異界奇伝 火出づる国の娘

國樹田 樹

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第九話 異界にて相通ず

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『さあ、ここがわたし達が住んでいる村〖テリノ・アシュト〗よ。もう少しでうちに着くわ』

 老夫婦、ティファナとウルドゥに連れられ瑠璃———もといアズーロとなった彼女が辿りついたのは、彼等と出会った平原から一刻半ほど歩いた場所にある小さな村だ。

 人家は百にも満たず、青く茂る田畑をはさんでぽつぽつと点在している。道端には白い蓮華に似た花が咲き、立ち話をしている人の姿もあった。

 水の張られた田んぼには、白い雲と空が映し出されてなんとも長閑な光景である。

(日本むかし話に出てきそう……)

 アズーロは穏やかな田園風景を見渡しながら思った。
 背を高くした稲が波のように風に靡く様子は、現代日本の田舎の光景とほとんど変わらない。

(なのに、髪も目の色も……言葉も違うんだ)

 空と同じ色の髪をした人々が談笑しているのを横目に、アズーロはティファナ達に連れられ村の中を歩いて行く。
 途中、畑で作業していた青年がこちらを見てぱっと顔を輝かせた。

『やあティファナお帰り! お参りから帰って来たんだな』

 青年が鍬《くわ》を持っていない方の手を挙げて溌溂とした声で言った。

『あらバルド。ただいま。今日も精が出るわねえ』

 ティファナが返事をすると、青年は手にしていた鍬を肩に担ぎ足早に駆け寄って来る。

(っ)

 アズーロは慌ててティファナの背に隠れた。

 青年は気付いているのかいないのか、ティファナの前まで来ると流暢に話し始める。

『夏が来るまでに耕しておきたくてさ! うちは親父がいないから、俺がやらないと』

『あらあら。うふふ。ジェンマは良い息子を持ったわね』

『いやぁ……』

 へへ、と照れ笑いを浮かべながら青年が答える。見ればウルドゥも頷きを返していた。

 どうやら二人にとっては見知った間柄のようだ。
 村の規模からして、ほとんどの住民が知り合いなのだろう。
 アズーロは無言のまま二人の様子をそっと見つめた。
 バルドと呼ばれた青年をフードの隙間から観察してみる。

 日に焼けた肌が特徴的な長身の青年だ。
 おそらく百八十ほどはあるだろうか。
 ティファナ達よりもやや鮮やかな水色の髪を無造作に流し、額には汗止めのためか青い布を巻き付けている。
 素朴な顔立ちと生き生きとした瞳が印象的で、歳はアズーロより二つ三つ上といったところだろう。

(高校生……か大学生くらい?)

 普段から力仕事をしているのか、襟元から除く首は太く、腕まくりした袖からはしっかりとした筋肉のついた腕が伸びている。また紐で縛るタイプの茶色いズボンは簡素でありながら脚はすらりと長く、爽やかな好青年というフレーズがぴったりだ。

(バスケの選手みたい……)

 そんな感想を抱いていると、ふとバルドがアズーロに気付いた。

『ん? なぁティファナ、その子は?』

 バルドがティファナの背後にいたアズーロをひょいと覗き込む。ぎょっとして咄嗟に顔を伏せることができなかったアズーロは、思わずバルドの水色の瞳を見返してしまった。

『おんなの、こ? え、うぉ……可愛い……』

 バルドの口から呟きが漏れる。

(っ、嫌っ……恐いっ!)

 自分に目が向いたのを見てアズーロは血の気が引いた。

 【見られている】という事実に喉奥がきゅうと締まり鳩尾が冷たく冷えていく。
 この世界に来てすぐに見た青い男性の事を思い出したのだ。

 アズーロはこれまで若い男性に対しトラウマなどは無かったが、殺されかけたことがきっかけで深い心理的外傷《トラウマ》を負っていた。

 アズーロの身体ががたがたと震え始めたのを見て、ウルドゥが彼女を庇う様にさっと前に出た。

『少々事情があってな。しばらく預かることになった。これ、そう不躾に見るんじゃない』

『あ、いやっ、ごめんっ』

 ウルドゥに窘められたバルドは慌てて一歩後ずさると、申し訳なさげに眉尻を下げた。

『その、珍しくて、つい。……恐がらせたかな? ごめんよ』

 バルドがバツ悪そうな顔を浮かべる。それから空いている方の手を顔の前に持っていくと、掌を真っ直ぐ垂直に立てて頭を少し下げた。
 それを見たアズーロは震えも忘れて目を瞠った。ぎゅっと閉じかけた瞳が大きく開く。

(謝られてる……?)

 バルドは謝罪のポーズを取っていた。言葉は無くとも、すぐに理解できるジェスチャーだ。

 目の前で交わされた会話はまったく理解できなかったものの、今彼が何を表現しているかはアズーロに明確に伝わっていた。それも、ここに来て一番分かり易い形で。

(たぶん今の、ウルドゥさんに何か注意されたんだよね? それで私に謝ってくれてる?)

