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出会い~②
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彼女の家は巧の家から五十mほど離れたところにある公園を挟んで、さらに五十m近く歩いたところにある。つまり彼女とは直線で百mほどしか離れていないご近所さんだった。
東海圏を中心に展開している地方銀行に勤務する彼女の父、司の実家がすぐ隣の区にあるらしい。今回三度目の転勤で生まれ故郷である八千草に戻ってきたことを機に、今後の子供の教育なども考えてこの地に家を購入しようと決めたという。
彼女自身も転校が二回目で、今度転勤するとなると中学校の途中になる可能性が高い。転校先によっては、後の高校受験や大学受験にも大きく影響を受けると親が懸念したようだ。
地方銀行といえども司の転勤の範囲は国内だと北は東京、南は兵庫までと広い地域に支店があり、その上アメリカなど海外の可能性もあったという。
転勤先については、本人や家族の希望が通るものでもない。その為どこに行くか、その土地に何年いるかはその時にならないと判らなかった。
それならば生まれ故郷でもあり、比較的大きな都市で教育環境もいいこの八千草という街に家を建てようと決断したのだろう。しかも司の実家に近い場所ならば、娘の教育上もその後の選択肢が増えて安心だろうと考えたようだ。
とにかくクラブに入ってもそれ以前と変わらず友達らしい友達のいない巧は、転校してきたばかりのサッカー命である彼女にとって、格好の練習相手になっていた。
クラブや学校からの帰り道が一緒で、家は近くだ。女子とはいえ同じクラブの先輩でしかも上級生男子も恐れる彼女に、巧のような小心者が逆らえるわけがない。
それにお互い一人っ子同士だったことから、彼女にとって巧はまさしく弟であり、下僕のような存在だったのだろう。
彼女が来る前の巧は、クラブ練習が終わったらさっさと帰宅していた。シャワーで練習の疲れと汚れを洗い流し、夕飯が出来上がるまでの間にリビングに寝転がってぼんやり夕方のテレビアニメを観ていたのだ。
それが彼女の練習に付き合うようになってできなくなった。一度だけ勇気を振り絞り、以前はそうしていた、ゆっくりテレビが観たいと彼女に言ったことがある。すると斜め前を歩いていた彼女は立ち止まり、首だけを動かして振り向きパッチリとした黒い目でジロリと睨んでこう言った。
「あんたのことやからどうせすぐ眠とうなってぼうっとして、テレビの内容もほとんど頭に入ってへんやろ。そんな無駄な時間を使うくらいなら、もっと練習せな。あんた、サッカー、上手くなりたいんと違うの。それでクラブに入ってるんと違うの。それとも友達が欲しくて入っとるの? どちらにしてもあんた、このままやとサッカーも下手なままで、友達もまともにできへんよ」
的確な指摘にグウの音も出なかった巧は、それ以降一切文句も言わずというか言えず、黙々と彼女の練習に付き合うことになった。
ただ巧のサッカー技術を上げるための居残り練習ではない。もっとボールを蹴り続けたいという彼女の相手をし続けていれば、ついでに巧の練習にもなるだろうというのが実態として正しい表現だった。
母は時折心配だったらしく、家の窓から二人の練習風景をこっそり見守っていたと後に聞いた。すると公園では彼女からボールを奪おうと、巧はバタバタと走り回るだけ。一方的にドリブルや体を回転させてボールをキープし続け、巧に触れさせることすらほとんどなかったと言っていた。
実際にそうだった。彼女が小学生でいた間は、ボールを奪った記憶などない。その練習に飽きると今度は彼女がボールをシュートし始める。巧の役目は当然キーパーだ。
いや球拾いと言った方が正確かも知れない。公園にサッカーゴールはないから、地面に線を引きゴールラインにみたて彼女のシュートを受ける。はずなのだが、まず触れない。
近所のその公園は、試合で使うサッカーコートの四分の一程の広さしかなかった。しかもブロック塀などで囲まれてもいない。だからボールを思いっきり蹴ると、外の道路や家に飛び込んでしまう。
