真実の先に見えた笑顔

しまおか

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第三章~①

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 三人は会話を交わしながら歩き、会社から十分程の場所にある居酒屋に入った。当然奥の個室を選んで座る。先にビールを頼み料理もいくつか選んで注文してから、取り敢えず乾杯をした。
 一息ついた所で、英美が口火を切った。
「早速だけど、何故久我埼さんに絡むの? 三箇さんらしくないから聞くけど、あの人と何かあった? いつから知っているの?」
 ビールに口を付けていた彼はジョッキを置き、大きく息を吐いてから説明し出した。
「いずれ話す機会があると思っていたけど、あいつがこの名古屋ビルに来るとはね。これも何かの思し召しだ。あいつの化けの皮をはがせと、誰かが言っているんだろう」
 浦里が口を挟んだ
「化けの皮ってなんだ。もしかしてあの死に神とかいう噂の事か」
「ああ。奴は犯罪者だ。俺の目に狂いはない。十年前からそう思っていた。久しぶりに奴の顔と目を見たが、間違いない。あれは人を殺したことのある人間のものだ」
 これにはさすがの英美も、言わずにはいられなかった。
「死に神って噂を信じて、久我埼さんに突っかかっているの。それは余りにも酷くない? あの人が三箇さんにどんな迷惑をかけたっていうの?」
 浦里も同意した。
「そうだよ。それにしても周りに人がいる前で怒鳴りつけるのは、やりすぎだろ」
「そんな単純なものじゃない」
 三箇の声が大きくなり、表情が変化し出した。完全に怒っている時の顔だ。その目はとても恐ろしかった。
「十年前って会社に入っていない頃よね。三箇さんまだ警察に、」
そこまで言ったところで英美は気が付いた。
「もしかして県警にいた時、一宮の支社長が亡くなった件を担当していたの?」
 浦里は黙っていた。どうやら知っていたらしい。以前彼が三箇のプライベートな事に関わるから自分で聞け、と言っていた意味がここで理解できた。
少し間を置いて三箇が答えた。
「ああ。十年前、久我埼の上司だった一宮支社長の美島みしまさんが亡くなった時、俺は県警の刑事課にいて当初は担当していた。その時久我埼に会っているんだ」
「で、でもあれは病死だったんじゃないの? 確かに亡くなった場所が病院じゃなく自宅だったから、変死扱いになって警察が会社にも来たとは聞いたけど。結局事件性は無かったんだよね?」
「俺の上司達はそう判断した。だが俺は未だに信じていない。あの人は病死なんかじゃない。殺されたんだ。そして俺は当時疫病神と呼ばれ、前の部署でも上司が亡くなっているという久我埼に事情を聞いた。その時に確信したんだよ。奴は人を殺したことがある人間だとね。判るんだ。超えてはいけない線の向こう側に行った人間の目には、独特のものがある。俺はそれを感じ取ったんだ」
「ちょっと待て。さっき当初は担当していたと言ったな。途中で外れたと言うことか」
 浦里が質問を挟んだ。その様子から、彼も全てを詳しく聞いている訳ではないらしい。そこで英美はしばらく聞き役に回ろうと考えた。三箇は説明し始めた。
「ああ。外された、と言った方が正しいだろうな」
「それは、病死だと上が判断したことに逆らったからか」
「それもある。だが表向きは被害者と親しい関係にあると分かったから、との理由だった」
「被害者と面識があったのか? 亡くなった美島支社長と?」
「母親の従兄にあたる。俺から見ればいとこ違い、というのかな。それだけじゃない。俺が母子家庭で育った話は前にしたよな。俺達親子は、あの人から相当世話を受けた。経済的支援も含めて、だ」
 説明によると彼の母方の祖父には近所に住んでいる歳の離れた弟がいて、その一人息子が美島だという。つまり母親の旧姓も美島だ。 
 二人の年が近かったことから、幼い頃より親しく兄妹のように育ったらしい。しかし彼の母親が結婚して父方の三箇姓を名乗り、住所も少し離れたことから、二人の関係はしばらく遠ざかっていたという。 
 その後彼が十歳の時に事故で父親を亡くし、母子家庭となった。その頃母の両親は既に病気で亡くなっていて家も処分していたらしく、実家に戻ることができなかったそうだ。
 彼は父方の義父母に請われ、三箇姓のままでいたという。父には妹がいたけれど嫁に出ていた。そこで三箇が男だったことから、姓を継いでくれるだろうと考えたらしい。
