境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

閑話 -日常、その一幕-

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 ヴェル・シュヴァルツは寝起きが良い。

 周りにどれだけズボラだの、超がつく面倒くさがりだの、万年補習落ちこぼれだの言われようが、彼の朝はそれなりに繁多で目まぐるしい。

「起きろ起きろ!ほら、遅刻すんぞ!」
「にいちゃん、まだ眠い……」
「ヴェルにぃ眩しい、カーテン閉めて」
「まだ6時前じゃん、なんなの馬鹿なの?」

 各々の部屋を回りながら目覚ましがわりに大声を出し、カーテンを開け、布団を剥ぐ。
 暖かな布団の中で微睡まどろんでいた弟妹きょうだいたちは、突如として心地いい眠りを奪われて不満の声を上げた。轟々の非難を華麗に躱し、時に強火の罵声にほんのり涙を滲ませながら、彼は最後の部屋に向かう。

「シリス、お前も起きろ!」
「……んー」

 勢いよく扉を開けて部屋の中にズカズカと入り込む。
 壁付けされたベッド上の大きな丸い塊から、返事なのか寝言なのか曖昧な声が漏れる。投げかけられたヴェルの声でそれは生き物のように僅かに蠢く───が、すぐにピタリと静止して再び部屋には沈黙が訪れる。


 ヴェル・シュヴァルツは寝起きが良い。そしてバランスを取るかのように、シリス・シュヴァルツはめっぽう朝に弱かった。


 そうそう簡単にいかないことは毎日のルーティンでわかり切っていたが、ここ最近は以前にも増して寝汚いぎたない。

 ヴェルは一つため息を落とすと、躊躇いなく塊になった毛布を掴んで力任せに引き剥がした。

「ほんっと、お前って寝起き悪いよな……起きろっての!」
「んうえぇぇ……」

 剥いだ毛布から転がるようにベッドへ落ちたシリスは身を丸めて自らの肩を抱く。キャミソールにハーフパンツの軽装で投げ出すのに罪悪感を覚えないわけではないが、その格好で寝るのが好きなのは彼女の責任なのだから仕方ない。
 固く瞼は閉ざされたまま、足だけで毛布を探す仕草にヴェルは半ば呆れて剥き出しのそれを強く叩いた。

「……ぃたい……でりかしー……」
「今更?ばっかじゃねーの?文句あるならさっさと起きろ」
「ねむい……まだあとちょっと……」
「今日は母さんたち居ねぇから、あいつら送り出さなきゃだろ!」

 わずかばかりの情けで、隣の部屋なのに起こす順番を最後にしたのだ。

 ようやく覚醒してきたシリスはのそり、と緩慢に身を起こすとあくびを噛み殺しながら目を擦る。前髪の何本かは芸術的にベクトルをたがえ、誰がどう見ても見事と言わんばかりの寝癖がついていた。



「……そっか、今日は2人ともいないんだっけ。みんなも起こした?」
「念の為、いつもより1時間早く起こしてるからな」
「うわぁ……めちゃくちゃ文句言われてそう」
「レイテイには馬鹿って言われた」

 その言葉に、シリスは笑った。彼女は大きく一度伸びをして立ち上がると、ベッド脇に掛けていたパーカーを羽織る。一度覚醒すればエンジンのかかりが早いのはシリスの長所だ。

「仕方ない。毎朝頑張る弟のために、今日はお姉ちゃんがなんか好きなモン作ってあげようじゃん」

 事も無げに言ったヴェルだったが、内心妹の辛辣な言葉にショックを受けていたのはシリスにもわかっていたのだろう。何故なら、彼は自他ともに認めるシスコンでありブラコン───もとい、家族愛が強い男である。普段どれだけ怠惰なイメージを持たれていようが、家族のためなら毎朝早起きをして率先して家事をする男である。遅刻をさせないために、自分が文句を言われることもいとわない男である。

 そんな彼でも、いくら可愛い妹といえ単純に罵られれば悲しくなるというもの。

「ほら、何食べたいか言いなよ」
「豚の角煮」
「煮込みで1時間超えるじゃん、ふざけんな」

 シリスの手刀が綺麗にヴェルの脳天に吸い込まれた。









「「「いただきます」」」

 シュヴァルツ家には現在、13人の子どもが住んでいる。

 子沢山───と、いうわけではない。その証拠に、長い卓を囲む子どもの顔立ちや髪色は皆違う。

 外務を担う守護者は決して安全などではなく、シリスやヴェルのときのように予想外の事態が生じることもある。
 鏡像の話だけではない。ヒトの中には、世界を渡ることのできる守護者の血を悪用しようとする者も少なからずいる。世界の守護という義務には、その重要性に比例したリスクが伴うのだ。従って、家族を亡くす者が一定数存在してしまうのは自明の理であろう。

