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第三章 美央高1・紗栄子高2
22 拓海のインターハイ
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8月末、インターハイの開催地に、拓海が向かった。残った部員はいつも通りの練習に取り組む。
「もう、新幹線に乗ったかな。」
「そうですね。ついたらすぐ練習なんて、結構ハードですね。」
「ほんとね。もちろん、ほとんどの選手が同じような条件なんだからどうこう言えないけど、いい記録が出るといいわね。」
拓海はインターハイ出場を決めたものの、地区大会での自己ベスト以来、新記録が出ていない。ぜひとも、最高の場面で記録を出してほしいと願うのは、マネージャーならば当然だ。
プールサイドではすでに数人の部員がストレッチをしている。その中にいた俊一が、美央のもとに駆け寄ってくる。
「美央、今日の午後暇?」
「え?うん、暇だけど。」
「今日は拓海先輩のレースもないんだし、どうかな、俺らとカラオケいかねえ?」
「あー…そういえばそんな話、してたね。」
「な。たまには、いいんじゃない?」
「うん、そうだね。みんなで行こうか。」
※
「1年生たち、カラオケ行くって。」
「紗栄子も行きたかった?」
「2年生で?まあ、どっちでも。後から拓海に“ハブられた”とか言われてもめんどくさいかな。」
「確かに。…あー…気持ちいい。」
「寝ないでよ、蓮。」
「うーん…寝るかも。」
「寝ないでってば。」
クスクス笑いながら、紗栄子が蓮の腰を重点的にメンテナンスする。
「大志、忙しいみたいだな。」
「そうだね。週末は遠征か練習試合だし。キャプテンになったしね。」
県大会の後は落ち込みの激しかった大志だが、時間が少しずつ大志の心を癒していった。それにキャプテンともなれば、先頭切ってみんなを盛り上げなければならない。
「夏休み中の平日は会えるか。」
「うん。まあまあ。」
「いちゃいちゃしてる?」
蓮が少し無理をしてからかう言葉に対し、紗栄子がふうーっとため息を吐く。
「余計なお世話です。蓮の体に集中させてよ。今は大志のことなんか思い出さなくていいの。」
「ひどい彼女だなあ。」
「大志の彼女である前に、水泳部のマネージャーですので。ほら、力抜いて。」
「はーい…。」
※
カラオケには1年生全員で行くことになった。美央以外のみんなは時々こうして遊びに来るらしく、すごく楽しそうだ。
(いつも拓海先輩と一緒にいるからなあ。たまにはこういうのも楽しいな。)
「なあ、美央ってカラオケとか歌うの?」
「んー、ちょっとはね。拓海先輩もそんなにすごくカラオケ好きってわけでもないから、あんまり来ないけど。」
「じゃあさ、あたしと一緒に歌おう?これこれ。」
「七海いっつもそれだよねー。」
「いいじゃん、歌いやすいんだもん。」
「俺らの前で男ウケ狙っても無駄だぞー。」
「うるさいなあ。ほら、美央。」
七海の選んだ曲は、かわいい系の曲で、つられて一緒に歌う美央を、悠季はふっと目を細めて見た。
「…俺に感謝しろよ。」
ウーロン茶を飲みながら、俊一が悠季にくっつくように話しかける。その顔をチラリと見て、悠季は苦笑いをしてみせた。
「はいはい、感謝してます。」
「あ、なんだよ、その棒読み。…余計なことだけどさ、いいチャンスなんだからさ、うっかり手でも握っとけよ。」
「ばーか。」
くくっ、と楽しそうに笑う悠季に、俊一は不満顔だ。と、大きな声が響き渡る。
「そこっ、内緒話しなーい!」
マイクを握り締め、七海が叫んだ。隣で美央がびっくりしている。
「うるせえなあ、七海。男同士の相談つうもんがあるんだよ。」
ふーん?といって残りを歌いきると、七海は美央を悠季の隣に促し、自分は俊一の隣に座った。
「わかってんじゃん、七海。」
俊一がいい子いい子というように、七海の頭を撫でる。
「当たり前でしょ。」
「助かります。」
「二人とも、何の話?」
