ミューズ ~彼女は彼らの眩しい人~

藍川涼子

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第三章 美央高1・紗栄子高2

31 スキー旅行①

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「俺、今日は筋トレしてから帰るよ。」
 土曜の練習後、プールサイドで髪を拭きながら拓海が言った。城北高校には運動部共有の筋トレマシーンがある。どの部も高頻度に使用するわけではなく、合宿の時や土日の練習の自主トレなどで使う。
「付き合いますよ。」
「いや、いいよ。マネージャーを独占すんの、気が引けるし。」
 こういうところは、拓海らしくないようで拓海らしい。美央が他の選手にストレッチやマッサージをしていると、『俺にもしてくれよ~。』などといってからんでくるが、それはあくまでも冗談や選手の緊張をほぐすことが目的である。
「それに美央がつきあってくれるとなると、今度は休みにくくなるだろ。できるだけ多くやったほうがいいのは当然だけど、義務になっちゃうとそれはそれで精神的にきついんだよね。」
「ああ…。わかるような気がします。」
「だからさ、悪いけど今日は別行動な。」
 拓海と別れて部室に戻り、美央は着替えを終えようとしていたひとみに昼食の約束をした。
「へえ、そうなんだ。やる気だねえ、拓海先輩。」
「ね。ちょっとびっくりしちゃった。」
「それはあれかなあ。悠季の影響かなあ。」
「え?」
「あ、そっか。知らないよね。悠季、ここんとこ土日はほとんど毎週居残りで筋トレしてるらしいよ。俊一や司もたまに付き合うらしいけど、毎週は無理だ~、悠季はバケモノだ~って言ってる。」
「そう…なんだ…。」
 拓海は、体育教官室に行って筋トレコーナー使用の許可を取り、大体育館に向かう。観戦コーナーの一部分が、何台もの筋トレマシーン置き場になっている。
「よう。」
 寝転んで持ち上げていたバーベルを胸の上すれすれに保ち、悠季は拓海を見上げた。
「お疲れ様です。」
 もう一方のトレーニング台のバーベルの重さを調整し、拓海も横になる。しばらく会話を交わすこともなく、二人はバーベルを持ち上げることに集中した。他には誰もいない空間だ。
 ひとしきり運動を終えると、悠季は手すりにかけてあったタオルで顔や首筋をぬぐった。次は脚を鍛えるマシーンに向かう。
「マジで毎週やってんの?」
 休憩しているのを確認して拓海が話しかける。
「毎週必ず、ではないですけど。」
「どうりで最近体が大きくなってきたわけだ。」
 実のところ、悠季は年末頃からほぼ毎週筋トレを続けている。
「なにがきっかけなんだろうな。」
 そういって、先程より速いテンポでバーベルを上げ下げする。悠季は背筋に汗がつうっと流れるのを感じた。
 拓海の脳裏には、冬スポでの悠季の真剣な様子が浮かんでいた。
『本気も本気ですよ。これくらいは、勝ちたかったんですから。』
 これくらいは、の部分に、いやにアクセントが強く置かれていた。これくらいは。
 その後、二人はさらに黙々と筋トレをこなしていったのだった。



 城北高校における3学期のお楽しみの行事といえば、1年生はスキー旅行、2年生は修学旅行である。
 まずは2月中旬に、スキー旅行がある。旅行といっても雪国であるこの県からわざわざ出ることなどなく、バスで1時間半程度のスキー場に二泊三日で行くのである。
 場所は近いけれども、もちろん盛り上がらないはずがない。なんといっても旅行である。付き合っている相手や片思いの相手が同学年にいれば、こんなに楽しいことはない。そうでなくても、夜中までワイワイ楽しく過ごすのが、嫌なわけがない。
 ところで、生徒は雪国の子だけあって、大概の生徒は普通に滑れる。そう、大概の生徒は。
「明日っからスキー旅行でいねえのかあ。俺、さびしくて死んじゃう!」
 コートごと、拓海は美央に抱きついた。
「先輩、部活時間ですから…。」
 たしなめる美央の声には、いつものような張りがない。
「あれ?美央もさびしい?」
「美央の場合は先輩とはなれるさびしさよりも、スキー旅行そのものがイヤッって感じだよねー?」
 ひとみのおっしゃるとおりである。自他共に認める、文句のつけようがない超・運動が苦手な美央である。スキーなんて、ろくにできるはずもなく、上級・中級・初級の更に下、初心者コースで参加する。
 400人以上いる1年生で、初心者コースに所属するのはたったの10人だ。グループ分けを見て、落ち込むより先に、恥をさらす相手が少人数でよかった…。と胸を撫で下ろした。
「美央―、怪我には気をつけてなー?冬スポのとき何もないところで一人で転んで痣作ってたもんなー。」
「ホント、骨折とか普通にしそうで怖いよ。とにかくだめだって思ったら転んじゃいな?骨折よりも痣のほうがマシだから。」
「ほんと、励ましありがとう…。」



