断片的な会話内容から判断するに、男性が女性を酒場に誘っているようだった。
男は赤く火照った頬を隠すこともなく、千鳥足をひきずりながら浮き足立った言葉を並べ立てる。対して、女性は控えめにはにかむばかり。
悩ましい場面ではあった。いきなり割って入るほど勇猛果敢ではない。かといって、見過ごせるほど薄情でもない。
二の足を踏んだまま見守りつづけるのは気が重かった。
ターミナル駅の中心部に向かう人波に逆らって地下街を歩く二人は、飲食店が軒を連ねるとおりを掻き分けるように進んでいく。
お好み焼き屋の角を曲がって、商業ビルにつづく連絡通路にさしかかった。ビルの地下には薄暗い駐車場がひろがっている。
ここまできて、尾行を断念すべきか悩む。
人を呼ぶにはすでに遅い。
アルコールにまかせて判断力が鈍っているとみても、こちらは非力な未成年がひとりなのだ。
尾行対象となる二人は、白い乗用車の前で立ち止まった。
物陰から様子をうかがうと、男が女性の首筋に顔を埋めようとしている。まずい。手をこまねいているから、刻一刻を争う事態に置いていかれるのだ。
――ええい、ままよ。
焦燥にまかせて飛び出す。あとさきなど考えてはいなかった。
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