遺族は何を思う

しまおか

文字の大きさ
56 / 78

第五章~尾梶⑨

しおりを挟む
 尾梶は席に戻り通常業務を一区切り終わらせた後、再度辻畑の携帯に連絡を入れた。だがやはり留守番電話に切り替わった為、伝言を残した。
「尾梶です。今、課長から例の件で聴取を受け証拠物件も全て渡しました。お伺いしたい件がありますのでご連絡下さい。私に何も言わないまま、警察を去るのだけは許せません」
 これまでと違い、尾梶を遠ざける必要はないはずだ。よって必ず連絡を寄こすだろう。そう確信をしていたところ案の定、夕方遅くにスマホが鳴った。彼からだ。急いで廊下に出て通話ボタンを押した。
「辻畑だ。遅くなって済まない」
 開口一番謝った声は想像以上に落ち着いていた。それが癇に障り思わず口調が強くなる。
「何故隠していたんですか。一人で勝手に辞めるなんて卑怯です。格好をつけすぎです」
「そんなつもりはない。元々俺一人で始めた事だ。途中から巻き込んだのは、掴んだ証拠を提出する際、信用が得られるよう打った布石に過ぎない。尾梶も分かっていただろう」
「だからといって、一人で責任を被る必要はなかったでしょう」
「何を言う。尾梶には何の責任もない。本部だってそう判断した。だからそっちの聴取が事後になったんだろう」
 確かに一連の件で尾梶が処分を受けるのは筋違いかもしれない。けれど辻畑には警察を辞めて欲しくなかった。似た境遇を抱える同志として、今後も共に仕事をしたかったのだ。
 よって露見した際は上に対し説得する情報を得る為にも、深く関わりを持とうと試みたのである。警視庁より提供されたリストから、彼の情報を削除したのだってその為だった。しかしもっと上手だった彼は、一人で全て背負うことに成功したのだ。
 納得できない為、彼を問い質した。
「どうして辞めなければいけなかったのですか。上が命じたのなら、私が再度説明します」
「無駄だ。上は慰留してくれたが、辞めると決めたのは俺だからな」
「何故ですか。あれは嵌められただけでしょう。他の件と違います。例の金も勝手に押し付けられただけではないですか」
「だが途中までとはいえ、母が消えて欲しいと願った事実は消せない。その書き込みに相手が反応して事件が起きた。刑事が犯罪者側に回ったんだ。責任を取るのは当然で、警察に居続ける資格はない」
 彼の言葉に違和感を覚えた尾梶は尋ねた。
「途中までとはどういう意味ですか」
 意図が分からなかったのか聞き返された。
「なんだって」
「いえ、辻畑さんがお母様に消えて欲しいと考えていたのは途中まで、とも取れたのでどういう意味なのかと思いお聞きしました」
 しばらく間があってから、彼は言った。
「俺が最後まで母を恨んでいたと思ったのか。そういえば言っていなかったな。実は相手から反応があった後、母と大喧嘩をしたんだ。そこで互いの本音を初めてぶつけ合った。おかげで母の態度が軟化したんだよ。あれほど行きたくないと拒絶していた施設にも入るつもりでいたんだ」
 尾梶は初めて耳にする話に衝撃を受けた。
「そ、そうでしたか。それはいつですか」
「確か尾梶に囮捜査の話を打ち明けた日の夜だ。あの日までは本当に消えて欲しいと思っていた。だからあれだけ真に迫った書き込みが出来て、相手が食いついたんだろう」
「その後に状況が変わっていたんですね」
「完全にひっくり返った。馬鹿な真似をしなければ、今頃はどこの施設に入るかを決め、引っ越し準備をしていただろう。そう考えると俺が犯した罪は重い」
「今回の件で、辻畑さんは多少なりとも救われたと思っていました」
「最悪の結果をもたらしただけだ。もっと早く向き合っていれば、妻とも離婚せずに済んだだろう。仕事が忙しいと言い訳し、衝突を恐れた俺に全責任がある。だからけじめをつける為にも警察を辞め、今後は悔いが残らない人生を送ると決めたんだよ」
 完全に誤解をしていた。てっきり二人は同じ価値観を持っていると信じ込んでいたが違ったのだ。知らぬ間に、彼は尾梶が到達できなかった領域に足を踏み込んでいたらしい。 
