それぞれの使命

しまおか

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第7章 -④

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「えっ、嘘。こんなところで? もしかして撮影なんかしてないよね」
「あれでしょ。最近、辰馬さん達が叩かれているじゃない。それで狙って来たんだよ」
「マジで? 絶対許せない。辰馬さん達を攻撃する奴らは、私達の敵だから!」
「だよね。痴漢から守ってくれているのに、なんで責められなくちゃいけないの」
「あれって、痴漢を擁護しているのと同じじゃん。マジ、女の敵」
「大丈夫ですか。何か、嫌な事、言われませんでしたか?」
「私達は味方ですからね! そんな奴らが来たら、代わりに蹴っ飛ばしてやります!」
 辰馬や栄太達にまでそう声をかけてくれ、思わずうれし涙が出そうになる。
 だが感動している場合ではない。そこでここぞとばかり、話に乗っかった。
「有難う。でも気を付けて。あそことあそこにいるんだ。CMTのお兄さん達がなんとか壁になってくれているけど、いつ近づいてくるか分からないからね」
「そうやで。俺らは君らに背を向けとるから、栄太の嵌めとるスマートグラスでは撮影しとらへん。でもあいつら、どこに撮影道具を隠しとるかわからん。マジで盗撮しとるかもしれへんし、混乱に乗じた痴漢がいつ出て来るかも分からへん。変な事されたとか、おかしいと思ったらすぐ声を出すか、アプリで助けを求めるんやで」
 辰馬からも注意を促すと、彼女達は力強く頷いた。
「うん、わかった。今日は自分達の身を守るだけじゃなく、辰馬さん達も守らないとね」
 ただ前回のような騒ぎが起きても、テレビであのように広く言われてしまえば、帰れコールを口にはし難い。
 第一、辰馬はそうした事態を望んでいなかった。
 さてどう対処すべきか、と栄太が頭を悩ましていた時だ。
 カーブに差し掛かったのか少し電車が揺れ、中にいる女性の一人が倒れそうになった。
 栄太の横にいた一番近い田端が反応し振り向き、彼女を支えようとしてぶつかった。その瞬間、
「キャー!」
と叫び声が上がったのだ。
 彼女はお尻に手を当て、素早く振り向き、キッと田端を睨んだ。
 反対側にいた辰馬達が驚いて振り向き、中にいた未知留達も目を丸くしていた。周囲の乗客達の視線も一斉に集まる。
 すると叫んだ子の隣の女性が口を開いた。
「この人、彼女のお尻を触った!」
「えっ、あっ、ごめん、い、いや、ち、違う、触ってない」
 指を差された田端は、あたふたと慌てて首を振る。だが叫んだ女性も重ねて言った。
「嘘! 触りましたよね!」
 詰め寄った彼女の間に栄太が割って入り、落ち着かせようとした。
「ちょっと待って。君とぶつかったのは確かで、それは申し訳ない。でも今のは、倒れそうになった君をこいつが支えようとしただけで、触ってなんかいないはずだ。誤解だよ」
「いえ、触られました! 見たよね?」
「うん! 私、見てました! 彼女がバランスを崩した時、どさくさにまぎれてこの人の右手がお尻に延びたの! そうですよね!」
 二人の女性が騒ぎ出した為、輪の外にいたコンチャイズム達までが大声を出し始めた。
「おお! とうとうやりやがったな! やっぱりこいつら、痴漢する為の行動だったんだ」
 画面に映る映像を見ていたらしい則夫の、思わず呟いた声が入る。
「これか。やられた」
「何ですか、やられたって。私は見ていませんでしたが、本当に触ったんですか」
 監視する別の社員らしき声も耳に入ったが、彼は否定した。
「いや、やってない。こいつらの狂言だ。多分コンチャイズム達とグルなんだよ」
 栄太もそう感じた。被害者ぶっているのは、辰馬達に気が付き声をかけて来た二人だ。コンチャイズム達を敵視した発言や自分達を守ってくれと頼んだのも、最初から仕組んでいたに違いない。そうして近づき、折を見てこうした騒ぎを起こす計画だったのだろう。
 則夫が同じく社員にそう説明すると、彼らは怒り出した。
「最悪! なんてことをするんだ、こいつら!」
