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第三十章 疑問   辻井俊成・2019年9月2日

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 潮風の匂いがする。

 辻井は廃工場の中で手足を結束バンドで拘束され地面に座っている笠木と、その横で立ったまま笠木を監視している小川を時々見ながら、窓ガラスのない窓枠の外を見ていた。

 外は周囲に近接した建物はなく遠くに工場が見える。廃工場の遥か前に国道があり、車が走っているのが遠目で見えた。工場の周囲は雑草と土が覆っているだけだ。外はまだ明るく夕日が窓枠から差し込んでいて、廃工場の中には生暖かい空気が流れ込んでいた。

 “私は高倉と笠木が来るのを待っています”管理人はメモでこう書いていたが、この廃工場に着いてから中を軽く確認したが管理人は居なかった。

「そういえば小川お前、お前は殺人件数が俺より多いよな。俺のせいにしてもいいとは言ったが、庇い切れないものは無理だからな」辻井は小川に言った。

「俺は一件しかしていません」小川は焦ったように辻井を見て言った。

 辻井は疑問に思った。

「さっき高倉の家に置いた凶器もお前の使ったものだろう?そんな嘘吐いても何にもならんぞ」辻井は窓枠の外を見ながら言った。

「本当です、俺は一件しか命令されてません。他には何にもしてません」小川は言った。

 辻井は小川の方を再度見た。小川の焦りぶりを見て疑問が増した。小川はこんなに演技が上手い人間だっただろうか?

 小川は辻井の事を凝視していたので辻井は良い気分にはならなかった。

「笠木から目を離すなよ」辻井は小川から視線を外し、再度窓枠の外を見た。

 辻井は工場の奥を再度確認しに行った。先程見た際に階段があったので二階を確認しに行こうか悩んだが、階段は一部腐っていて二階に登る事を戸惑ったのだ。再度登れるか確認したが、無理だと判断した。

 辻井は時々笠木と小川を確認しながら窓枠の外を見て、高倉や警察、その他の人間がやって来ないか確認していた。管理人が後から来るのではないかという期待もあった。

 辻井は片手に持った折り畳みナイフを触りながら歩いた。落ち着かなかった。

 ふと、小川と笠木が何か話している声が聞こえた。辻井は小川を見た。小川は父親を盾に脅していたがまだ何かするかもしれないと思い、辻井はナイフを持っていたが油断ならなかった。

「小川、お前ちゃんと見張ってろよ。変な事考えるなよ」辻井は二人の元に戻って言った。

「分かってます、辻井さん」小川は手に持った結束バンドとタオルを触りながら言った。

 辻井は小川の本性が、本当は自分よりも冷静沈着な殺人鬼なのではないかと疑っていた。

 辻井は再度階段の元に行って二階の方に視線を移した。どう考えても二階は人が登れそうにない。管理人が居るようには見えなかった。

「管理人は来るんだろうか」辻井は廃工場の中の窓際を歩きながら呟いた。

 ふと笠木と小川の方を見ると、小川はこちらを見なかったが笠木と視線が合った。笠木は脅されて拘束されているのに、何か汚らわしい物を見るような表情でこちらを見ている事に辻井は気付いた。その表情が、一緒に仕事をしていた頃の高倉の表情を彷彿とさせた。人間は一緒に暮らしていると表情が似てくるらしいが、笠木の表情が辻井は気に入らず苛立った。

「お前はどのみち道連れだよ」辻井は笠木の表情が歪むのが見たくてつい呟いていた。笠木は目を見開いた。辻井は笠木に恐怖心を与えられたと思い、それだけで満足した。

 ふと、廃工場の閉まった出入口の引き戸が開かれる音がし、辻井は出入口を急いで見た。

「創也?」聞き慣れた声が聞こえた。高倉の声だった。辻井は高倉が着く事が早いと感じ驚いた。三十分程前に電話をしたばかりだった。時々窓枠の外を見ていたが高倉が来た気配を感じなかった。笠木の口元をそろそろタオルで縛って大人しくさせようと思っていたが、縛るよりも早く高倉が来た。