 とはいうものの珍しい姓ではあったが、代々名を継がなければならないほどの裕福な家でも、特別な家系でもなかったそうだ。それどころか貧しい一般家庭に過ぎなかったが、昔は地域などによる考えもあり、こだわる家が少なくなかったらしい。
 だから三箇姓を名乗ったはいいが、義父母から特別に援助を受けてはおらず、家計は苦しかったそうだ。そんな状態を見かねて助けてくれたのが美島だったという。三箇親子を美島の母一人が住む実家の離れに、無料で住まわせたらしい。
 美島の父も亡くなっていた為、損害保険会社に勤め全国を転々とする一人息子としては、母親を近くで見てくれる人が必要だった。三箇親子は経済的に苦しかったため、家を借りたりすれば家賃がかかる。そこで互いのニーズが合ったのだろう。
 三箇の母はパートに出て働きながら、特に障害などなくまだ元気な美島の母の様子を見たり、話し相手になったりするだけで良かったそうだ。また三箇という子供がいたことも、美島の母を喜ばせた。
 結婚して子供も二人いる美島だったが、仕事で各地を転々としていたので、頻繁には実家へと戻ってこられない。そうなると美島の母は、実の孫達ともなかなか会えなかった。 
 その代わりと言っては何だが、美島の母にとって三箇が孫のように思えたのだろう。おかげでとても可愛がられ、いろんなものを買ってもらうこともできたようだ。
 美島は住む場所を、無料で提供してくれただけではない。それなりの高給取りだったこともあり、母親の世話をしてくれるからとの名目で仕送りもされていたという。そうした経緯から三箇にとって美島は、経済的にも精神的にも支えてくれた人なのだ。
「ドラマや小説から得た知識だけど、事件の関係者に身内がいると私情が挟んだり冷静な判断ができなくなったりする恐れがあるので、捜査から外される場合があるとは知っている。でも最初は担当していたんだろ」
「姓は違ったが、関係性はすぐに上司へ報告したよ。でも家で亡くなったから変死扱いとして警察が動くことになったけれども、当初から病死の可能性が高いとされていた。だから特に問題はないだろうと、その時は上も判断したんだ」
「それならどうして、殺人なんて話が出てくるんだ」
「死因は急性心不全だったが解剖した結果、その原因が心筋へのデング出血熱のウィルス感染だと判ったからだ」
「デング出血熱って、蚊を媒介として感染する病気の事か? 以前東京の代々木公園かどこかで感染が広まった、例のやつだよな」
 デング出血熱を引き起こすデングウィルスは人から蚊、そして人へと感染するものだ。致死率の高い重症の病気を起こすこともあるが、ただウィルスに感染しても直ちにそうなる訳ではないらしい。 
 初めて感染し発症した場合は、まずデング熱と呼ばれる三十八~四十度の急な発熱が始まり、関節痛や筋肉痛、嘔吐などを引き起こすけれども、大概は治るという。
 しかしデング出血熱とは、ウィルスに感染して発症した患者の一部が、解熱して平熱に戻りかける頃に突然重篤化し、ショック症状を起こすものだ。
 致死率はかつて一~二割とも言われていたが、適切な治療が行われれば一%~数%になると言われている。ただしデング出血熱で起こるメカニズムは未だ解明されておらず、不明な点が多いらしい。その為有効な治療薬はなく、あくまで症状を緩和するしか方法はないという。
 現在はマレーシアやフィリピン、ベトナム、シンガポールや台湾などの東南アジアで多くのデングウィルスが流行している為、それらの地域からの入国者や帰国者が日本国内で発症するケースは増えているようだ。
 空気感染はしないと言われているが、有効な医薬品などが確立されていないため、予防策は蚊に刺されないようにする等、消極的な対応に留まっているのが現状らしい。
 三箇がそう説明しながら答えた。
「国が指定する第四類感染症にあたるウィルスだから感染元はどこか、彼が亡くなった家や勤めていた会社はもちろん、彼の行動範囲内で感染が広まっていないか、一時は騒ぎになった」
「だから警察が会社にまで来た、って話が広まっていたのか」
「実際にウィルスが拡散されていないかを調べたのは、市の保健所だ。しかし会社にいる人達に美島さんの日頃の行動範囲などの事情を聴いたりしたのは、警察の仕事だった」
「それで感染元は判ったのか。ウィルスが広まったなんて話は、聞いたことがない。十年前でもそんなことが日本であったら、大きなニュースになっていただろう。でもそんな記憶はないぞ」
「それはそうだ。結論から言うと、家や会社も含めてどこからもウィルスは検出されなかった。よって国内感染でないと判断され、外部には公表されなかった」