「CMTやMMT側だけじゃなく、守られる側の登録者の中にも悪意を持つ人が紛れ込むかもしれないと危惧はしていたが、こういう作戦で来るとは。油断した」
「車両内の輪の中に痴漢仲間を引き込むんじゃないかと、打ち合わせでも話はしていましたが、これは防ぎようないですよ。それこそぶつかり男達と同じ、あたり屋じゃないですか」
 何とかしなくてはと、栄太が女性に言った。
「待ってくれ。俺が見ていた映像で、本当にこいつが触ったのかを確認してからだ」
「おかしいって何ですか! 私が嘘を言っているとでも言うんですか!」
「そうですよ! 触られたこの子を疑うなんて、おかしいじゃないですか!」
 キンキンと高い声を張り上げる彼女達を、コンチャイズム達がさらに煽った。
「おお、そうだ! 見苦しいぞ! 痴漢をしておいて、被害者に難癖をつけるつもりか!」
「そうだ、やっぱりこいつら、痴漢が目的だったんだよ! 捕まえて警察に突き出そうぜ!」
 田端に手を伸ばし、取り押さえようとした彼らだったが、そうはさせるものかと栄太が間に入り、それを防いだ。
「おい、じじい、じゃまだ、どけ! そんなことを言って、逃げるつもりだろ! おい、そこの女! 次の駅で降りて警察を呼べ!」
 近藤達にはね退けられそうになったが、近づいて来た辰馬が体を押し込み壁となり、なんとか阻止した。周囲のCMTは、女性達と田端の間に立ってガードをする。
「まあ、待てや! 分かった! ホームに降りたら駅員と警察を呼ぶ! 俺達は逃げへん。お前達も見張っとればええ。せやから手を出すな!」
 辰馬の叫びに則夫が答えた。
「今、次の駅にこちらから通報した。着いたら駅員と警官がいると思う。それまで耐えて」
 その指示を受け、CMTの一人が言った。
「そうだ! 手を出せば、今撮っている映像を元に、後から暴行罪で訴えるぞ!」
 こちらが男性十二人に対し、コンチャイズム達は三人だ。それでも内四人は還暦を過ぎた年寄りだと侮ったのか、彼らは力で対抗しようと思ったらしく、掴みかかって来た。
 しかしそれを辰馬が一人でいなした。相手が前に出ようとする力を利用し、円を描くように動かした腕で横へと払う。
 彼らは転倒しそうになったが、何とか耐えた。車両内が余りに狭すぎるからだ。
「てめぇ、この野郎! どけっ!」
 頭に血が上り、こちらが映像を撮っている事を忘れたのか、またはあくまでも現行犯による私人逮捕に拘っているのか、近藤は腕を振りかぶって拳を突き出した。
 だがこの程度のパンチなら、辰馬は簡単に避けられる。近くにいた栄太や田端達はそう思った。映像を見ている則夫もそうだろう。
 けれど彼はそれをまともに顔で受け止めたのだ。バチッと大きな音が、車両内に響く。
「タッチャン!」
 未知留が叫んだ。女生徒達の間で悲鳴も上がった。唇をわずかに切ったのか、口から僅かに血が流れている。
 しかし彼は平然とした表情のまま仁王立ちし、近藤を上から睨みつけた。
「何や、若造。そのへなちょこパンチは。そんなんじゃあ、このじじいは倒せへんぞ」
 ドスの利いた彼の迫力に、一瞬その場が凍った。
 だが無謀にも近藤はさらにパンチを繰り出し、それが再度辰馬の顔面を捉えた。
「顔は駄目だ! 脳に衝撃を受けたら危ない!」
 栄太が隣で叫ぶと、則夫もマイクで大声を出した。
「もう十分だ! 相手が先に手を出した映像は、こっちでもしっかり捉えた。そいつらを暴行の現行犯で捕まえろ! 駅を降りれば警察も来る! あと田端さんは痴漢してない!」
 余りの衝撃的な場面に硬直していたCMT達は、指示を受け我に返ったのだろう。ようやく動き出し、辰馬と栄太と田端以外の五人でコンチャイズム達三人を取り押さえた。
 離れた場所にいた四名は、加勢しないよう他のユーチューバー達の前に立ちふさがった。
「放せ! 痴漢したのは、お前らだろうが!」
 喚く彼らに対し、興奮した栄太が関西弁で一喝した。
「黙れや、ボケ! ぶつかった瞬間は、俺のスマートグラスで捉えとったんじゃ、ドアホ!」
 しかしこれはハッタリだった。通常ならスマートグラスを嵌めた栄太は、背後や周辺を主に見渡していただろう。
