雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~

國樹田 樹

文字の大きさ
42 / 52

能面課長のきっかけ

しおりを挟む
「終わりました」

「ありがとう。それじゃ、はい」

「え、ええっと……」

 流石に後片付けくらいはさせて欲しいと、洗い物を無理矢理し終えた私はリビングのソファで待っていた課長に声をかけた。だけど次の瞬間には彼が取った行動に少々困惑していた。というより、赤面していた。

 はい、って……なぜ両手を広げて待っているのかしら。しかも無表情よ。無表情だわ。いやでも目はちょっと柔らかい気がするけど。やっぱり自宅だからかしら。

 ここにおいでとばかりに両手を広げたまま待ち構えている課長を前に戸惑っていると、彼が首をことりと傾げた。

 その仕草がまるで主人の行動を不思議がる動物のようで、私の胸がきゅんとなる。

「来てくれないのか?」

「い、行きます……」

 拒否する理由も無ければ正直嬉しいとも思うので、恥ずかしながらもすごすごと彼の広げた腕の中へと納まった。

 するとぎゅうっと腰元に抱き着かれてしまう。課長の顔が私の腹部に埋まった。

 ええと……。

 これは、甘えてくれているんだろうか。

 試しに髪を撫でてみると、ぐりぐりと顔を押し付けられた。もっとやってくれという事らしい。可愛らしくてつい自然と笑みが零れてしまう。

 なんというか、大型犬を相手にしているみたいだ。実際、課長は身長百八十を越えているから、大きい男性ではあるのだけど。

 三十も越えた人なのに、家じゃこんなに可愛らしいだなんて反則だ。少し前までは、仕事を押し付けてくる面倒な人でしかなかったのに、近づけばこうまで印象が変わるとは。自分でも驚く。

 この気持ちをなんと言えばいいのだろう。好き、という単純な言葉だけでは言い表せないこれは。

 心がむず痒くて仕方がない。
 嬉しいけれど。とても、嬉しいのだけど。

 嬉し恥ずかし、というやつだ。

「あの、課長……っきゃ」

「君はやっぱり、軽いな」

 顔が見えないのが寂しくて、話しかけようとしたら素早く腰を掴まれくるりと方向転換された。しかもそのまま、ひょいっと持ち上げられて課長の膝の上に横抱きにされてしまう。

 わわわ、と唇を震わせる私を見て、課長はまた眼鏡の奥で微笑んでいた。

 ふと、この人の感情は口元ではなく瞳によく表れるなと思った。無感情なわけではなく、硝子一枚隔てた向こう側で様々な色を実は見せている。

 ただ他の部分にそれが見えないから、わかり辛いだけなのではないだろうか。

 課長の目は普段は鋭くて、どちらかと言えば白目が多い方だ。なのに、笑んだ瞬間だけ細まった瞳の中で黒目が際立つ。

 それがより印象を一気に柔らかくして、凛とした強さの中に秘した彼の優しさを露わにしている。私の好きな、彼の笑顔だ。

 この顔を知っているのは自分だけなのだと思うと、じわりとした愉悦に似た喜びを感じた。

「も、もうっ、降ろしてください。恥ずかしいです」

「そうか。俺は楽しいが」

「楽しいって……尚人さんたら」

「ああ、名前。呼んでもらえるのも嬉しい。こうして君に触れられるのは勿論だが、その声に呼ばれるのはまた格別だな」

 感慨深げに言って、課長は頭頂部に軽く口づけてくる。彼が醸し出す空気が甘い。

 それにどこか、熱い。

「な、何を言って……」

「本当だ。なあ茜、笑ってくれないか。君の笑顔が俺は好きだ。君に俺の腕の中で笑ってもらえたらどんなにいいかと、以前から思っていた」

 状況を忘れて甘さに浸ってしまいそうな私の心を、課長がじわじわと追い詰めてくる。私は情けなくも眉尻を下げながら彼を見上げた。きっと今、私の顔は真っ赤なんだろう。だって仕方ない。課長に眼鏡越しにこんな風にじっと見つめられて、平気でいられるわけがない。