よって彼女は公園のほぼ中央に四、五mくらいの線を引き、そこに立つ巧に向かってドリブルし、一対一で近距離から右へ左へと軽くシュートをしていた。
それでも全く止められない。手や足の間をすりぬけてコロコロと後ろに転がるボールを、公園から外に出てしまうまでに必死に走って取りに行くのが主な役割だった。その時ようやくボールに触れるといった具合だ。
しかしそのおかげか巧は以前よりも足腰が鍛えられ、右へ左へと動く反復横飛びや五mダッシュは、小学校を卒業する頃同級生でも上位五人の中に入る位になった。だがそれだけではチームでも通用しない。
実際の試合で一対一には強く、手足を伸ばした先の左右一mくらいに飛んで来るボールには反応できるようになった。だがそれ以上先、または頭から上の高い場所にシュートされると、全くと言っていいほど手が出なかった。
小学生の間は身長がなかなか伸びなかったこともあり、特に高いボールを苦手としていた。持久力も人並み程度で、走っても最初の数歩以降はスピードが伸びず、足はそれほど速くない。
それでいて足でのボール扱いも上達していないから、キーパー以外に通用するポジションはどこにもないままだった。
それでも巧はクラブに所属している間、キーパーをやり続けた。クラブ内で第三、第四キーパーだった為試合には出られないが、練習だとゴールを守ることができる。グランドを駆け回る千夏の後ろ姿を見られることが、その頃の巧にとって楽しみになっていたからだろう。
そんな巧とは違い、彼女はサッカーの才能を如何なく発揮していった。八千草サッカークラブにおいても上級生の男子を押しのけ、結局入団して一年後の小学五年で入団当初に宣言した通りレギュラーを獲得した。
やがて彼女が六年生の時に八千草サッカークラブは強豪ひしめく県大会を勝ち上がり、全国大会への出場を果たしたのだ。
残念ながら全国大会では、二回戦で敗退した。けれども女子ながら得点を上げる活躍をした彼女は、地元の新聞社やテレビ局に取り上げられるなど注目を集め、八千草地区では有名な選手へと成長していった。
巧はそんな彼女を憧れの目を持って見守っていた。こんな有名な選手と、ほぼ毎日のように練習しているということが誇らしかった。一部の数少ない友人にだけは、こっそり自慢したことがある。
その後地元で名を馳せた千夏は、小学校を卒業して中学に上がったのを機に八千草クラブを退団した。女子サッカークラブユースから誘いを受け入団することになったからだ。
彼女の入ったクラブのAクラスは、女子サッカーの社会人リーグに参加していた。中には日本代表に選出され、なでしこジャパンとして世界と戦っている選手がいるほどの有名なチームである。千夏は将来の日本代表への道を、着実に歩き始めていたのだ。
本来なら、巧のような平凡なサッカー少年からは手の届かない所に行ってしまったはずの彼女だった。しかしなぜか公園での練習は、彼女が中学に入学した後もしばらく続いていたのである。
その頃二人は同じクラブでも無く、通っている学校も違うので当然一緒に下校するようなこともない。さらにサッカーの練習時間も、彼女の所属するユースの方がずっと長かった。その為かつてのような、平日の夕方にボールを蹴り合うことはできなくなっていた。
その代わり二人の練習は、平日の学校へ行くまでの朝早い時間帯に行われた。同じ公園で彼女はボールを蹴り、巧はそれを拾い続けた。
もしかして二人は付き合うようになったのか、と思う人もいたかもしれない。だが当時の彼女は、巧のことを出来の悪い弟のようにしか見ていなかっただろう。それに巧自身も彼女のことは異性というより、怖いが格好いい姉または先輩として憧れていた程度だったと思う。
とにかく彼女といる間は男女の垣根も無く、ましてや不細工な黒人面を揶揄されたり差別されたりすることもなかった。ただの純粋なサッカー小僧でいられることが、巧には心地よかったのかもしれない。
多少乱暴に扱われてはいたけれど、二人の間位には温かい何かが流れていたことを感じていたからこそ、長い間続けていられたのだろう。
それでも彼女がユースに移ってから姿を見る時間が減り、巧は寂しい思いをしていた。クラブだけでなく学校も違うため、見かける機会が少なくなった。だから巧は彼女と同じ地元の中学に入ることを楽しみにしており、次の春がとても待ち遠しかった。
