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第二十章 発覚   前田渉・2019年5月22日

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 前田は自宅でとある大型掲示板を確認していた。

 この掲示板は高倉や笠木の悪口の書かれている掲示板だった。

 前田は管理人の作成してくれたサイトの掲示板でやり取りを始めてから大型掲示板は見なくなっていたのだが、今日はブラウザのブックマークを整理する為にたまたま開いていた。そうしたらこのような書き込みを発見したのだ。

 “笠木がゲイになったのは母親が原因です。淫乱の母親が原因ですね。笠木は歪んだ性癖の持ち主です。関わるとろくな事がないですよ”

 前田は高倉も笠木も嫌いだったが、これに関しては笠木に同情した。その後の書き込みを前田は見た。

 “こいつは笠木の元カレ?”
 “淫乱の母親好き。母親の情報はよ”
 “その歪んだ性癖の持ち主と付き合っている高倉はもっと歪んでいる”
 “高倉が不憫ですね”
 “お前は高倉に同情しているのか?あの殺人鬼兄弟と笠木はこの世から消えればいいと思うよ”

 匿名掲示板では皆言いたい事を好き放題書いている。匿名の悪い点だ。

 前田は悪口を見ていると気分が悪くなったので、大型掲示板をブックマークから削除した。

 大型掲示板のタブを閉じようと思ったが、ふと先程管理人の個人メッセージページに自分が送った文章を思い出し、返信が来たのか不安になった。前田は開いていたブラウザでサイトのタブを選択し、個人メッセージページを確認した。

 “まだお会いになる気持ちにはなってくれませんか?私はぜひお礼が言いたいです。可能でしたらここではなく、チャットでやり取りをしませんか?こちら、私のIDです。宜しければよろしくお願いします”

 この後にチャットの前田の検索用IDを送信していた。

 管理人からまだ返信は来ていなかった。前田はやり過ぎたと思いメッセージを削除しようと思ったが、削除は出来ない仕様のようだった。前田は恥ずかしさで顔が火照ってくるのを感じた。管理人にしつこいと思われただろうか。そもそも管理人は女性なのだろうか、男性なのだろうか。一人称が“私”なので分からなかった。

 前田は困って画面を見つめ、管理人との個人メッセージの過去のやり取りを確認していると、しばらくして管理人から返信が来た事を確認した。前田はモニターに顔を近付け、文章を読んだ。

 “すみません。個人的にやり取りはしない主義なんです。よろしければこちらの個人メッセージでこれからもやり取りしてくださいね。よろしくお願いしますね”

 前田は絶望した。やはり断られてしまったか。だが前田は管理人の返信の文章を見て、ふと大型掲示板を思い出した。前田は先程見ていた大型掲示板のタブを開いて、ある書き込みを見た。

 “笠木がゲイになったのは母親が原因です。淫乱の母親が原因ですね。笠木は歪んだ性癖の持ち主です。関わるとろくな事がないですよ”

 前田は自助掲示板のページを開き、遡って管理人の書き込みを見た。

 “こんな事になるなら告白すればよかったと後悔しています”被害者の知り合いであろう人間の書き込みに対して、管理人はこう書き込みをしていた。

 “辛いですね。私で良ければお話を聞きますのでここで書いて吐き出してくださいね。もうそろそろ六月になりますが寒い日が続いているので、風邪など引かないようにしてくださいね”

 前田は愚痴掲示板をずっと見ていなかったが、開いて管理人の書き込みを探した。前田は愚痴掲示板を見て一度瞬きをし、掛けていた眼鏡を左手で上げた。愚痴掲示板を見ていると書き込みの多さに眩暈がした。明かりを点けていない寝室でモニターが一瞬眩しく感じた。

 “その書き込みは本当に正しいものですか?事例として挙げるなら、事実を全て確認してくださいね”
 “許す許さないではなく、忘れた方が私はいいと思いますね。マイナスな事を考えてもプラスには働かないので。囚われた方が可哀そうですね”

 前田は愚痴掲示板で管理人の、きつい口調に語尾だけ妙に優しい独特の書き方が気になった。

 人の癖はなかなか直せるものではない。
 この書き方は管理人の癖だ。

 前田は目を疑った。大型掲示板で笠木の悪口を書いた人間とサイトの管理人のIDは別のものだったが、書き方が似ている。

 まさかだが、この大型掲示板に書き込みをしている人間とサイトの管理人は同一人物だろうかと前田は疑った。だとすると管理人は笠木への、ネットでの嫌がらせの書き込みの常習犯だ。

 前田はサイトでは普段優しい管理人が、笠木の悪口を書いている事が想像出来なかった。もし同一人物だとしたら、管理人は笠木に恨みでもあるのだろうかと前田は疑った。管理人は笠木の事に詳しい。

 以前から、管理人は被害者遺族の一人なのだろうかと前田は思考していた。だが以前前田が調べた被害者遺族のリストに、管理人かと思われる人間は一人しか居なかった。その人間はIT企業に勤めていてパソコンに詳しいはずだった。あの人間ならこのサイトを作成する事も出来るだろう。

