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第二十二章 救済   前田渉・2019年6月16日

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 前田は笠木に高倉と離れた方が良いと忠告をしようと、自宅で翌日の準備をしていた。

 明日は月曜日だ。
 月曜日の午前中、高倉は毎週出社し自宅に居ない。

 以前高倉を調べた際に得た探偵の情報によると、高倉と同居をしている笠木は仕事をしておらず基本は自宅に居ると聞いていたので、前田は高倉の居ない時間帯に笠木に会いに行くために高倉と笠木のマンションを訪れようと決めていた。他に笠木に会える場所や日時が分からなかったからだ。

 一度、笠木に手紙を書いて直接渡そうと思いマンションを訪れた。だが部屋から出て来た高倉と視線が合い前田はつい逃げてしまった。月曜日なのに高倉が居るとは思わなかった。さすがに今週は居ないだろうと思ったので、再度笠木に会いに行こうと思った。

 最初は手紙をポストに入れようかも悩んだのだが、笠木が高倉と同居をしている事を考え、万が一高倉に手紙が見つかった後の笠木の立場を案じ、前田はその案は辞めた。

 前田は高倉の住所の記載された手帳を自分のデスクの引き出しに片付け、笠木への手紙と明日の午後職場へ持っていく書類を鞄の中に入れ翌日の支度が終わると、毎晩の日課のジョギングの為にジャージに着替えた。

 今日は六月十六日だ。北海道神宮祭の三日目なので、近所の中島公園には出店がまだ出ているはずだ。前田はそこでついでに今日の晩飯を購入しようと決めていた。
ボディバッグにスマートフォンと財布を入れ、ボディバッグを背中にかけて自宅の鍵を持ち玄関に向かった。

 玄関でスニーカーを履きマンションの外に出た。もう十七時だがこの時間でも外は生暖かい。しばらく寒い日が続いていたが、急に暖かくなった。今年の夏は暑くなるのだろうかと前田は思った。

 前田の自宅のマンションは豊平川沿いにあった。前田はたまに豊平川を見ながら川沿いを走り、幌平橋を抜け中島公園までジョギングしながら向かった。祭りの音が遠くから聞こえてきた。幌平橋の手前は人が少なかったのだが、橋の向こう側は中島公園に向かって歩いている若者が何人か居た。

 前田は若者が羨ましかった。前田は高校時代に戻りたかった。戻れたら札幌の大学ではなく、本州の大学に一緒に進もうと沙耶香に伝えたはずだ。そして札幌ではなく本州で生活をする。そうすれば妻の沙耶香は今も生きていたかもしれない。

 前田は沙耶香と中島公園の祭りに参加した日を思い出した。中島公園は出店が沢山並び、人で混雑していた。焼き鳥等を焼いている煙や、様々な飲食の匂いで包まれている。

 前田は出店でたこ焼きとお好み焼きを購入すると、スマートフォンの時刻を見た。今は十八時だ。近くの椅子に座ってたこ焼きを食べてから帰ろうか一瞬悩んだが、出店の時刻は十九時までだった。前田は帰り道が混まないうちに帰宅しようと決め、帰りはたこ焼きとお好み焼きを持っていたので、ジョギングではなくウォーキングで帰ろうと思った。次第に空は暗くなっていた。
 
 前田が幌平橋を渡り豊平川沿いに自宅のマンションに向かって歩いていると、マンションの手前に一台の黒い車が脇道に停まっているのが見えた。もう外は暗かったが薄暗い街灯で照らされて、その横に地面に這いつくばり何かをしている人間が目に入った。暗くて遠くからでは前田にはその人間が何をしているのか分からなかったが、前田が近付くとその人間は声を掛けて来た。

「すみません、眼鏡を探して貰えませんか」その男は前田に向かって声を掛けてきた。他に人気がないので前田に声を掛けていると気付いた。その男はキャップを被りマスクをして俯いていた。暗くて顔はよく分からなかった。

「眼鏡ですか、落としたんですか」前田はその男に近付いたが、ふと立ち止まって聞いた。周囲を見渡したが暗くて足元がよく見えなかったため、落ちているかもしれない眼鏡を踏んでしまったら困ると思ったのだ。

「ええ、眼鏡の入ったケースを先程落としてしまって、車を運転出来なくなってしまって」男は焦って地面を必死で探していた。「すみませんが、ライトがなくて、スマートフォンがあったらこの辺りにライトを照らしてもらえませんか」

「分かりました、ちょっと待ってください」前田はボディバッグの中からスマートフォンを取り出しライトを点けた。

「ありがとうございます」その男は言った。前田は一瞬男の声に聞き覚えがある気がしたが、思い出せなかった。

 男は地面に屈み車の下を覗いていて顔が見えない。前田は地面に向かってスマートフォンのライトをかざし、足元を見ながら男に近付いた。

「見えない…」その男は車の運転座席側の下の地面を覗きながら言った。「すみませんが、この運転座席の下の地面の辺り見て貰えませんか?眼鏡がないので見えなくて」男は言った。

