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第一章~剛
新婚旅行
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揉めていたのは新婚旅行の行き先についてだった。
ドレッサーの前に座る明日香がお風呂上がりに髪を乾かし終わったのを見て、真守剛は彼女の背後から鏡越しに話しかけた。
「あのさ。新婚旅行先は明日香が行きたいところならどこでもいい、とは言ったけど、やっぱり今の時期にヨーロッパへ行くのはちょっと危険過ぎないかな。しかもフランスだろ。立て続けにテロが起こっているし」
「何を言っているの。前にも説明したでしょ。行くのはフランスじゃなくてモ・ナ・コ」
「ああ、そうだった。でもさ。モナコに行く直通の国際便って無いんだろ。行くならドイツやフランスを経由して、一旦乗り換えないといけなかったよね。どちらも今は渡航注意の国だし」
「だったらフィンランドとかポーランド経由もあるよ。その二カ国なら渡航注意レベルは低いし。なんなら時間はかかるけどドバイ経由にする? そこからだってニース空港までの便は出ているから。だけどモナコに着いてしまえば、何かあっても国境がすぐに閉鎖できるから治安もいいし、大丈夫。テロの心配なんて必要ないから」
髪を解きながら話す彼女に、軽くあしらわれる。しかしこれくらいは想定済みだ。諦めずに話を次の段階に移した。
「いや、モナコは安全でも、そのニース自体が危なくないかな。以前、花火見物をしている群衆にトラックが突っ込んで、三〇〇人近い死傷者が出ただろ。これからも起きないとは言い切れないし」
「何を言っているの。ニースだって空港に着いたらすぐにホテルからの送迎車か、ヘリに乗って移動するだけよ。テロがあったニースの海岸通りなんか通らないわ。車でも山道を通るはずだから」
「へ、ヘリ?」
「そうよ。ニースからは電車でも行けるけれど、モナコの五つ星ホテルの宿泊を予約すれば、空港までの送り迎えは車かヘリかを選べるらしいの。どっちにする? ヘリだとニースからモナコまで、美しい地中海と断崖の山沿いに建つ家やホテルが立ち並ぶ、素晴らしい景色が見られるわよ」
勘弁して欲しい。ただでさえジャンボジェットに乗ることすら怖いというのに、小型ヘリで飛ばれた日には、目も当てられないことになるだろう。
「い、いや、それなら車が良いんじゃないかな。あ、あれだろ。グレース・ケリーも車が好きだった、って言っていたよね。彼女が良く走ったと言われる道も通るかもしれないだろう?」
「そうね! 通るかも。でも彼女はそのドライブ中に事故を起こして亡くなったのだからちょっと複雑だわ。ホテルの人に頼めば、事故現場に花を添えたりできるのかしら。今度確認しておくわ」
グレースの名が出ただけで声のトーンが変わる。彼女がこの世で最も敬愛しているグレース・ケリーは、アカデミー賞も獲ったハリウッド女優からモナコ公妃となった、いわゆるシンデレラストーリーを実際に歩んだ人物だ。
その偉大な女性は一九八二年に五十二歳の若さで亡くなっている。南フランスの別荘からモナコに帰る途中の山道で、自らが運転する車の操作を誤ったらしく崖下へと転落したからだ。
「そ、そんなに慌てなくていいよ。入籍も済ませて結婚式も終わったけど、新婚旅行は時期をずらして行こうって話になったのだから。日程や泊まるホテルが決まってからでもいいじゃないか」
式は先週の六月三日に挙げたところだ。その後にそのまま新婚旅行へ行っても良かったのだが、仕事の都合で先延ばしになっている。この時期に彼女の職場では多くの案件が持ち上がり、とても忙しくなったからだ。
そんな時に長期休暇を取得するのは気が引けると言い出し、旅行については日を改めることになった。そのため行き先は決まっているが、休みを取る時期についてはこれから相談しよう、という段階だった。