きょとん、と首をかしげる美央に、俊一はジュースの入ったコップを差し出す。
「美央、声可愛いよな~。ほらのど乾いたろ。」
「ありがと~。」
ストローをくーっと吸ってから、はたと気づく。味が違う。
「あ、ごめん。もらっちゃった。」
「つうか、それ、俺のなんだけど。」
苦笑いをしながら言ったのは悠季だ。
「え、やだ、ごめん!」
「あ・れ~?それが美央のじゃなかったっけ?ごめ~ん、俺間違えちゃった。」
わざとらしい俊一の頭を、悠季が軽く小突く。その様子を見て美央は慌ててしまった。
「ごめん、悠季、そんなにジンジャーエール好きなんだ?」
「そういうわけじゃないけどさ。」
「ヤダー、間接キスゥ~。」
七海も悪乗りをして、盛り上げる。またも悠季がポスッと、さっきよりは軽く七海の頭を小突いた。
(間接キス…。)
たいしたことでもないのに、あえて言われると、美央はなんだか恥ずかしい気がした。
「ばーか。今時小学生じゃあるまいし、盛り上がるなよ。」
「ヤダー、悠季君オトナー♪」
「うるせえって。」
そんなやりとりをしていると、悠季が立ち上がった。歌の順番が来たのだ。マイクを取って、画面を見る。悠季が選んだ曲は‘声がいい’と人気の、時々俳優業もやるシンガーソングライターのものだ。
曲はバラードで、歌いだすと、騒いでいたみんなが黙り込んだ。美央もこの歌は嫌いじゃない。恋する男の人の気持ちが、しっとりと歌い上げられている。悠季の声はその歌手には似ていないけれども、声そのものが甘い。
美央は自分でも気づかないうちに、ほうっとため息を漏らしていた。横で、俊一がそれに気づいて七海に耳打ちをする。その耳打ちは全員に繋がり、全員が固唾を呑んで美央の様子を伺っていた。
歌い終えると、
「あ、もうこの曲終わりだから‘停止’ボタン押して。」
と、なんとも素っ気無く言い放つ悠季だった。悠季は歌いながら浸る主義ではないらしい。浸りきる人は時にうっとおしいが、ここまであっさりしていると聞き入っている人は拍子抜けしてしまう。
当然美央もそうで、とろん、としていた瞳が夢から覚めたようになっていた。その場にいる全員が心の中で舌打ちをする。
「…本当に上手だねー、悠季。」
「そりゃどうも。」
さっきの場所に戻った悠季は、歌の情感もまったく解さない様子でさらっと言い放つ。と、さっき美央が口をつけたジュースを手に取った。
「あ、それ…!」
「ん?」
「あたし、飲んじゃったやつ…。」
「ああ、気にしてるの?間接キス。」
構わず悠季はそのまま飲んだ。
「なに、ドキドキすんの?」
「や、いやじゃないかな、と思って。」
「ええ?七海の言った事気にしてんのかよ。んな細かいこと、どうでもいいじゃん。」
なぜか、美央は胸がちくっとするのを感じた。悠季の言い方の素っ気無さに?どうでもいいという言葉に?
(…そうだよね、些細なことだもん。いちいち気にするほうがおかしいよね。)
「じゃあ、あたしの、とって。」
「えーと、これ?」
「ありがとー…。」
口にしたアイスティーが、少し、苦い気がした。
※
<移動は疲れたけど調子はまあまあかな。美央はなにしてた?>
その日の夜、レースを明日に控え、拓海からのメッセージが来た。
<お疲れ様です。今日は1年みんなでカラオケにいきましたよ。たまにはああいうのも楽しいです。明日はテレビでレースを見ますね。>
夕方、テレビで各決勝レースの放送がある。おそらく今年も拓海の決勝進出はかたいだろう。
<ありがとな!>
※
「うーん…。」
拓海は予想通り決勝に進出し、6位入賞という結果を得ることができたが、タイムはやはりベストとはいかなかった。翌日の練習では美央と顔を合わせるなり紗栄子もやや渋い顔だ。
「まあ、来シーズンもあるからね…。」
紗栄子の表情が冴えない理由は、ただベストが出なかったからというだけではない。そもそも地区大会で出したベストタイムというのが、去年のインターハイで出したベストタイムとそう変わりないからなのだ。