 未成年───特にまだ大人の庇護が必要な幼い子どもを預かる家庭は点在しているが、シリスとヴェルの家はまさにその典型だった。

「シリスねぇのオムライス、おいしいから好き」
「頑張って早起きしたご褒美だよ」
「朝からオムライスって重くない?」
「文句言うなら残しといて。あたしが食べるから」

 「食べるけどさぁ」とぼやく小さなの口元のケチャップを、シリスは笑いながら拭う。
たとえ同じ親を持っていなくとも、シリスにとってもヴェルにとっても彼らは一緒に暮らす可愛い弟妹きょうだいだった。

 ここに住む子どもの中で双子と血の繋がりがあるのは1人だけ。その1人は絶賛反抗期である。この場に姿が見当たらないところを見るに、ヴェルに罵声を投げつけたあとは二度寝を貪っているようだ。シリスとヴェルの次に年上ではあるので、時間が来れば自分で起きて自分で養成所へ向かうだろう。

 シリスはヴェルへ目を向けた。豚の角煮ではないが、好物のオムライスとあってか彼の顔は家族の誰が見ても満足げだ。

「食べたらみんな残りの準備してね。あたしとヴェルも、もうすぐしたら出掛ける用事があるから」
「シリス、薬忘れてる」
「ああごめん。ありがと」

 差し出された錠剤を水で流し込むシリスを確認して、ヴェルも食器を手に立ち上がった。食事を作るのがシリスの担当なら、ヴェルの担当は皿洗いだ。食事が済めば洗濯、それが済めば庭木の水遣り───。
 息の合った役割分担でみるみるうちに朝の準備を終わらせる。

「行ってきます」
「行ってきまぁす!」

 元気に手を振りながら駆けていく弟妹たちを見送って、シリスとヴェルはようやくホッと一息ついた。
 去年まではまだ末弟が養成所に通えない年齢だったので、託児所へ送るというルーティンが加わりさらに大変だった。それに加えて2人も養成所へ向かう必要があり、どれだけ全力で走ったかわからない。

 2人同時に大きく伸びをする。

「レイテイは?」
「もう部屋にいなかった。多分勝手に行ってると思う」
「さっすが、反抗期とはいえしっかりしてるよね」

 既に姿も見えない妹の姿を凝らして見るように目を細めるシリス。彼女の目線の先、家の門扉は開け放たれたままだった。

「帰ってきたら"開けたら閉める"って口酸っぱく言わなきゃね。ヴェル、閉めてきて」
「えぇー、面倒。どうせもう直ぐ出るし」
「電池切れるの早すぎ」

 起きた直後の働き者はどこへやら。弟妹たちを送り出した直後から、表情すらも一気に気怠げに変えたヴェル。
 彼はあくまでも年下に対して"頼れる兄"であると同時に、シリスに対しては"気を張らない弟"でもあるのだ。見送りを済ませた今、もはやその適度な緊張感を保つことすら忘れ去ってしまったらしい。

「さ、俺らもぼちぼち準備すっか」
「そうだねぇ」

 ヴェルが玄関の扉を開ける。弟の言葉に肯首を返して、エプロンを外したシリスは彼の後に続いた。

「まさかヴェルが外務員に希望変えるなんて、思ってもなかったよね」
「シリスは内務員選ばねーじゃん。俺、ちゃんとあのとき誘ったのにフラれたし」
「わざわざあたしと一緒の希望にしなくて良いって話だよ」

 あのとき、とはリンデンベルグを離れる直前のことだ。
 確かにヴェルはシリスを内務員に誘い、そしてシリスはその誘いに答えを返すことはなかった。明確な拒絶があったわけではなかったが肯定がなかったことと、何より現にシリスが外務員希望を出しているのがその答えだ。

「お前さぁ、あそこでの立ち回り見て俺が放って置けると思う?」
「姉思いの弟を持って、あたしは嬉しいです」

 恨みがましいヴェルの視線を受けてなお、悪びれないシリスの言葉にヴェルの顔が歪んだ。

「……もういい。どうせ希望はもう処理されてるんだし、今からもう任地も決められるんだし」
「そうそう、次のことを考えよ!」

 ヴェルを抜き去りながら、「次は何処かな」と歌うように部屋へ向かうシリスの後ろ姿には、明らかに次の任地への興味が滲んでいる。

 この都市───彼らの住むジェネシティの中心にある本部に向かえば、本日割り振られたばかりの任地を聞くことができる。そうすればきっと、姉はまた弟の心情など知らず新たな世界の情報に心惹かれるのだろう。

 嘆息と共に彼女の後を追うヴェルの手が、うっすら開いていた廊下の窓を閉めた。
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