 平日のスキー場は空いている。それでも、400人という人数が来れば、けっこうな賑わいだ。普段スキーなどしない美央は、全てレンタルしたもので身をかためている。
 初心者コースの担当教諭は、体育担当の春日である。
「はい、みんなおはよう。まずは道具の確認ね。」
 先生が女なら、初心者コースのほとんどが女子だ。美央は、たまたま同じ中学だった細川杏樹がいたので、組んで準備体操を行うことにした。お互い、顔を見て苦笑いをする。そういえば中学時代、マラソン大会でもビリのほうで悲しく争っていたのだった。
「はあ、ブルーだよね。」
「うん、超ブルー。」
 スキー板をはいて、‘逆ハの字’でゆるい斜面を登っていく。リフトで上るコースなんて、到底滑ることのできないメンバーなのだ。
「じゃあ、今度は‘ハの字’で元いた位置まで滑るわよ~。」
 ついて来いというように春日はボーゲンでまっすぐに滑った。おろおろしながら一人ずつついていく。美央もおっかなびっくり滑った。どうにか滑れた。…までは良かったが、うまく止まれず、転んでしまう。
「うわぁ!」
 思い切りお尻を打ちつけたところで、上級者コースから次々と滑ってくる姿があった。ジャジャーッと大きな音と雪のしぶきを上げ、美央のすぐそばに止まる。それすらも、突っ込んでくるのかと思い、気が気じゃない美央はおたおたと寝転んだ姿勢で必死で逃げようとした。
「美央お前、本当に救いようがねえな。」
 笑いながらゴーグルを外したのは悠季だった。陸上もバスケも、スキーまでうまいようだ。上級組は、先生の指導というのは名ばかりで、難しいコースをバンバン滑っているらしい。
「もう~怖いからあっち行ってよ!」
「様子見にきてやってんのに、その言い草はねえだろ。」
 ケタケタ笑っていると、美央といい勝負で杏樹がよたよた滑ってきた。
「きゃあー!」
 進行方向に悠季がいるので、慌てている。たいしたスピードも出ていないので、そのまま悠季が受け止める格好になった。
「ちょっと、椎名~!この子達、止まるのも練習のうちなんだから、あんまり親切にしないでちょうだい?」
 春日に注意を受け、悠季は肩をすくめてリフト乗り場の方へと向かっていった。
「じゃあ、時間だから休憩にしようか。」
 休憩時間はグループごとにあらかじめ決まっている。いっせいに休憩を取るとロッジがもたない。あらかじめ注文してある食事を前に、美央と杏樹はため息をついた。他のメンバーも大差なく、疲れきった顔をしている。
「すごいハードだね。…もう帰りたい。」
「鬼だよね、スキー授業なんか義務にしないでほしいよ…。」
 と、初級コースを担当している水泳部顧問の近藤が現れた。休憩時間が同じらしい。
「あっ!橘だったのか!なんでもないところですっ転んでたの!」
 どうやら近くで見ていたらしい。近藤は遠慮のない大声を出している。一緒にいる初級コースの生徒達がクスクス笑っている。
「そんな大声で言わないでください…。」
「だってなあ、どうやったらあんな所で転べるんだ?教えて欲しいくらいだよ。」
 言われている美央だけでなく、ほとんどの初心者コースメンバーが、グサグサと傷ついている。
「おまえなあ、マネージャーがそんなに運動音痴じゃ良くないぞ?泳ぎ方のアドバイスとか、説得力がないだろう。」
「もう~先生、あっち行ってください~!」
 ははは、と笑って近藤はその場を後にする。
 午後も同じような調子で過ぎ、どうにか緩やかな坂を転ばずに滑り、止まれるようになった。
「いや~、1日でよく成長してるわよ!最終日、一番簡単なコースを滑ること、これを目標に頑張ろう!」
 春日の声かけに、みんなの返事が小さかったのは言うまでもない。



 宿舎は小さな民宿で、おおむね2~3クラスずつに分かれて宿泊する。美央とひとみは同じ部屋になった。6人部屋だ。他の同室は、副委員長の貴美子、愛子、静香、知恵の4人だ。
 入浴、食事を済ませると、ひとみはケータイを取り出した。
「これから男子の部屋に行かない?」
 キラン、とみんなの目が輝く。反対する者などいるはずがない。
「ひとみは、津久井君とイチャイチャしたいだけじゃん。」
 やさぐれている美央は、ついついつっけんどんな言い方をする。
「なによ、悪い~?」
「いいなあ、ひとみは彼氏が同じクラスでさ。」
「ねえ、津久井君の同室って、誰だっけ。」
「うーんとね、悠季はいるでしょ、それから……貴美子ちゃんは誰に会いたいんだっけ?」
 ひとみがにやっと笑うと、貴美子が顔を赤くした。
「彼の部屋については下調べはしてあるんじゃないのかな?」
「えっ?えっ?誰?」
「初耳!貴美子ちゃん!」
「まあまあ、とりあえず誰がいるのか聞いとこうよ。…貴美子ちゃん?」
 口をとがらせてひとみを睨みつけたものの、抵抗する様子はなく、貴美子は名前を挙げていった。
「相田くんでしょ、木下君でしょ、手塚君でしょ、あと、…住谷君。」
 はっ、とみんな顔を見合わせる。住谷允は男子バレーの部員だ。背が高くて、まあまあかっこよくて、さわやかな感じの。
「そーなんだー!」
「ヤダー知らなかったー!」
「言われてみると、お似あいだねー!」
 すでに高くなっていたテンションが、さらに高まる。ふてくされていた美央も、一気に機嫌が良くなっていた。
「お似合いっていっても、別に、付き合ってるわけじゃないし…。」
「ええ~?でも、彼、彼女はいないんでしょ?」
「うん、そうらしいけど。」
 いつもきびきびとしてクラスのことを取りまとめる貴美子とは思えないほど、すごく恥ずかしそうにしている。
 ピロリ~♪
「おっ、返事のはやいこと。…さて、じゃあそういうわけで、作戦会議といきましょうか。」
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