 だがその人間は多分違うと前田は思った。何故なら管理人はあんなに被害者遺族に優しいはずなのに、辻井俊成という男は以前前田が尾行をした際に、困っていた女性を助けていなかった。地下鉄内で泣いていた赤ん坊に煩いと言い、赤ん坊を抱いていた母親を困らせていた。前田は、性格的に辻井は管理人ではないと思った。

 ふと前田は恐ろしい考えが脳裏に過った。高倉も以前その辻井と同じ職場に勤めていた。同じIT企業だ。まさかとは思ったが、このサイトの管理人が高倉だったらと前田は考えた。高倉の自作自演だ。

 前田は大型掲示板を再度見て、サイト内の掲示板を両方見て、書き込みを遡り管理人を調べた。

 前田は鳥肌が立った。自分の今座っているチェアが揺れている気がした。それは前田が知らぬ間に貧乏ゆすりをしていたからだが、それとは別に、座っているチェアが床に深く沈み込み、目の前にあるノートパソコンのキーボードが遠くにある感覚を覚えた。

 前田は、自身の信じていたものが崩れ落ちて行く感覚を味わった。

 万が一高倉がこのサイトの管理人だとすると、辻褄が合うのだ。
 高倉はサイトを作成し事件の鎮静化を図ると共に、恋人の悪口を書き恋人を孤立させ高倉から離れないようにする。

 そう考えた前田は、一瞬吐き気がしてしまった。サイトの愚痴掲示板に視線を落とした。管理人は個人メッセージページや自助掲示板では優しいが、愚痴掲示板では不穏な雰囲気を出している。何やら伝言ゲームでもしているようで、所々書き込みが削除された後があったが、何かの暗号を使い誰かとやり取りをしている痕跡があった。

 前田は大型掲示板に戻り、高倉の情報を調べ始めた。





 前田はある月曜日の午後有休を取り、札幌大通駅近くにあるコワーキングスペースまでやって来た。ここはビジネススペースのような場所で、パソコンを持ち込み作業の出来る場所だった。個室もあり会議も出来る。

 前田はあの後探偵を雇い、高倉の個人情報を調べていた。大型掲示板を調べただけでは高倉の情報を全て得られなかったからだ。このコワーキングスペースは、高倉が毎週月曜日の午後に通っている場所だと情報を得ていた。

 前田はコワーキングスペースの、出入口横の店内の見渡せる壁側の席に座り、高倉が入って来るのを待っていた。

 店内は数人のビジネスマンが好きな席に座り、ノートパソコンに向かって作業をしていた。店内は小さな音量で洋楽のBGMが流れている。前田は念のためマスクをして顔を隠していたが、コワーキングスペースに入って来た高倉もマスクをしていた。マスクをしていても高倉だと分かった。同じ顔を何度もテレビやネットで見ていたからだ。口元だけ隠していても、あのモデルのような容姿は目立った。

 前田は高倉が出入口に見えた段階で、緊張から咄嗟に出入口を見ていた視線を外した。目の前のテーブルに置いた自身のノートパソコンのモニターに視線を移した。

 高倉は探偵の調べた時間通りの時刻にコワーキングスペースに入って来た。

 前田は緊張しながらも横目で出入口を見た。高倉は今受付でスマートフォンを利用し、入室の手続きをしていた。

 高倉はリュックを背負い、ワイシャツにパンツというオフィスカジュアルな恰好だった。探偵の調べた情報だと、高倉はこの近くにある会社に毎週月曜日の午前中だけ出入りをしていた。在宅勤務なのだろうかと前田は思った。

 高倉はコワーキングスペースへの入室手続きが完了すると、店の中に入って来た。

 前田は咄嗟に身を縮めてしまった。前田がノートパソコンのキーボードで何か打つふりをしていると、高倉が自分の目の前を歩いて行くのが見えた。前田は緊張から冷や汗が流れるのを感じた。

 高倉は店内を見渡し、奥の喫煙所の横のテーブルに近付いた。そこは中央のカウンターテーブルを挟んで、前田の席から目の前に見える席だった。前田はキーボードを打つ両手が震えてきたのを感じた。高倉は奥の長椅子に座り、背負っていたリュックを隣に置くと、中からノートパソコンを取り出しテーブルの上に置いていた。

 前田は高倉から視線を外し、目の前に置かれた自身のノートパソコンに視線を落とした。管理人の居るサイトを開いた。自助掲示板と愚痴掲示板を確認する。管理人はしばらく何も書き込みをしていない。

 “急にチャットを聞いてすみませんでした。今日は久しぶりに暖かいです。もう六月ですね。札幌は北海道神宮祭の時期です。管理人さんはお祭り行かれますか?札幌の方ではなかったらすみません”