 しかし今回はコンチャイズム達がいた為、頻繁に前方ばかりを見ており、田端と女性がぶつかった瞬間を撮影出来ていなかったのである。
 本部で急ぎ録画された映像を確認しても、痴漢をしていない証明はできないとの連絡があった。
 それでも則夫は栄太に、無罪が証明できる映像があるかのように仄めかしたのだ。
 しかしその作戦が功を奏したらしい。女性二人は嘘がバレると思ったのか、逃げようとしたのである。 
 その為栄太は、慌てて捕まえようとした。だがそれより先に別の手が複数伸び、彼女達を捉えた。それは未知留と女生徒達、さらには他のアプリ登録者の女性達だった。
「ちょっと、待ちなさいよ。辰馬さん達を罠に嵌めようとして、この人達に協力したんじゃないの。警察の人達が来るまでは、絶対に逃がさないから」
「な、何よ。は、離してよ」
 今度は女性同士が揉め始めた。加勢しようとした栄太だったが、下手に手を出せば殴られたなど、また別の嘘をつかれる恐れがあると思い直す。
 そこで田端と共にただ手を広げ、周りを囲んで逃がさないよう、立ちふさがることしかできなかった。   
 そうこうしている間に、電車が減速し始めて駅のホームが近づいてきた。
「おい、近藤だけやなく、俺に用がある奴は一緒に降りろや。話なら聞いたる。文句ないな」
 辰馬の強い視線と迫力に圧されたのか、他のユーチューバー達は黙って頷いた。
「タッチャン、全員で降りればいいかな。それとも一部のCMTは残そうか」
 本部にいる則夫の質問に、彼は栄太のほうへ視線を向けた為、代わりに答えた。
「近藤達を取り押さえている五人と俺達三人だけでいいだろう。四人は残ってくれ」
 そこで電車が停まり、ドアが開いた。
「おい、降りるぞ」
 辰馬が先頭に立ち、大きな体で周囲の人混みを押しのけ、他に降りようとする客の流れに乗った。
 栄太と田端がその後に続くと、コンチャイズム達を取り押さえているCMT達も、彼らを引きずるように降りた。
 そこで後ろを振り向くと、他のユーチューバー達も素直についてくる様子が見えた為、胸を撫で下ろす。辰馬のいない車両に用はないからだろう。
 さらには未知留達数人に囲まれ、痴漢だと騒いだ女性ともう一人も降りて来た。
 その視界の端に、心配気な表情で見つめる他の女子生徒達や、他の乗客達を捉えた。だからか、辰馬が微笑んで言った。
「大丈夫や。みんなこのまま乗っとればええ。まだ仲間はおるし、痴漢にはもう遭わんやろ。そうやな。痴漢するような奴は、この車両に乗っとらんよな!」
 睨みを利かした表情に変え、周りの乗客の顔を見渡したところ、彼らは一斉に首を縦に振った。
 それを見た辰馬は再び笑みを浮かべ、深く頷きながら言った。
「そやろ。おらへんよな。それに、もしこれから乗って来る客でそんな奴がおったら、あんたらみんなでこの子らを守ってくれるはずや。ちゃうか」
 今度も多くの人が頷いた。それを見てさらに満足したようだ。
「ほら、みてみぃ。みんな気ぃつけて学校や会社へ行きや」
「タッチャン、気を付けて」
「負けないで!」
「栄太さんも気を付けて!」
「有難うございました!」
 残った生徒達が声をかけてくれ、アプリ登録者であろう社会人の女性達も頭を下げてくれた。
 それだけではない。他の周囲にいた男性客までもが、温かい目で見守ってくれている。
 その光景に栄太は心が震えた。いつも同じ電車に乗りよく目にする客達が、CMTの役割を果たそうとしているのだ。これこそ辰馬が目指していた世界ではないか。
 しかしホームに立っていると、今度は別の声がかかった。
「あれ、辰馬さん。どこへ行くんですか。あっ、栄太さんも」
 この駅から乗って来る、未知留と同じ学校の生徒達だ。他にもアプリ登録者らしき女性達が、不安げな表情でこちらを見ていた。
「ああ、ちょっと野暮用やぼようでな。大丈夫や。中に守ってくれる人らが、ようけおるさかい。いつも通り、中ほどで固まっとったらええで」
 辰馬の言葉に続き、栄太も頷いた。
「他のCMTはいますし、そうで無い他のお客さんも見守ってくれるから、心配ないですよ」