「そうね。じゃあ事故現場に花が添えられるのなら、ニースについてからは車で、帰りはヘリにした方が良いかな」
話は終わったとばかりに、鏡を見ながら今度は顔の手入れをしている。いやいや、そうじゃない。剛は話を戻す。
「やっぱりモナコじゃないと駄目かな? 国内はまだ安全だと思うけど。国内と言っても今は高級な列車の旅だってあるし、国外に行くにしても旅客船による高級クルーズだってある。それだったらヨーロッパの空港を通るよりはずっと安全だから。そうだ、高級クルーズなんてなかなか行く機会が無いからどうだろう」
延期になっていることを利用し、新婚旅行先はモナコ以外の選択肢もあるだろう、という提案をこれまで何度も行ってきた。しかしそう仄めかす度に、返ってくる言葉は全て同じだ。今回も彼女は鏡越しに剛を睨みつけた。
「新婚旅行は私の行きたい場所でいいから、と言ったじゃない。どんなに私がグレースやモナコに憧れ、好きなのかもちゃんと説明したでしょ。旅行先はモナコしか考えられません!」
これ以上言うと喧嘩になる。その反発が凄まじいことはこれまでにも経験済みだ。
「ああ、ごめん、判った。テロのニュースが頻繁に流れてくるから、ちょっと不安になって言ってみただけだよ。ごめん、ごめん」
この件に関しては一旦撤退せざるを得なかった。以前の結婚生活のように決して揉めるわけにはいかない。そこで寝室を離れてリビングへと移動しソファに坐りテレビを点ける。
ニュースが放送されていたため、意識をそちらに集中させた。こうなると冷却期間を置いて再挑戦するしかない。期限までまだ時間はある。それだけが僅かな希望だった。
七つ年下の彼女は、現在も剛と同じ損害保険会社の営業二課に勤めている。剛は同じ自社ビル内にある自動車損害課所属だ。
昨年のクリスマスイブに決行したプロポーズが受け入れられ、二人の結婚は決まった。話はトントン拍子に進み、年明けには早速お互いの両親と顔を合わせ、両家での会食を伴った簡単な婚約も済ませた。
そこで二人が事前に話し合い、入籍は五月生まれの彼女が三十歳になる前の、必ず休みになる四月二十九日、祝日である昭和の日にした。結婚してからも記念日にお祝いができるよう、必ず休みになる日を選んだからだ。
そして剛が三十七歳になる誕生日の六月三日が土曜日で、先勝と日も悪くないことが判り、ジューンブライドにもなるからと式の日取りを決めた。午前中に式を挙げ、少し早めのランチを取りながらの披露宴を行うことにしたのだ。
社内結婚であり、式は職場の人達を多く招かざるを得なかったこともあって小規模にした。派手にすることを避けたのは、剛が二回目の結婚だったこともあるがそれだけではない。彼女の実家である早乙女は、名古屋でも有名な名家で何代も続く企業を経営している。
その為二年前に催された、将来の跡継ぎとなる彼女の兄の結婚式は、会社や取引先、付き合いのある地元の政治家等といった関係者を中心に、二百名近くの人達を招いての大規模なものだったという。
当然その場に出席していた彼女は、とてもつまらなかったそうだ。周りの出席者も表向きは祝っている様子を見せてはいたが、義理で招かれた人達も多かったからか、楽しんでいる人はほぼ皆無だったらしい。
だからこそ彼女は同じようになることを嫌がり、あえてこぢんまりとしたアットホームなものにしたいと主張したのだ。そして皆が楽しめる趣向を凝らしたいという彼女の意見と剛の意向が一致した。
仲人は立てなかった。代わりに主賓として二人が働いている名古屋支店の支店長を招き、剛の所属する損害課からは厳選して九名、彼女の所属先からは十名、さらに営業一課の課長と剛の同期の課長代理を含め、会社関係者だけで二十二名を呼んだ。
