メモー古代の天皇家

そとねこ

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3話 オオヤマトクニアレヒメ

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『オオヤマトクニアレヒメ』

1.
オオヤマトクニアレヒメは、
7代孝霊天皇の妃となったが、その際父の名の記述がなく、
巫女であったと考えられている。

彼女は、
ヤマトトトヒモモソヒメ(卑弥呼ではないかとの説もある)の母であり、
オオヤマトの美称(彼女の他には天皇・神功皇后しか持たない)を持っている。


2.
10代崇神の条の記述には、
大物主の大神の祟りがあり、
(イクタマヨリビメの4代後の子孫である)オホタタネコに祭祀させよとのお告げがあったことが、記述されている。

イクタマヨリビメが、
(10代崇神の4代前の)6代孝安の時に巫女であったとすると、
(7代孝霊の妃とされる)オオヤマトクニアレヒメが、
巫女の地位を奪ったということで、おおよその辻褄はあう。

この頃に、大物主の祭祀が奪われたのか?

(日本書紀には、ヤマトトトヒモモソヒメは、
オオモノヌシノ神の妻とある。)

3.
オオヤマトの美称は、
彼女以外には天皇にしか使われていない。
これは、本来は、オオタラシと同様に、
天皇にしか使われない美称ではなかったのか?


だとすると、
何故、クニアレヒメに、
オオヤマトの美称が与えられているのか?

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『巫女の系譜』

魏志倭人伝では、
卑弥呼には、夫はなく、
「イト」は、一族の娘とある。

私の想像では、
古事記には、「巫女の系譜」も、つづり合わされている。

古事記の上で、「母・娘」とされていても、
それは、「巫女の地位」を引き継いだだけで、
実際は、親子ではない?

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