雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~

國樹田 樹

文字の大きさ
26 / 52

能面課長とデニムエプロン

しおりを挟む
「ソファに座って、休んでてくれ」

「何か手伝います」

「いや、いいんだ。俺が君に何かしたいだけだから」

「は……い」

 言われて、私はリビングの入口で思わず立ち尽くしてしまった。

 だって柔らかく笑ってそんな風に言われては、手が出しようがない。課長の笑顔の圧力は威力が強すぎる、と思いながら熱くなる頬を抑えた。

 キッチンに歩いていく課長の背中を見送り、言われた通りにリビングのソファまでふらふら歩きぽすんと座る。ソファは四人くらいは余裕で座れそうなほど大きかった。課長の身長も大きいから、それに合わせたのだろう。身体が沈み込むほど柔らかいソファは、布張りの生地もしっとりして肌触りが良かった。

 ベランダ側、大きな窓硝子からは綺麗な夜景が見えている。十二階建てのマンションの一番上だからか、眺望は良すぎるくらいだ。

 あれから、私達は課長が住むマンションそばにあるスーパーに立ち寄ってから部屋に来た。

 課長の住んでいるマンションは落ち着いた雰囲気のデザイナーズマンションだった。間接照明に照らされたモダンなガラス張りのエントランスや、デザインタイルが敷き詰められた高級感ある佇まいは、まるでホテルのように非日常感に溢れていて、入る時は少し緊張してしまったくらいだ。

 確実に、私の手が出せるレベルのマンションではないとわかる。

 こ、ここって分譲マンションよね……? しかも、かなりお高い部類の。

 これが、私が最初に抱いた感想だった。ついでに言えば、室内の広さも言わずもがなで。

 今私が座っているリビングは、私が住んでいるアパートの部屋を四つ分足したくらいある。まだ奥に部屋があるようだし、一体㎡あるのか聞くのも恐ろしい。って聞かないけど。

 き、緊張する……。

 だってこんなところに住んでると思わなかったんだものっ。

 キャリアで他社から引き抜かれる程の人だから、相応の生活はしているのだろうと思っていたけれど、それでも同じ会社にいるという意識のせいか、課長と自分の生活にそこまでグレードの違いは無いと思っていた。だけど、ここまでとは。

 なんだか次元が違うって感じだわ……あれ?

 部屋の豪華さに驚いていると、窓の片隅、室内を鏡のように映しだしている大きな窓硝子のすぐ前に、小さな青い鉢があるのに気付いた。しかも、淡く白い桜らしき花をつけている。数は五輪ほどで小さいが、見た目は立派な桜の樹に見える。あれは、盆栽だろうか。

 桜の盆栽? 初めて見たかも。

 ソファから立ち上がって近づいてみる。鉢は日中ならよく日が当たりそうな場所に置かれていた。青い鉢の大きさはちょうど私が両手で持てるくらいで、黒い土の中心にぽつんと小さな桜の樹が生えている。

 花の数は少ないものの、八重の花弁は綺麗に開いていた。確か桜は夜になっても花びらを閉じないのだと昔聞いたのを思い出す。

 課長が育ててるってことよね。この桜の盆栽を……。

 大きな体でこんなに小さな桜を愛でているのかと思うと、普段は怖くさえ見える彼の事がなんだか可愛らしく思えた。

 だけどどうして、桜なのだろうか。桜は庭に植えると家が栄えないとか、開花が一瞬のわりにすぐ散ってしまう事から、昔は縁起の悪いイメージがあったと聞いている。私も詳しくは知らないので、地に植えない鉢の盆栽なら大丈夫なのかもしれない。まあ、どちらにしろ桜には良い迷惑だろう。

 しかしどうにも課長と桜が結びつかなくて、私はその場で首を傾げながら小さな鉢を眺めていた。五輪だけ咲いた小さな桜の樹はとても可愛らしく、それでいてどこか妖しい美しさもある。私はなぜかそれに既視感を感じた。この桜と同じ空気感を、何度も感じた事があるような、そんな気がする。

