音が光に変わるとき

しまおか

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新たな戦い~⑭

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 千夏が気分を入れ替えて、そう喝を入れる。監督は休みを取る意味もあり、再び守備の選手を一人ずつ交代させ、宮前と九鬼をグラウンドの中に戻した。
 二人は最後の守備に欠かせない選手だ。それに3対2と勝ち越した喜びで、彼らも疲れが吹っ飛んだのだろう。グラウンドから下がった時とは別人のような明るい表情をしていた。
「守るよ! 巧! 声はどうした!」
 千夏が痺れを切らしたように後ろを振り返り、こちらに向かって大声を出した。巧は何とか立ち上がり、キーパーグローブを外し涙を拭いてから再度はめ直し、大きく手を叩いて声を返した。
「守るぞ! 後少しだ! 気を抜くな!」
 なんとか涙声であることをごまかせたようで、千夏はようやく納得した表情をして前を向く。ピーッと笛が鳴り、青山が鬼の形相でドリブルし始めた。
 千夏が真っ先にチェックに行った。その後ろに宮前、田川が付き、最後尾に九鬼が付く。
「ボイ! ボイ!」
 声を出しながら守備をする千夏を、青山が強引に抜き去ろうとする。彼女がしつこくくらいついて行く。一点を取りに急いでいる青山の気迫に焦ったのだろう。
 無意識だと思われるが、伸ばした千夏の手が青山を突き飛ばすような形になった。青山が少しバランスを崩す。そこに千夏がさらに体を寄せって行った。そこでピーッ! と審判の笛が鳴った。
 よし! これで試合終了だ! タイムボードが残り時間ゼロを指している。このグラウンドにいる誰もがそう思ったはずだ。しかし審判は意外な言葉を口にした。
「ノースピーキング!」
 試合終了の笛では無く反則を知らせる笛だと判った巧達は、さらにその次に取った審判の言葉を聞いて頭を抱えてしまった。
 審判は第二PKを取り、その位置を指しているではないか。
「おおおおおお! これを決めれば同点でPK戦だ!」
「チャンスだ! 最後のチャンスだぞ!」
 圧倒的に多い相手チームのサポーター達と一緒に、青山達も大きくガッツポーズを取っていた。
 第二PK。冷静に数えてみれば、確かこれで巧達のチームの後半における累計反則が四つになっていたはずだ。そのため第二PKが、相手チームに与えられてしまった。
 累計反則が三つまでは、壁を作ってもいいFKが与えられる。だが前半、後半それぞれの時間帯で四つ以上溜まると第二PKが与えられる。
 これはまさしく相手にとっては敗戦を覚悟していたところで得た、最後の最後に来た大チャンスだろう。
 谷口とコーチ達が審判に対して抗議の声を出している。しかし一番近くで見ていた巧は何も言えなかった。確かに千夏が一度目にアタックしていく時は、ボイと掛け声を放っていたのは確かだ。
 でもその次に寄せていった時に彼女は確かに、ボイと口にしなかったことを巧は気づいていた。
 それどころか、その前に手で青山を押した形になった時点で反則を取られる可能性もあった。笛を吹かれた時は、一瞬まずいと思ったくらいだ。その為笛の後に、ノースピーキングと言われた時は正直ホッとした。
 だがこの残り時間の無い場面で、第二PKを取られることは考えてなかった。本来なら冷静にチームの累積反則を数え、その危険性を理解しながらゲームを進めていなければならなかった。
 だがやはり大事な一戦で緊張する場面が続いたことにより、そのことが頭から抜け落ちていた。その油断が、今回のピンチを招いたと言っていい。
 監督達の抗議もむなしく、審判は第二PKの位置に青山がボールをセットするのを手伝っていた。その近くで千夏が肩を落しながら、巧のいるゴールに視線を向けて謝った。
「ごめん、私のせいで、ごめん、」
 だが巧は大きな声で怒鳴ってやった。
「まだ決まった訳じゃないんだ。謝るんじゃない! 大丈夫! 必ず止めるから!」
 千夏はそれを聞いて少し安心したのか、素直に田川達と共にこぼれ球を拾える位置にポジション取りをした。
「さあ! 決めるよ! 決めるよ!」
