私をモナコに連れてって

しまおか

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第十五章~明日香と剛

決着

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 明日香はぼんやりしながらも、仕事をこなしている内にもう夕方の五時を過ぎていたことに気付く。先月からベテランの後任が来てくれたおかげで引き継ぎも順調に進み、やるべき仕事も徐々に少なくなってきた。
 今日を過ぎればこの会社で働くのも営業日数で残り八日だ。そのため今週一杯は忙しい月初めの書類チエックを過ぎれば一息つける。後は退職の手続きに関する書類などに必要事項を記載する残務処理と、他の事務職の手伝いをしていれば良い。仕事の移行に関しては今のところ特に問題はなさそうだ。
 そこへ席をはずしていた本坂が自分の席に座った後、明日香の方へと椅子を近づけながら小声で話しかけてきた。何やら興奮している様子だったため、一旦仕事を中断させて場所を移そうと会議室に入って話を聞くことにした。
 明日香が部屋に入り、ソファに腰をかけながら尋ねる。
「どうしたの? 何があったの? ちょっと落ち着きなさい」
 顔を赤くしたままでいる彼を宥めながら席に座るよう促すと、身を乗り出して小声だが早口で喋り出した。
「早乙女さん。大丈夫ですよ。安心して下さい。さすがですね。僕は真守さんのことを惚れ直しました」
「だから、どうしたの? 何があったの?」
「聞いて下さい。いえ、すみません。ちょっと先走って勝手なことをしてしまいました。先に謝っておきます。申し訳ありません」
「まず、何をしたのかを言いなさい」
「実はついさっき、真守さんに会いに行ったら丁度廊下へ出て来られていたので、話しかけたんです」
「だから何を?」
 そこで彼は架空の話として昔レイプにあった被害者が自分の女友達でいる、という設定で剛に質問した経緯を説明した。それを聞いて思わず絶句する。彼に過去のトラウマについては説明していない。しかしお昼の時は、何か気付いているかのような口振りに驚いた。
 だが一体何故そう思ったのかを疑問に思うと同時に、どうして剛に対してそんな質問をぶつけたのか、という怒りが最初は湧いた。しかし彼の話を聞くにつれて、剛があっさりと当たり前の事のように答えたと言う内容を説明された時には、思わず目を滲ませた。 
 特に相手を本当に好きならそれを受け入れてこそ男だ、男が女と一緒になるというのは全てを受け入れる覚悟を持たないと、と即答した言葉に心打たれたのだ。
 同時に自分を恥じた。彼の事を信じて過去のことを口にしてこなかったが、彼なら自分を守ってくれて、一生信頼できる唯一無二の存在だと思ったからこそ、結婚することを承諾したはずだった。
 そんなことも忘れて、何か秘密を抱えているというだけで疑心暗鬼になり、自分のことは棚に上げて彼のことを疑い出していたのだ。明日香が何も言えないでいる様子を見て、本坂はまだ興奮を抑えられない様子で語った。
「早乙女さん、真守さんを信じましょう。あの人なら大丈夫です。僕が憶測した早乙女さんのトラウマは、当たらずとも遠からずのはずだと思います。今までの様子を見てきて、男性恐怖症というか男性不信の気があることには気付いていましたから」
「ど、どうして判ったの?」
「早乙女さんが僕に対してだけは、他の人と違ってとてもフラットに付き合ってくれていたからです。最初はそれが不思議でした。ただ男として見られてないだけかもと思っていました。でも違ったのですね。割と早くから僕をバイだと気付いていた、と聞いて確信したんです。ああ、これは過去に男性から性的暴力か何かを受けられた経験があり、男性とは一線を引いているのだと思ったんです」
 明日香は思わず口にする。誤解があるなら解かなければならない。
「で、でもあくまで未遂よ。幸い最悪の事態は避けられたの」
「そうだったんですか。ああ、それは良かった。だったら尚更です。真守さんなら何の問題も無く受け入れてくれるでしょうし、あの大きな体で、一生守ってくれると思いますよ」
「あ、ありがとう」
 思わず頭を下げると、彼は一仕事終えたかのように安心したのか、ソファにもたれながら呟いていた。
「ああ、羨ましいなあ。やっぱり真守さんって逞しくて男らしいです。本当に惚れ直しましたよ」
「駄目よ、惚れても。あの人はもう私の夫なのよ」
 元気を取り戻した明日香は、彼の軽口を笑いながら叱った。
「判っていますよ。だから妬いてしまいます。しかも相手が早乙女さんだから余計ですよ。僕が大好きなお二人が夫婦なのですから。人生ってなかなか上手くいかないものですね」
「そうかもね。私も今まではそう思ってきた。でも彼と出会って考えが変わったの。だからあなたも諦めなければ、いつかきっとそういう人と出会えると思うわよ。まだ若いのだから」
「そうですかね」
「そう信じることね。私だって三十まで待ったのよ。でも今の私が言うのもなんだけど、問題が一つあるとしたら自分の性癖を隠し続けていることでしょうね。あなたのことを知った上で、それを受け止めてくれる人と出会わなければ、良い関係は築けないでしょうし、幸せになれないと思う。あなたが自分のことを告白することは、私の場合よりずっとずっと大変で簡単ではないと思うし、とても勇気がいることは判っているつもりだけど」
「やっぱりそういうことですよね。今回のお二人の騒ぎを見聞きしていて、改めてそう思いました。秘密を持っていても良いものとそうでないものがあるって判りました。本質的な所というか核の部分は、勇気を振り絞ってでも相手に伝えないといけない。そうでないと何も始まらない、ということですね」
「そう思う。だから私も彼に告白してしっかりと話し合いをするわ」
「そうして下さい。何度も言いますが、真守さんは必ず受け止めてくれます。良い人を選んだと思いますよ。僕が言うのもなんですが」
「いいえ、ありがとう。私もそう思う」
「惚気てくれるなあ」
 二人で笑いながら話を終え、会議室を出た。気持ちはもうすっきりしている。今夜帰ったら、彼に昨日のことを謝って正直に話そう。彼の抱える秘密がなんだろうと、もう関係ない。彼が私の事を受け止めてさえくれればいい。そうすれば私も彼の全てを受け入れられる、と心から思えたからだ。
 自分の考えが固まったため、もう迷うことは無かった。引き続き仕事を片付けようと机に向かい、黙々と書類に目を通して行く。そんな時、彼からのメールが届いた。開いてみると、今夜、大事な話があるから会社近くの公園で待っているという。とうとう来た。そして先ほど決めたことを彼に言う機会が同時に訪れたのだ。
 しばらくメール画面を凝視している姿を見て、横にいた本坂が不思議そうに尋ねた。
「どうしました? 何かありましたか?」
 黙って彼にメール画面を見せる。すると彼は目を丸くし、その後にっこりとほほ笑んだ。
「真守さんも決断されたのだと思います。公園ってあそこですよね」
 会社の人達には秘密にしていたけれど、二人の関係が公になってから実は会社近くの公園で何度も密会していたと、周囲に白状させられている。
 だから今はあの場所の事を多くの人達が知っていた。彼もそうだ。
「そう。私も今日、勇気を出して言うから」
「判りました。頑張ってください」
 そう励まされ、メール画面に目を移し返事を打って送信し、時間を見る。この時間までに仕事を終わらせなければと改めて気合を入れ直し、目の前の書類に手を伸ばした。
 そんな二人の様子をある人物が見ていて、こっそりメール送信していることなど、明日香はこの時全く気づいていなかった。
 
