音が光に変わるとき

しまおか

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出会い~③

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 司は八千草で約三年勤務した後、課長職に昇格して東京支店への異動を命じられていた。辞令が出たのは千夏が中学に入った年の六月のことで、七月一日から東京へ着任したという。
 当然棚田家は家を購入したばかりで、当初の予定通り司は単身赴任を覚悟していた為に一人で東京へ赴任した。それから初めての春を迎えてすぐの事だった。
 地下鉄など交通網が発達していた東京では、普段司は仕事のための移動に電車を多く使っていたらしい。だがその時は珍しく東京都内の首都高速を車で移動していた彼は、対向車線からセンターラインを越えて飛び込んできたトラックと衝突したのである。
 即死だったそうだ。原因はスピードを出し過ぎた過積載のトラックがバランスを崩し、ハンドル操作を誤って起こった事故と警察は発表した。八千草で発行される新聞にも、小さく掲載されていた記事を巧は読んだ。
 お葬式は司の生まれ故郷であり、両親もいる八千草で取り行われた。勤務中の事故だったこともあり、銀行関係の人々も駆けつけていた。千夏の中学校の同級生やユースサッカーのチームメイト、さらに八千草サッカークラブの生徒達も集まった。
 その為用意された中規模の葬儀場では入り切れないほどの大勢の人達が顔を合わせ、式場はごった返していた。巧も母と一緒に葬儀場へと足を運んだ。焼香するだけで十分以上並び、ようやく千夏と母親の真希子まきこの姿が目に入った時、巧と母は声をかけることができなかった。
 ただただ呆然ぼうぜんとしながらも訪れる人達に対し、機械的に何度も頭を下げている憔悴しきった母子には、巧達の慰めなど何の力も持たないと思ったからだ。
 告別式が終わって一週間ほど経った時、巧はほぼ同時に学校へと向かう千夏の姿を久しぶりに見かけたが、なんと声をかけて良いのか判らなかった。その為ただ彼女と少し距離を置いて後を追いかけるように歩き、そのまま同じ中学へと辿り着いた。 
 彼女と同じ中学に入学したが、学年が違うため教室も一年は一階、二年の彼女のクラスは二階と階が異なっていた。そうしたこともあって、校内で顔を合わすこともほとんどない。時々彼女のクラスが体育で校庭を使用している折に、教室の窓から姿を見かける程度だった。
 放課後になると、学校の部活動に入っていない彼女はすぐに下校した。ユースの練習に参加する為である。家とは逆方向にある駅に向かって歩き、電車に乗って移動していた。 
 巧は中学に入っても八千草クラブに所属していたため、彼女同様授業が終わるとすぐに下校していた。しかし一度帰宅してから練習場へと向かう為、例え彼女と下校時間が一緒になっても、小学校の頃のように彼女と帰り道が一緒になることは無かった。
 だが司の事故以降最も大きく変わったことは、巧と彼女との間で行われていた朝のサッカー練習がなくなったことだ。夫が亡くなってから妻の真希子は精神的に落ち込み体調を崩したため、朝食の用意や家事を彼女が手伝うようになったかららしい。
 今後は朝の練習を中止させてください、と真希子から母を通じて巧に伝えられた。その時は、黙って頷くしかなかった。おそらく失恋とは違う喪失感というものを、初めて味わったのがあの時だったと思う。
 ただとうとうこの日が来たとも感じていた。いずれは離れる日が来ると、覚悟はしていたからだ。それでも憧れの彼女は、思っていた以上に早く本当に近くて遠い存在となってしまった。言いようのない悲しみが、徐々に襲ってきたことも覚えている。
 だがその後の彼女は、ユースの練習さえ休むことが多くなったとの噂を耳にした。その理由は母が近所の方から聞いていた。体調がますます悪化した真希子を病院へ通わせる為、彼女が付き添うようになったからだという。加えて家事全般をやらなければならなくなったそうだ。
 棚田家は働き手がいない母子家庭となっても、経済的には困っていなかったらしい。これも近所の噂好きな方達から、母が情報を仕入れていた。
 司の死で交通事故による相手方からの賠償金に加え、仕事中に起こった死亡事故により銀行からも死亡退職金や見舞金などが支払われたようだ。さらに個人加入していた生命保険金も家を新築した際に増額していたことが幸いして、かなりの大金が彼女達の手に入ったという。
 そのおかげといっていいのか、住宅ローンを完済した家は彼女達の持ち家となった。その為贅沢さえしなければ、親子二人しばらく生活していくには問題ない経済環境らしく、それだけは不幸中の幸いだと周囲の人達は言っていた。
 もちろん生活していくお金も大事だろう。だがそんなことよりも巧が残念に思ったのは、彼女が大好きなサッカーを思い切ってできない状態にあると知ったことだ。 
 彼女には間違いなくサッカーの才能がある。それは実績が証明していた。彼女は女子サッカーユースでも、一年の時からレギュラーで活躍していた。背は低いが天才的なテクニックを持っていて、周囲から“チビーニョ”と呼ばれ女子サッカー日本代表のユース選抜からも声がかかっていたほどなのだ。
 そんな彼女が家の都合で、というより真希子の健康的な事情によりサッカーができなくなっていたことはとても苦しいに違いない。また巧も含め周囲の人々がそのことを歯がゆく思っていることが判った。
 彼女はもはやこの八千草だけでなく、未来のなでしこジャパンの一員として期待されている逸材だったからだ。
 それに引き換え巧は、中学に入ってもなお第四キーパーあたりの役割だった。主にレギュラーや第二、第三キーパーの練習の手伝いや、補欠の補欠レベルの選手達のシュートを受けたり、ボール拾いをしたりするだけの毎日を過ごしていた。
 ただ身長は急激に伸び始め、体格がしっかりしてきたおかげか逆に威圧感がでてきたらしい。その為黒人顔を弄られなくなった。それでも彼女と練習ができなくなったこともあり、巧は急激にサッカー熱が冷め始めクラブ練習に行くこと自体苦痛に感じていた。
 そんな巧の中学一年が終わろうとしていた頃、千夏を取り巻く環境が少し変化し始めたという話を耳にした。真希子の体調が徐々に良くなりだし、千夏が以前のように毎日ではないが、ユースの練習へ少しずつ参加できるようになったらしい。
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