 桜の白い花びらはすぐ横の窓硝子に薄く姿を映していた。まるで、水鏡で増えた二つの桜が並んでいるみたいだ。

 それを見ていて気付く。

 時折見せてくれる課長のささやかな笑顔が、この桜にどこか似ているような気がすることに。

 ああそうだわ。この桜の繊細で綺麗な佇まいは、課長が笑った時の雰囲気に似ているんだわ。

 ぽつぽつと五輪だけ花開いた、小さな桜の存在と、課長が時折見せてくれる淡い笑顔が記憶の内で重なる。

「―――白沢さん?」

「はいっ」

 そんな風に思った時、突然後ろから声をかけられた。

 咄嗟に返事をして振り向くと、課長がキッチンからひょいと顔を出していた。どうやら先程から呼ばれていたらしい。

 彼はスーツの上着を脱いだ姿で、白いシャツの袖を上腕部まで捲り、逞しい腕を晒していた。手にはお玉を持っていて、手首の内側の筋から太い腕に繋がる筋肉の形がありありと見えている。私はそれを見て思わずどきっとしてしまった。……と、いうか。

 待って。ちょっと待って。

 課長が……! エプロンしてるっ……!

 咄嗟に自分の口元を隠した。なんだか変な笑いとか声とかが出てしまいそうな気がしたからだ。

 課長は上着を脱いだだけの姿の上に、青いデニム生地のエプロンをしていた。一見すればスタイリッシュで格好良いのだけど、いかんせん相手が課長だ。表情は能面だし、眼鏡はインテリそのものだしで、アンバランスな事この上ない。まるで、大人の男性が高校生の頃の家庭科のエプロンを身に着けたような、そんな微笑ましい可愛らしさがあった。 

「白沢さん……? その、もう出来るからこっちに来てくれないか」

「か、課長」

「どうした?」

 課長はお玉を手にしたまま首を傾げている。表情にほとんど感情が無いからそれがなんとも言えない感じになっていて、私はそんな姿にも胸が熱くなる思いがした。だから、つい、口を突いて出てしまったのだ。

 まあつまりその―――感想が。

「課長……エプロン姿、可愛いですっ」

「え」

 あ。と思った時にはもう、口にしてしまっていた。

 またやってしまった。という既視感を感じながら、私は小さな桜の樹の傍ではっと我に返り、そして顔から血の気が引いていくのを実感していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「お前、頬を叩いた詫びに婚約者になれ」 上司で社長の彪夏と秘書の清子はお似合いのふたりだと社内でも評判。 御曹司でイケメンの彪夏は女子の憧れの的。 清子はどこぞのご令嬢と噂され、男女問わず視線を集めていた。 ……しかし。 清子には誰もが知らない、秘密があったのです――。 それは。 大家族のド貧乏! 上は高校生、下は生まれたばかりの五人弟妹。 おっとりして頼りにならない義母。 そして父は常に行方不明。 そんな家族を支えるべく、奮闘している清子ですが。 とうとう、彪夏に貧乏がバレたまではよかったけれど。 子持ちと間違われてついひっぱたいてしまい、償いに婚約者のフリをする羽目に。 しかも貧乏バラすと言われたら断れない。 どうなる、清子!? 河守清子 かわもりさやこ 25歳 LCCチェリーエアライン 社長付秘書 清楚なお嬢様風な見た目 会社でもそんな感じで振る舞っている 努力家で頑張り屋 自分がしっかりしないといけないと常に気を張っている 甘えベタ × 御子神彪夏 みこがみひゅうが 33歳 LCCチェリーエアライン 社長 日本二大航空会社桜花航空社長の息子 軽くパーマをかけた掻き上げビジネスショート 黒メタルツーポイント眼鏡 細身のイケメン 物腰が柔らかく好青年 実際は俺様 気に入った人間はとにかくかまい倒す 清子はいつまで、貧乏を隠し通せるのか!? ※河守家※ 父 祥平 放浪の画家。ほぼ家にいない 母 真由 のんびり屋 長男 健太(高一・16歳)服作りが趣味 次男 巧(高一・15歳)弁護士になるのが目標 三男 真(小五・10歳)サッカー少年 四男 望(保育園年中・5歳)飛行機大好き 次女 美妃(保育園児・五ヶ月)未知数

