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参 呼びかける真名(なまえ)
《六》月下神現
しおりを挟む白い鳥居の両脇にある、一対の石像。
本来なら狛犬が置かれるだろう場所には、唐獅子の像ではなく、虎を思わせる造りのものがあった。
その下にいた衛士らしき男たちに見とがめられた咲耶だったが、松明により照らされた着衣を確認され、すぐに神官を名乗る男に大神社内へと案内されることとなった。
(椿ちゃんのいうこと聞いといて良かった~っ)
無精ひげの武骨な男らに囲まれた時は、思わず咲耶も身の危険を感じ、地中に“隠形”している犬朗を呼び戻そうとしたくらいだ。
しかし、白地に金刺しゅうの入った水干と、黒地に金刺しゅうの入った筒袴という格好の咲耶に、男たちの態度が一変したのだった。
椿いわく、
「姫さま。お出かけになるのでしたら、こちらの正式な衣をまとってくださいませ。
この下総ノ国で、白・黒・金の三色を同時にまとうことは、姫さまとハク様にだけ許された禁色ですから。不埒な輩にも、これだけで通じる……身の上の証となるかと」
実際、うさん臭げに見られた咲耶も、こうして無事 大神社のなかに入れたのだから、着衣の色が身分証変わりなのだろう。
『咲耶サマ。大丈夫か? ……意外に面倒なことになったな』
足もとから伝わってくる犬朗の呼びかけは一方的な声でしかない。咲耶は、半歩先を行く小太りな神官から少し離れたのち「大丈夫」と、小声で返した。
衛士からの伝達を受け、咲耶を迎えに来た神官の口からまずでたのは「眷属をお連れですかな?」という、気取った問いかけだった。
上から目線の嫌な感じを受けた咲耶が言葉をにごすと、男は肯定に受けとったらしく、
「では、こちらの数珠を手にはめてから、鳥居をくぐりなされ」
と、水晶と思わしき数珠を手渡してきた。
従わなければ、なかへとは入れなさそうな気配に、咲耶は仕方なしに手首へ通した。とたん、視界が急激に、暗く狭くなったのだった。
『テンテンの気配が感じられねーな。……それ、眷属の能力を封じるモンみてぇだな。影じゃなくて隠形にしといて正解だったぜ』
実は、鳥居を前にした犬朗が心配したのは、只人の前に姿を見せることだった。
咲耶も、茜から聞いていた彼らに対する反応に、無用な差別的態度をとられるのが嫌だったので、犬朗には姿を隠すよううながした。
そして、犬朗が選んだのは主との同化ではなく、他者の目から隠れての同行───地中を潜って行く隠形だった。
同化していた転々の影の能力は封じられてしまったが、咲耶の足の下───地脈を通り行く犬朗は、能力を封じられはしなかった。
川のせせらぎが聞こえ、目をこらすと、前方に橋が見えた。
転々の『眼』は失ってしまったが大神社内は所々に石灯籠があり、また、神官の手にも燭台がある。遠くまでは見渡せないが、歩くのに支障はなかった。
「───どうかしましたかな?」
いぶかしげに小太り神官に振り返られ、咲耶はあわててあとを追う。不審に思われないように、口を開いた。
「あの、神官ってことは、愁月さんをご存じですよね? どんな方なんですか?」
当たり障りのない話題をとの咲耶の狙いは、外れなかった。男は、得意げに鼻を鳴らした。
「ふむ、賀茂愁月殿は、我ら神官の長で国司・尊臣様の覚えもめでたい出世頭ですな」
「そうなんですか。すごい方なんですね」
微笑みながらうなずき返すと、調子にのった自慢話が始まった。咲耶は、適当に相づちを返す。
もとの世界にいた時の接客技術がこういう時に役立つ。逆らわず、話したいだけ話させてやれば、こういう輩は満足するのだ。
ふいに咲耶の耳に、鼓の音が空間を震わせるのと、笛の高い音色が風を渡って届いた。雅楽、というものだろうか? 琴の弦の響きも伝わってくる。
「これ……なんていう曲ですか?」
「管弦楽の調べ『月下神現の序』ですな」
整えられたあごひげに手をやりながら、小太り神官が答える。ちら、と、意味ありげに咲耶を見やった。
「しかし、あなたも酔狂な方ですな。『神現しの宴』に参加したいとは。……いや、異界から喚び寄せた女性では、我らと感覚が違うのやも……」
「はい? それって、どういう意味ですか?」
ぶつぶつとつぶやき始めた男に咲耶は眉を寄せ、訊き返した。
「なに、こちらのこと。───では、少し急ぎましょうぞ。『主役』のお出ましに、間に合わなくなりますからな」
意味深な物言いを繰り返す神官の態度を不審に思いはしたが、それ以上は追及せずにあとに続いた。
ややしてたどり着いた大きな白い鳥居を抜けると、そこが大神社の本殿のようだった。
開放された回廊の内側にあるのは舞殿だろうか。正方形の台の上に今は舞い手はいないが、取り囲むような回廊には、盃を手にした、直衣姿や狩衣姿の貴族風な男たちが談笑していた。
椿の言う通り、咲耶の予想していた『宴』よりはやや上品な、あくまでも静かに酒を酌み交わすといった光景であった。
咲耶は、小太りの神官に言われるがまま、コの字型の回廊の末席にあたるだろう場所に通されていた。
奥のほうに目をやれば、一段高くなった場所があり、御簾がかかっている。いわゆる高貴な御方が座ってそうな感じだが、咲耶の位置からでは気配すら判らなかった。
しかし、御簾前にいる狩衣の男が扇を手に口を開いているのを見ると、やはり奥にも人がいると思われた。
(……なんか、場違いな感じ……?)