1年生の春から夏にかけて、拓海は急激に成長し、中学時代に地方大会どまりだったのが、1年にしてインターハイ出場という快挙を成し遂げた。その偉業達成には正直、礼子の存在が大きい。技術的にも精神的にも、彼女のおかげで拓海は成長できた。それが秋冬のシーズンを越え、1年たってもあまり成長がない。この事態に、紗栄子は焦りのようなものを感じていた。
(拓海は城北のエースなんだから。こんなことじゃ困るわ。あたしも、もっと効果的な練習を考えなくちゃ。)
「紗栄子先輩?」
「ああ…ごめんね。やっぱり全国は厳しいなって。さて、今日も頑張ろう!」
「はい、そうですね。」
※
「それじゃ、満場一致で新部長は拓海ということで、いいかな。」
茂則の呼びかけに、部員全員からの大きな拍手が響いた。インターハイ後の夏休みのある一日、3年生も含めた部員全員が練習後のプールに集まっていた。
「ええと…あらためて、みんな、よろしくお願いします。知ってのとおり俺はこんな調子なんで、あんまり緩まないように、締めるとこ締めてみんなを引っ張っていきたいと思います。よろしくお願いします!」
その後は3年生との小さなお別れ会といった風情だ。ちゃんとした会は毎年恒例で卒業式の後に行われるが、こうしてせっかく集まると、話も盛り上がるというものだ。
「先輩、お疲れ様でした。」
「ありがとねえ、美央。最終レース前のあんたのマッサージ、最高に効いたよ。」
真希のひとことに、美央は、真希が地方大会で肩を震わせていた様子を思い出し、泣くのがこらえきれない。
「あ~あ~、美央、泣かないで~。」
「あれ~、何泣かしてんの、真希。」
「泣かしてないわよ、春菜ぁ。」
「いとしの美央チャンが泣いてると新部長が飛んでくるわよ。」
と、本当に拓海が来た。
「ちょっと~春菜先輩、美央のこと泣かさないでくださいよ!」
「あたしじゃないって!真希だって!」
そういって、逃げてしまう。
「ていうか泣かしてないって!」
「…そうです。あたしが勝手に泣いちゃって…。」
「そうか~かわいそうに~。」
「……拓海って本当にいい根性してるわよね。」
真希がワイワイ拓海を突っつくのをよそに、春菜は男子達にも声をかけた。最後に悠季のところに行き、なんと、背伸びをして抱きつく。さすがにうろたえて、悠季は顔を赤くした。
「ちょっ…春菜先輩!」
「悠季、頑張ってね。あんたはウチのエースになれる。あたしが保証する。」
小声で、しかしはっきりと言いながら、ぎゅ、とさらに抱きついてくる春菜の背中に、思わず悠季は手をまわした。俊一が‘シゲせんぱーい!奥さん浮気してまーす!’と叫ぶのに対し、茂則が‘いいのいいのー’と寛容な返事を返している。
「悠季、絶対に諦めちゃダメよ。」
「わかりましたって。インターハイ、目指します。」
「そっちもそうだけど、あっちもね!」
ぐぐっと手に力が入り、悠季はぐえっと声を上げた。
「あんたみたいにいい子にはあの子が絶対にいいの。だから、諦めないで。」
「…俺に言われても。」
「諦めたらおしまいなんだからね。」
そういうと、春菜はぱっと悠季からはなれた。勢いよくVサインをし、美央たちのほうに戻る。
「おーい、春菜先輩ずいぶん大胆じゃーん。告られた?」
「ばーか。どっかのお節介な誰かたちと同じような事言われただけだよ。」
にや、と俊一が笑う。
「春菜先輩も同意見となると、これはお節介じゃ済まないよなあ。」
「当人にその気がなきゃ、どこまでいってもお節介だよ。」
「おまえにその気があるくせに。」
「両方にないと、成立しないんだぜ。」
「向こうもそのうち気づくよ。…多分。」
「どうかな。…つうかさ、俺を苛めるなって。」
このダメ押しのひとことを言われると、いつも図々しい俊一も黙ってしまう。視線を動かすと、その先には拓海に抱きつかれる美央がいる。
カラオケの時の、間接キスのシチュエーション。それそのものよりも、少し困ったような美央の様子に、悠季はやられてしまった。
と、悠季の視線に気づいて、美央が視線を寄越してきた。その動きに合わせるかのように、背中を向けていた拓海の体がこちら側を向こうとする。悠季はあわてて、それでもできるだけさりげなく目を逸らすしかなかった。
