それぞれの使命

しまおか

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第5章-①夏の活動―則夫

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 日中の最高気温が三十五度を上回る猛暑日が続く七月最後の土曜の夕方、辰馬と由美が揃って則夫の家に来た。リビングから移動し玄関先へ出る。
「今日はお招きを頂き有難うございます」
 そう頭を下げた由美が、買って来た手土産を、後ろについて来た未知留に手渡した。
「気を使わなくていいのに。でも有難う。どうぞ、中に入って。タッチャンもどうぞ」
「おう、ありがとうな。最近、変わりはあらへんか」
 靴を脱ぎ上がった彼にそう尋ねられた未知留は、並んで歩きながらニコッと笑い頷いた。
「うん。別に何も。夏休みに入っちゃったから、久しぶりだね」
「そうやな。でも学校には時々行っとるんやろ」
 一学期が先週で終わった為、辰馬達CMTが同行せずに良くなったから聞いたのだろう。
「そう。部活で週三回ね。だけど朝のラッシュ時じゃないから、全然大丈夫」
 未知留はそう答えたものの、則夫の開発したアプリを導入している生徒達は、CMTがいない夏休み中でもそれぞれの位置を確認し、学年が違っても同じ電車に乗っている子がいれば集まるようにしていると聞く。六月に起きた痴漢逮捕の件でCMTの活動の有効性認められ、彼女達の学校では評判が一気に広がったからだろう。
 特に被害に遭った女生徒が、どれだけ頼もしく有難かったかを熱く語ったからだという。その為まずは一年生の中で一気に拡散され、そこから上級生へと波及したらしい。よって今では、全校生徒の五割以上がアプリを導入してくれていた。
 バージョンアップさせたアプリでは、登録者同士の位置情報が画面上で分かる。その為、自分が乗った電車に登録者、今回の場合では主に同じ学校の生徒達がいるかを確認できるようになった。またCMTのような守る側は青、守られる側が赤と色分けもされている。
 今は画面上赤だけだが、それでも仲間と集まるだけで心強い為に使っているそうだ。未知留が乗っている路線以外の利用者も、学年やクラスの垣根を超えて集まっているらしい。
 そうした波及効果もあってか、学校内での雰囲気も良くなっているそうで、苛めといった問題が少なくなったとも耳にした。それが本当なら思わぬ副産物だと、辰馬は喜んでいた。
「そうか。そうやったらええわ。みんなで仲良く声を掛け合っとれば、安心やからな」
「うん。タッチャン達やお父さんのおかげだよ」
 そう言って台所にいる母親の元へ走って行き、由美に貰った手土産を見せていた。その後ろ姿を見ながら、則夫は思わず呟いた。
「俺じゃないよ。全部、タッチャンのおかげだ」
「何を言うとる。お前が苦労して、あんな便利なアプリを開発してくれたんやろうが」
 辰馬はそう褒めてくれたが、首を振った。
「それもタッチャンが未知留の悩みに耳を傾けて、痴漢から守る為にと実際動いたからだよ。それが無かったら、あのアプリの開発をここまで進められなかっただろうし、あの子が俺を見る目も変わらなかったと思う」
 すると由美に背中を軽く叩かれた。
「私は子供を産んで育てた経験がないけど、教師だった時の経験からいえば、あの年頃の子と父親の関係って難しいからね。だけど良かったじゃない。父親の威厳いげんが守られて」
「威厳なんていらないよ。でも認められたのは少だけ嬉しいかな」
 そう答え照れを隠しながらリビングに入ると、栄太と準、亨先輩がこちらを向いた。夏休みに入りCMTの活動が一段落した為、今日はその慰労と今後の活動方針を話し合う会を兼ね、則夫の家に集まっていたからだ。