その他はそれぞれの同級生や友人が九名ずつ、身内からは剛の両親と妹夫婦とその子供で五名、彼女の祖母と両親と兄夫婦の五名、総勢五十名というそれほど豪華ではない、比較的簡素なレストランウエディングにした。
困ったのは、友人の招待客を九名に絞ったことでお互い誰を呼ぶかで大いに悩んだことだ。実家が岐阜で、中学高校をこの名古屋で過ごした剛でさえ第一段階で二十名に絞り、なんとか最終の九名を選び出した。まして彼女は地元の小中高一貫の有名女子校に通っており、幼い頃から大学を含めて名古屋を出たことがない。
よって古くからの友人が大勢いたため、もっと大変だったと思う。聞くと年賀状のやり取りなどから、ざっと上げただけでも五十名近くなったそうだ。その友人リストを眺め、云々と悩んでいた彼女の後ろ姿を観ていた剛は、日名子という名にひと際大きな×をつけていたことが何故か印象に残っていた。削った人の中の御坂と言う名が気になったため、一度尋ねたこともある。
御坂とは早乙女家ほど歴史はないが、この名古屋でいくつかの病院を経営している有名企業の代表者の名だ。仕事上、剛は事故で怪我をした被害者がいる様々な病院を訪ねる機会があった。そこで同じ関係者かを確認したところ、そうだと言う。そこまで交流範囲が広いのかと驚いたものだ。
苦労した甲斐あって式は大成功だった。出席した人達は大いに盛り上がり、とても楽しかったと後で聞かされた時には、二人で抱き合って小躍りしたほどだ。もちろん剛の同期で一課の課長代理の手塚や、彼女の部署にいる若手の本坂達が協力してくれたおかげもあった。
今二人は剛が名古屋に赴任してから入居した、会社借り上げのマンションで暮らしている。正確に言えば入籍前の二月からこの部屋で同棲していた。結婚することは決まっていたし、それなら早く暮らしたいと彼女が言いだしたからだ。これもまた二人で話し合った結果だった。
役職による会社の規定で、元々一人で住むには広過ぎる二LDKの部屋をあてがわれていたおかげで、改めて新居を探す手間が省けたことは幸いだった。彼女と一緒に生活することで荷物は増えたが、全く支障が無かった。あまり物欲のない剛は、独身時代から荷物が少なかったからだ。今まで一人で使っていたシングルベッドをダブルに変え、彼女のドレッサーを運び込んでもまだ余裕があった。
そうして始まった二人の暮らしは、お互いプライベートでは名前を呼び捨てで呼びあうようになり、親密度が更に高まるばかりで、生活習慣が違うからと揉めることはなかった。順調な同棲生活から始まり、入籍後の結婚生活も今のところ特に問題はない。
入籍前から気を使い、我慢してきたわけではなかった。それどころか、以前のような失敗を繰り返したくなかった剛は、無意識のうちに譲れない部分がどの程度あるか、それは譲歩するのか受け入れるのか、はたまた主張するべきかを模索していたほどだ。
それは彼女も同じだったと思う。交際期間中には気づかなかった、相手の嫌な部分、合わない部分があるのではないかと探っていたように感じた。そのことを理解した上で、剛は自分を隠すことなく自然体に生活することで自分をさらけ出し、そして彼女もそうあるよう促した。
その結果、生活する上で多少の微調整はあったものの、互いのリズムを狂わすようなズレは全くと言っていいほど生じなかったのだ。また一緒にいても沈黙が怖いと感じることなく、居心地のいい時間を過ごせた点も大きい。
剛はどちらかというと私生活では寡黙な方だ。そして彼女もそれなりに雑談はするがお喋り好きではなく、必要以上の会話はしない。相性が合うとはこのことなのだと改めて納得させられた。
これは当たり前のようでいて実は奇跡だと思う。結婚すると言っても所詮は他人だ。全く違う環境で三十年余り生活してきた人間同士であり、生活習慣が違って当然だからだ。