「有隆君、来ちゃだめだ」笠木が声を張り上げた。

 高倉は大きなリュックを背負ったまま廃工場の中に入って来たので、辻井は右手に持った折り畳みナイフを開き、笠木の方へ向かった。

「久しぶりだな、高倉よ」辻井は笠木の左横に立ち高倉に声を掛けた。笠木の首元に右手に持った折り畳みナイフを向けた。

「辻井さん?」高倉はナイフに気が付いていないのか、辻井を見て訝気な顔はしたがゆっくりこちらへ向かって歩いて来た。「辻井さん、何してるんですか。創也、怪我はない?」

「それ以上近付くな」辻井は高倉に言った。高倉の顔に恐怖心がない事が気に入らなかった。辻井がナイフを笠木により近付けると高倉はやっとナイフに気が付いたのか、歩みを止めた。夕日が丁度高倉の顔を照らし、高倉の表情が辻井には見えなかった。

「通話で言ったが警察は呼んでないよな」辻井は念のため聞いた。

「呼んでません。創也は巻き込まないでください」高倉は少し離れたところから言った。

「お前は弟の事件から俺がどんな人生を歩んできたか知らないだろう。お前の事を俺はまだ殺人鬼だと思ってる。お前は昔から気に食わなかった。謝罪もどうせ演技だろう?お前は何も考えていない、お前は他人の気持ちが分からないサイコパスだ。お前が俺の嫁の顔をあんなにしたんだろう?顔も歯形も分からないくらいに粉々に砕いて。普通の精神じゃあんな事は出来ない。お前も人殺しだろう。お前が執行猶予で社会でのうのうと生活している事が俺には耐えられない」辻井は言った。話していてつい情緒不安定になっている自分に気が付いた。辻井は話し終えた後、軽く深呼吸をした。

 高倉を見たが、相変わらず夕日のせいで表情が分からなかった。

「お前の恋人に傷をつけられたくなければ今から言う事を聞け。まずスマートフォンを出せ」辻井は高倉に言った。

 高倉は背負っていたリュックを肩から下ろし地面に置き、着ていたワイシャツのポケットからスマートフォンを取り出した。

「出しました」高倉は右手にスマートフォンを持って辻井に見せてきた。

「小川、笠木の口元をタオルで縛れ」辻井は小川に命令した。笠木は抵抗しようとしたが手足を縛られているので抵抗出来ずに口元をタオルで縛られた。

「何するんだ、やめてくれ」高倉が言った。

「今から警察に電話をしろ。自首をしろ」辻井は言った。

「自首?」高倉は聞き返してきた。「何の自首ですか」

「この最近お前の周辺で起こっていた事件の自首だよ。犯行の全ての首謀者はお前だと警察に言うんだ。俺達はお前にただ指示をされてやっただけだと警察に言え」辻井は管理人のメモにあった通りに高倉に冤罪を着せようと思い言った。

「それは、俺はそんな事はしていない。それは警察も信じないんじゃないですか。無理があります」高倉は困ったような声で言った。

 辻井は笠木の首元に向けたナイフを笠木の頬に付け、少し力を込めて押した。笠木の頬から血が少しだが流れた。

 辻井は笠木の頬をナイフで傷付けた事により、死んだ猫をナイフで刺した時を思い出した。あの猫は車に轢かれ道路に落ちていた猫だ。自宅の車庫に出た鼠は腹が立ち袋に入れて床に叩き落として殺していた。ナイフでまだ生きている生物を刺す感覚はこうなのかと辻井は思った。