 辰馬の基金に寄付をし続け、目覚めた後も彼の活動を助けてくれている人達で構成した幹部会は、こうして不定期に開かれている。
「おお、辰馬。由美もお疲れさん」
 栄太にそう声をかけられ、少し遅くなっちゃいましたね、と由美が頭を下げた。
「いや、そんなことないよ。俺達が早く着いただけだから。健吾達もまだだし」
「咲季も来るんだよね」
「そう聞いているけど」
「亨さん、いつもすみませんね。誠は元気にやっとりますか」
「ああ、元気だよ。この間もシニア連中と、車椅子テニスを楽しんでいた位だから。最近は辰馬君に負けないようにと、少しずつだが運動するようになったからね」
「そう言えば、準。辰馬の定期通院の診察で、お前は全く診てないのか」
「うん、最近は大体、竜に任せている。もうリハビリはほとんど必要なくなって安定もしているし、脳波の確認だとか一定の検査の繰り返しだからね。だけど世界が注目しているまれな患者のデータだから、海外からの色んな問い合わせといった対応は俺がやっている」
「そや。竜には世話になっとる。ええ医者やで」
「まだまだ。でもタッチャンの診察と俺の補助だけでも、十分勉強になっているとは思う」
「それはそうだよな。脳医学の中でも第一線にいるんだ。国内はもちろん、世界から注目されている研究に携われる機会なんて、そうないだろうからね」
 十人以上はゆったりと座れるソファに腰を下ろした面々が、それぞれ雑談を始めた。
「こんばんは、辰馬さん。由美さんもお疲れ様です」
 キッチンから料理を持って出て来た陽菜乃がそう挨拶すると、辰馬が応じた。
「おう、こんばんは。そっちも大学は夏休みに入ったんか」
「うん。辰馬さんもそろそろ休みでしょ」
 テーブルに皿を全て並び終え、そのまま腰を下ろした陽菜乃との会話が続いた。
「そうや、来月からな。陽菜乃ちゃんは二年やったっけ。それにしても、大学ちゅうのは色んな奴がおんな。俺みたいなじいさんも珍しいけど、引けを取らんくらい変わったのがおる。友達っちゅうほどやないけど、会うたら話かけてくる学生仲間は結構できたで」
「そうなんだ。だけど辰馬さんらしいかも。今だって昔からの友達が多いもんね」
「ああ、俺は人に恵まれとる。そうや、今年で二十歳やったやろ。酒は飲めるんか」
「誕生日は来月。だから今日はまだ飲めないの」
「ちょっとは良いだろうよ」
「こら、栄太。警察OBがそんなこと、言うたらあかん」
「ああ、すまん。でも実は、少し位は飲んだ経験があるんじゃないの」
「お父さんに叱られるから、ノーコメント」
 陽菜乃は笑顔で栄太の投げかけを拒んだ。その口調から、少しはあるなと思い苦笑した。そんな則夫も大学に入って早々、新歓コンパなどで飲まされた記憶がある。昔は今ほどうるさくなかったから、急性アルコール中毒で運ばれる学生など、そう珍しくなかったからだ。
 しかし健康や安全面を考えれば、厳しくなった今のほうが正しいし良いのかもしれない。
 そうこうする内にチャイムが鳴り、一人で迎えに出てくれた未知留に付き添われ、健吾が顔を出した。
「遅れて申し訳ない。ちょっと出かけに色々あって」
 頭を下げながらそう言ってソファに腰を下ろした彼に、由美が尋ねた。
「あれ、咲季は来なかったんですか」
「うん。来る予定だったんだけど、急に行きたくないって言いだして、それで揉めたんだ。いや、大した問題じゃないから気にしないで。よくある家庭内の、ちょっとした喧嘩だから」
 そう言われ、それ以上深く聞けずに彼女が黙った為、気を取り直そうと則夫は口を開いた。
「では全員揃った事だし、料理を食べながら始めようか。各自、グラスを持って下さい」
 皆が従い座り直し、準備した様子を見て音頭を取る。
「今年度四半期余りの活動の慰労と今後の会の発展を祈って乾杯!」
