音が光に変わるとき

しまおか

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再会(正男の視点)~⑧

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 その精神は並いる男子を押しのけてレギュラーを獲得し、活躍していた小学生の頃と全く変わらない。
 それでも当初は相手選手との接触も多く、恐怖心が取れるには相当な時間がかかったようだ。しかし千夏は自分の低い身長を長所として利用し、重心を低くして男性選手の足元をするすると素早く動いて抜き去る術を学んだという。
 関西遠征時に正男が撮影した動画を、巧と一緒に見たりした。そこでは相手選手の気配を察知してスペースを見つけ、走り込んだりする彼女の姿からはやはり天性のセンスが感じられると、彼は言っていた。
 また彼女は味方のパスを絶妙なトラップで受けたり、逆に味方へパスを通したり、鋭いシュートでゴールを狙った。現在練習に参加させてもらっている関西のチームにおいても、一躍トップクラスの選手へと上り詰めるまでには、実際あまり時間はかからなかったようだ。
 残念なのは、まだ日本におけるブラサカの競技人口が多くなかったことである。その為多くのチームが東京を中心とする東日本リーグ、大阪を中心とする西日本リーグ、そこに福岡を中心とする九州・四国リーグや、東北北信越リーグが最近加わった程度だった。
 八千草のチームも、まだリーグ戦に出られるほどの体制が整っていない。つまりブラサカを本格的にやろうとするならば、今住んでいる地域は環境的にハンデがあったのだ。
 もしもっと上手く強くなろうとするならば、トップリーグの選手達としのぎを削る機会を増やさなければならない。本気で将来の日本代表に選ばれる存在になり、世界と戦っていくためには、少なくとも男子も含めた国内チームで認められなければならなかった。
 近い将来パラリンピックの切符を手に入れようとするならば、今の内にできる限り恵まれた環境でいた方が望ましいことは明らかだ。
 だからこそ初めて千夏の壮大な夢を聞かされた正男は、今の日本のブラサカを取り巻く環境を調べた時、彼女に恐る恐る尋ねた。
「本当に日本代表レベルを目指しているのか? もしかして千夏は、東京か大阪の方へ引っ越すことを考えているのか?」
 実際にブラサカ男子日本代表に選ばれる選手達の中では、環境のいい場所に移り住む人も少なからずいるようだ。土曜日の夕方、巧を含めた公園での練習の合間の休憩で、ベンチに座っていた千夏はその質問に少し首を傾げながら答えた。
「考えんことも無いけど、今の生活環境からしてそれは難しいかな。だってここから引っ越すんなら、さすがにお爺ちゃんやお婆ちゃんは連れていけんやろ。それだと一人暮らしになるやん。まだ私はそこまでできる勇気はあらへん」
 それを聞いて胸を撫で下ろした。横にいた巧も同様だったらしい。ホッとした顔をして聞いていた。彼もまた、千夏が再び遠く離れてしまうのではないかと心配していたようだ。
 しかし彼女は続けて言った。
「行くとしても東京は無いな。良い思い出は無いし。そしたら大阪がええかも」
 ギョッとした正男は、もう一度確認した。
「おいおい、本当に行くつもりじゃないよな」
「行くとしたら、やて。今は無理。でもずっとここでおるかと言われたら、将来的にはそういう選択肢もありかなとは考えるよ。だって私もお爺ちゃんやお婆ちゃんに、いつまでも甘える訳にはいかへん。それにお母さんにはもう頼られんと思うから、いつかは一人で生活できるようにならんといかんし、それなりの覚悟はしとかんとね」
 千夏は努めて明るくそう言ったが、正男は思わず俯いてしまった。一緒に聞いていた巧も悲しそうな表情をしている。確かにそうだ。まだ夫婦で元気な間はいい。だが遠くない将来、正男達自身が介護される立場に変わるのも時間の問題だ。
 そうなれば、千夏が正男達の面倒を看ることはできない。経済的に余裕がある今の正男達なら、どこかの介護付き老人ホームに夫婦で入居することが現実的だろう。
「そうなる時まで、千夏が少しでも一人でやっていけるよう準備するのが、私達の役割だからな。それまでは今まで通り、やりたいことをやっていればいい」
 寂しさに堪えながらもそう言った。こうした問題は、正男達に限ったことでは無い。世界中の障害者や病気を持った子を持つ親や保護者達なら、皆が抱えていることだ。自分達が死んだり、面倒を見られなくなったりした後のことを考えると、心配でならないだろう。
 千夏の場合は、経済的に恵まれていることが何よりの安心材料ではある。正男達も基本的には、自分達が必要なお金は最小限手元に置いておくつもりだ。しかしもし自分達に万が一のことが起こったら、遺産は彼女の為に少しでも多く残したかった。
 お金の問題は決して小さくない。障害者に対する国からの補助はあっても、全てが無償である訳もない。必ず自己負担というものが出てくる。その為サービスを受けたくても、自己負担分のお金を支払う余裕が無いので断念せざるを得ない人達は少なくないらしい。
 ただでさえ今は少子化と高齢化により、社会福祉費に国が多く負担している。自己負担という制度は将来的にみて、割合が多くなることはあっても無くなることは難しいと覚悟した方がいい。そうした厳しい社会の現実に対し、思わずいきどおり妻にぼやいたことがあった。
 今のところ、千夏は自分でお金を稼ぐ行為自体をせずに済んでいる。しかし資産があるといってもいずれは自分で働き、少しでも蓄えを持って万が一に備えておいた方がいいことは確かだ。
 そこで正男は話の流れで聞いてみた。
「将来的には一人になった時のために、何かやりたい仕事はあるのか?」
 するとその時は、はっきりとした答えを教えてくれなかった。だが後になって考えた時、千夏はその頃からあるビジョンを持っていたと思われる。その考えが途方もなく、また後に大きな問題を引き起こすことになったのだ。
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