境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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浮遊都市・ルフトヘイヴン

34.小さな棘

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 最後の足場を跳ねるように飛び越える。

 到着したのは、訪れた時のように岩肌で囲まれた場所だ。違いといえば広さと、上へ伸びる階段だろうか。

「あたしがいっちばーん」
「ディクだな」

 得意気に伸びをするシリスに、数拍遅れて到着したクロスタの指摘が入る。

「知ってるよ、でも地に足つけたうえではあたしが1番早かった」
「そうだな、お前の勝ちでいい」
「それにしてもディク、凄かったね。あたしたちの半分くらいの時間で着いたんじゃない?」
「一直線だし」
「ヴェルがいたら張り合ってそう」
「確かにな」

 他愛無い会話を繰り広げながら、2人は並んで階段を上る。

 寡黙なクロスタから返される言葉は少ない。彼に対して会話を疎かにしていると憤慨ふんがいする者も居たが、シリスにとってそれは苦ではなかった。相手の言葉数が少なければ、自分がその分喋れば良いだけの話だ。

 階段を上り切れば、またも視界は一気にひらける。

 円状の広場から見える都市は、遠目から見た時と変わらず大きく、高さがあった。岩肌の代わりに、上へ上へと伸びる建物が広場を取り囲むように連なっている。建物の隙間から見える空は少し狭く、仰がなければなかなか青空を垣間見かいまみることは出来ない。
 彩度は低いが色とりどりの壁。そこに這う蔦の緑が鮮やかだ。どこか退廃的でもありながら、建物の合間から除く鉄骨や、時にパイプから噴き出す蒸気が先鋭的でもある。
 広場中央の噴水の周りでは、老若男女問わず様々なヒトが行き交っていた。

 しかし、2人の目に真っ先に飛び込んできたのは、景色ではない。

「有翼種のヒトは初めて見るよ……空飛んでる魔道具も」
「俺もだ」


 行き交うヒトの半数が身体に翼を有していた。

 シリスとクロスタの視線は、空を飛び交い、もしくは普通に道を歩く有翼種の翼へ向けられる。
 その多くは2人と大差ない見た目をしており、違いといえば翼があることくらいだ。その中でも少数、嘴の生えた者や翼が腕代わりになっている者も居る。

 極め付けは、彼らと共に空を闊歩する魔道具だ。馬のいない小型馬車のような乗り物が、どういう原理か自在に空を飛んでいる。

「あんなの、普通に飛ばせばどれだけ魔力と集中力が要るか……」
「だから、ここでは浮遊石が重要な資源だと言っただろう?ヒトに扱えるくらいの小さな浮遊石は、ああやって乗り物の動力やいろんな生活用品に使われているのさ」
「あ、ディク」

 横から声をかけられ、シリスはそちらを振り返る。どうやら先に辿り着いていたディクシアは、階段を上ったところでずっと待っていてくれたらしい。

「待ったよね、かなり早く着いてたと思うけど」
「まあね。でもその間に近場を確認して回れたから良かったさ」

 首肯する割には、彼の顔は満足げだった。

「飛行魔術、使えたんだな」
「エーテル操作もだけど、魔力量もかなり要るんだっけ?定期的に思い出すけど、ディクって本当に天才だよね」
「僕なんてまだまださ。それこそもっと長い距離を飛ぶには難しいし、直線上に障害物があったら避けられない。魔力量も消費が激しいから効率を考えなくてはいけない。問題点はまだ山積みさ」

 素直に頷きはしないが、頬を緩めて満更でもなさそうな表情が窺える。養成所でも身体能力以外はほぼ首席だったのは伊達ではない。

 彼は最後に少しだけ頬を掻くと姿勢を正した。顔付きも引き締まり、真面目さを取り戻している。

「目的の広場はここじゃなくて、もっと上にある所らしい。行こう」

 そう言って歩き出したディクシアの背中を、シリスとクロスタは追いかける。道を行く最中、シリスたちが見ていたのと同じように、自分たちにもちらちらと視線が向けられていることに気が付く。
 正確には自分たちが纏う"守護者の制服に"、だ。

「毎年、儀式の時期には新人が数人派遣されているらしいからね。そろそろそんな時期だと思ってるんだろうさ」
「注目されると、ちょっと動き辛いよね」
「真面目な姿を見せるようにね。派遣されているうちは、僕たちが守護者の顔と言っても過言じゃないんだから」