        ☆
 
 時間を見るともうすぐ八時だ。今日中にやらなければいけない仕事の目処はなんとか立ちつつあった。約束の時間にも間に合いそうだ。
 そこで手塚から内線がかかってきた。しかしその内容に驚く。
「おい、これから公園に呼び出して、例の件を告白するんだって」
 小声で話す彼に、剛も小声で尋ねた。
「何でお前がそんなことを知っているんだ」
「やっぱりそうか。本坂と早乙女さんが、公園ってあそこですね、とかなんとか言っているのを聞いてピンと来たんだ。お前が呼びだしたんじゃないかってね。そうか。頑張れよ」
「あ、ああ、ありがとう。ただ頑張るも何も、正直に言うだけだ。あとは彼女がどう反応するかだからな」
「大丈夫だ。彼女を信じろ。あの子なら受け止めてくれるさ」
「ああ、そう思ってはいる。だが俺は女心って奴が判らず一度失敗しているからな。必ず上手くいくとまで期待するほど、自分に自信が持てなくてね。期待しすぎると、駄目だった時のショックがでかくなる。心のリスク管理上、受け入れられないことも覚悟しておいた方が良いって気持ちが、どこかにあるんだよ」
「リスク管理上か。ある種の職業病だな。最悪の事態を考えて行動する、計画を練るというのが保険会社に勤める社員の仕事だから判らなくもないが、これは仕事じゃない。男と女、人と人との信頼関係の話だぞ」
「判っているよ。そんな事が言いたくて、わざわざ電話してきたのか。約束の時間があるからゆっくりもできないんだ。もう切るぞ」
「判った。ところで約束は何時だ?」
「八時半だ」
「もうすぐだな。すまん、切るよ」
 彼が話し終えたことを確認して、受話器を置いた。憎まれ口を叩いてみたものの、剛達の事を案じてくれた彼の心根に感謝する。おかげで胸が温かくなった。さてもうすぐ時間だ。机上にある書類を片付け、パソコンの電源を落として帰り支度をした。そして約束の十分前、部屋を出たところで彼女に予定通り、今から行くとメールを打った。
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