 それで安心したのか、ホッとした表情を浮かべながら、彼女達は他の大勢の乗客達に押し込まれるように、車両の中へと進んで行った。
 電車が出発し、並んでいた人達がいなくなった為、ホームは少し空いていた。
 だが改札を通った人達が、次の電車に乗ろうと次々やってくる。
 もう少し経てば、すぐにまた人で溢れかえるはずだ。駅員と警察官の姿も遠くに見えた。もうすぐ駆け付けるだろう。
 栄太はホッと胸を撫で下ろしていた、そんな時である。
「コラ! 待て! 痴漢だ! 捕まえてくれ!」
と男性の怒鳴り声が続いた。さらに
「キャー!」
「危ない!」
「何してんだ!」
と大勢の人々の騒ぎ声が聞こえた。
 栄太達が声の方向に視線を向けると、驚くことに反対側の線路に降りて走る中年男性の姿が見えたのだ。
 しかもこちらへと近づいており、その後を追うように、人混みを掻き分けホームを走る男性二人と一人の女性がいた。恐らく痴漢被害に遭った人なのだろう。
 電車内で痴漢をして捕まった男が、下車させられた途端にホームから線路へ降りて逃げるというケースは、ニュースなどで何度か耳にした事がある。
 しかしまさかそれがすぐ目の前で起こるとは思わず、余りに衝撃的で栄太は我が目を疑った。
 こちらに駆け付けていた駅員や警官達も目を見張っていたが、あちら側のホームには駅員の姿は見当たらない。
 よってこのままでは痴漢したであろう男に逃げられる恐れがあり、また下手をすれば人身事故など大きなトラブルに発展しかねない。
 恐らく辰馬もそう思ったのだろう。彼は咄嗟に動き、ホームを走り出したのだ。
「お前らはここにおれ! 俺が捕まえたる!」
 それを聞き、映像を見ていた則夫が慌てて指示を出した。
「み、未知留達はそのまま。田端さんはコンチャイムズ達を取り押さえている誰か一人と交代して。交代した人はタッチャンを追いかけて! 栄太さんは向かって来る駅員と警官に声をかけて状況説明をお願い。できれば警官と駅員一名ずつを、タッチャン達のほうへ向かうように言って。コンチャイズム達を取り押さえている五名の内三名は、駅員と警官にそいつらの身柄を渡してから、タッチャンの後を追いかけるように!」
「いや、俺が行く! 田端! お前はこいつらを逃がさんよう、しっかり見張っとれ!」
 栄太がそう叫び駆け出すと、取り押さえられていたコンチャイズムの近藤がわめいた。
「こら! じじいら! どこへ行くんじゃ! 逃げんじゃねぇ! ぶっ殺してやる!」
「うるさい! 黙れ! 大人しくしていろ! この野郎!」
「どいてよ! 何すんのよ!」
「逃げるんじゃないわよ!」
「警察です! あなた達、何をしているんですか!」
 田端やCMT達と女性達に加え、若也ら駅員と一緒に駆け付けた警官が到着し、騒然としていた。
 殴られた被害者の辰馬がその場にはいないけれど、映像を見ていた則夫が、田端らを通して駅員や警官に説明してくれるだろう。これで少なくともコンチャイズム達とその仲間達との件は治まるはずだ。最悪、田端が捕まったとしても、後で何とかすればいい。
 そう思った栄太は辰馬の背中を追った。
 どうやら逃げている男は、当初こちらのホームに移動しようとしたが、駅員や警察官の姿を見たからだろう。方向を変え、ホームの端へと向かっていた。
 先に追っていた男達や辰馬が、危ないから線路を出ろ! と大きく叫んではいるものの、奴は聞く耳を持たず必死に走っていた。何とか駅の敷地から出ようと考えているのだろう。
 これはまずい。栄太がそう思った通りのことが起きた。辰馬がホームから線路へと飛び降りたのである。その為、周囲では先程以上に大きな悲鳴が上がった。
 栄太達が駅に到着した際、反対側のホームにも電車が停まっていたはずだ。痴漢男はそちらに乗っていたのだろう。となれば、駅から電車が出たのはほぼ同時に違いない。
 この時間帯だと次の電車が来るまでの間隔は、五分ほどである。それまでに何とか奴を確保し、安全な場所へと移動させなければ、とんでもない大事故になってしまう。
 素早く頭を回転させ考えている間に、もうこれ以上は進めないホームの端が近づいていた。
 それでも辰馬と男との距離はどんどん縮まり、とうとう追いついたのである。