 乾杯、と口々に発声し、それぞれの飲み物で喉を潤す。その後、いつの間にか席についていた未知留が頭を下げた。
「一学期は、本当にお世話になりました。有難うございます。二学期からどうなるか分かりませんが、父の開発したアプリともども、今後も宜しくお願いします」
「立派な挨拶や。色々あったけど、未知留ちゃんの活躍もあっての活動やから。お疲れさん」
 辰馬にそう言われ、娘に次いで則夫も頭を下げた。
「そう言われると嬉しいな。本当に色々あったけど、おかげで登録者も増えたし、アプリの課題や改善点が明らかになって開発が進みました。現場で活躍したCMTはもちろん、後押ししてくれた亨先輩を始め、幹部会の皆さんにはお世話になりました。有難うございます」
「固いよ、則夫。だけど亨さんの声掛けがあったのは、確かに大きかったな」
「そやな。栄太の言う通り、助かりました。有難うございます」
「おいおい、やめてくれよ。辰馬君や栄太君を始め、CMTのみんなが痴漢を捕まえた際の対応が良かったからじゃないか。私は君らに賛同した社員の声を聴いただけだ」
「それにしても、痴漢を捕まえた正義感溢れる若者の一人が亨さんの会社の社員だったなんて、偶然とはいえ不思議な縁だよな」
 後で事情を知ったがその通りだ。痴漢逮捕を機に、その後の活動が一気に活発になったと言える。その理由の一つが、勇気ある若者の賛同と参加だった。
「そうそう。栄太さんに言われて、僕が彼に活動の説明をして連絡先を確認したんだよね。それでアプリを導入してくれたんだけど、そこから彼が会社の人達に広めてくれたのは有難かった。おかげで登録者が一気に増えたのも嬉しかったな」
「私も驚いたよ。CMTの活動は事前に聞いていたが、ある日突然社内で評判になったんだからね」
 情報や意見交換等で使われる社内限定のSNSに、その彼が書き込みをしたという。それが一気に拡散され、やがて一般のSNSにまでも載せられた。すると、いいね、が何万もつくほど話題になったのだ。痴漢被害への世間における関心の高さが、そこに現れていた。
 将来的には辰馬周辺の賛同者以外にも展開したいと考えていたが、こんなに早く実現するとは想像しておらず、則夫にとっても嬉しい誤算である。
「あの時、俺とは別に痴漢騒ぎの様子をスマホで撮影していた奴が、そのバズリに乗っかって動画を乗せただろう。それがさらに拍車をかけたんだよな」
「初めは大変だったよ。社内の誰が関わったのかと、役員会の議題にまで上がったからね」
「でも常務の亨先輩が、社内の騒ぎを収めてくれたんですよね。それだけじゃなく、CMTの活動に積極的に参加するよう、口添えしてくれたそうじゃないですか。その後押しがあったから賛同者が増えたと、最初に登録してくれた彼から僕は聞きましたよ」
 則夫の言葉に、彼は頷いた。
「そういう面もあったかもしれないが、無理やり登録させた訳じゃない。社員の自発的な参加意識があってのことだからね。ただ保険会社っていうのは、女性社員の比率が結構高い。当初反応が良かったのは、守る側じゃなく守られる側だった。それに促された男性社員の登録者が増えたらしいよ。女性社員を敵に回したら、仕事がやり難くなるからだろうね」
「守られる側の女性社員が男性社員に登録するよう迫ったというのは、思いがけない動きでしたよね。うちの会社もそういう面があるのかな」
 健吾の呟きに、心の中で賛同した。彼や則夫のような新興のIT企業は、亨先輩の会社と違い在宅ワークが多い。よって通勤で困っている人はそれほどでもなかった。
 けれど痴漢に困っている女性は少なくない。それに昔ながらの男社会ではないので、力関係から考えると他業種より女性の発言力が比較的大きいからだろう。未知留の学校や基金参加者以外にも登録者を拡大したところ、似た行動が見られたからだ。