しかしそんな剛を唯一悩ませたことがある。それが彼女の強い一念から、新婚旅行の行き先は必ずモナコ、と決めていた点だった。
ドレッサーの前に座る明日香がお風呂上がりに髪を乾かし終わったのを見て、真守剛は彼女の背後から鏡越しに話しかけた。
「あのさ。新婚旅行先は明日香が行きたいところならどこでもいい、とは言ったけど、やっぱり今の時期にヨーロッパへ行くのはちょっと危険過ぎないかな。しかもフランスだろ。立て続けにテロが起こっているし」
「何を言っているの。前にも説明したでしょ。行くのはフランスじゃなくてモ・ナ・コ」
「ああ、そうだった。でもさ。モナコに行く直通の国際便って無いんだろ。行くならドイツやフランスを経由して、一旦乗り換えないといけなかったよね。どちらも今は渡航注意の国だし」
「だったらフィンランドとかポーランド経由もあるよ。その二カ国なら渡航注意レベルは低いし。なんなら時間はかかるけどドバイ経由にする? そこからだってニース空港までの便は出ているから。だけどモナコに着いてしまえば、何かあっても国境がすぐに閉鎖できるから治安もいいし、大丈夫。テロの心配なんて必要ないから」
髪を解きながら話す彼女に、軽くあしらわれる。しかしこれくらいは想定済みだ。諦めずに話を次の段階に移した。
「いや、モナコは安全でも、そのニース自体が危なくないかな。以前、花火見物をしている群衆にトラックが突っ込んで、三〇〇人近い死傷者が出ただろ。これからも起きないとは言い切れないし」
「何を言っているの。ニースだって空港に着いたらすぐにホテルからの送迎車か、ヘリに乗って移動するだけよ。テロがあったニースの海岸通りなんか通らないわ。車でも山道を通るはずだから」
「へ、ヘリ?」
「そうよ。ニースからは電車でも行けるけれど、モナコの五つ星ホテルの宿泊を予約すれば、空港までの送り迎えは車かヘリかを選べるらしいの。どっちにする? ヘリだとニースからモナコまで、美しい地中海と断崖の山沿いに建つ家やホテルが立ち並ぶ、素晴らしい景色が見られるわよ」
勘弁して欲しい。ただでさえジャンボジェットに乗ることすら怖いというのに、小型ヘリで飛ばれた日には、目も当てられないことになるだろう。
「い、いや、それなら車が良いんじゃないかな。あ、あれだろ。グレース・ケリーも車が好きだった、って言っていたよね。彼女が良く走ったと言われる道も通るかもしれないだろう?」
「そうね! 通るかも。でも彼女はそのドライブ中に事故を起こして亡くなったのだからちょっと複雑だわ。ホテルの人に頼めば、事故現場に花を添えたりできるのかしら。今度確認しておくわ」
グレースの名が出ただけで声のトーンが変わる。彼女がこの世で最も敬愛しているグレース・ケリーは、アカデミー賞も獲ったハリウッド女優からモナコ公妃となった、いわゆるシンデレラストーリーを実際に歩んだ人物だ。
その偉大な女性は一九八二年に五十二歳の若さで亡くなっている。南フランスの別荘からモナコに帰る途中の山道で、自らが運転する車の操作を誤ったらしく崖下へと転落したからだ。
「そ、そんなに慌てなくていいよ。入籍も済ませて結婚式も終わったけど、新婚旅行は時期をずらして行こうって話になったのだから。日程や泊まるホテルが決まってからでもいいじゃないか」
式は先週の六月三日に挙げたところだ。その後にそのまま新婚旅行へ行っても良かったのだが、仕事の都合で先延ばしになっている。この時期に彼女の職場では多くの案件が持ち上がり、とても忙しくなったからだ。
そんな時に長期休暇を取得するのは気が引けると言い出し、旅行については日を改めることになった。そのため行き先は決まっているが、休みを取る時期についてはこれから相談しよう、という段階だった。
「そうね。じゃあ事故現場に花が添えられるのなら、ニースについてからは車で、帰りはヘリにした方が良いかな」
