境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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浮遊都市・ルフトヘイヴン

33.プロローグ -ルフトヘイヴン-

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「ヴェルはどうだ?」

 ジェネシティの中心部に位置する本部。そこに併設されているメインゲートは、外の世界との実質的な窓口である。控えめながらも無機質すぎない内装は、養成所内のシンプル一辺倒のサブゲートとはまた違ったおもむきだ。

 多くの外務員が行き交う廊下で、シリスは共に歩くクロスタの問いに苦笑を漏らした。

「今日も朝からずーーーっと文句言ってたよ。『せっかく外務員になるって決意したのに、何で1人だけ別の任地なんだよ』って。あんまりずっとブチブチ言ってるもんだから、下の子たちにも文句言われてさらに落ち込んでんの」
「仕方ないだろう?君みたいに態度に難ありでも、成績だけはしっかり出してる腐った卵なら別だけど……」
「攻撃力たっか……」
「流石に今のは痛い」

 2、3歩前を歩くディクシアが呆れたように肩をすくめる。今日も彼の言葉はキレがいい。他人よりもかなり整った顔から放たれる言葉の刃は、凄まじい切れ味だ。シリスでなければ泣いていたかもしれない。

「……悪かったよ。流石に言い過ぎだね、傷みかけの卵にしよう」
「わぁ、あんまり変わんないや」
「とにかく、今回は儀式の警備を兼ねるらしいからね。曲がりなりにも補講常習者なんて連れて行くわけにはいかないんだよ」

 言われて、シリスの脳裏にはリンデンベルグでの出来事がぎる。
 確かあのときもヴェルが補講常習者であるが故に、ひとり肩を並べることができなかった。


 シリスはこれでも優秀である。座学を始め、魔術を除けば実技は言わずもがな。ヴェルもそのポテンシャルがあるにも関わらず、悲しいかな、彼は生粋の面倒臭がりであった。
 その性格の違いが、双子の成績を大きく隔てたのは紛れもない事実である。

「あと、家族のことになると冷静に判断できないからね、彼は。それもあって、君とは別の地に配置したほうが得策と判断されたみたいだよ」
「どこ情報?」
「ヴァーストさんだね」
「なら間違いないな」

 途中、保管庫に立ち寄ってディクシアがポータルキーを受け取る。銀色の菱形プレートに簡単に"ルフトヘイヴン"と刻印だけされている。

「ここから一年は担当する世界は決まらないんだ。どうせ色んな所に行くことになるんだから、真面目にやってればその内一緒にしてくれる事だってあるさ。……真面目にしていれば、ね?」

 友人の言葉に、シリスはただ眉尻を下げて曖昧な笑みを浮かべることしかできない。それがいつになるのか、姉である彼女にすら見当がつかなかったからだ。

 同じように奥へ向かう外務員達の流れに沿って廊下を進む。
 時折、帰還した外務員とすれ違うこともあったが、今のところ顔見知りは誰一人としていなかった。

「請けたときから思ってたけど、儀式の警備ってあたし達みたいな新人で良かったのかな」
「寧ろ、新人にこそ適任の任務さ。任地の資料は読んだかい?」
「昨日クロと確認したよ。浮遊してる島なんだよね?」

 シリスは本部の資料室で見た情報を思い出す。

 養成所のそれよりも大きな部屋は、比例して資料の数も多かった。頭文字から探せるにしても、背表紙の膨大な文字数で眩暈がするほどに。
 ようやく見つけた資料が思ったよりも分厚くないことに感謝したくらいだ。

「そう、浮遊都市ルフトヘイヴン───特に大きなトラブルが起こった事もない場所なのは、前の任務と変わらない。いささか現地のヒトたちの間で確執があるらしいから、鏡像は出るらしいけどね」
「どこの世界も同じだろ」
「そりゃあそうさ。鏡像の殆どいない世界なんて、養成所の見習いに割り当てる程しかない」


 世界の数以上にヒトが居る。
 ヒトの数だけ関係は生まれる。
 関係が絡み合うほど、そのぶつかり合いで感情が生まれる。

 ディクシアの言うことは尤もで、鏡像が出ないほどに平和な世界の方が稀なのだ。
 彼は言葉を続ける。

「とは言っても、ルフトヘイヴンも基本的には平和な場所だからね。争いが少ない地は、僕たちみたいな新人にはちょうど良いのさ。他にも理由はあるけどね」

 最奥には荘厳さを感じる程に大きな扉があった。

 扉の左右に並ぶカウンターの一つへ向かえば、内務員の女性がニッコリと優しく微笑んだ。

「初めて見る顔ですね、このあいだ卒業した新人の子かしら?」
「はい。ディクシア・イノウィズならびにクロスタ・アルガス、シリス・シュヴァルツ。以上3名、ルフトヘイヴンでの任務へ向かいます」