「分かりました」前田は男に近付いた。

 男が横に移動したので、前田は手に持っていた屋台で買った晩飯をコンクリートの地面に置くと地面に膝をつき、車の運転座席の下の地面を覗き込んだ。スマートフォンのライトで車の下を照らしたが、眼鏡らしきものは落ちていなかった。

「あ、ありました。すみません」後ろから男の声が聞こえた。

 前田は振り向き、真後ろに立っている男を見上げた。前田はスマートフォンのライトを男に向けた。男は眼鏡を掛けていた。キャップを被りマスクをしている姿がライトによって照らされていたが、そのマスクをした顔を前田は一度目撃していた。声は裁判で聞いたと思い出した。

 その男は高倉だった。

「お前…」前田は咄嗟に声が出たが、高倉は前田の真後ろから、手に持っていた黒い棒のようなものを前田の体に当ててきた。

 急にバリバリっという音が周囲に響き、前田は全身が痛みで硬直した。地面に屈んでいたが、そのまま力が入らず前のめりにうつ伏せに地面に倒れた。

 前田は何が起きたのか理解が出来なかった。全身がまだ痛く、力が入らない。「誰か」と声を出そうとしたが、声も出す事が出来なかった。前田はうつ伏せのまま痛みで意識が混濁していた。スマートフォンで助けを呼びたかったが、手に持っていたスマートフォンを持っている事が出来ず、地面に落としていた。

 前田が手元に落ちているスマートフォンをただ見つめる事しか出来ないでいると、目の前で高倉が地面に落ちている前田のスマートフォンを奪うのが見えた。

 今度は前田が動けないでいる間に、自分の両手が後ろで縛られるのを感じた。前田はまた声を出そうとしたが小さなうめき声しか出せなかった。体の筋肉を動かそうとしたが、全身が重い筋肉痛のようで動かない。前田は急に無理矢理強い力で引っ張られ、車を背に地面に座らせられた。

 前田は首元に当てられた鋭利な刃物を見て息が止まった。刃物は高倉の持ったスマートフォンのライトによって照らされていた。高倉はスマートフォンのライトを消した。

「声を出したら殺す。車に乗れ」高倉は前田の首元にナイフを当てながら、前田の耳元で囁いた。

 前田は恐怖を覚えた。逃げたかったが、手は後ろで縛られていて全身は重い筋肉痛でまだ自力で立てない。声を出したら殺されると本能が叫んでいた。前田は高倉に介抱される形で車の後部座席に連れられた。

 前田は後部座席を見た瞬間目を見張った。車の後部座席はビニールシートで覆われていた。

 前田は必死に逃げようとしたが、まだ体が上手く動かせなかった。前田は高倉に投げ込まれる形で後部座席にうつ伏せに押し倒された。高倉の方を恐怖の表情で見ると、高倉がまた前田に黒い棒のようなものを向けて来たのが見えた。

「やめてくれ」前田が振り絞った声でそう言わないうちに、バリバリっと音が周囲に響き、前田はまた全身が痛みで硬直するのを感じた。後部座席に横向きに倒れたまま動けなくなった。

 周囲に少しでも音が響いているはずなのに、誰も助けに来てくれなかった。前田は思った。そうだ、今日は祭りがあるから祭りの音でかき消されているのか。この人気の少ない時間帯にこの道を通った事を前田は後悔した。

 前田が動けない間に、今度は足を何かで縛られるのを感じた。高倉は後部座席の扉を閉め、運転席に向かい、座った。

 前田が震える目で高倉の方を見ると、何やら助手席に置いた棒のようなものの電池交換をしているようだった。前田は後部座席に横たわったまま恐る恐る自分の足元を見た。履いたジャージのズボン越しに、結束バンドで足を縛られている。後ろに縛られた手は動かせなかった。手も結束バンドで縛られているのだろうか。

 前田はようやく声が出せるようになると、精一杯の声量で叫んでいた。

「何をするんだ」前田はかすれた声で言った。誰かが助けに来てくれる事を願った。

「久しぶりですストーカーさん」高倉はこちらを振り向いて言った。マスクを外していた。高倉は笑顔だったが、その目は笑っていなかった。

 高倉は前田に向かってまた黒い棒のようなものを向けてきた。

「もうやめてくれ」前田は叫んでいた。前田は恐怖し逃げようとしたが、暴れても手足が固定され動けない。

「声を出すなって言ったよね?」高倉は前田の首の付け根にひやりとする棒の先端を押し付けた。またバリバリっという音が車内に響いた。前田は全身に電流が流れ、激痛で動けなくなった。声を出せなくなった。

「気絶はやっぱりしないのか」高倉は呟いていた。
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