「……私だって、課長の笑った顔、好きです……」

「それは光栄だな」

 つい今ほど考えた通りのことを口から零すと、眼鏡越しの瞳が一瞬見開いて、それからまたふっと柔らかく微笑まれた。

 背中を支えてくれる手にくっと力が籠められる。大きな掌の感触に、ほんの僅か下腹の奥が震えた。
「きっかけは……君が口にしたある言葉だったんだ」

「言葉?」

「ああ。それを聞いてから、俺は君を目で追うようになった。……君は『たとえ嘘の笑顔でも、誰かのためならそれは優しさ』……そう、言っていた」

 するり、と課長が私の髪を指で梳いた。

 彼の指先から髪の毛がはらはら落ちていく。やや深い呼吸の音が聞こえた。課長は肩で深く深呼吸をすると、そのまま私の頭を引き寄せて、ぎゅうと強く身体を抱きしめた。

「……君のその言葉を聞いた時、俺は、過去の自分が救われたような気がしたんだ」

 それが、君を好きになったきっかけだ。と。課長は続けた。

 彼の透明な硝子越しに見える綺麗な瞳に、ほんの少し、陰が混じるのを見た。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「お前、頬を叩いた詫びに婚約者になれ」 上司で社長の彪夏と秘書の清子はお似合いのふたりだと社内でも評判。 御曹司でイケメンの彪夏は女子の憧れの的。 清子はどこぞのご令嬢と噂され、男女問わず視線を集めていた。 ……しかし。 清子には誰もが知らない、秘密があったのです――。 それは。 大家族のド貧乏! 上は高校生、下は生まれたばかりの五人弟妹。 おっとりして頼りにならない義母。 そして父は常に行方不明。 そんな家族を支えるべく、奮闘している清子ですが。 とうとう、彪夏に貧乏がバレたまではよかったけれど。 子持ちと間違われてついひっぱたいてしまい、償いに婚約者のフリをする羽目に。 しかも貧乏バラすと言われたら断れない。 どうなる、清子!? 河守清子 かわもりさやこ 25歳 LCCチェリーエアライン 社長付秘書 清楚なお嬢様風な見た目 会社でもそんな感じで振る舞っている 努力家で頑張り屋 自分がしっかりしないといけないと常に気を張っている 甘えベタ × 御子神彪夏 みこがみひゅうが 33歳 LCCチェリーエアライン 社長 日本二大航空会社桜花航空社長の息子 軽くパーマをかけた掻き上げビジネスショート 黒メタルツーポイント眼鏡 細身のイケメン 物腰が柔らかく好青年 実際は俺様 気に入った人間はとにかくかまい倒す 清子はいつまで、貧乏を隠し通せるのか!? ※河守家※ 父 祥平 放浪の画家。ほぼ家にいない 母 真由 のんびり屋 長男 健太(高一・16歳)服作りが趣味 次男 巧(高一・15歳)弁護士になるのが目標 三男 真(小五・10歳)サッカー少年 四男 望(保育園年中・5歳)飛行機大好き 次女 美妃(保育園児・五ヶ月)未知数

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

ベンチャーCEOの想い溢れる初恋婚 溺れるほどの一途なキスを君に

犬上義彦
恋愛
『御更木蒼也(みさらぎそうや)』 三十歳:身長百八十五センチ 御更木グループの御曹司 創薬ベンチャー「ミサラギメディカル」CEO(最高経営責任者) 祖母がスイス人のクオーター 祖父:御更木幸之助:御更木グループの統括者九十歳 『赤倉悠輝(あかくらゆうき)』 三十歳:身長百七十五センチ。 料理動画「即興バズレシピ」の配信者 御更木蒼也の幼なじみで何かと頼りになる良き相棒だが…… 『咲山翠(さきやまみどり)』 二十七歳:身長百六十センチ。 蒼也の許嫁 父:咲山優一郎:国立理化学大学薬学部教授 『須垣陸(すがきりく)』 三十四歳:百億円の資金を動かすネット投資家 ************************** 幼稚園教諭の咲山翠は 御更木グループの御曹司と 幼い頃に知り合い、 彼の祖父に気に入られて許嫁となる だが、大人になった彼は ベンチャー企業の経営で忙しく すれ違いが続いていた ある日、蒼也が迎えに来て、 余命宣告された祖父のために すぐに偽装結婚をしてくれと頼まれる お世話になったおじいさまのためにと了承して 形式的に夫婦になっただけなのに なぜか蒼也の愛は深く甘くなる一方で ところが、蒼也の会社が株取引のトラブルに巻き込まれ、 絶体絶命のピンチに みたいなお話しです

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

求婚されても困ります!~One Night Mistake~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「責任は取る。僕と結婚しよう」 隣にイケメンが引っ越してきたと思ったら、新しく赴任してきた課長だった。 歓迎会で女性陣にお酒を飲まされ、彼は撃沈。 お隣さんの私が送っていくことになったんだけど。 鍵を出してくれないもんだから仕方なく家にあげたらば。 ……唇を奪われた。 さらにその先も彼は迫ろうとしたものの、あえなく寝落ち。 翌朝、大混乱の課長は誤解していると気づいたものの、昨晩、あれだけ迷惑かけられたのでちょーっとからかってやろうと思ったのが間違いだった。 あろうことか課長は、私に求婚してきたのだ! 香坂麻里恵(26) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部営業 サバサバした性格で、若干の世話焼き。 女性らしく、が超苦手。 女子社員のグループよりもおじさん社員の方が話があう。 恋愛?しなくていいんじゃない?の、人。 グッズ収集癖ははない、オタク。 × 楠木侑(28) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部課長 イケメン、エリート。 あからさまにアプローチをかける女性には塩対応。 仕事に厳しくてあまり笑わない。 実は酔うとキス魔? web小説を読み、アニメ化作品をチェックする、ライトオタク。 人の話をまったく聞かない課長に、いつになったら真実を告げられるのか!?

おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」 それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。 4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。 女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。 「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」 そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。 でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。 さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。 だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。 ……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。 羽坂詩乃 24歳、派遣社員 地味で堅実 真面目 一生懸命で応援してあげたくなる感じ × 池松和佳 38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長 気配り上手でLF部の良心 怒ると怖い 黒ラブ系眼鏡男子 ただし、既婚 × 宗正大河 28歳、アパレル総合商社LF部主任 可愛いのは実は計算? でももしかして根は真面目? ミニチュアダックス系男子 選ぶのはもちろん大河? それとも禁断の恋に手を出すの……? ****** 表紙 巴世里様 Twitter@parsley0129 ****** 毎日20:10更新

処理中です...