 前田は管理人とのやり取りはもう嫌だったのだが、メッセージを送って横目で高倉を見た。高倉はノートパソコンに何かを打ち込んでいたが、仕事をしているのだろうか。

 前田はノートパソコンに視線を落とし、管理人から返事が来るのをひたすら待った。だが連絡は来なかった。

 前田はただ何もないまま時間だけが過ぎて行くのを、モニターの右下にある時刻で感じていた。

 ふと目の前に動きがあり、前田は視線を少し上げた。前田は高倉がノートパソコンをリュックに片付け始めたのを見て、今日一日何の収穫もないまま高倉が帰ってしまうのではないかと焦った。だが高倉は一度荷物をリュックに仕舞うと、リュックを席に置いたまま横の喫煙所に入って行った。

 前田は安心した。今日は一日高倉がコワーキングスペースに居る間だけ監視をしようと決めていた。高倉を見ると、ガラス張りの喫煙所の中から、自分の座っていた席の方を見ながら煙草を吸う高倉が見えた。

 前田は管理人との個人メッセージページを開いたまま、モニターをひたすら見ていた。しばらくすると高倉が喫煙所から出て来たのを前田は横目で見た。高倉は顎に掛けていたマスクでまた口元を覆い、自席に戻った。リュックからノートパソコンを取り出して、作業を始めた。

 前田は個人メッセージページを見て目を見張った。管理人から返信が来たのだ。

 “私はお祭りには行かないですね。札幌はお祭りの時期なんですね”

 前田は高倉をまた横目で見た。高倉は眼鏡を右手で上げて、無表情でノートパソコンに何かを打ち込んでいた。

 前田は高倉と管理人のメッセージを交互に見てふと、高倉はやはり管理人ではないのかもしれないと思った。そう思いたかった。この書き方だと管理人は札幌の人間ではないのかもしれない。

 前田は生唾を飲むと、手が汗ばんで震えて来たのを感じた。前田はこのまま帰りたかった。今日ではなく別日にしようかと悩んだが、このままにしておくわけにも行かない事を理解していた。

 前田はノートパソコンで開いていたブラウザを一度閉じると、着ていたワイシャツのポケットからスマートフォンを取り出した。テーブルに肘を付けてスマートフォンを見ているふりをして、カメラ越しに高倉を見た。同時に、スマートフォンでサイトを開き、前田は覚悟を決めてスマートフォン経由で管理人にメッセージを送った。

 “あなたは高倉ですか?”

 前田はダイレクトに聞いてしまった事を後悔したが、すぐにスマートフォンのカメラ越しに高倉を見た。

 前田は息を呑んだ。高倉の先程までの無表情が一瞬歪むと、モニターを見ていた視線が鋭くなったからだ。

 前田は視線を外したかったが、耐えてスマートフォン越しに高倉を見つめていた。高倉は一瞬周囲を見渡した。ふと目の前に座っていた前田とスマートフォン越しに視線が合ったが、前田はスマートフォンをただ見ているだけのふりを貫いた。自身が震えている気がしたが、マスクの中で必死に無表情で耐えた。マスクの中は冷や汗で蒸していた。

 高倉を見ていると、高倉は自身のモニター画面に視線を落とした。キーボードに手を伸ばし、高倉は何かを打ち始めた。

 前田は静かにスマートフォンを触り、管理人との個人メッセージページを確認した。管理人からメッセージが届いていた。

 “違いますよ”

 それだけの文章が管理人から届いていた。前田は心の奥が暗闇で包まれる気がした。前田は、高倉が管理人であると確信した。

 ふと目の前に動きがあったので、前田はスマートフォンのカメラ越しに高倉をまた見た。高倉はリュックにノートパソコンを片付け、リュックを担いで席から立った。ふとまた前田とスマートフォン越しに視線が合ったので、前田は慌ててスマートフォンのカメラと開いていたサイトのブラウザを閉じ、友人とのチャット画面を出して見るふりをした。

 高倉が目の前を通って行くのが見えた。前田はスマートフォンを片手に持つと、出入口の受付で退出の手続きをしている高倉の方を見た。

 ふと、高倉が店内にまた視線を戻したので、前田は高倉と視線が合ってしまった。前田は焦ってすぐに視線を外した。しまったと思った。前田は激しく動悸がした。店内を見渡した高倉の視線は冷たいものだった。

 前田は、高倉が店から出て行くのを感じると、スマートフォンをワイシャツの胸ポケットに入れ、横の長椅子に置いていた鞄の中から手帳を取り出した。前田は動悸がまだ収まらなかったが、どうしても今の状況を誰かに伝えたかった。手帳をテーブルの上に置き、ノートパソコンのブラウザを開き、またサイトを見た。恐る恐る再度店の出入口を確認した。高倉はもう居なかった。

 前田はサイトの掲示板に高倉の事を書き込む勇気はなかった。だがサイト内に居る人間に個人メッセージで現状を伝えたくても、個人メッセージは管理人としか出来ない仕様となっていた。

 前田は笠木への正義感が沸き立つのを感じた。笠木に、高倉とは離れた方がいいと伝えようと思い、デスクの上に置いていた手帳を握りしめた。
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