「私達みたいな学生だけじゃなく、社会人になっても痴漢に悩んでいる女性が多いからですよね。その声に押されて、男性の社員さんが見守る側で登録しないといけない空気が出来たというのは、少し面白いけど良いと思う。あの時みたいに、いざとなれば捕まえてくれる男の人がいると分かっていたら、すごく安心だもん」
「そうだね。ただ未知留ちゃんは実際、あの場にいたから知っていると思うけど、警察や駅員達に理解されるまでが大変だったよな。こうして世の中に知られたおかげで、今後は楽だと思うが。あの後、警視庁刑事部や生活安全部に呼ばれて、俺からも再度説明しておいたし」
「だけど色々問題も発覚したよね。スマートグラスでの撮影は、グレーだと言われたでしょ」
「いや、それは確かに俺も上から指摘されたけど、おかしな話だよ。別に下着とかを撮っていた訳じゃないから、性的姿態せいてきしたい撮影処罰法さつえいしょばつほう違反じゃないことは、記録を見れば分かるのに。そんなこと言ったら、車につけているドライブレコーダーなんてどうするって話だ」
 体の性的な部位や下着などを相手の同意なく撮影してはいけないという、最近施行されたばかりの法律だが、CMTが撮影している映像は本来、無関係なのだ。
 辰馬が当時を思い出したのだろう。
「警察っちゅうのは、ほんまに頭の固い奴らが多いで」
と怒り出した。それを則夫は苦笑しながら宥めた。
「あの時は六月に衣替えをしたばかりだったから、タイミングが悪かったんだよ。下着じゃなくても、薄着になった女性の胸や二の腕などを撮影していたんじゃないかと疑われたってしょうがなかったと思うよ。あの痴漢達も、結局そういう時期を狙っていたんでしょ」
 学校などが始まった春に続き、薄着になり始める六月からも痴漢は増えるという。そういう女性が目の前に現れると、触りたいという欲望や衝動にかられやすくなるらしい。
 ただ六月に起きた件では、明らかに痴漢を常習とするグループでの犯罪だと分かった。各人が持つ携帯を確認したところ、事前のやり取りが残っていたという。
 言い逃れが出来ない為に三人共連行され、揃って逮捕された。痴漢は現行犯でないと駄目だが、スマホにいかがわしい映像も残っていたと聞く。
 だからだろう。それらを駅事務所で確認した際、栄太がつけていたスマートグラスでも、そうした映像がないかと念入りに調べられたのだ。
 もちろんそんなものは写っておらず、痴漢が起きた前後のやり取りを含めた音声などと一緒にデータを警察へ提出した後、しっかり削除するよう促されたのである。
 本来はそこまでする必要はなかったが、則夫は今後のことを考え指示に従った。しかも警察は会社にまで来て、そうした作業を確認していったのだ。
「お前はホンマ、人がええ奴やな。警察のやつらには、嫌な目に遭うとるのに」
「しょうがないよ。警察だって仕事だからね。それにあの人達に色々指摘されたから、問題点があぶり出されたんだから。アプリ開発の改善の為には、良い経験だったと思うよ」
「そうだな。登録者がそれぞれ位置情報を確認できるのは便利だが、リスクも伴う。だからうちの会社では勝手に希望者全員が登録するのではなく、ある程度路線を限定して参加希望の社員を絞った上で、個人情報も把握できるようにさせたんだ」
「そこだよね。登録希望者が多いのは有難いけど、一気に増え過ぎたら対応しきれないから」
難儀なんぎやな。俺らの仲間内だけでの活動なら、登録しとる奴らの名前も住所も人柄も把握しとるし、まず問題は起きん。せやけど不特定多数が守る側に登録したら、悪用する輩が出て来るとは限らんのも確かや。今の世の中、性善説ではアカンようになってしもうたからな」
 登録者の中で、痴漢をする人が紛れていないとは限らない。守られたいと思い登録した人達が守る側に痴漢されたとなれば、それこそ信用問題だ。普及どころか、痴漢の手助けをする危険なアプリと認識されかねず、CMTの活動自体が危うくなってしまう。そんな自体に陥れば、折角辰馬の思い付きから始まったこれまでの成果が全て水の泡だ。