話は終わったとばかりに、鏡を見ながら今度は顔の手入れをしている。いやいや、そうじゃない。剛は話を戻す。
「やっぱりモナコじゃないと駄目かな? 国内はまだ安全だと思うけど。国内と言っても今は高級な列車の旅だってあるし、国外に行くにしても旅客船による高級クルーズだってある。それだったらヨーロッパの空港を通るよりはずっと安全だから。そうだ、高級クルーズなんてなかなか行く機会が無いからどうだろう」
延期になっていることを利用し、新婚旅行先はモナコ以外の選択肢もあるだろう、という提案をこれまで何度も行ってきた。しかしそう仄めかす度に、返ってくる言葉は全て同じだ。今回も彼女は鏡越しに剛を睨みつけた。
「新婚旅行は私の行きたい場所でいいから、と言ったじゃない。どんなに私がグレースやモナコに憧れ、好きなのかもちゃんと説明したでしょ。旅行先はモナコしか考えられません!」
これ以上言うと喧嘩になる。その反発が凄まじいことはこれまでにも経験済みだ。
「ああ、ごめん、判った。テロのニュースが頻繁に流れてくるから、ちょっと不安になって言ってみただけだよ。ごめん、ごめん」
この件に関しては一旦撤退せざるを得なかった。以前の結婚生活のように決して揉めるわけにはいかない。そこで寝室を離れてリビングへと移動しソファに坐りテレビを点ける。
ニュースが放送されていたため、意識をそちらに集中させた。こうなると冷却期間を置いて再挑戦するしかない。期限までまだ時間はある。それだけが僅かな希望だった。
七つ年下の彼女は、現在も剛と同じ損害保険会社の営業二課に勤めている。剛は同じ自社ビル内にある自動車損害課所属だ。
昨年のクリスマスイブに決行したプロポーズが受け入れられ、二人の結婚は決まった。話はトントン拍子に進み、年明けには早速お互いの両親と顔を合わせ、両家での会食を伴った簡単な婚約も済ませた。
そこで二人が事前に話し合い、入籍は五月生まれの彼女が三十歳になる前の、必ず休みになる四月二十九日、祝日である昭和の日にした。結婚してからも記念日にお祝いができるよう、必ず休みになる日を選んだからだ。
そして剛が三十七歳になる誕生日の六月三日が土曜日で、先勝と日も悪くないことが判り、ジューンブライドにもなるからと式の日取りを決めた。午前中に式を挙げ、少し早めのランチを取りながらの披露宴を行うことにしたのだ。
社内結婚であり、式は職場の人達を多く招かざるを得なかったこともあって小規模にした。派手にすることを避けたのは、剛が二回目の結婚だったこともあるがそれだけではない。彼女の実家である早乙女は、名古屋でも有名な名家で何代も続く企業を経営している。
その為二年前に催された、将来の跡継ぎとなる彼女の兄の結婚式は、会社や取引先、付き合いのある地元の政治家等といった関係者を中心に、二百名近くの人達を招いての大規模なものだったという。
当然その場に出席していた彼女は、とてもつまらなかったそうだ。周りの出席者も表向きは祝っている様子を見せてはいたが、義理で招かれた人達も多かったからか、楽しんでいる人はほぼ皆無だったらしい。
だからこそ彼女は同じようになることを嫌がり、あえてこぢんまりとしたアットホームなものにしたいと主張したのだ。そして皆が楽しめる趣向を凝らしたいという彼女の意見と剛の意向が一致した。
仲人は立てなかった。代わりに主賓として二人が働いている名古屋支店の支店長を招き、剛の所属する損害課からは厳選して九名、彼女の所属先からは十名、さらに営業一課の課長と剛の同期の課長代理を含め、会社関係者だけで二十二名を呼んだ。
その他はそれぞれの同級生や友人が九名ずつ、身内からは剛の両親と妹夫婦とその子供で五名、彼女の祖母と両親と兄夫婦の五名、総勢五十名というそれほど豪華ではない、比較的簡素なレストランウエディングにした。