 相手チームとサポーターが、再び湧きあがって声援を送った。味方スタッフ達は悔しがりながら、巧が守ることを祈るように両手を握ってこちらを見ていた。
 キッカーはやはり青山だ。それでも先ほどまでの第一PKと違い、ゴールまでの距離が八mとやや遠い分守りやすい。
 第一PKは六mだからこの二m分は、キッカーにとって遠く感じるはずだ。少なくとも巧にはそう見えた。
 しかし青山にとっては見えない分、その違いが巧の捉え方とは大きく異なるのだろう。もしかすると青山にとって、それほど大きな違いはないのかもしれない。
 かえって目に見えてしまう巧の方が、その距離に惑わされているとも言える。そういえば第一PKと第二PKとの距離感について感覚的にどう違うのかと、千夏に聞いたことがなかった。
 普段の試合では巧達のチームの第一PKは、基本的にコントロールと相手キーパーのタイミングを外す技術の高い千夏が蹴る。だが第二PKは、田川が蹴る場合が多い。
 千夏も何度か蹴ったこともあるが、第一PKと比べると格段に決定率が下がった。どちらかというと、田川の方が第二PKをやや得意としている。
 男性と女性のキック力の差かもしれないが、晴眼者だった頃にサッカーに精通していた千夏は、その二mの距離を遠いと心理的に感じてしまうのだろう。その分余計な力が入るため、比較的苦手なのかもしれない。
 田川は生まれた頃から全盲だった分、二mという距離の違いに心理的なプレッシャーを感じずに蹴っている。その為そんな違いが起こるのだろうか。ただこれは晴眼者である巧の想像でしかなく、本当に判るのは当事者のみだ。
 そんなことを考えながら、巧は思った以上にリラックスしている自分に驚く。周りを見渡すと、相手選手も全員が上がってこぼれ球を狙っている。
 一度大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐きだした。ボールを第二PKの位置にセットした青山は、今までにないほど緊張した顔をしている。
 これを決めれば同点に追いつき、PK戦になるだろう。逆に決められなければ敗戦が決定するのだ。そんな大事な最後のプレーだから、慎重になるのはしょうがない。
 巧はゆっくりと腰を落としながら、ボールに集中した。背後では相手ガイドによりポストをカンカンと叩く音が聞こえていたが、先ほどよりは気にならなかった。
 それほど集中できているともいえるが、そう思うと先ほどは集中力が欠けていたのだろう。
 ピーっと笛が鳴る。青山はセットしていたボールからゆっくりと手を離し、一歩下がった。距離がある分、ワンステップで蹴ってくるのだろうことは予想していた。
 彼は大きく左足を踏み込んで右足を振り抜いた。ボールが彼の甲に当たり、少し高めに浮きながら巧の右上に飛んでくる。
 巧は左足を蹴り、右斜め上に飛びあがって右手を大きく伸ばした。ボールは右手の指先に触れる。その瞬間、外に押し出すように手首を捻った。するとボールは僅かに軌道を変え、ゴールポストの上を通過していった。止めた!
「よしっ!」
「おおおおおお! 止めた!」
「ナイスキーパー!」
「ああああ、」
 グラウンドを取り囲む観客達の歓声と、悲鳴のような声が入り混じる。青山はがっくりと肩を落とし、他の選手も地面に崩れ落ちたりして悔しがっていた。
 巧はすぐに千夏の姿を探した。彼女はその場で大きくガッツポーズを取り、
「巧、ナイスキーパー!」
と叫んでいた。谷口やスタッフ達もゴール前に駆け寄ってこようとしたが、まだ試合終了の笛はなっていない。
 巧の手に触れてからゴールラインを割ったから、本来なら相手にコーナーキックが与えられるが残り時間はないはずだ。巧は審判の方をじっと見つめた。
 そこでピーッ、ピーッ、ピーッ! と審判の笛が鳴り響く。こんどこそ試合終了の合図だ。巧達のチームとそのサポーター達が大きく喜びの声を上げた。
 一斉に谷口やスタッフ達が、グラウンドの中へとなだれ込んでくる。谷口は真っ先に巧を強くハグした。
 コーチ達がその上から、圧し掛かるように取り囲んだ。他のスタッフ達が千夏や田川達の手を取り、一緒に巧の周りにできた円の外に立っていた。