ちらちらと、場にいた者たちの物問いたげな視線を感じたが、咲耶はあえて気づかぬ素振りで腰を下ろした。
考えてみれば、咲耶の知り合いはこの国の神獣と花嫁だけだ。他に、これといって交流はない。
てっきりハクコにもすぐに会えるだろうと踏んできたが、回廊に用意された酒席を見渡す限りは、それらしき人影はなかった。
「───犬朗。ハクがどこにいるか、判る?」
『んー……旦那の気配はする。けど、感じ方がいつもより弱いんだよな。なんか、邪魔されてるっつーか、妨害されてるカンジ?』
「それ……ハクになんかあったって、こと?」
小声で話しかけていた咲耶は、犬朗の言葉に強く問い返す。いきおい、少し声が大きくなってしまった。
支柱ひとつ分ほど離れた席ではあるが、隣になった男が、けげんな目つきでこちらを見てくる。あわてて咲耶は、愛想笑いを返した。……こちらの世界でも、愛想笑いは有効のようだ。
『うーん……俺のほうの力がうまく遣えてねぇってトコ。ここ、なんか特殊な結界張られてんのかも。……やりづれぇな。面倒なこととか、起きなきゃいいけどな』
犬朗のぼやき声に一抹の不安をおぼえ、咲耶が口を開きかけた時だった。すっかり耳になじみ始めていた『月下神現』の曲調が、変わった。と、同時に、回廊にいた者たちのざわめきが止む。
(なに……?)
彼らの視線の先を追うと、舞殿に向かい、歩く人影があった。四隅に設けられた石灯籠と、頼りなげな月明かりに照らされる姿。
(ハク……!?)
就寝時以外は束ねられているはずの髪はほどかれ、常用服の水干姿ではなく、白い袿だけを着ている。
咲耶はハクコの姿に、契りの儀に際し、自分の前に現れた彼を思いだした。だが、懐かしいと思うよりも、居心地が悪いという感覚が、咲耶のなかで芽生える。
(これ、って……)
動悸とめまいが、瞬間的に咲耶を襲った。血液のめぐりが、急激に悪くなる。
舞殿にある階段を、ハクコが目の前で上がって行く。咲耶の目に映るハクコの顔には生気がなかった。感情の起伏が少ないなどという、いつもの表情とは明らかに違う。
調子をとるように打ち鳴らされた鼓と、耳障りなほどに響く笙の音が、途絶えた。
舞殿の頂きに、ハクコが立つ。頼りなげだったはずの月光が、嘘のように明るく、ハクコの全身を照らしていた。
(なっ……)
咲耶の眼に飛びこんできたもの。長い髪と見える角度によって隠されていたそれは───首枷と鎖、だった。
カシャン、と、足もとで陶器の割れる音がした。あまりのことに、立ち上がり前に踏み出したため、咲耶は無意識のうちに盃の置かれた膳を、蹴り飛ばしていた。
『なんだ? どうしたんだ、咲耶サマ?』
物音に驚いたらしい犬朗から声がかかったが、咲耶は真っ白な頭のまま手すりを越え舞殿のほうへ向かっていた。
咲耶の突然の振る舞いに、側にいた男たちが止めに入ろうとする。咲耶を席に案内したあと、立ち去っていたはずの小太り神官が駆け寄ってくるのが、目の端に映った。
咲耶は、ただ、彼の仮の名を、叫ぶしかなかった。
「ハク!!」
呼びかけにも騒ぎにもなんの反応も示さずに、ハクコは舞殿の上でその身を震わせ、美しき白い獣の姿へと、戻ったのであった───。
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