そして桜が咲き、無事に巧も彼女と同じ中学へ入学できたと喜んでいた。しかしその後の巧達の人生を狂わす一つ目の大きな出来事が起こった。千夏の父親である司が、自動車事故で亡くなったのだ。
東海圏を中心に展開している地方銀行に勤務する彼女の父、司の実家がすぐ隣の区にあるらしい。今回三度目の転勤で生まれ故郷である八千草に戻ってきたことを機に、今後の子供の教育なども考えてこの地に家を購入しようと決めたという。
彼女自身も転校が二回目で、今度転勤するとなると中学校の途中になる可能性が高い。転校先によっては、後の高校受験や大学受験にも大きく影響を受けると親が懸念したようだ。
地方銀行といえども司の転勤の範囲は国内だと北は東京、南は兵庫までと広い地域に支店があり、その上アメリカなど海外の可能性もあったという。
転勤先については、本人や家族の希望が通るものでもない。その為どこに行くか、その土地に何年いるかはその時にならないと判らなかった。
それならば生まれ故郷でもあり、比較的大きな都市で教育環境もいいこの八千草という街に家を建てようと決断したのだろう。しかも司の実家に近い場所ならば、娘の教育上もその後の選択肢が増えて安心だろうと考えたようだ。
とにかくクラブに入ってもそれ以前と変わらず友達らしい友達のいない巧は、転校してきたばかりのサッカー命である彼女にとって、格好の練習相手になっていた。
クラブや学校からの帰り道が一緒で、家は近くだ。女子とはいえ同じクラブの先輩でしかも上級生男子も恐れる彼女に、巧のような小心者が逆らえるわけがない。
それにお互い一人っ子同士だったことから、彼女にとって巧はまさしく弟であり、下僕のような存在だったのだろう。
彼女が来る前の巧は、クラブ練習が終わったらさっさと帰宅していた。シャワーで練習の疲れと汚れを洗い流し、夕飯が出来上がるまでの間にリビングに寝転がってぼんやり夕方のテレビアニメを観ていたのだ。
それが彼女の練習に付き合うようになってできなくなった。一度だけ勇気を振り絞り、以前はそうしていた、ゆっくりテレビが観たいと彼女に言ったことがある。すると斜め前を歩いていた彼女は立ち止まり、首だけを動かして振り向きパッチリとした黒い目でジロリと睨んでこう言った。
「あんたのことやからどうせすぐ眠とうなってぼうっとして、テレビの内容もほとんど頭に入ってへんやろ。そんな無駄な時間を使うくらいなら、もっと練習せな。あんた、サッカー、上手くなりたいんと違うの。それでクラブに入ってるんと違うの。それとも友達が欲しくて入っとるの? どちらにしてもあんた、このままやとサッカーも下手なままで、友達もまともにできへんよ」
的確な指摘にグウの音も出なかった巧は、それ以降一切文句も言わずというか言えず、黙々と彼女の練習に付き合うことになった。
ただ巧のサッカー技術を上げるための居残り練習ではない。もっとボールを蹴り続けたいという彼女の相手をし続けていれば、ついでに巧の練習にもなるだろうというのが実態として正しい表現だった。
母は時折心配だったらしく、家の窓から二人の練習風景をこっそり見守っていたと後に聞いた。すると公園では彼女からボールを奪おうと、巧はバタバタと走り回るだけ。一方的にドリブルや体を回転させてボールをキープし続け、巧に触れさせることすらほとんどなかったと言っていた。
実際にそうだった。彼女が小学生でいた間は、ボールを奪った記憶などない。その練習に飽きると今度は彼女がボールをシュートし始める。巧の役目は当然キーパーだ。
いや球拾いと言った方が正確かも知れない。公園にサッカーゴールはないから、地面に線を引きゴールラインにみたて彼女のシュートを受ける。はずなのだが、まず触れない。
近所のその公園は、試合で使うサッカーコートの四分の一程の広さしかなかった。しかもブロック塀などで囲まれてもいない。だからボールを思いっきり蹴ると、外の道路や家に飛び込んでしまう。
よって彼女は公園のほぼ中央に四、五mくらいの線を引き、そこに立つ巧に向かってドリブルし、一対一で近距離から右へ左へと軽くシュートをしていた。