「そんなことってあるのか」
「第四類感染症だと、公表するかどうかは自治体の判断に委ねられるからだ。騒ぎが大きくなり、下手に恐怖心をおあって混乱しない方が良いと考えたのだろう」
「そんな事があったのか。でもそれって隠蔽じゃないか」
「そうでもない。基本的に感染症は第一類から五類とその他に分類される。一類が最も重大で、エボラ出血熱やペスト等がそうだ。致死率が高い、または感染力が強い三類までは、比較的厳密な行動指針が示されている。だが四類から下だと、やや規準が甘い。だからケースによっては、個人情報の保護が優先されるようだ」
「どうしてそんなことになったんだ」
「国内感染かどうかで、対応が大きく別れるからだ。それは発症前の二週間以内に、海外渡航歴があるかどうかで決まる。美島さんの場合は、死亡する約二週間前に夏季休暇を取って、家族でフィリピンへ旅行していた。そこで何かウィルスの入った物を口にし、帰国してから発症したのだろうと結論付けられたんだ」
「二週間前にフィリピンで? そんなにデングウィルスは潜伏期間が長いのか?」
「通常は七日間程度のようだ。ただ最短で二日、最長で二週間とも言われているらしい。だからそうした結論を出したのだろう」
「でも家族は誰も、感染していなかったんだろ?」
「ああ。もちろん美島さんが帰国してから接触したと思われる会社の人達や、取引先の人達から血液採取して検査したが、誰一人として見つかっていない。それどころか美島さんの会社の席や家でも、ウィルスは発見できなかった。だから感染が拡大することはないと判断されたんだ」
「フィリピンのどこで感染したかも、判っていないのか」
「さすがにそこまでは調べられない。だからどこでウィルスが入り込んだか不明のまま、彼は病死と処理された。もちろん事件性もないとされ、警察の捜査も途中で打ち切られてしまったんだ」
「国内で感染した可能性は無かったのか。蚊が媒体となることが多いんだろ。全く関係のない人が国内にウィルスを持ち込んでいて、その人の血を吸った蚊に刺された可能性だってある」
「もちろん確率として、ゼロではない。当時東南アジアのどこかでデング熱に罹り、名古屋の病院で入院していた人物が他にもいたことが確認されている。しかしその人は、中部国際空港内で感染の疑いがあると診断され、病院へ直行していた。しかも美島さんが成田空港経由で帰国した後、その人は完治して退院したようだ。よって感染ルートではないと判断された、と聞いている。だが個人情報保護の為、病院側から名前等は教えられていない」
「だったら病死じゃないのか。それなのに殺人だと決めつけるのはどういう訳だ?」
「考えてもみろ。感染先が不明なだけでなく、どこからもウィルスが検出されなかったんだ。しかも感染元と疑われているフィリピンから帰国して、二週間も過ぎた後だぞ。すぐに発症しなかったというのは理解できる。それでもそんなに長く体内にウィルスを抱えていたなら、どこかで検出されるはずだ。血液や体液との接触で広まるものらしいから、唾やくしゃみをすれば、その飛沫先でウィルスが発見されるだろう。歯を磨いたら歯ブラシなどに付着するだろうし、コップなどにも付いているのが普通じゃないか。小便などもそうだ。しかし家や会社の洗面やトイレ、机周りなども全て調べたが出て来なかった。それが余りにも不自然ではないかと、警察内でも疑問を持った人達はいたんだ」
「どういうことだ? 誰かが意図的にウィルスを美島さんに感染させたとでもいうのか」
「そうでないと辻褄が合わない。彼の体内だけでしか見つかっていないことから考えると、おそらく飲み物か食べ物で彼の口から摂取させたのでは、という意見が出た。俺もそう考えていた内の一人だ」
「それでも感染してから、最短二日で発症するんだろ? その間にウィルスが広がる可能性だってあっただろ」
「専門家によると摂取して体内奥深く取り込まれ、ウィルスが心臓に達して発症したとすれば、飛沫しないこともあるらしい。だから毒殺と同じで、誰かが彼の口にウィルスを入れた可能性が高いと俺は考えている」
「しかしどうやってそんなことができる? 毒ならどこかから入手できるだろうが、デングウィルスを手に入れるなんて、そう簡単にできる訳がないだろう」
「ああ。だから美島さんが亡くなった頃、東南アジア等の海外へ渡航していた人物が社内にいないかを探したんだ。現地で何かしらそういうものに触れて、持ち込んだ可能性があるからな」
「それが久我埼さんだったと言うのか?」