 だから、緩んだ顔をすぐ引き締めたということだ。そういうことなら納得である。

 しかし、それと同時にシリスはふと思う。

 ここの担当は確か癖が強いと言われていたはずだ。どのように癖が強いのかは分からないが、彼の心掛けが無駄にならないことを祈るばかりだった。


 道を進んだ先の建物内でさらに階段を上る。
階上へ辿り着けば、そこは乗合所のような雰囲気で壁は綺麗に取り払われていた。外に向けて展示するように、先ほど広場で見上げた小型馬車が幾つか並んでいる。

 ディクシアはそれを手で示しながら2人に言った。

「これに乗って向かうよ」

 途端に、シリスの頬が紅潮した。

「乗っていいの!?さっきから興味あったんだよね」
「ここは建物の隙間を縫って上ったり、上れない所もあったりで歩いて行くと複雑らしいからね。特に、高低差がある移動の時にはこれを使うのが一般的なんだよ」
「体力の問題もあるだろ?」
「そっか、ディクの体力の無さに感謝だね!」
「君たち……」

 文句を言おうとしたようだったが、周りに他人もいる状況で叱り付けるなんて愚行は犯さなかったようだ。ディクシアは開きかけた口をぐっ、と噤んで眉根を寄せている。
 無論、シリスもクロスタもそれを分かっていて揶揄からかったわけだが。

「……いいさ。とにかく、手配をしに行こう」

 深呼吸を数回。そうやって再び歩き始めたディクシアは、馬車を磨く1人の男に声をかけた。

「すみません、青の広場まで行きたいんですが」
「金は?」

 ディクシアの言葉に男は気怠そうな返事をしたが、わ彼らに目線すら向けない。どう見ても、商売をしている者の態度ではなかった。

「あんたら、金は持ってんのか?」
「お金ならありますけど」

 相変わらず目線は合わないが、それでも男の視線がシリスの差し出す硬貨に向く。馬車の周囲に建てられた看板で確認した金額だから、間違いはないはずだ。
 しかし、男は差し出された硬貨を一瞥した途端に鼻で笑った。

「ははは!今の時期、これっぽっちで浮石車《エアモーバー》を動かそうなんざ笑えるな。世間知らずの嬢ちゃんか?」

 男は取りつく島もなく磨き作業に戻る。

「いま浮遊石はギリギリで回してんだ。今年だってどうなるかわからねぇから、それっぽっちじゃ向かいの建物までしか行けないね」

 その言葉に、シリスは思わずディクシアとクロスタに目を向けた。2人とも彼女と同様に戸惑った顔をしている───クロスタに関しては、あまり表情も変わっていないが。

「……浮遊石がギリギリとは、どういう事でしょうか」
「ああ!?あんたら、何処の田舎モンだ……なんだ、守護者の子供か」

 ディクシアの疑問に、ようやく顔を上げた男は3人の制服を見て「もうそんな時期か」と呟いた。

 守護者だと身分を明かしてもぞんざいな態度を取られるなんて初めてだ。

 男はすぐに視線を馬車───浮石車エアモーバーへ戻し、磨く手を止めることもなかった。

「あんたらはいいよな。儀式中に突っ立ってるだけで、メシ食っていけるんだから」
「……何だこいつ」

 好意的とは言い難い態度に、クロスタの呟きが漏れた。幸いそれは近くにいたシリスとディクシアにしか聞こえていなかったが。

「現状を把握しきれておらず、すみません。宜しければ何があったのか教えて頂けませんでしょうか?」
「あんたらは鏡像関連のことしか基本的には動かないんだろう?奴らには関係ない話だから、あんたらに言ったって仕方ない話さ」

 乱暴な物言いに、人当たりのいい笑みを浮かべたままのディクシアの顔も引き攣る。

 直視すれば見目のいい彼の顔は他人の警戒心を解いてくれることもあるが、こっちを見ないのであればその手も通用しない。
 男は手を止めず、たとえ3人が踵を返しても気にも留めないだろう。