 亨先輩の会社の役員会でもそうした話が出た為、登録者の範囲を限定させたと聞いている。これらの点が今後の課題だ。今日集まったのも、これからの活動に向けてそうした問題点を話し合うのが目的だった。
 そこで由美が発言した。
「今は未知留ちゃんが利用している路線に、山手線と中央線、総武線を加えた一部の範囲だけでやっているのよね。そこを使う守られる側の登録は、積極的に受け入れているんでしょ。その人達のアプリで登録された個人情報は、須和君の会社でしか把握できないんだよね」
 彼女に確認され、則夫は頷いた。
「うん。でもそれ自体、本当は問題なんだ。今は女性と男性で分けるのも差別だと言われるし、女性が男性を痴漢するケースだってある。ただ現時点では、そう分けざるを得ないけど」
「今はあくまで無料登録のテスト期間だし、それは仕方ないと思うよ。だけど守る側の登録が限定されているなら、相当バランスが悪いでしょ。今はどんな感じなの」
 未知留が夏休みに入ったのを機に、辰馬達の仲間内ではCMTの活動を一旦停止している。動いているのは、亨先輩と則夫、健吾の会社の社員達だけだ。
 大人だと学生のような夏休みはない。お盆の時期でさえ通常通り通勤をしている人もおり、男性社員だって同様である。つまりアプリで守る側と守られる側の双方で使用しているのは、社会人達だけなのだ。ちなみにCMTと区別し、彼らをMMTみまもりたいと呼んでいた。行動指針が痴漢から守ることに限定していないからである。
「単純な登録者数だけで言えば、比率は男性一に対して女性が二十といった具合かな」
「少ないね。しかもそれが路線ごとで同じ時間の電車となれば、マッチング自体奇跡だよ」
「そうなんだ。ただ未知留の学校の生徒達のように、女性登録者同士で集まってはいるみたい。スマートグラスを使っての連動をしていないから、車内の状況はよく分からないけど」
「なるほど。相手が女性でも、同じアプリ登録者で痴漢に遭いたくないと思う同士がいれば、心強いかもしれないね。それが例え全然知らない他社の人だとしても、親近感が沸くのかも」
 由美の言葉に、未知留も賛同した。「うちの学校の生徒も、全く知らなかった同級生とか先輩後輩同士で繋がるようになったから、絶対そうだよ。痴漢を憎む同士で集まると、連帯感が生まれるんだと思う」
「今のところ守る側の人数が少なくても、アプリの導入効果がそれなりにあるとは言えるみたい。だけど守られる側で集まるだけでは不十分だから、もっと改良が必要なんだよね」
「俺らはどう動けばええ。改良で何かデータを取りたいんなら、指示してくれてええんやぞ」
「有難う。でも夏休みに入って未知留達の早朝の通学が途絶えた今、CMTがどう動くか悩ましいところだよね。女性登録者で現在最も動いているのは亨先輩の会社の人達だけど、路線と時間帯がまちまちだから、どこへ配置すればいいかをイマイチ決めきれないし」
「痴漢が多い路線や時間帯に集まって乗る、というのはどうや」
 それは難しい。警察でも時間帯や路線はだいたい把握していると聞くが、実行するとなれば何時何分の電車で、何両目にするかでも悩む。
 今までは未知留という目標があり、そこに乗って来る同じ学校の生徒達をついでに守るやり方で良かった。しかしそれがない状態で漠然とこの便のこの車両に乗ろうと決めても、効果が見込めないのではと則夫は主張した。
「そうか。登録者がどの時間帯のどこに乗っているかは、アプリの情報を統括している則夫の会社で把握できるけど、前もって予測するのは確かに難しいよな。現場では半径十五メートル以内でないと、同じアプリ登録者の位置情報が画面に出ないんだったか」