「───はい、確認しました」

 女性が手元の書類へ目を落とし、何かを書き込む。すぐに顔を上げると、微笑みは崩さずにゆるりと上品に手を振った。 

「先に行ってる子、私の同期なの。ちょっと癖の強い子だけど……頑張ってね」

 躊躇いがちに告げられたその言葉に、一抹の不安を感じる。後ろからだと見えづらいディクシアの顔ですら、少し引き攣ったようにも見えた。

 当たり障りのないように一礼して、3人はカウンターを離れて扉へ向かった。

「癖が強いヒトってどんな感じだろうね?」
「……せめて普通のコミュニケーションが取れるヒトだったら良いんだけど」

 ディクシアがこめかみに指を当てて唸った。
 彼は優秀であるが、やや神経質なきらいがある。気の置けない友人間であればまだしも、初めて会う上司がややこしい人物となると、頭を抱えたくもなるのだろう。

 事前に顔合わせの機会を作ってくれれば良いのに。

 シリスは心の中で呟くが、外務員によってはタイミングが合わせづらい事も理解していた。
 限られた守護者の数で無数の世界をカバーするには、幾つもの世界を掛け持っている者もいるからだ。

 いずれ自分がどんな世界を担うかはわからない。様々な世界を見たいとは思うが、できれば定期的に家に帰れるような任地であってほしい。
 そう、シリスは密かに願った。

「入るよ、僕からはぐれないように」

 殺風景に広い部屋の中央に浮かぶ、渦巻く青い光。
 輝く扉のようにも見えるそこに、躊躇いなくディクシアが足を進める。2人もすぐその後を追った。



 ───視界が一瞬、くらりと回転する。
 入る直前までは眩かった光は一瞬にして明度を下げ、海の底のような暗い青さが辺りを満たす。
 メインゲート内のざわめきが唐突に彼方へと消え去り、瞬時に訪れる無音。

 シリスの目の前にはディクシアの背中。先程から距離は変わっていないはずなのに、近くになったり遠くになったりして見える。
 慌てず焦らず、その背中から目を離さずに一定の速度を保ってついていく。


 ポータルから繋がるみちは、何も考えず進むにはあまりに分岐が多い。それは世界の数を考えるとおかしなことではなかったが、不可視の分かれ路はたとえ守護者とて容易に目的地を見つけることはできない。各々の世界へ光の導を照らすポータルキーを持たねば、すぐに迷子になってしまうだろう。
 キーは悪用のリスク回避のために最低限の数しか渡されない。受け取ったディクシアを見失わないように追いかける事が、シリスとクロスタにとって大事なことだった。
 たとえ逸れたとしても、自らの血に従えばジェネシティには戻れるのだが───それはさておき、だ。

 足を前に出しているので進んではいるはずだが、地面を踏み締める感覚はないに等しい。それこそ、抵抗のない水中を歩いているような、形容し難い感覚。

 数分なのか数秒なのか、はたまたもっとかかっているのか。全く感覚が掴めずに足だけをただ進めれば、やがてディクシアの姿が光に包まれた。
 視界が一瞬、くらりと回転する───





 急激に飛び込んできた眩しさに、思わずシリスは目を細めた。
 回転したはずの視界が急に固定される。酔いはしないが、このポータル移動に慣れる日は来るのだろうか?

