【本編・完結】神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜

一茅苑呼

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肆 癒やしの接吻(くちづけ)

《二》尊臣からの使者【前】

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 布団のなかで一度、大きく伸びをして、それから咲耶は思いきって上半身を起こす。寒々とした部屋の空気に、もう一度あたたかな空間に戻りたい衝動にかられるのをなんとか押し留め、起床した。

(……寒い……眠い……)

 呪文のように頭のなかで繰り返し、椿に手伝ってもらいながら身支度を整え、朝食の膳についた。向かいに座る、澄ました顔の男に声をかける。

「おはよ、ハ────和彰」

 顔を洗ってスッキリとしたのは、一時的なものだったらしい。まだ頭が寝ぼけているせいか、名前を言い直した咲耶を、和彰がちらりと見返してきた。

「私の名に慣れぬなら、以前のように呼べばいい。お前が私をどう呼ぼうと、私は私だ。変わりはない」

 言って、食事に戻る和彰の姿に咲耶の頬が引きつった。……詭弁きべんだ。初めて自らの名を知った和彰が、咲耶の口から何度も真名を聞こうとしていたのを、咲耶は忘れたわけではない。

 第一、

「私が呼ばなかったら、誰もあなたを、名前で呼ばないでしょう?」

 必然、皆にも知れ渡ったはずの神獣ハクコの真名なまえだが、咲耶とは違い、眷属たちも花子である椿も、おそれ多いという理由から口にすることはなかった。

(そういえば、茜さんも闘十郎さんのこと、『コクのじい様』って言ってたし)

 そもそも名前が分かったところで、通称呼びが変わるものではないのかもしれない。

(でも、それとこれとは話が別じゃんか!)

「せっかく名前があるんだから、ちゃんと呼べるようにするわ。だから、そんなにねないでよ」
「────拗ねる……?」

 思わず口をついて出たのは、咲耶自身ですら意表をつき、言い得て妙といった感じとなる。しかし、肝心の当人は、自分の心の機微が解らなかったようで、きょとんとしていた。

「私がお前に名を呼ばれないから拗ねたというのか?
 ────よく、分からない……。師のところで、熟考してくる」

 ややして難しそうに眉を寄せた和彰に、咲耶は半ばあきれながらも、うなずき返した。

「うん。ちゃんと自分の心を理解したほうが、いいよ。
 で、私はハ────和彰のことを、さらっと呼べるようにするからね?」

 和彰は未だ変わらずに、自ら師と仰ぐ下総ノ国の神官である賀茂かもの愁月しゅうげつのもとに通い、教えを乞うていた。
 もっとも、和彰から聞いた話からすると、愁月がもつ蔵書を片っ端から読みあさり、和彰が疑問に思ったことに愁月が答えるという図式らしいが。

(正直、複雑っちゃ、複雑なんだけどね)

 和彰を出世の道具にし、また、咲耶に追捕の令を下した国司・尊臣たかおみの忠実な官吏だという、愁月。咲耶の印象は、最悪なものでしかない。
 そして、顔を合わせた時に見せたあの、何もかも先を見越しているような、得体のしれない微笑みと眼差し。腹の読めない男だということだけは、間違いないだろう。

(でも、ハ────和彰の親代わりみたいな人っていうのは、どうしようもない事実だし……)

 どのような経緯いきさつかは知らないが、和彰を育て、和彰自身からも信頼を得ている。和彰は愁月のことを多くは語らないが、彼の言葉の端々から、そうと窺うことができた。

 ちなみに、以前は一緒にしていた寝所も、いまの咲耶と和彰は別だった。これも、和彰によれば愁月からの助言らしく、

「時が来るまで、寝所は別にするといいと、師に言われた」

 と、あっさり咲耶に告げて、和彰は咲耶と共寝をしなくなっていた。

 その代わりなのかどうか、床に就く前、和彰が咲耶の部屋を訪れるという奇妙な習慣が始まったのだが。

(時が来るまでって、いったい、なんの『時』なのよ?)

 咲耶の考えすぎかもしれないが、自分たちの進む道を、愁月がお膳立てしているような気さえしてしまう。何か、意図的なものを感じるのだ────。

「姫さま、よろしいですか?」

 ふいに椿から声がかかり、咲耶は我に返った。あわてて、それまでしていた作業をやめ、うるし塗りの小箱に手にした『物』をしまう────椿に見られては、まずいのだ。

「えっと…………はい、どうぞ」
「失礼いたします」

 咲耶の返事を受けて、椿が室内に入ってくる。

 昼前のいまは、普段なら“いち”と呼ばれる場所に食材や日用品を買い出しに行っているはずだが、今日はまだ、屋敷にいたようだ。

「国司・尊臣様からの使者どのが、姫さまに目通りを願われていますが、いかがなさいますか?」
「………………え?」

 椿の言葉に、咲耶は顔をしかめた。

 先ほど玄関の方角から人の話し声はしていたが、まさか来客だったとは。てっきり眷属たちの誰かと、椿が話しているのだろうと思い、気にもしなかったのだ。
 しかも相手は茜いわく「尊臣っていう『面倒ごと』」の使者だという。

 咲耶は一瞬、仮病を使うことも考えたが、花嫁は神籍にある以上、なかなか病気になりにくい。すぐに嘘と分かる口実は、使わないほうがいいだろうと思い、考えを改めた。

「用件は何か、訊いてる?」
「いいえ。姫さまに、まずは目通り叶えばと、それだけにございます。あいにく、わたしのような身分の者が、国司様の使者どのに深く尋ねるのは、失礼にあたるかと……」

 申し訳なさそうな椿の様子に、咲耶は心を決める。
 しっかりしているとはいえ、年端もいかない少女に、国司の遣いと渡り合えというのは酷だ。客間で待つという使者に会うため、咲耶は重い腰を上げた。




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