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第四章~辻畑④
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父は辻畑がまだ幼い頃、近所の家を借りて書道教室やそろばん塾、学習塾を営んでいた。そんな経緯から、自治会や子供関係の仕事をよく頼まれていたのだ。しかし少子化が進み大手学習塾の進出で先細りとなり、一番下の真が大学卒業したのを機に塾は全て閉めた。
その頃五十を過ぎていた父は、再就職先にマンションの管理人や清掃の仕事に就いた。それでも空いた時間を使い、引き続き町内の仕事を受け民生委員にも選ばれた。そこで真面目に取り組まない他の委員達と衝突し、また区役所等のいい加減な対応に抗議した為、それなりに敵を作ったと聞いている。
しかし父が亡くなった時の通夜には想像以上の人が集まり、葬儀社が慌てた程だ。市議や県会議員だけでなく区長や市長、当該地区選出の国会議員までが参列した。そこで急遽、翌日の告別式会場を予定より広い部屋を取り、特別席を確保せざるを得なくなったのだ。
人は死んだ時、生きてきた価値が判断されるとも言われる。大会社の社長など偉い役職についた人でも、葬式には全く人が来なかったとの話を時々聞く。かと思えば父のようなしがない一市民の死を、大勢の人が偲んでくれる場合もある。母だって父の葬式の後、私の時もこうやって沢山の人に来て欲しいと言っていたではないか。
それを聞いた時は父を誇らしく思い、羨ましかったのだろうと感じていた。けれどお願いすれば来てくれるものでなく、生きてきた日々の積み重ねだ。よって心の中で母には無理だと思っていた。
母もそれなりに近所付き合いはしていたが、父ほど貢献していない。実際、父が亡くなり民生委員の席が空いた時、母は代わりにやってもいいと口にしたが、結局ならなかった。というより推薦されず、選ばれなかったと聞いている。父の人望が厚かっただけに、力不足だと判断されたのだろう。そこでハッとして尋ねた。
「父さんが亡くなった後、何か言われたのか。近所付き合いが上手くいってなかったのか」
母は鼻で笑った。
「特別何か言われた訳じゃないわよ。お気の毒にと何度も声をかけられ、惜しい人を亡くしたとお悔みの言葉を貰っただけ。付き合いだってそう変わらなかった」
「だったらどうして簡単に実家を手放したんだ。足を悪くしたから俺と同居したいって言い出したのは理解できたさ。でも実家で一緒に住みたいとは言わなかったよな」
おかしいとは思った。長年住み慣れた家を離れたくない人は多い。施設に入りたくないとごねたのはそういう意味かと思っていたが違ったので、奇妙だと感じた記憶がある。
しかしあの時はまだ咲良がいて、母の縄張りの家より官舎の方がマシだと話し合い決めた。慣れない台所に入るのを彼女が嫌がったからだ。主婦にはそこが大きな問題らしい。他人に入られたくない、勝手に触るなと思うそうだ。現に母は足が悪くとも、買い物をして料理も自分でしていたから余計だった。
その上実家だと近所付き合いを一から始めなくてはならない。母の味方の多い地区で住むのは息苦しく感じると思ったし、咲良もそう言った。そこで同居の条件を付けたのだ。そうすれば諦めると正直目論んだのは確かである。
けれど期待に反し母はすんなり応じ、家の売却や引っ越しも嫌がらなかった。その為こちらは受け入れざるを得なくなり、結局離婚という最悪の結果を招いたのである。
当時は安易な判断をしたと後悔したが、既に遅かった。母を追い出そうにも住む家が無い為、新たに探さなければならない。周囲の目もあり、それが叶わなかったのだ。
しかし母の次の言葉で、長年の疑問が氷解した。
「何も言わなくても見る目が違ったのよ。あの街はお父さんに優しかっただけ。私の味方はいなかった。地域に貢献した人は評価されたけれど、そうでない私は邪魔者だったのさ」
それまで壁に寄りかかっていた母は疲れたらしく、床に腰を下ろし愚痴を吐き出し始めた。それはとても長かった。元々足を悪くしたのは晩年外に出歩く機会が少なくなったからで、原因は父だと言い出したのだ。
仕事が忙しく実家に余り寄り付かなかった為、辻畑は全く気付かなかった。妹の清美もそうだったからか、そんな話は聞いた記憶が無い。事故で亡くなった真も東京にいたので同じだったのだろう。
言い分では父が民生委員を引き受け忙しくなるにつれ、母もその手伝いをさせられたことがきっかけのようだ。したくなくても父が留守の間に電話がかかってきたり、書類など届けに家を訪ねて来たりする人の応対や、代わりに急ぎの書類を渡しに行くなど否応なくやらざるを得なかったらしい。そこである日、文句を言って父と喧嘩になったという。
「民生委員はあなたで私じゃない。お金だって貰っていないし、感謝されるどころか文句を言い出す人もいる。私に言われたって何のことか分からない。ただはいはいと聞き、あなたに伝えるとしか言えないでしょう。もう手伝いなんてしたくない」