「もう、新幹線に乗ったかな。」
「そうですね。ついたらすぐ練習なんて、結構ハードですね。」
「ほんとね。もちろん、ほとんどの選手が同じような条件なんだからどうこう言えないけど、いい記録が出るといいわね。」
拓海はインターハイ出場を決めたものの、地区大会での自己ベスト以来、新記録が出ていない。ぜひとも、最高の場面で記録を出してほしいと願うのは、マネージャーならば当然だ。
プールサイドではすでに数人の部員がストレッチをしている。その中にいた俊一が、美央のもとに駆け寄ってくる。
「美央、今日の午後暇?」
「え?うん、暇だけど。」
「今日は拓海先輩のレースもないんだし、どうかな、俺らとカラオケいかねえ?」
「あー…そういえばそんな話、してたね。」
「な。たまには、いいんじゃない?」
「うん、そうだね。みんなで行こうか。」
※
「1年生たち、カラオケ行くって。」
「紗栄子も行きたかった?」
「2年生で?まあ、どっちでも。後から拓海に“ハブられた”とか言われてもめんどくさいかな。」
「確かに。…あー…気持ちいい。」
「寝ないでよ、蓮。」
「うーん…寝るかも。」
「寝ないでってば。」
クスクス笑いながら、紗栄子が蓮の腰を重点的にメンテナンスする。
「大志、忙しいみたいだな。」
「そうだね。週末は遠征か練習試合だし。キャプテンになったしね。」
県大会の後は落ち込みの激しかった大志だが、時間が少しずつ大志の心を癒していった。それにキャプテンともなれば、先頭切ってみんなを盛り上げなければならない。
「夏休み中の平日は会えるか。」
「うん。まあまあ。」
「いちゃいちゃしてる?」
蓮が少し無理をしてからかう言葉に対し、紗栄子がふうーっとため息を吐く。
「余計なお世話です。蓮の体に集中させてよ。今は大志のことなんか思い出さなくていいの。」
「ひどい彼女だなあ。」
「大志の彼女である前に、水泳部のマネージャーですので。ほら、力抜いて。」
「はーい…。」
※
カラオケには1年生全員で行くことになった。美央以外のみんなは時々こうして遊びに来るらしく、すごく楽しそうだ。
(いつも拓海先輩と一緒にいるからなあ。たまにはこういうのも楽しいな。)
「なあ、美央ってカラオケとか歌うの?」
「んー、ちょっとはね。拓海先輩もそんなにすごくカラオケ好きってわけでもないから、あんまり来ないけど。」
「じゃあさ、あたしと一緒に歌おう?これこれ。」
「七海いっつもそれだよねー。」
「いいじゃん、歌いやすいんだもん。」
「俺らの前で男ウケ狙っても無駄だぞー。」
「うるさいなあ。ほら、美央。」
七海の選んだ曲は、かわいい系の曲で、つられて一緒に歌う美央を、悠季はふっと目を細めて見た。
「…俺に感謝しろよ。」
ウーロン茶を飲みながら、俊一が悠季にくっつくように話しかける。その顔をチラリと見て、悠季は苦笑いをしてみせた。
「はいはい、感謝してます。」
「あ、なんだよ、その棒読み。…余計なことだけどさ、いいチャンスなんだからさ、うっかり手でも握っとけよ。」
「ばーか。」
くくっ、と楽しそうに笑う悠季に、俊一は不満顔だ。と、大きな声が響き渡る。
「そこっ、内緒話しなーい!」
マイクを握り締め、七海が叫んだ。隣で美央がびっくりしている。
「うるせえなあ、七海。男同士の相談つうもんがあるんだよ。」
ふーん?といって残りを歌いきると、七海は美央を悠季の隣に促し、自分は俊一の隣に座った。
「わかってんじゃん、七海。」
俊一がいい子いい子というように、七海の頭を撫でる。
「当たり前でしょ。」
「助かります。」
「二人とも、何の話?」
きょとん、と首をかしげる美央に、俊一はジュースの入ったコップを差し出す。
「美央、声可愛いよな~。ほらのど乾いたろ。」
「ありがと~。」
ストローをくーっと吸ってから、はたと気づく。味が違う。
「あ、ごめん。もらっちゃった。」
「つうか、それ、俺のなんだけど。」
苦笑いをしながら言ったのは悠季だ。