 二人の反応や雰囲気で、どういうやり取りだったかはなんとなくわかる。
 バルドがアズーロを見ている。彼の表情は申し訳無さそうで、それに困っているようにも見えた。
 アズーロはバルドが自分の反応を待っているのだとすぐに理解した。

(大丈夫、です)

 言葉は話せないので、アズーロもまたジェスチャーで返すことにした。首を横に振り、それから大きく頷いて見せる。そして、ほんの少しだけ微笑んで見せた。
 アズーロは自分でも笑えたのが不思議だった。バルドの人懐っこい態度がそうさせるのだろうか。

 助けがあったとはいえ状況のわからない孤独の中で、元の世界と通じる動作を見れたことが嬉しかったのかもしれない。

『やっば……っ可愛い……!』

 そんなアズーロを見たバルドは首の下から顔までを一気に赤く染め、心の声をしっかり漏らしながら口をあわあわと震わせていた。

『あらまあ』

『やれやれ』

 二人のやりとりを見たティファナとウルドゥがそれぞれ違う反応を示す。
 この村、テリノ・アシュトでは若い女性自体が少ない。

 そんな中アズーロのように若く、かつ可愛らしい少女を目にすれば、バルドのようになっても仕方がないのだろう。
 だが、そこに釘を差すことを忘れなかったのがウルドゥである。

 アズーロは最初、気の毒になるほど酷く怯えていた。彼女は起き上がった瞬間、泣き叫びながら震えていたのだ。
 余程辛い目に遭ったのだろう。
 自分たち夫婦に付いてきたのも、藁にも縋りたいという思いだったはずだ。
 まだ年端もいかない少女が、たった一人で。 

 それに―――この少女はどこか、『普通』ではない。
 ウルドゥは確信していた。

『手は出すでないぞ。大事な預かり人だからな。……あとで村長《むらおさ》に報告に行くが、それまで吹聴はせんでくれ。恐らく他国から来た子だろう。儂らの言葉もわからないらしい』

 ウルドゥは簡単にバルドに説明した。
 もちろん平原の異常な様子は伏せておく。
 不安材料はなるべく口にしたくなかったというのもあった。

 幸いなのは、この村は【リジャ神院】へと向かう道中にあるため、遠方から遥々やって来た参拝人が訪れることもままあるということだ。

 村民にとって部外者はそう珍しい事ではない。
 そういった事情からバルドはウルドゥの説明に『なるほど』と素直に頷いた。

『そっか。異国の子なんだ……そういえば瞳の色が違うね。大地の色って感じですごく綺麗だ。初めて見たよ』

『じゃから、そうジロジロ見るなと言っておろうが』

『あっ、ごめんっ』

 ウルドゥに眉を顰められバルドが慌てる。彼はどうにもアズーロの事が気になるようだ。ウルドゥはせわしない若者にはあ、と大きく溜息を吐いた。

『まったく……』

『うふふ。じゃあバルド、わたし達そろそろ行くわ。ジェンマによろしくね』

 そこにティファナが上手に口を挟み、会話を切り替えた。

『あ、うん。そうだ、母さんが昨日多めに籠を編んだから、ティファナの所にもお裾分けしたいって言ってたんだ。また後で持っていくよ』

『ありがとう。助かるわ』
 言って、ティファナはそっとアズーロの背に片手を添えて歩き出した。促されるままアズーロも足を動かす。去り際、バルドにそっと頭を下げて。

『———ティファナ、なんか手伝う事あったらいつでも言ってくれよな! ……あ、えと、そこの君も! 恐がらせてごめんっ! またね!』

 バルドが大きく手を振りながら叫んだ。
 言葉はわからなかったが、自分に挨拶されていることはなんとなく感じ取れたので、アズーロはそっと低めに片手を振った。すると、バルドの顔が目に見えてぱあっと輝き、それを見たウルドゥが『やれやれ……』と再び呆れていた。

『ふふっ。バルドったら。ごめんなさいねアズーロ。この村は女の子が少ないから、余計に目を引いてしまうの。なにより貴女、とても可愛らしいから』

 ティファナがアズーロに話しかける。

 彼女が何を言っているのかわからずアズーロは首を傾げたが、ティファナは彼女に微笑むばかりで、反対にウルドゥは苦笑を浮かべていた。

 ただ穏やかな二人の雰囲気と、先程バルドとの間にあった出来事は、アズーロの心にほんの僅かに温かい風を吹かせていた。

(全然知らない人ばかりだけど……気持ちが伝わらないわけじゃない)

 同年代であろうバルドと意思の疎通ができたことは、彼女にとって大きな希望に思えた。

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