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

ベンチャーCEOの想い溢れる初恋婚 溺れるほどの一途なキスを君に

犬上義彦
恋愛
『御更木蒼也(みさらぎそうや)』 三十歳:身長百八十五センチ 御更木グループの御曹司 創薬ベンチャー「ミサラギメディカル」CEO(最高経営責任者) 祖母がスイス人のクオーター 祖父:御更木幸之助:御更木グループの統括者九十歳 『赤倉悠輝(あかくらゆうき)』 三十歳:身長百七十五センチ。 料理動画「即興バズレシピ」の配信者 御更木蒼也の幼なじみで何かと頼りになる良き相棒だが…… 『咲山翠(さきやまみどり)』 二十七歳:身長百六十センチ。 蒼也の許嫁 父:咲山優一郎:国立理化学大学薬学部教授 『須垣陸(すがきりく)』 三十四歳:百億円の資金を動かすネット投資家 ************************** 幼稚園教諭の咲山翠は 御更木グループの御曹司と 幼い頃に知り合い、 彼の祖父に気に入られて許嫁となる だが、大人になった彼は ベンチャー企業の経営で忙しく すれ違いが続いていた ある日、蒼也が迎えに来て、 余命宣告された祖父のために すぐに偽装結婚をしてくれと頼まれる お世話になったおじいさまのためにと了承して 形式的に夫婦になっただけなのに なぜか蒼也の愛は深く甘くなる一方で ところが、蒼也の会社が株取引のトラブルに巻き込まれ、 絶体絶命のピンチに みたいなお話しです

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

求婚されても困ります!~One Night Mistake~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「責任は取る。僕と結婚しよう」 隣にイケメンが引っ越してきたと思ったら、新しく赴任してきた課長だった。 歓迎会で女性陣にお酒を飲まされ、彼は撃沈。 お隣さんの私が送っていくことになったんだけど。 鍵を出してくれないもんだから仕方なく家にあげたらば。 ……唇を奪われた。 さらにその先も彼は迫ろうとしたものの、あえなく寝落ち。 翌朝、大混乱の課長は誤解していると気づいたものの、昨晩、あれだけ迷惑かけられたのでちょーっとからかってやろうと思ったのが間違いだった。 あろうことか課長は、私に求婚してきたのだ! 香坂麻里恵(26) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部営業 サバサバした性格で、若干の世話焼き。 女性らしく、が超苦手。 女子社員のグループよりもおじさん社員の方が話があう。 恋愛?しなくていいんじゃない?の、人。 グッズ収集癖ははない、オタク。 × 楠木侑(28) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部課長 イケメン、エリート。 あからさまにアプローチをかける女性には塩対応。 仕事に厳しくてあまり笑わない。 実は酔うとキス魔? web小説を読み、アニメ化作品をチェックする、ライトオタク。 人の話をまったく聞かない課長に、いつになったら真実を告げられるのか!?

おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」 それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。 4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。 女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。 「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」 そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。 でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。 さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。 だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。 ……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。 羽坂詩乃 24歳、派遣社員 地味で堅実 真面目 一生懸命で応援してあげたくなる感じ × 池松和佳 38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長 気配り上手でLF部の良心 怒ると怖い 黒ラブ系眼鏡男子 ただし、既婚 × 宗正大河 28歳、アパレル総合商社LF部主任 可愛いのは実は計算? でももしかして根は真面目? ミニチュアダックス系男子 選ぶのはもちろん大河? それとも禁断の恋に手を出すの……? ****** 表紙 巴世里様 Twitter@parsley0129 ****** 毎日20:10更新

処理中です...