「え、やだ、ごめん!」
「あ・れ~?それが美央のじゃなかったっけ?ごめ~ん、俺間違えちゃった。」
わざとらしい俊一の頭を、悠季が軽く小突く。その様子を見て美央は慌ててしまった。
「ごめん、悠季、そんなにジンジャーエール好きなんだ?」
「そういうわけじゃないけどさ。」
「ヤダー、間接キスゥ~。」
七海も悪乗りをして、盛り上げる。またも悠季がポスッと、さっきよりは軽く七海の頭を小突いた。
(間接キス…。)
たいしたことでもないのに、あえて言われると、美央はなんだか恥ずかしい気がした。
「ばーか。今時小学生じゃあるまいし、盛り上がるなよ。」
「ヤダー、悠季君オトナー♪」
「うるせえって。」
そんなやりとりをしていると、悠季が立ち上がった。歌の順番が来たのだ。マイクを取って、画面を見る。悠季が選んだ曲は‘声がいい’と人気の、時々俳優業もやるシンガーソングライターのものだ。
曲はバラードで、歌いだすと、騒いでいたみんなが黙り込んだ。美央もこの歌は嫌いじゃない。恋する男の人の気持ちが、しっとりと歌い上げられている。悠季の声はその歌手には似ていないけれども、声そのものが甘い。
美央は自分でも気づかないうちに、ほうっとため息を漏らしていた。横で、俊一がそれに気づいて七海に耳打ちをする。その耳打ちは全員に繋がり、全員が固唾を呑んで美央の様子を伺っていた。
歌い終えると、
「あ、もうこの曲終わりだから‘停止’ボタン押して。」
と、なんとも素っ気無く言い放つ悠季だった。悠季は歌いながら浸る主義ではないらしい。浸りきる人は時にうっとおしいが、ここまであっさりしていると聞き入っている人は拍子抜けしてしまう。
当然美央もそうで、とろん、としていた瞳が夢から覚めたようになっていた。その場にいる全員が心の中で舌打ちをする。
「…本当に上手だねー、悠季。」
「そりゃどうも。」
さっきの場所に戻った悠季は、歌の情感もまったく解さない様子でさらっと言い放つ。と、さっき美央が口をつけたジュースを手に取った。
「あ、それ…!」
「ん?」
「あたし、飲んじゃったやつ…。」
「ああ、気にしてるの?間接キス。」
構わず悠季はそのまま飲んだ。
「なに、ドキドキすんの?」
「や、いやじゃないかな、と思って。」
「ええ?七海の言った事気にしてんのかよ。んな細かいこと、どうでもいいじゃん。」
なぜか、美央は胸がちくっとするのを感じた。悠季の言い方の素っ気無さに?どうでもいいという言葉に?
(…そうだよね、些細なことだもん。いちいち気にするほうがおかしいよね。)
「じゃあ、あたしの、とって。」
「えーと、これ?」
「ありがとー…。」
口にしたアイスティーが、少し、苦い気がした。
※
<移動は疲れたけど調子はまあまあかな。美央はなにしてた?>
その日の夜、レースを明日に控え、拓海からのメッセージが来た。
<お疲れ様です。今日は1年みんなでカラオケにいきましたよ。たまにはああいうのも楽しいです。明日はテレビでレースを見ますね。>
夕方、テレビで各決勝レースの放送がある。おそらく今年も拓海の決勝進出はかたいだろう。
<ありがとな!>
※
「うーん…。」
拓海は予想通り決勝に進出し、6位入賞という結果を得ることができたが、タイムはやはりベストとはいかなかった。翌日の練習では美央と顔を合わせるなり紗栄子もやや渋い顔だ。
「まあ、来シーズンもあるからね…。」
紗栄子の表情が冴えない理由は、ただベストが出なかったからというだけではない。そもそも地区大会で出したベストタイムというのが、去年のインターハイで出したベストタイムとそう変わりないからなのだ。
1年生の春から夏にかけて、拓海は急激に成長し、中学時代に地方大会どまりだったのが、1年にしてインターハイ出場という快挙を成し遂げた。その偉業達成には正直、礼子の存在が大きい。技術的にも精神的にも、彼女のおかげで拓海は成長できた。それが秋冬のシーズンを越え、1年たってもあまり成長がない。この事態に、紗栄子は焦りのようなものを感じていた。