「やめてくれ」高倉はやっと怯えた声を出した。

「こいつをこれ以上傷つけられたくなければ、言う事を聞け」辻井は言った。

 高倉は目の間で慌てながらスマートフォンを触った。警察に電話をしているのだろうか。少し着信音が鳴ると相手が通話に出た。

「森さん?」高倉は誰かに話しかけた。名前を知っているという事は、警察の知り合いにでも連絡をしているのだろうかと辻井は聞いていて思った。

「あの」高倉は声を震わせて言った。一度こちらを見た。夕日が沈んできたので高倉の表情がやっと見えた。高倉は笠木を見ながら泣きそうな表情をしていた。

「最近起こっている事件に関してですが」高倉は話しかけて一度声を止めると、息を呑んで再度話し始めた。「一連の殺人事件は、私が主犯です」

 辻井は思わず笑いそうになった。高倉が警察に自首をしている姿が面白くて堪らなかった。

 高倉のスマートフォン越しに先程から音が漏れている。通話先の向こうは騒がしく、静かな廃工場に工事の音のようなものが響いた。

「そうかもしれませんね。それは、お答え出来ません」高倉は困ったように辻井の方を見ながら話している。

「今何処にいる」高倉のスマートフォンの通話先から男の怒鳴り声が聞こえ、廃工場内に響いた。

 高倉は辻井の方を見て黙った。

「今は、私が犯罪の指示を出した者達と一緒に居ます」高倉は俯いて静かに答えた。

「居場所を言え」通話先の相手がまた怒鳴り声を出した。

 高倉は口を開けたまま不安そうに辻井の方を再度見てきた。辻井は警察に居場所を吐かれないように笠木に向けていたナイフを再度、今度は傷のついていない方の笠木の頬に付けた。笠木はうめき声を出した。

「すみません、それは言えません。さようなら」高倉は震えた声でそう言うと、すぐに通話を切った。

「小川に荷物とスマートフォンを渡せ。小川、取りに行け。高倉を拘束しろ」辻井は笠木の横に立っていた小川に言った。

 小川は手に結束バンドを持った状態で高倉の元へ向かった。辻井は小川を見ていたが、笠木がうめき声を出して暴れ始めたので笠木に向けたナイフを見た。ナイフでまだ笠木が傷つかないように気を付けた。

 辻井はこのナイフで笠木を高倉の目の前で殺した後に、高倉を殺そうと思っていた。警察には仲間割れで殺したのだろうと思わせようと思った。その後に警察に自首し、高倉が死んだ後も高倉は加害者だったという状況を作りたかった。小川の事はもはやどうでもよかった。

「大人しくしろ」辻井は笠木に言ったが、その瞬間バリバリっという音が廃工場内に響いた。笠木が目を見開いて目の前を見ていたので、辻井は小川と高倉の方を見た。

 小川は高倉の横で倒れていた。辻井は何が起きたのか理解が出来なかった。

 高倉は小川の元で跪き、小川の手元で何かをしていた。

「何してる、小川から離れろ。小川に何をした」辻井は声を荒げた。

 高倉はこちらを見ると、ゆっくり立ち上がりこちらへ向かって来た。

 高倉は手元に黒くて長い棒のようなものを持っていた。この黒くて長い棒のようなものは辻井には見覚えがあった。何故ここにあるのか辻井には理解が出来なかった。あれは辻井がサイトの管理人から受け取ったスタンガンだった。倒れている小川は動かない。

「それ以上近付くな」近付いてくる高倉に向かって辻井は言った。

 辻井は恐怖心を覚え、ナイフを笠木の頬に再度当てた。高倉は歩みを止めたが、辻井は高倉と一メートル程の距離で立ったまま見つめ合う事になってしまった。

「辻井さん、本当に久しぶりですね。久しぶりですし、何か話をしませんか?ああ、そうだ。あなたのお嫁さんの最後の話でも聞きたいですか?」高倉は口元に笑みを讃えて、手に持ったスタンガンをマイクのように辻井の口元に向けて来た。

 辻井はさらに一歩下がり、笠木に向けていたナイフを笠木から離してしまった。日が沈んで周囲は暗かったが、月明りの中高倉の持ったスタンガンが月明りに反射していた。
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