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第二章 リモナイト密室盗難事件
22.リモナイト
しおりを挟む放課後の美術室には顔を見せないことにした。
鍵当番は真木に託して、画材屋へむかう。シルバーホワイトの絵具がきれかけていたのだ。ついでにスケッチブックと鉛筆とノートも補充しておこうと思いたち、文具コーナーで新商品の試し書きをしていたら、夏織が愛用している練り消しが再入荷していた。
まえに、彼女といっしょに画材屋へきたときは、在庫切れだったはず。
通学鞄からスマホをとりだし、LINEを起動して、ふと手をとめる。
だめだ。いまは、夏織と喧嘩中だ。明日の放課後には美術室に戻らなければいけない。けど、さすがにまだ、あきらも頭が冷えていない。
こういうときには、筆がのらない。カンバスにむかうためにも時間をおくべきだ。
気晴らしに美術書コーナーでものぞこう。町に唯一の小さな画材屋でありながら、店主の趣味がよく、古書も新刊も充実している。あきらが本棚から『ゴッホとゴーギャン 友情の研究』と題された一冊を抜きだすと、背後から足音が近づいてきた。
……背中越しに無言で威圧されていた。振りむくと、しわくちゃの顔に分厚いレンズの丸眼鏡をかけた老紳士が立っている。
画材屋の名物店主だ。レジでの会計時にはおせわになっている。立ち読みを咎めにきたのだろうか、と内心では焦りながら会釈をしておく、と。
「ゴーギャンのファンかね?」
話しかけられた。
レジカウンターの奥にいるときは、寡黙で気むずかしそうな印象だったけど。じつは話好きなのかもしれない。
「え、いえ。……ゴッホのことが知りたくて」
「ほぉ? どのあたりから?」
思わず口走ってから、しまったと後悔する。
説明をしようにも、厄介な問題が待っているから。
フィンセント・ファン・ゴッホ。一八五三年オランダ生まれの画家。西洋美術史においてはポスト印象派の画家だと紹介される。同時代、パリの画壇で活躍したクロード・モネらの影響を受けながらも、独自の表現を模索し、色彩への探求を重ねた巨匠。
彼のことならひととおりは知っている。ネットも本も映画もみた。
「ゴッホのこと、知ろうとしたことはあるんです。ただ、私は……」
「君は?」
「賛同できなくて」
ほぉ。と、また店主が興味深げに催促する。
そうなのだ。ゴッホについて「悲劇に落ちた執念の画家」「神経質で情熱的な狂人」と語る意見には賛同できなかった。だから、あきら自身の見解は、光梨とネモ以外には話したことがない。それを画材屋の店主にいきなり明かすのは、やはり気恥ずかしい。
とはいえ、口にだしてみることで、整理にもなるだろう。
「悲劇の画家。狂気にのまれた炎の芸術家。かつてそう、語り継がれてきたのは知ってます。けど、知れば知るほど、私にはゴッホが清貧で思慮深く、理知的な画家にみえてくる。聖書を咀嚼して、エミール・ゾラを愛読し、弟にむけてたくさんの手紙を残して――それでなお、絵でなにかを伝えようとしたひとだから」
都会の街まで足をはこび、彼の絵を克明に瞳に焼きつけるほど、確信は増した。きっと、どの絵画も偶然の産物などではない。
すべて考え抜いたうえで描かれたのではないか、と思えるのだ。
「おや。お嬢さん、さては通じゃな?」
「……最低限知ってるだけです」
「だが君は、絵をただの絵として見過ごさない。窓として、向こうを覗きこもうとする。それができる子なんじゃないかね」
画材屋の店主の、まるで冬の木立のような節くれだった指先が、書棚に触れる。
「窓をもつのは良いことだ。点ではなく線を、線だけでなく面を、面と面があわさった形を、画家はとらえて描きだす。だからまあ……窓はひとつでなく、複数もちなさいな」
「複数の窓、ですか?」
「時代の荒波に揉まれた画家だって、その時代にただひとりであるはずなかろうよ。たくさんの相互作用のなか、人生から作品が切り出される。わしらは、かつてだれかが見つけた視座から世界を覗き見してみたくて、絵をみるんだよ」
あきらにむけて語りかけながら、店主は書棚から冊子を抜きだした。専門書のような厚さはない。おおよそ四十ページほどだろうか。有料のパンフレットのようだ。
「ほれ。長話につきあってくれた礼にこれをやろう」
表紙に付されたタイトルは『日本画の画材』。
どきり、と心臓が跳ねる。螺科未鳴の初期作品は日本画が多い。高校生には敷居の高い画材で、手をだす勇気はもてなかった。けど、憧れはある。
「きみが手にとる画材もまた窓。これは日本画の冊子じゃがな、ようまとまっとる。洋画も日本画も顔料から絵具をつくるのは変わらんよ」
手渡された冊子を受けとる。絵具の材料になる顔料について、初心者向けにこと細かに紹介されているようだ。ためしに、黄の絵具のページをめくってみると――。
* * *
●リモナイト(褐鉄鉱) 天然の鉱物資源。石英族の鉱物の内部にインクルージョンとして混入する物質の一種でもあり、古くから黄土色の顔料として用いられてきた。
* * *
ハッとする。頭の隅では稲妻のような閃光がはじけていた。
……探していた答えが、こんなところにあった。
「あの、ありがとうございます。またきます!」
画材屋を飛び出して、あきらが向かう先は――。ひとまず今夜は自宅待機だ。
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