(拓海は城北のエースなんだから。こんなことじゃ困るわ。あたしも、もっと効果的な練習を考えなくちゃ。)
「紗栄子先輩?」
「ああ…ごめんね。やっぱり全国は厳しいなって。さて、今日も頑張ろう!」
「はい、そうですね。」
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「それじゃ、満場一致で新部長は拓海ということで、いいかな。」
茂則の呼びかけに、部員全員からの大きな拍手が響いた。インターハイ後の夏休みのある一日、3年生も含めた部員全員が練習後のプールに集まっていた。
「ええと…あらためて、みんな、よろしくお願いします。知ってのとおり俺はこんな調子なんで、あんまり緩まないように、締めるとこ締めてみんなを引っ張っていきたいと思います。よろしくお願いします!」
その後は3年生との小さなお別れ会といった風情だ。ちゃんとした会は毎年恒例で卒業式の後に行われるが、こうしてせっかく集まると、話も盛り上がるというものだ。
「先輩、お疲れ様でした。」
「ありがとねえ、美央。最終レース前のあんたのマッサージ、最高に効いたよ。」
真希のひとことに、美央は、真希が地方大会で肩を震わせていた様子を思い出し、泣くのがこらえきれない。
「あ~あ~、美央、泣かないで~。」
「あれ~、何泣かしてんの、真希。」
「泣かしてないわよ、春菜ぁ。」
「いとしの美央チャンが泣いてると新部長が飛んでくるわよ。」
と、本当に拓海が来た。
「ちょっと~春菜先輩、美央のこと泣かさないでくださいよ!」
「あたしじゃないって!真希だって!」
そういって、逃げてしまう。
「ていうか泣かしてないって!」
「…そうです。あたしが勝手に泣いちゃって…。」
「そうか~かわいそうに~。」
「……拓海って本当にいい根性してるわよね。」
真希がワイワイ拓海を突っつくのをよそに、春菜は男子達にも声をかけた。最後に悠季のところに行き、なんと、背伸びをして抱きつく。さすがにうろたえて、悠季は顔を赤くした。
「ちょっ…春菜先輩!」
「悠季、頑張ってね。あんたはウチのエースになれる。あたしが保証する。」
小声で、しかしはっきりと言いながら、ぎゅ、とさらに抱きついてくる春菜の背中に、思わず悠季は手をまわした。俊一が‘シゲせんぱーい!奥さん浮気してまーす!’と叫ぶのに対し、茂則が‘いいのいいのー’と寛容な返事を返している。
「悠季、絶対に諦めちゃダメよ。」
「わかりましたって。インターハイ、目指します。」
「そっちもそうだけど、あっちもね!」
ぐぐっと手に力が入り、悠季はぐえっと声を上げた。
「あんたみたいにいい子にはあの子が絶対にいいの。だから、諦めないで。」
「…俺に言われても。」
「諦めたらおしまいなんだからね。」
そういうと、春菜はぱっと悠季からはなれた。勢いよくVサインをし、美央たちのほうに戻る。
「おーい、春菜先輩ずいぶん大胆じゃーん。告られた?」
「ばーか。どっかのお節介な誰かたちと同じような事言われただけだよ。」
にや、と俊一が笑う。
「春菜先輩も同意見となると、これはお節介じゃ済まないよなあ。」
「当人にその気がなきゃ、どこまでいってもお節介だよ。」
「おまえにその気があるくせに。」
「両方にないと、成立しないんだぜ。」
「向こうもそのうち気づくよ。…多分。」
「どうかな。…つうかさ、俺を苛めるなって。」
このダメ押しのひとことを言われると、いつも図々しい俊一も黙ってしまう。視線を動かすと、その先には拓海に抱きつかれる美央がいる。
カラオケの時の、間接キスのシチュエーション。それそのものよりも、少し困ったような美央の様子に、悠季はやられてしまった。
と、悠季の視線に気づいて、美央が視線を寄越してきた。その動きに合わせるかのように、背中を向けていた拓海の体がこちら側を向こうとする。悠季はあわてて、それでもできるだけさりげなく目を逸らすしかなかった。
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