困ったのは、友人の招待客を九名に絞ったことでお互い誰を呼ぶかで大いに悩んだことだ。実家が岐阜で、中学高校をこの名古屋で過ごした剛でさえ第一段階で二十名に絞り、なんとか最終の九名を選び出した。まして彼女は地元の小中高一貫の有名女子校に通っており、幼い頃から大学を含めて名古屋を出たことがない。
よって古くからの友人が大勢いたため、もっと大変だったと思う。聞くと年賀状のやり取りなどから、ざっと上げただけでも五十名近くなったそうだ。その友人リストを眺め、云々と悩んでいた彼女の後ろ姿を観ていた剛は、日名子という名にひと際大きな×をつけていたことが何故か印象に残っていた。削った人の中の御坂と言う名が気になったため、一度尋ねたこともある。
御坂とは早乙女家ほど歴史はないが、この名古屋でいくつかの病院を経営している有名企業の代表者の名だ。仕事上、剛は事故で怪我をした被害者がいる様々な病院を訪ねる機会があった。そこで同じ関係者かを確認したところ、そうだと言う。そこまで交流範囲が広いのかと驚いたものだ。
苦労した甲斐あって式は大成功だった。出席した人達は大いに盛り上がり、とても楽しかったと後で聞かされた時には、二人で抱き合って小躍りしたほどだ。もちろん剛の同期で一課の課長代理の手塚や、彼女の部署にいる若手の本坂達が協力してくれたおかげもあった。
今二人は剛が名古屋に赴任してから入居した、会社借り上げのマンションで暮らしている。正確に言えば入籍前の二月からこの部屋で同棲していた。結婚することは決まっていたし、それなら早く暮らしたいと彼女が言いだしたからだ。これもまた二人で話し合った結果だった。
役職による会社の規定で、元々一人で住むには広過ぎる二LDKの部屋をあてがわれていたおかげで、改めて新居を探す手間が省けたことは幸いだった。彼女と一緒に生活することで荷物は増えたが、全く支障が無かった。あまり物欲のない剛は、独身時代から荷物が少なかったからだ。今まで一人で使っていたシングルベッドをダブルに変え、彼女のドレッサーを運び込んでもまだ余裕があった。
そうして始まった二人の暮らしは、お互いプライベートでは名前を呼び捨てで呼びあうようになり、親密度が更に高まるばかりで、生活習慣が違うからと揉めることはなかった。順調な同棲生活から始まり、入籍後の結婚生活も今のところ特に問題はない。
入籍前から気を使い、我慢してきたわけではなかった。それどころか、以前のような失敗を繰り返したくなかった剛は、無意識のうちに譲れない部分がどの程度あるか、それは譲歩するのか受け入れるのか、はたまた主張するべきかを模索していたほどだ。
それは彼女も同じだったと思う。交際期間中には気づかなかった、相手の嫌な部分、合わない部分があるのではないかと探っていたように感じた。そのことを理解した上で、剛は自分を隠すことなく自然体に生活することで自分をさらけ出し、そして彼女もそうあるよう促した。
その結果、生活する上で多少の微調整はあったものの、互いのリズムを狂わすようなズレは全くと言っていいほど生じなかったのだ。また一緒にいても沈黙が怖いと感じることなく、居心地のいい時間を過ごせた点も大きい。
剛はどちらかというと私生活では寡黙な方だ。そして彼女もそれなりに雑談はするがお喋り好きではなく、必要以上の会話はしない。相性が合うとはこのことなのだと改めて納得させられた。
これは当たり前のようでいて実は奇跡だと思う。結婚すると言っても所詮は他人だ。全く違う環境で三十年余り生活してきた人間同士であり、生活習慣が違って当然だからだ。
しかしそんな剛を唯一悩ませたことがある。それが彼女の強い一念から、新婚旅行の行き先は必ずモナコ、と決めていた点だった。
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