「着いたよ」

 視界が落ち着いた頃、周りを見渡せばそこは巨大な岩肌に挟まれた狭い空間だった。すぐ目の前には岩の間を縫って短い道が続き、その先には空が見える。

「……ぅ」

 シリスが振り返れば、無事に辿り着いたらしいクロスタが口元に手を当てていた。普段と変わらない仏頂面ながら、顔色は白い。

「大丈夫、水飲む?」
「……ああ」

 どうやら、彼は少々酔うタイプだったらしい。
 シリスが渡した水筒から一口二口水を含むと、僅かばかりだが顔色も良くなる。

「クロ、行けそうかい?」

 ディクシアも心配そうに覗き込む。

「前もすぐ治った……もう行ける」

 そう言ってクロスタは歩き出す。確かに足取り自体はしっかりしていて、ふらつきもない。
 彼の様子を見て大丈夫と判断し、ディクシアは先行して道へ向かう。それに続きながら、シリスはクロスタを振り返った。

「クロはこういうの大丈夫だと思ってたから意外」
「そうか?」
「いつぞやアスが作った子ども用魔導二輪バイクあったっしょ?あれの後ろに乗せて、めちゃくちゃに走り回したじゃん。その時は大丈夫そうだった記憶あるけど」
「……あれ、お前の方だったか?」
「───すみませんねぇ。あたしもたまには騒ぎ立てるものですから?ヴェルと間違えられても?仕方ないですけど??」
「ま、ヴェルよりマシだろ」

 そんな軽口を叩き合いながら道を抜ければ、一気に視界が広がった。



「わあ……!」

 リンデンベルグのときもそうだ。
 こうやって新たな世界を一望できる瞬間が、堪らなくシリスの心を躍らせる。

 道の先にある大地はすぐに終わりを告げる。そもそも、大地というには間違いかもしれない。


 開けた視界には一面の大空。深海のようなポータルの中とは違い、晴れやかで明るく、底抜けに青い世界。

 たなびく雲の合間に幾つもの島が鎮座している───そう、浮いているのだ。

 居宅が一軒建てられれば良い程度のものから、小さな町が丸々乗っかったものまで大小様々な島が浮遊している。島と島の間には、足場程度の石が浮いていて、それが橋の役割を担っていることが窺えた。

 時折、足場もないところを飛んでいる影があるが遠すぎてよく見えない。

 視界の端から端までそんな光景が続いているが、唯一、他の島とは明らかに一線を画するほどに巨大な島をディクシアが指差した。



「あれが目的のルフトヘイヴンだよ───資料で確認はしたけれど、想像以上にすごい景色だね。2人とも知っているかい?各々の島の土壌には浮遊石というこの世界特有の鉱石が含まれていてね。エーテルを自動的に浮遊力に変換する物質なんだけど、含有量の差によって浮遊する高度が違うらしい。これは、この世界の重要な資源にもなっているんだ。そして面白い事に、この世界には"底"がないんだよ。1番浮遊石の少ない島から下に何があるのか、誰もわからない。それと───」

 ディクシアが瞳を輝かせながら熱く語る。この怒涛の説明を聞く展開はデジャヴだ。
 彼の語る知識は凄いし、シリスにとっても興味深い。リンデンベルグのレンガみたいに、聞いておけば役に立つ事だって多々あった。

 それでも、今は基礎知識よりも確認せねばならない事がある。

「あそこまでどうやって向かうの?」
「勿論、あの"橋"を渡る予定だよ」
「あ、やっぱりあれ橋なんだ……いや、そうじゃなくて」

 シリスとクロスタは、足場程度の石が連なる橋へ目をやった。
 3人がいる島からもそれは伸び、近くの島へと続いている。島と島の間の距離は精々5分ほどだろうか、直接ルフトヘイヴンに向かう道はないので、迂回するなら30分ほどはかかりそうだ。
 それは別に苦になる距離ではない。しかし下を覗き込めば、そこに地面はない。

 海すら見えない、ただひたすらの青。
 空の底が見えないという不思議な感覚。

「落ちたらどうなるの、これ」
「ひたすら落ちるんじゃないかな」
「だよね。ディクは大丈夫なの?」

 シリスは素朴な疑問を口にした。
 正直なところ、彼女自身はこの光景に胸を弾ませているし、1人であれば……もしくはディクシアが居なければ、迷う事なく足を踏み出したという自信がある。

「自然現象だからポータルがここにあるのは仕方ないにしても……ディクって運動苦手だったよね?」

 それを押し留めているのは、友人へのなけなしの配慮だ。

「あたしとクロは余裕だけど、流石に君を抱えてあそこまで行くのはキツそうと言うか」
「……どうして僕たち3人が、ここに割り当てられたと思ってるんだ」

 ディクシアが呆れたように腰に手を当てる。

「君たちみたいな身体能力が高い2人と組まされているんだ。僕だってあそこくらいまでなら向かえるさ



無論、ちゃんと1人でね」
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