「待たんか、ワレ!」「は、放せ!」
 辰馬が手を伸ばし、男の肩を掴んで引き倒した。
 だが相手は懸命に抵抗し、捕まえようとする手を懸命に払う。それでも辰馬の力には及ばず、右手首を捻られて後ろ手にされ取り押さえられた。
「おい! ワリャ! 無駄な抵抗をしとんじゃねぇ!」
 手首と腕と肩関節を極められ、動きを止められた男は叫んでいた。
「い、痛い! な、何だよ! は、放せ!」
「有難うございます!」
 反対側のホームの端から、先に追いかけていた男二人と女性達により声がかかる。
 だがいつまでも喜んでいる場合ではない。そう思い、栄太は怒鳴った。
「辰馬! 早う、線路の端の安全な所へ移動せえ! もうすぐ電車が来る!」
「分かっとる! 今行く! オラ、立て! こんなところでお前も死にとうないやろ!」
 右腕の自由を完全に奪われ、空いた左手で首根っこを掴まれ起き上がった男は、背のでかい坊主頭の彼にはとても力では敵わないと悟ったのだろう。それに遠目でも次の電車が見え、命の危険を察知したと思われる。
 栄太の背後には、追いついた駅員と警察官が同じく心配げな様子で見ていた。恐らく彼らは見ていたから、非常停止ボタンが既に押されているはずだ。
 とはいえ、電車がすぐに止まるとも限らない。こちらへと近づいてくる彼らが、何事もなくホームに上がってくるまでは安心できなかった。
 そうして多くの人達が不安気に見守る中、辰馬に突きだされた男は警官達の手で線路から上がり、次いで彼も無事に栄太達の元へと戻って来た。
 その間、反対側のホームから回って来ていたのだろう。男を追いかけていた男二人と女性が頭を下げ、改めて礼を言った。
「有難うございました!」
「いやいや。それにしてもこいつ、なんや。痴漢か」
「はい。電車内で触られたので、この人達が捕まえてくれたんです。でも駅に着いてホームに降りたら、いきなり逃げ出して」
 被害女性は、怒りからか体を震わせながらそう訴えた。やはり予想通り、反対側の電車に乗っていた彼女が痴漢に遭い、車内で男達二人に捕まったらしいと分かる。
「おい、ワレ。何で逃げたんや。痴漢したんやろうが」
 痴漢男は小柄であり、警察に取り抑えられた状態で、大きな坊主頭の辰馬に見下ろされ詰め寄られたからだろう。圧力に耐えかね、体を小刻みに震わせ首を振りながら座り込んだ。
「おい! あんたが俺達の横にいたこの女性に、後ろから近づいて痴漢しただろう。しっかり見ていたからな。言い逃れは出来ないぞ!」
 車内で男を捕まえた男二人の内一人がそう言い、もう一人は大きく頷いた。
「ワレ、なんでそんな真似をしたんや。常習犯か。それとも女性に恨みでもあんのか!」
 辰馬の更なる問いに、痴漢男がようやく答えた。
「い、いえ、う、恨みは、あ、ありません」
「じゃあ何でやったんや!」
 辰馬の追い込みに、男は怯えるだけでなく涙目になっていた。
「す、すみません。つ、つい、イライラを、は、発散させるた、ために」
「は? なんや。オンドレはストレス解消の為に、痴漢をしとんのか!」
「ご、ごめんなさい! 嫌がる顔が見たかったんです!」
 呆れた理由に皆が絶句していたところで、栄太はようやく息を吐き関西弁で言った。
「まあ、無事で良かったけど、無茶すんなや、辰馬。則夫も心配しとったやろうが」
「本当だよ。ハラハラして、心臓に悪すぎる。勘弁してよ、タッチャン」
「すまん、すまん。せやけど、一番近くにおった俺らがあそこで捕まえ取らんかったら、アカンと思うてな」
 そんな会話をマイクで交わしていた時、別の社員らしき声が聞こえた。
「あ、ヤバい! 逃げられた!」
「本当だ! 全員で追いかけて! 何としてでも近藤だけは捕まえろ!」
 則夫の叫び声が耳に届き、栄太は慌てて尋ねた。
「えっ、おい、どうした!」
 だが答えを聞くまでもなかった。後ろを振り向くと、同じホームで捕まり取り押さえられていたはずの近藤達が、こちらに向かい走ってきたからだ。
 奴らの身柄を警察に引き渡し、トラブルに至った経緯をCMTが話していたところ、隙を見て走り出したという社員の一人による説明が、イヤホンを通じて耳に入る。
