水縹の境

いわみね

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扉の先

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 ここに来ていったいどれだけの時間が経っただろうか。

 不意に疑問に思って老人は首をかしげた。

 わずかな物音さえ聞こえないのは、長年生きてきたせいで単に耳が衰えてしまったからなのか定かでなかったが、思考が判然としないのは、うすらぼんやりと白い壁のせいだけではないだろう。

 周囲は思考のきっかけを与えないようにするかのごとく、文字はおろか、模様すらも何も描かれていない。

 ──「椅子にかけて、ここでしばらくお待ちください」

 案内の女性にそう言われ、部屋に入ってからしばらく経っても誰も来ない。

 部屋には扉が二つ。
 試しに扉を開けようとしたものの、鍵がかけられているのか開かない。

 時計の無い一室で、一人椅子に腰かけて待つ。
(はて……私はここでいつまで待っていればよいのだろう……)

 連れてこられた場所で、老人は目を瞑った。

 あまりにも長く待たされたせいなのか、疲れているのか。
 ひどい眠気に襲われ、横になりたいけれど、生憎と用意されたのは長椅子ではなかった。

 いっそ、床にでも転がってしまいたいとさえ思ったが、それを理性で抑え込み、うとうとと船をこぐ。
 年のせいなのか記憶も曖昧で、いよいよ自分は長くないのだなと寂しさが込み上げた。

 しばらくすると扉が開いて、少年が連れてこられた。
 案内の女性が、老人に言ったのと同様に、少年に待つように促して扉の先へ消えた。

 やってきた少年が、老人の方を見るなり言った。

「あんた……!じゃあここは」

 少年が怯えたように老人を見つめている。

(ああ……思い出した)

 横断歩道に突っ込んできた乗用車、横断中の複数の人。
 その中にいた少年だ。

 やがて時間が過ぎて、再び案内の女性が現れ少年を連れて片方の扉を開き、部屋を出た。
 ほどなくして、もう片方の扉が開き、老人が案内される。
 少年とは違う扉。当然行き先も違うのだろう。
 もうずいぶん長く生きた。もう思い残すことはない。

 老人が扉の先に一歩を踏み出した。



 ◇


「お母さん!医者せんせい!母が!母が目を覚ましました!」

 娘の手の温もり。

(……では。あの男の子は……)

 目に映る白い面が、はたして天井なのか壁なのか。
 視界の角に扉を視た気がして視線を動かすと、窓と青い空がぼんやりと見えた。
 案内人によく似た看護士が娘の後ろを横切った。

 あの扉は確かに。

 見えなくなっても確かにあるのだ。

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