 巧は監督に軽くハグを返し、他のコーチとも一通り歓迎を受けて軽く抱き合った後、本当は真っ先に駆け寄りたかった千夏の元に駆け寄って声をかけた。
「どうだ。止めただろ」
「さすがやね。私が鍛えたった甲斐があったやろ」
 そんな憎まれ口を叩く千夏の目には、涙が溜まっていた。
「勝ったぞ!」
「決勝進出だ!」
 興奮する巧達を、審判が笑いながら整列をするように促した。その指示により監督達は一度グラウンドの外に出る。
 スタッフ達は三人だけが残り、田川達に肩を貸してハーフラインへ歩いて行った。千夏の左手は巧の右肩に乗せられ、一緒に列に並んだ。
 相手の選手達と向かい合って礼をした後、巧は左前にいた青山の元に近寄り、肩を軽く叩いてからハグをした。
「ナイスシュートでした。試合には勝ちましたけど、今日の青山さんには負けましたよ。すごい気迫でした」
 耳元でそう巧が呟くと、彼もまた巧を抱き返し、
「何言ってるんだ。負けは負けだ。だが次は入れるからな。覚悟しておけよ」
 そう言って離れ際、強めに腕を叩かれた。だがその顔はもう笑っていた。
「はい、覚悟しています。でもこれからは日本代表として、お互い味方として戦うことの方が多いと思いますけど」
「そうだな。しかし、あの里山にはやられたよ。女子チームに入れておくのはもったいないよ。男子の日本代表に入ってもらえないかな。そうすれば日本が世界で通用するチームにまでレベルは上がると思うんだけど」
「それは褒めすぎです。でも千夏は女子日本代表として、五月の初の国際試合では活躍すると思いますから」
「ああ、それも楽しみにしているよ」
 巧は左手で青山の右腕を掴んで、右手で彼の手を握った。彼も強く握り返してくる。すると近くにいた松岡もスタッフに連れ沿われて巧に握手を求めてきた。
 巧は伸ばされた手を掴んで握手し、青山に対して言ったように声をかける。
「今度は味方としてやりたいな」
 彼は何も言わずただ強く頷いた。手を離して周りを見ると、それぞれの選手がお互いハグしあったり、握手をしたりして健闘を称え合っている。
 激しく戦った相手も、試合が終われば同じブラサカを愛する仲間達であることには変わりない。エールを送りあった後、巧達は監督やコーチ達の元に戻り再び抱き合って喜んだ。
「勝った!」
「決勝だ!」
「胴上げだ!」
 最後の誰かの上げた声を合図に、監督の周りをコーチ陣が取り囲む。巧もその輪の中に入った。千夏や田川達は危ないからと、メディカルスタッフ達に手を添えられて少し遠巻きの位置で騒ぐ様子を聞いていた。
「ワッショイ! ワッショイ! ワッショイ!」
と三回高く持ち上げられた谷口が下され、さあ次はコーチの誰にと思っていたら、皆がいっせいに巧を取り囲んだ。
「最後はよく止めた! ありがとう!」
 有無を言わせず、足や腕を掴まれて横倒しになりながら、同じく三回巧は宙を舞った。胴上げされるなんてことは生まれて初めてだったため、小心者で怖がりの面が出てしまい、嬉しさよりも落とされないかという恐怖の方が強く、顔は引きつっていた。
 その様子が面白かったのか、谷口達は無事下ろされた巧を指さして笑っていた。おそらくその様子を見ていたスタッフ達が、千夏達にも耳打ちしたのだろう。遅れて千夏も田川達も手を叩いて笑う。
「巧は昔からビビリやもんね。図体ばっかりでかくなってもそこは変わらんなあ」
 千夏がいつもの憎まれ口を叩くと、さらに笑いが広がった。こうなると巧は頭を掻きながら黙る他ない。なにせ本当のことだからだ。
 いつも巧はこうやって弄られてきた。でも今は昔のような嫌な感じは全くしない。それは周りの人達が、心の底から巧を信頼してくれていることが判るからだ。
 ブラサカは相手との信頼、コミュニケーションがないと成り立たないスポーツだ。巧がやってきたサッカーやフットサル以上に、選手とスタッフ、そしてサポーター達を含めた絆がずっと強く感じられた。
 巧はこの道を選んで間違いがなかったんだと、この時ほどそう強く感じたことは無かった。
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