「そう。これから範囲をもっと広げるか、色々考えて取り組んでいるけど、現時点ではね」
「それだと、CMTの面子をどうやって集めるかも悩ましいな。この電車のこの車両と決めたって、そこに登録者がいなければ守りようがない。登録者が現れるまでホームにずっと待機しているというのも、余りに非効率だしな」
「目標というか目的自体がはっきりしないと、モチベーションの維持も困難だろう」
「そうやな。痴漢が現れるまで待つのもおかしな話やし、たまたま登録者がおって亨さんの会社の社員やから守らなあかんと思った場合でも、未知留ちゃんの時と比べたらテンションはあがらんかもしれん。いや、差別するつもりはないんやけどな」
「分かっているよ、辰馬君。会社の男達も、同じ社内の女性だからって思いは強いはずだ」
「そうですよね。目的は痴漢を捕まえることじゃなく、痴漢から守ることですから。それに亨先輩、登録希望の男性社員達に言ったそうじゃないですか。痴漢を捕まえてヒーローになりたいと考える奴は登録するな。例え同じ会社の社員じゃない、全く関係の無い他人でも、困っている人がいたらできるだけ助けたい、と純粋に思える奴だけが登録しろって」
「ああ。でもそうだろう。私人逮捕に憧れてだとか、女の前で良い格好をしたいだとか、不純な考えを持つ男は碌な人間じゃない。そもそも辰馬君が始めた活動だ。その初心から外れてはいけないし、そうでなければ決して続かないと思うよ」
「そうそう。さすが亨先輩。良いことを言います。タッチャンの意思に反した行動は、CMTやMMTじゃないでしょう。そんなものはそれこそ偽善活動です」
 そうした考えもあり、MMTでは登録者であろうがなかろうが、電車内など場所にも拘らず、目の前に困った人がいたら手を差し伸べるとの指針を打ち出していた。
 もちろん基金参加者で形成され辰馬の意思をしっかり理解するCMTの面々には、言わずもがなのことだ。
「まあ、そう言うてくれるんは有難いけど、じゃあ未知留ちゃんらの新学期が始まるまで、俺達の出番はないっちゅうことか」
「今日は、そこも話し合いたいから集まって貰ったんだ。電車から離れた別な形でアプリを使ったCMTの活動がないか、みんなの意見を聞きたいと思っているんだけど、どうかな」
 それぞれの顔を見渡しながら則夫が発言すると、亨先輩が質問した。
「CMTの活動ということは、対象は痴漢ということでいいのかな」
 これに辰馬が首を振った。
「いや基本は女性や子供、老人や障害者といった社会的弱者を守りたいっちゅう話を、三月の会で話しとったのが始まりや。未知留ちゃんが痴漢に困っとると言うたから、まずそこからやろうかってなっただけで、痴漢やなくても別にええんやけど」
「社会的弱者ね。子供で言ったら、学校での苛めだとか親による虐待とかがあるな。老人だと詐欺や孤立、買い物難民や老老介護っていうのもある。障害者なら、公共交通機関の乗り降りだとか飲食店への出入りにおける差別とか、かな」
「いま栄太さんが言った話をパッと聞いただけでは、活動とアプリの活用に繋がるイメージがちょっと沸かないかな。公共交通機関の乗り降りの手伝いくらいは出来るだろうけど」
「僕も当麻さんが持った感想に近い。それにいきなり別の展開を考えるより、もっと痴漢にターゲットを絞っていい気がする。電車が一番多いけど、他にも人が集まって混雑するところが危ないだろ。ショッピングモールとかの階段、エスカレーターでの盗撮とかさ」
「なるほど。人が集まって混雑する場所か。他にどんなところがあるかな」
「以前SNSで見たけど、今はコンサート会場とかでも痴漢が問題になっているみたいね」
「あったな。海外の女性アーティストで少し露出多めの人が、フェスか何かで最前列のファンに近づいた時、色々触られたってやつね」