 浦里の問いに三箇は首を横に振って、溜息を吐いた。
「いや、違う。あいつには海外への渡航歴自体が無かった。パスポートすら持っていなかったんだよ」
「だったら他に怪しい人物はいなかったのか? 例えば家族はどうだ。一緒にフィリピンへ旅行していたんだろ? 子供達は無理だとしても、奥さんだったら可能だろう」
「真っ先に疑われていたさ。美島さんが高給取りだったこともあったし、自身が生命保険も扱う保険会社にいたことで、高額な契約に加入していたからな。だけど海外から持ち込んだとしても、どうやったのかと考えれば、そう簡単にできることでもない。それに扱い方を間違えると、下手をすれば自分自身が感染してしまう。しかし色々調べたが、生命保険だけでは動機として薄く、決定的な証拠も見つからなかった。だから奥さんは容疑者から外された」
「どういうことだ?」
「一時的に得られる高額な生命保険よりも、経済的には会社で働いて高額な給与を貰い続けた方が得なはずと考えられたらしい。年収は一千二百万円以上あったようだからな。しかも夫婦仲に問題は見つからず、動機もないと判断されたんだ」
「他に容疑者はいたのか?」
「美島さんの周辺にいる社員や取引先などで、海外渡航をした人間をピックアップした。すると十数人程、フィリピンではないが同じ東南アジアに夏季休暇を取って旅行していた女性社員がいた」
「それ位はいるだろう。実家暮らしで独身の事務職なら、それなりに経済的な余裕がある。毎年必ず海外旅行に行く事務職は、俺が知っているだけでも数人いるからな。廻間さんの周りにもいるよね」
 話を振られた為、英美は頷いて答えた。
「私はもっぱら国内旅行派だけど、海外へ毎年のように一人旅する事務職は結構いるよ。総合職だって年に一回は、家族でグアムとかハワイに行っているって話を聞くしね」
「らしいな。当時も調べている内に、そうした事情を知って驚いた。警察だとそれほど給与は高くないし、休暇も長く取れない人の方が多い。改めて美島さんの働いている会社が大きく、恵まれているんだなと思い知らされたさ。だから子供を二人も抱えているというのに、俺達親子へ経済的支援する余裕があったんだと納得したよ」
「それでも社員の中に、疑わしい人物はいなかったんだろ?」
「ああ。全く見つからなかった」
 そこで英美は思い出し、尋ねてみた。
「そういえば二課の七恵さんは、一宮支社にいたんじゃなかった?」
「いた。当時は独身だったから柴山ではなく、旧姓の木幡こはたさんだったけどね。事情聴取もしたから覚えているよ。だから警察を辞めてこの会社に入ってから、数年後に彼女が再就職でこのビルへ来た時は驚いた。こんなところでまた会うなんて、と思ったよ」
「もしかして他にもいるんじゃないのか? 当時事情を聞いた社員の数は相当数いただろうから」
「確かに俺がここへ入った頃はまだいた。だけど今はもうほとんどが異動や退職でいなくなってしまったから、当時の事を知っているのは柴山七恵さんを含めて、数人くらいしかいないんじゃないかな」
 英美はそこで首肯した。
「彼女が総務課に配属された久我埼さんを、やたら大きな声で死に神呼ばわりしていたのは、そういう理由があったんだ」
「それはそうだろ。当時疫病神扱いされていた久我埼が再びこっちへ戻ってきて、しかも同じビルの同じフロアに来たんだ。良い思い出ではないだろうし、嫌うのも無理はない」
「妙に肩を持つわね、三箇さん。七恵さんの事情聴取の結果はどうだったの? 彼女は疑われたりしたの?」
「いや、確か彼女はパスポートを所持していたけど、渡航歴は無かった。だから早々に容疑者リストから外されたと思う」
「渡航履歴が無いのに、パスポートを持っていたの?」
「彼女は当時既に、結婚が決まっていたらしい。それで新婚旅行用に取得していたと話していたはずだ。確かその後しばらくして、寿退社したと聞いた覚えがある」
「この会社に再就職してから、彼女と話をしたのはいつ?」
「久我埼がこのビルに現れた時、少しね。彼女も驚いていたよ。SC課と事務職は接点がほとんどないし、あの当時の事情聴取した刑事がこの会社にいるとは想像もしていなかったんだろう。例の紛失事件の件で騒ぎが大きくなった時も、彼女から話を聞いたんだ」
 ここで黙っていた浦里が話を戻した。
「それで柴山さんも含めて社員の中に怪しい人物はいないし、奥さんの疑いも晴れた。それなのに、何故久我埼さんが容疑者だと思っているんだ?」
「刑事の勘さ。これは事情聴取したものでしか分からない。あいつには渡航歴も無く、疑われる要因は少ないはずだった。それなのにやたら怯えていた」