 警察を辞める結論に至った理由が初めて理解できた。かつては転職せざるを得ない状況まで追い込まれていたはずだ。そうしなかったのは刑事という職業に強く執着していたか、母親の為にそんな真似までしてたまるかとの反発心があったと考えていた。
 だから彼は今回の件があっても、絶対警察に残ると思い込んでいた。けれどそれは大きな誤りだった。当然だ。前提が全く違うのだから。何故か裏切られた気持ちになり、責める気力はもう失っていた。その為黙っていると、彼は言葉を続けた。
「俺は警察を去るが事件は終わっていない。尾梶は今後も的場さんや他都府県と連携し追ってくれ。上にそう念を押しておいたが、課長からは何か言われなかったのか」
「辻畑さんのおかげで引き続き任務に就くよう指示されました。昇進試験も受けろ、と」
「良かった。でもそれは尾梶の実力だ。期待されているんだから、是非応えてくれ」
「私の事はいいですよ。でも辻畑さんはどうするんですか」
「俺もこのままという訳にはいかない。別の意味で闇サイトとの関係が続いているからな。なんたって相手にとって俺は依頼主だ。それを逆手に取ってやろうと思っている」
「これからも事件に関わるおつもりですか」
 驚く尾梶に彼は当然とばかりに言った。
「もちろんいつか母の仇は取る。実行犯だけじゃない。闇サイト運営者や協力者達を含めたネットワークを暴くつもりだ」
「で、でも、そうなると辻畑さんだって、その関係者に含まれてしまうのでは」
「だからだ。警察に居ては出来ない。下手をすれば逮捕されてしまうからな」
「それもあって辞表を出されたのですか」
「その為に辞めたという方が正しい」
「生活はどうするんですか」
「皮肉な事に事故での保険金が入るようだし、他の死亡保険金を含めた遺産も手に入る予定だ。退職金もあるから金には当面困らない。しかも俺は一人身だしなんとかなるさ」
 ひき逃げ犯は捕まっていない為、相手の車が掛けている自動車保険の対人賠償は払いようがない。その為に彼が所持する車の人身傷害保険で、本来払われるべき賠償金相当額が支払われるという。また母親が別途交通傷害保険や生命保険にも加入していた為、想定外の臨時収入を得るらしい。さらに退職金だけでなく、あの一千万円もある。
 しかし気軽になったと言うが、実際の心情はそう単純でないだろう。母親を殺すよう依頼したとの消せない現実を背負うのだ。しかも憎しみの対象でなくなっていたなら尚更である。本来であれば依頼主の彼は、全国に散らばる協力者達と同様、闇サイト運営者達に取り込まれる立場だ。介護やDV等で苦しむ人々を見つけては、悩みの種を排除する手助けを強要されるはずだった。
 けれどその運命に逆らい、警察を辞めた上で摘発する側に回るという。本当にそんな真似が出来るのか。警察の権力無しでどういう手を使うつもりなのか。
 色々と聞きたい件は山ほどあったが、この時尾梶はそれ以上何も言えなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

その人事には理由がある

凪子
ミステリー
門倉(かどくら)千春(ちはる)は、この春大学を卒業したばかりの社会人一年生。新卒で入社した会社はインテリアを専門に扱う商社で、研修を終えて配属されたのは人事課だった。 そこには社長の私生児、日野(ひの)多々良(たたら)が所属していた。 社長の息子という気楽な立場のせいか、仕事をさぼりがちな多々良のお守りにうんざりする千春。 そんなある日、人事課長の朝木静から特命が与えられる。 その任務とは、『先輩女性社員にセクハラを受けたという男性社員に関する事実調査』で……!? しっかり女子×お気楽男子の織りなす、人事系ミステリー!

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...