「ああ、聞いたことはある。それ以外でも最近、主催者側やアーティスト自らが、そういう行為をしないようにって書き込みを見たぞ。それは客が客を狙うパターンらしいが」
 すると、それまで黙って聞いていた陽菜乃が口を開いた。
「え~、私、友達に誘われて来月フェスに行くけど、そんなこと聞いたら怖くなっちゃうな」
「そういえばお姉ちゃん、そんなこと言ってたね。いつのなんていうフェスだっけ」
 未知留の質問に陽菜乃が答えると、スマホを取り出し早速名前で検索して言った。
「このフェスでも痴漢や迷惑行為の注意喚起をしているね。去年トラブルがあったみたい」
「ほんまか。どんなトラブルや。なんて書いとるか、ちょっと言うてくれ」
「ちょっと待ってね。ええと、」
 促された未知留は、サイトの文言や他の記事等をいくつかピックアップして読み上げた。
 その内容によれば、どうやら数年前から騒がれ、昨年はとうとう逮捕者が出たらしい。その為、主催者側も警備を強化すると同時に、開催前からの注意喚起をサイトでアナウンスしているようだ。
「そんな事を聞いたら、心配になって来たな。それに昼間だけじゃなく、夜遅くまでやっていると言ってなかったか。友達と何人で行くんだ。同性ばかりか。男の人はいるのか」
 則夫がつい、そう口にすると、陽菜乃が顔を顰めて言った。
「何よ、お父さん。今まで何にも言わなかったのに、突然気になりだしちゃって」
「い、いや、気になってはいたよ。でもあんまりうるさいこと言うと、陽菜乃に怒られるからって、お母さんが言うからさ。もうすぐ二十歳になる娘なんだから、信じなさいって」
 口を尖らせ弁解していると、キッチンから妻の声だけが聞こえて来た。
「私のせいばかりにしないでよね。あなたが他のことばかり気にかけているからじゃない」
 叱られ肩をすくめると、皆に笑われた。辰馬にも苦笑しながら注意された。
「そうやぞ。仕事や俺らのことばっかりやっとるからとちゃうんか。未知留ちゃんだけやなく、陽菜乃ちゃんともコミュニケーションを取ったらなアカン。どうや。折角の機会やから、次のCMTの活動でフェスに同行するっちゅうのも手やで」
「それはいいかも。新学期まではそういう活動をすれば、また違ったデータが取れるだろ」
「陽菜乃ちゃんを守るってことで、未知留ちゃんの時みたいに父親としての威厳を取り戻せるかもしれないし。一石二鳥じゃないか」
 栄太が賛同し、亨先輩がそれを後押しした。由美までもが頷く。
「良いわね。そういうイベントなら、私も咲季を誘って一緒に行こうかな」
「おい、おい。それは厳しいだろ。いい年をした俺達が、フェスなんて場に行くだけでも場違いなのに、おばさんも参加するつもりかよ」
「何よ。こんなところで性差別と年齢差別をするつもりなの、栄太さん」
「いや、体力的な問題がある。この猛暑で屋外だと熱中症で倒れるぞ。冷房が効いている電車とは訳が違う。他のCMTにも言えることだ。ほぼみんな、六十を過ぎているんだからさ」
 抗議した由美に、準が医者としての見解を示した。確かにCMTのほとんどが則夫達の同級生だ。後輩や彼らの息子や知人、友人などが、ほんの数人だけ加わっているに過ぎない。
「そうだな。うちの咲季を誘ってくれるのは有難いけど、あいつがこの歳になってそんな若い人達が多い人混みに行きたがるか分からないし、夫としては体が心配だ」
 健吾が準の意見に同意すると、陽菜乃が申し訳なさそうに口を挟んだ。
「痴漢から守ってくれようとするのは嬉しいけど、チケットの問題もあるよね。未知留の時だって電車代が相当かかったそうだし。何名参加させるつもりなのか知らないけど、取れるかどうかも分からないでしょ」
「それは大変や。今から確保はできんか。ただ金は気にせんでええ。俺が言うのも何やけど」