 駆け付けていた警官や駅員の人員が線路に飛び降りた男の対応に割かれ、手薄になったからだろう。 必死な形相で近づいてくる近藤達のすぐ後ろに、追いかける警官やCMT達がいた。
「おい、おい。何をしているんだよ。あれだけいるのに、取り逃がしたって言うのか」
「一瞬の隙をつかれたようです。挟み撃ちにして下さい」
 則夫が間に入り、注意を促した。
「気を付けて! 狙いはタッチャン達かもしれない!」
「分かった。こっちも取り込み中だが、何とかしよう」
 そう答えている間に、近くにいた駅員二人が近藤達の前に立ちはだかった。
「どけ! どけ!」
 怒声を上げながら周囲の利用者達を掻き分け走りただならない様子の彼が、駅員の伸ばす手をかいくぐる。
 しかし仲間二人は捉えられた。そして栄太が近藤と真正面でぶつかった。
「じじい!」
 奴は叫びながら右手の拳を突き出したが、栄太は左に体を動かし、それを避けた。
 しかしそれが失敗だった。近藤はそのままの勢いで進み、背後にいる辰馬へと向かったからだ。
「しまった!」
 慌てて振り向き手を伸ばし掴まえようとしたが、辰馬は予測していたのだろう。既に痴漢男から手を放していた彼は殴り掛かってきた近藤を軽く払い、通路に転がした。相手の前へ進む力を利用した、合気道の投げだ。
「くそっ!」
 倒れた近藤は素早く立ち上がり、今度は体全体でぶつかるように突進した。辰馬の背後の線路に突き落そうとしたようだ。
 しかしそうはさせまいと、辰馬は両手で彼の肩を掴み、押し止める。そこで動きが止まり、ようやく追いついた警官達が、後ろから近藤を抑えこんだ。
 その間、栄太は回り込んで辰馬の横へと並び、安堵の溜息を付いた。
 しかしそこからさらに別の動きが起こる。近藤達が起こした騒ぎに気を取られていたのか、痴漢男を掴まえていた警官の手が緩んだのだろう。座り込んでいた痴漢男が急に立ち上がったのだ。
 さらには逃れようと動き出したのである。
「こ、こらっ、逃げるな!」
 良からぬ背後の気配に気付いた辰馬は振り返り、掴んでいた近藤の肩から手を放し再度男を捕まえようとした、その時だ。
 一瞬の隙を突いた近藤が最後の力を振り絞り、背後の警官達を跳ね除けるように体を起こし、辰馬の背中にしがみついて押したのである。
 横にいた栄太は慌てて近藤を捕まえ、押し止めようとしたが遅かった。態勢を崩し前へつんのめった辰馬の体が、近藤と共に一瞬宙に浮いた。
 栄太もそのまま一緒に引きずられるようにして線路に落ちていった。その瞬間は、まるでスローモーションのように思えた。
「キャーッ!」
と被害に遭った女性が叫び、遅れて駆け付けたCMTや駅員、警官達が皆、息を呑んで呆然と見ていたところまで見えていたくらいだ。
 しかも一旦駅の手前で停車していたはずの電車が、ゆっくりとだがこちらに向かっていたのである。   
 辰馬は咄嗟に痴漢男の手を放していたからだろう。線路に転落したのは辰馬と近藤と栄太だけだった。地面に体を打ち付けた三人は、折り重なるようにして横たわっていた。
「タッチャン! 栄太さん! ああ! みんな、早く救助して! 救急車を呼んで!」
 耳に嵌めたイヤホンから喚く則夫の指示が聞こえ、栄太は何とか体を起こそうとした。
 しかし激痛が走り、すぐには動けなかった。それでも何とか立ち上がり、辰馬に覆いかぶさる近藤の体を押しのけ抱き起こそうとしたが、そこでも怒鳴り声がした。
「頭は動かさない! そのまま! 息はしている? 早く救急車を呼んで!」
 則夫の叫びにハッとする。倒れていた近藤はどこか痛めたようだが意識はあり、どうやら大事に至っては無さそうだった。
 しかし打ち所が悪く気を失っているのか、辰馬は目を瞑ったままだ。これはまずい。そう思ったところまでは覚えている。
 そこからどうなったか、余り記憶にない。 誰かがスマホで救急車を呼んでいる声を聴きながら、茫然と立ち尽くしていた気がする。そして気付けば、栄太は皆と一緒に準がいる病院へと連れていかれたのだった。
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