「それは上司が亡くなったのが、二回目だったからじゃないのか。それで疫病神呼ばわりされたんだろ。警察からも疑いの目を向けられたら、怖がるのも無理はない」
「いや、そうじゃない。あいつの目は、隠したいことがあると物語っていた。だから挙動不審に陥っていた。それで俺は、奴のことを調べ出したんだ。しかし途中でストップがかかり、捜査から外された。身内の人間が亡くなったことで冷静さを失っているから、公平な捜査はできないという理由だ」
「しかし犯人が久我埼さんかは別として、警察の中で病死だと判断するのは疑わしいという声が上がっていなかったのか」
「その頃には捜査も行き詰っていたから、病死で片付けようという空気が流れていたんだ。俺はそれを阻止しようとしたんだが、邪魔だったらしい。上の方針に逆らう奴だと言うことで、邪険にされた。だから俺は独自に調べ始めたんだ」
「外されたのに、個別で捜査していたのか」
「そうするしかなかった。しかも殺されたのは俺の恩人だ。高校を卒業して警察学校に入り、警官になって家に生活費を入れられるようになるまで、美島さんの世話になった。そして彼の母親が病気で亡くなったのを機に、俺達親子は別の部屋を借りて住むようになったんだ。そこでようやく援助も必要なくなり、しかもそれまでいた宮城から地元の愛知に異動で戻って来た。だからこれから恩返しする番だと思っていた矢先に、あの事件が起こった。俺が警官から念願の刑事課に抜擢されて、二年目に入った年だ。あの人が突然亡くなったと聞いて呆然としたよ」
「独自に調べて、何か見つかったのか」
「不審な点はいくつか判った。久我埼の前の職場で上司が事故死した件でもそうだったが、奴は美島さんとも相性が良くなかったという証言が、複数から得られた。だから気に食わない上司を殺したいと思っていたとしても、おかしくは無い。実際にそう思っていた上司が事故死したのだから、同じように死んだらいいのにと考え、殺人を思い立った可能性はある。あいつには動機があったんだ」
「その事故って、十五年前に起こった件だろ。俺は前の職場が京都だったから、そんな話を聞いたことはある。でも同乗していた久我埼さんも、相当な重傷を負ったらしいじゃないか。運転していたのは上司だったし、スピードを出し過ぎてカーブを曲がりきれなかった事故だったはずだ。それに上司と反りが合わないなんて、良くある話だろ。他に美島さんを恨んでいそうな社員はいなかったのか? 部下の中で一人だけと相性が良くない上司なんて、まず聞かない。一人現れれば他にもいたはずだ。その点はどうなんだ」
 痛い所を突かれたらしい。彼は浦里の質問に顔を歪めた。
「調べる内に、俺の知らない美島さんの姿が見えて来たことは確かだ。俺達には神様のように見えたあの人も、仕事場では厳しかったらしい。特に営業の管理職となってからは、上からのプレッシャーもあったんだろう。部下を叱咤することは良くあったようだ」
「それなら美島さんを憎んでいた社員は、久我埼さん以外にもいたんじゃないのか」
「いや、殺すほどの動機があった社員は見つからなかった。だから俺は久我埼しかいないと睨んだんだ」
「こんなことを言うと失礼かもしれないが、敢えて言わせてもらう。当時三箇さんは警察に入って五年目、刑事になってまだ二年目だったんだろ。さっき言った刑事の勘や、人を殺した人間が分かるというその目は信用できるものなのか。俺達の会社で入社五年目、二か所目の職場で二年目と言えば、新人とまでは言わないまでも中堅とも呼べない程度だ。本当にその勘が確かなのかが俺には分からない」
「周りからもそう言われたよ、それでも俺は奴が過去に人を殺したことがある人物だということと、美島さんが只の病死でないことだけは間違いないと信じている。ただそれを結びつけるものが見つけられなかった。だからといって安易に捜査を打ち切り、病死で終わらせた警察のやり方が許せなかったんだ」
「だから辞めたのか」
「ああ。この会社で賠償主事の募集があることを知り、面接を受けた。無事採用され、このビルで働くようになって九年目になる。二人の前だから白状するけど、あの事件の真相を明らかにする目的で俺はここへ就職することを決めた。内部にいれば、何か情報を掴めると思ったからだ。他にも美島さんのいた会社が、どういう場所だったかを知ろうとしたことも、理由の一つではある」
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