 活動費は基金で払うと辰馬は主張していたが、参加者は誰も受け取らなかった。元々彼を慕い寄付してきた人達だから、当然と言えば当然だ。また健吾の会社からの援助もあるが、アプリの開発やマイク、イヤホンなどの多くは則夫の会社で負担しているからだろう。
 それでも今ではある程度、小説で稼げるようになった由美が頷いて言った。
「そうそう。お金は大人の私達で何とかするからいいの。けどチケットが取れなかったら話にならないよね。未知留ちゃん、ちょっと今調べられるかな」
「分かりました。ええと、代金は二十二歳以下が一万二千円で、それ以上は一人二万円。先行販売は終わったけど、まだ残りはあるみたい。ただ多いと抽選になるかもしれないって」
「そんならすぐ申し込んでくれんか、則夫。どう動くかは、当日までに考えればええやろ」
「タッチャンがそういうなら」
 指示を受け、則夫は立ち上がり別室へ移動し、ノートパソコンを手にして戻った。 それを開いてネットに繋ぎ、基金名簿ファイルを見て早速入力を始める。
 サイトによれば、チケット購入者本人でなくても、一定の手続きを踏めば入場できるようだ。よって期限まで日はあった為、まずはここにいる幹部の名前で申込む。残りは後で名簿から名前を借り入力することにした。使わせて貰った人達へは、事前に連絡しておかなければいけないからだ。
 購入できた場合、本人が別の人にチケットを譲り渡した旨を事前に伝え、その名義で登録し直して代金を払えばチケットが発行されるという。高額転売を防止する為らしい。他人名義の購入でも、その後利益を得る為の譲渡でなければ認められるようだ、と則夫は説明した。
「手間と時間がかかるだろう。残りは俺がやるよ。メールでの連絡だけでも済むかもしれないが、もし賛同しない人が出てきたら面倒だ」
 健吾がそう申し出てくれたが、それを栄太が皮肉った。
「お前の名前ならともかく、辰馬の名前を出して賛同しない奴はいないだろ」
「言い方を気ぃつけいや」
 辰馬のボソッとした一言に、彼は黙って頭を下げ、一瞬場に緊張が走った。
 いまだにこういうことがある。特に栄太は辰馬の頭を殴った健吾を、心の中では許していないからだろう。その為、日頃は滅多に言わないが、時々こうして表に出してしまうのだ。
「則夫、有難う。まあチケットが何枚手に入るかによるけど、ある程度事前に参加者は決めておいたほうが良いね。できる限り若い子だ。六十過ぎにはやはり厳しいぞ。今年の夏も暑いからな。都合がつけば、竜に行かせたいと思う」
 重くなった空気を変えようとしたのか準がそう言い、由美がそれに続いた。
「医者の竜君がいてくれたら心強いな。あ、でも無理しないでね。病院の仕事が忙しいと思うし、本人がフェスなんて行きたくないと思っているのに手伝わせるのは嫌だから」
「ホンマやぞ。あくまで参加を希望する奴らだけでええ。俺の我儘で始めたことやからな」
「辰馬さん、チケットが手に入ったら、本当に来るつもりなの?」
 不安気な表情を見せた陽菜乃に、則夫が尋ねた。
「なんだ、迷惑か。男友達がいるからいいとか大丈夫だと思うなら、そう言えよ。そうでなく少しでも不安に思うなら、居てくれた方が心強いだろう。この日は平日だが、未知留の時と違って一日だけだから、父さんも都合をつけて行くつもりだからさ」
「それはやめて。辰馬さん達ならいいけど、お父さんは嫌」
 即答での拒絶に項垂れていると、また皆に笑われた。
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神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

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