「───確かにそうですね。お邪魔をしました」

 諦めたように溜息をついて、ディクシアが一歩後退したときだった。

「鏡像のことじゃなくても……」

 その場にしっかり立ったまま、シリスが男に問いかけた。

「あたしたちでも手伝えることがあるなら、教えてくれますか?」
「ちょっと……」

 男が胡乱うろんげな目線をシリスに向ける。ディクシアは咎めるように声を上げた。

「僕たちは便利屋ではないんだ。安請け合いは止めるべきだろう」
「坊ちゃんの言うとおりだぞ。ただ耳触りのいいお喋りしたいってだけなら迷惑だ」

 男の言葉の端々にちくちくとした棘が見え隠れしているが、シリスは気にせず続ける。朝からディクシアの鋭すぎる棘にやられているのだ。男が向ける小さい棘など、痛いとすら思わない。

「あたしたちの義務って、鏡像のことだけに限定される……なんて決まってないっしょ?」
「間違いではないけれど、その世界の問題には可能な限りその世界のヒトが取り組むべきだ」
「でも"最も重要な目的は、我々の名が冠する通り世界の守護でありヒトの守護"って、ヴァーストさんもよく言ってるじゃん。それって、ヒトの生活にも言えることっしょ」
詭弁きべんだよ。そうやって手当たり次第に首を突っ込めば、大事なところまで手が回らなくなる」

 段々とディクシアの顔に苛立ちが混じっていくのが見て取れる。まるで、聞き分けのない子どもを相手にする大人のようだ。

「僕たちはあくまでも異邦人だ。最後まで責任を持てないかもしれないんだから、簡単に手伝うなんて言うべきじゃない」
「だから"出来ることなら"って前置きしてるんだよ。今日が終わったら、明日の帰還まで時間があるっしょ?ディクたちにもやれ、って言ってんじゃないんだしさ」
「それを安請け合いだと───」
「ってことで、何か手伝えることがあるなら言ってみませんか?話を聞いてやったから乗せろ、なんて言うつもりもないので」

 きっと、このまま続けていても話は平行線のままだ。十分にそれを理解していたシリスは、悪いとは思いながらもディクシアの言葉を途中で阻んだ。
 彼の言うことは実際正しいのだから、口で言い合っても勝てないのなんて目に見えている。


 ───ヴェルが居たならまた違ったのかもしれない。かれなら、上手くヒトの話を聞きつつ得意の舌先三寸で波風立てず丸め込むことも出来ただろう。
 だけどそれは、シリスには到底真似できないことだ。咄嗟の方便が出るほど口が上手いわけでもない。
 だから、純粋に。
 思いのままを伝えるしかないのだ。


 急に話の矛先を向けられた男は、シリスの勢いに数秒尻込みして口籠る。訝しげな視線は変わらず彼女に向けられていたが、シリスは他意が無いことを伝えるためににっこり笑って見せる。

 やがて、男は鼻から長く深い息を吐き出す。

「あんたはアレと違うみたいだな」
「アレ?」

 聞き返したシリスの問いに対する答えはなかった。

「いいさ、乗りな。───あんたらに八つ当たりしたって仕方ないことは分かってんだ」

 浮石車エアモーバーの扉が開かれた。

 屋根がないタイプで、見た目も少し武骨だ。それでも大人4人が乗っても十分な広さがある。
 男は運転席と思わしき右前列席に乗り込んだ。

「いいんですか?」
「……あんたらが居ないと儀式が始まらないんだろ。結局は、それが無事に終わらない事にはこの問題は解決しないんだ。道中にでも話してやるよ」
「だってさ!ディク、クロ、有り難く乗せてもらお!」

 まさかの幸運。見返りを求めたわけでもないが、現に乗せてもらえると言うのであれば断る理由はない。
 気になっていた事に関しても、話を聞けるのであれば願ったり叶ったりである。

 シリスは嬉々として男の左隣に乗り込む。そして、2人に向かって後列に座るよう促した。




*





「良かったな、乗れるらしい」
「……クロは気にならないのかい?他世界に干渉し過ぎるのは褒められた事じゃないだろう」
「アイツにも一理あるし」

 未だ釈然としない顔のディクシア。その肩を軽く叩くと、クロスタはシリスに続いて躊躇いなく浮石車エアモーバーに乗る。

 歯車が噛み合って動き始めるときの、軋んだ音。
 蜂が羽ばたくような、重たくも空気を低く震わせる音。


「───そういうところが、嫌なんだよ」


 彼の呟きはその音にかき消されて、誰に届く事もなかった。
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