それでも全く止められない。手や足の間をすりぬけてコロコロと後ろに転がるボールを、公園から外に出てしまうまでに必死に走って取りに行くのが主な役割だった。その時ようやくボールに触れるといった具合だ。
しかしそのおかげか巧は以前よりも足腰が鍛えられ、右へ左へと動く反復横飛びや五mダッシュは、小学校を卒業する頃同級生でも上位五人の中に入る位になった。だがそれだけではチームでも通用しない。
実際の試合で一対一には強く、手足を伸ばした先の左右一mくらいに飛んで来るボールには反応できるようになった。だがそれ以上先、または頭から上の高い場所にシュートされると、全くと言っていいほど手が出なかった。
小学生の間は身長がなかなか伸びなかったこともあり、特に高いボールを苦手としていた。持久力も人並み程度で、走っても最初の数歩以降はスピードが伸びず、足はそれほど速くない。
それでいて足でのボール扱いも上達していないから、キーパー以外に通用するポジションはどこにもないままだった。
それでも巧はクラブに所属している間、キーパーをやり続けた。クラブ内で第三、第四キーパーだった為試合には出られないが、練習だとゴールを守ることができる。グランドを駆け回る千夏の後ろ姿を見られることが、その頃の巧にとって楽しみになっていたからだろう。
そんな巧とは違い、彼女はサッカーの才能を如何なく発揮していった。八千草サッカークラブにおいても上級生の男子を押しのけ、結局入団して一年後の小学五年で入団当初に宣言した通りレギュラーを獲得した。
やがて彼女が六年生の時に八千草サッカークラブは強豪ひしめく県大会を勝ち上がり、全国大会への出場を果たしたのだ。
残念ながら全国大会では、二回戦で敗退した。けれども女子ながら得点を上げる活躍をした彼女は、地元の新聞社やテレビ局に取り上げられるなど注目を集め、八千草地区では有名な選手へと成長していった。
巧はそんな彼女を憧れの目を持って見守っていた。こんな有名な選手と、ほぼ毎日のように練習しているということが誇らしかった。一部の数少ない友人にだけは、こっそり自慢したことがある。
その後地元で名を馳せた千夏は、小学校を卒業して中学に上がったのを機に八千草クラブを退団した。女子サッカークラブユースから誘いを受け入団することになったからだ。
彼女の入ったクラブのAクラスは、女子サッカーの社会人リーグに参加していた。中には日本代表に選出され、なでしこジャパンとして世界と戦っている選手がいるほどの有名なチームである。千夏は将来の日本代表への道を、着実に歩き始めていたのだ。
本来なら、巧のような平凡なサッカー少年からは手の届かない所に行ってしまったはずの彼女だった。しかしなぜか公園での練習は、彼女が中学に入学した後もしばらく続いていたのである。
その頃二人は同じクラブでも無く、通っている学校も違うので当然一緒に下校するようなこともない。さらにサッカーの練習時間も、彼女の所属するユースの方がずっと長かった。その為かつてのような、平日の夕方にボールを蹴り合うことはできなくなっていた。
その代わり二人の練習は、平日の学校へ行くまでの朝早い時間帯に行われた。同じ公園で彼女はボールを蹴り、巧はそれを拾い続けた。
もしかして二人は付き合うようになったのか、と思う人もいたかもしれない。だが当時の彼女は、巧のことを出来の悪い弟のようにしか見ていなかっただろう。それに巧自身も彼女のことは異性というより、怖いが格好いい姉または先輩として憧れていた程度だったと思う。
とにかく彼女といる間は男女の垣根も無く、ましてや不細工な黒人面を揶揄されたり差別されたりすることもなかった。ただの純粋なサッカー小僧でいられることが、巧には心地よかったのかもしれない。
多少乱暴に扱われてはいたけれど、二人の間位には温かい何かが流れていたことを感じていたからこそ、長い間続けていられたのだろう。
それでも彼女がユースに移ってから姿を見る時間が減り、巧は寂しい思いをしていた。クラブだけでなく学校も違うため、見かける機会が少なくなった。だから巧は彼女と同じ地元の中学に入ることを楽しみにしており、次の春がとても待ち遠しかった。
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