嫌な目に遭っても人から感謝されるのは父だけだ、とある日気付きそう告げたところ、
「嫌ならいい。電話も出ず書類を届けに来ても居留守を使え。だったら対応しなくて済む」
と言い渡され、しばらくその通りにしたという。
その頃五十を過ぎていた父は、再就職先にマンションの管理人や清掃の仕事に就いた。それでも空いた時間を使い、引き続き町内の仕事を受け民生委員にも選ばれた。そこで真面目に取り組まない他の委員達と衝突し、また区役所等のいい加減な対応に抗議した為、それなりに敵を作ったと聞いている。
しかし父が亡くなった時の通夜には想像以上の人が集まり、葬儀社が慌てた程だ。市議や県会議員だけでなく区長や市長、当該地区選出の国会議員までが参列した。そこで急遽、翌日の告別式会場を予定より広い部屋を取り、特別席を確保せざるを得なくなったのだ。
人は死んだ時、生きてきた価値が判断されるとも言われる。大会社の社長など偉い役職についた人でも、葬式には全く人が来なかったとの話を時々聞く。かと思えば父のようなしがない一市民の死を、大勢の人が偲んでくれる場合もある。母だって父の葬式の後、私の時もこうやって沢山の人に来て欲しいと言っていたではないか。
それを聞いた時は父を誇らしく思い、羨ましかったのだろうと感じていた。けれどお願いすれば来てくれるものでなく、生きてきた日々の積み重ねだ。よって心の中で母には無理だと思っていた。
母もそれなりに近所付き合いはしていたが、父ほど貢献していない。実際、父が亡くなり民生委員の席が空いた時、母は代わりにやってもいいと口にしたが、結局ならなかった。というより推薦されず、選ばれなかったと聞いている。父の人望が厚かっただけに、力不足だと判断されたのだろう。そこでハッとして尋ねた。
「父さんが亡くなった後、何か言われたのか。近所付き合いが上手くいってなかったのか」
母は鼻で笑った。
「特別何か言われた訳じゃないわよ。お気の毒にと何度も声をかけられ、惜しい人を亡くしたとお悔みの言葉を貰っただけ。付き合いだってそう変わらなかった」
「だったらどうして簡単に実家を手放したんだ。足を悪くしたから俺と同居したいって言い出したのは理解できたさ。でも実家で一緒に住みたいとは言わなかったよな」
おかしいとは思った。長年住み慣れた家を離れたくない人は多い。施設に入りたくないとごねたのはそういう意味かと思っていたが違ったので、奇妙だと感じた記憶がある。
しかしあの時はまだ咲良がいて、母の縄張りの家より官舎の方がマシだと話し合い決めた。慣れない台所に入るのを彼女が嫌がったからだ。主婦にはそこが大きな問題らしい。他人に入られたくない、勝手に触るなと思うそうだ。現に母は足が悪くとも、買い物をして料理も自分でしていたから余計だった。
その上実家だと近所付き合いを一から始めなくてはならない。母の味方の多い地区で住むのは息苦しく感じると思ったし、咲良もそう言った。そこで同居の条件を付けたのだ。そうすれば諦めると正直目論んだのは確かである。
けれど期待に反し母はすんなり応じ、家の売却や引っ越しも嫌がらなかった。その為こちらは受け入れざるを得なくなり、結局離婚という最悪の結果を招いたのである。
当時は安易な判断をしたと後悔したが、既に遅かった。母を追い出そうにも住む家が無い為、新たに探さなければならない。周囲の目もあり、それが叶わなかったのだ。
しかし母の次の言葉で、長年の疑問が氷解した。
「何も言わなくても見る目が違ったのよ。あの街はお父さんに優しかっただけ。私の味方はいなかった。地域に貢献した人は評価されたけれど、そうでない私は邪魔者だったのさ」
それまで壁に寄りかかっていた母は疲れたらしく、床に腰を下ろし愚痴を吐き出し始めた。それはとても長かった。元々足を悪くしたのは晩年外に出歩く機会が少なくなったからで、原因は父だと言い出したのだ。
仕事が忙しく実家に余り寄り付かなかった為、辻畑は全く気付かなかった。妹の清美もそうだったからか、そんな話は聞いた記憶が無い。事故で亡くなった真も東京にいたので同じだったのだろう。
言い分では父が民生委員を引き受け忙しくなるにつれ、母もその手伝いをさせられたことがきっかけのようだ。したくなくても父が留守の間に電話がかかってきたり、書類など届けに家を訪ねて来たりする人の応対や、代わりに急ぎの書類を渡しに行くなど否応なくやらざるを得なかったらしい。そこである日、文句を言って父と喧嘩になったという。
「民生委員はあなたで私じゃない。お金だって貰っていないし、感謝されるどころか文句を言い出す人もいる。私に言われたって何のことか分からない。ただはいはいと聞き、あなたに伝えるとしか言えないでしょう。もう手伝いなんてしたくない」
嫌な目に遭っても人から感謝されるのは父だけだ、とある日気付きそう告げたところ、
「嫌ならいい。電話も出ず書類を届けに来ても居留守を使え。だったら対応しなくて済む」
と言い渡され、しばらくその通りにしたという。
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