雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~

國樹田 樹

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能面課長と戸惑いと

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 ―――本庄課長と二人で食事してから、一週間が経過していた。

 ごほ、と咳き込みながら、布団を頭まで被り寒気を和らげる。

 春も過ぎたというのにまだ朝晩は冷え込みが続いている。

 そのせいか、私は風邪を引いてしまっていた。

 珍しくも高熱を出してしまい、朝起きて計った体温計の表示を見てそのまま欠勤の連絡をしたのだ。

 布団の中で息苦しくなって、ぷはっと顔を出して息を吸い込む。

 見慣れた天井を見ながら、熱に浮かされた頭にぼんやりと浮かんできたのは、やっぱりあの人の顔で。

 ―――本庄課長。

 レストランLa fleurで食事した後、近くの高台にある公園に立ち寄り二人で夜景を眺めた。

 その時の事を思い出す。

 会社で見るのと同じ無表情なのに、あの時は普段とは違う、もっと真剣な表情をしていた。

 真っ直ぐ見つめられて、心臓がとんでもなく高鳴った。澄み切った春の空気の中で、本庄課長の存在だけがはっきりと見えていた。

 夜景を背にして低音の声で告げられたのは、告白の言葉だった。

『俺と、付き合ってくれないか。……嫌で、なければ』

 その言葉の後の記憶が曖昧なほど、驚きでパニックになってしまっていたけれど、今となっては何かがストンと降りてきたような、そんな気がしていた。

 以前律子に課長の愚痴を零した時にとられた意味深な態度の意味も、今なら理解できる。

 私だって、全く恋愛経験が無いわけじゃない。

 男性が女性を食事に誘ってくれる事の意味を、知らないわけじゃない。

 地下倉庫を恐がっていた事を知っていた。笑顔がほっとすると褒められた。

 見ていたと言われた。

 どうして、なぜ、という言葉と戸惑いばかりが先行して、課長がどんな気持ちでそれを言っていたのか、全く理解する事なく、ただ誘われるまま付いて行った。

 能面課長、なんてあだ名がついているけれど、彼もれっきとした男の人なのだ。

 単に上司であるとか、他の色々なフィルターがかかっていただけで。

 私がそういう目で見ていなかったのと、まさか自分がそう見られるとは思っていなかっただけで。

 課長と関わりを持つようになってから、あの人の表情は動いていないわけじゃなく、ただわかりにくいだけなのだという事に気がついた。無表情に見えても、瞳の奥が微笑んでいるのだ。

『返事はいつでも良い。考えていて欲しい』

 私の返事を待つ前に、口早に話を切った課長。

 どうしてあの時答えを聞かれなかったのか疑問は残るけれど、それより問題なのは、一週間経った今も返事ができていない事にある。

 単純に本庄課長が忙しくて機会がないというのもあるけど……。

 もう一つの理由は私の気持ちがまだ少し、戸惑っているからだった。

 好意はある。

 ただ、付き合いたいと思うほど『好き』かと聞かれると、まだわからない。

「素敵な人だとは……思うんだけど」

 かすれた声でぽつりと呟く。

 課長の瞳は真剣だった。真剣に、告白してくれた。

 だから私も、ちゃんとそれに応えたいと思う。

 熱でぼうっとする頭で、本庄課長の事を考えていると、ピンポン、と一度だけ、まるで躊躇うような呼び鈴が鳴った。

 朝起きて会社へ欠席の連絡を入れた時、ついでに律子にもメールしておいたからきっと彼女だろう。

 外に出るのさえ辛いので、会社帰りに何か適当に買ってきて欲しいとお願いしていたのだ。

 律子も私も一人暮らしなので、体調が悪い時はお互いそうやって助け合っている。

「今、ごほっ……開けるからっ」

 パジャマの上に薄い上着を羽織り、重い体を引き摺りながら玄関まで辿り着く。

 施錠を外しチェーンを外し、ドアを開けると外の風が中へと舞い込んだ。

 少しの寒気を感じて肌が震える。

 「律子、ありがとうっ」と口にしながら笑顔でドアを開けると、どうしてか、そこには思っていたのと違う人物が立っていた。

 目線の先にあったのは律子の顔ではなく、男性のスーツの胸元。

 そこから視線を上へと辿れば―――

 ―――ど、どうして本庄課長がここにいるのっ!?

 あまりの驚きに、私は口をぽかん、と開けたまま突っ立っていた。 
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