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肆 癒やしの接吻(くちづけ)

《二》尊臣からの使者【後】

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「お初にお目にかかり、光栄にございます、しろの姫君。私は、尊臣様の乳兄弟で側仕そばづかえをしております、虎次郎こじろうと申します」

 柔和な笑みで咲耶を見て軽く会釈したのは、年の頃は二十代後半くらいの男だった。漆黒の長い髪を高い位置で結び、あまり派手ではないが、仕立ての良さそうな直垂ひたたれ姿をしている。

「えっと、あの……見ての通り、かなり歳くってますので、姫って柄じゃないですけど……。
 松元、咲耶と申します」

 居心地の悪さに、本音が先に口をついて出てしまう。そんな咲耶に、虎次郎と名乗った男が小さく笑った。

「いえ、噂で聞くよりも、ずっと愛らしい面立ちで、けれども、芯のある女性にょしょうとお見受けいたします。姫君と、呼んで差し支えないかと」

(───ヤバイ。寒い……)

 こちらの季節は、確かに冬を思わせる肌寒さになっていたが。表情から察するに悪気はなく、社交辞令だとは解るが、咲耶にとってはいたたまれない修飾語であった。

「それで、ええと……。今日は、どのようなご用件でいらしたのでしょうか?」

 これ以上の美辞麗句を並び立てられる前に、本題に入ってもらおうと先をうながす。

 すっ……と、虎次郎の顔つきが、神妙なものへと変わった。咲耶に対し、ひれ伏すようにして頭を下げてくる。

「まずは、我があるじが行った先の追捕の令に際してのご無礼を、心よりおび申し上げます。早まった行いであったこと、主共々、深く恥じ入っておりますので、寛容なお心でゆるしていただければ有り難く存じます」

 伏したまま届く声音はくぐもっていて、やわらかな口調ながらも反省の意は伝わってきた。咲耶としても、謝意を示す相手に向かい、とやかく言うつもりはなかった。顔を上げて欲しいと、声をかける。

「……やはり、白の姫君は常人とは違われますね。実は、主のめいとはいえ、こちらに伺うのもはばかられる身なれば、お目通りも叶わずに追い返されることも覚悟して参ったのですが……。
 なかなかどうして、お見かけ通り優しく清らかな姫君であらせられる」

 ホッとしたように表情を和らげたのもつかの間、虎次郎の口からは咲耶を持ち上げる言葉が、よどみなく出てくる。

(ナニこの人、どこの太鼓持ち芸人!?)

 咲耶は今度こそ、叫びだしたいくらいのこそばゆさを感じた。が、咲耶のふざけた内心に反し、虎次郎の容姿は、つり目ぎみのすっきりとした顔立ちの美丈夫だ。

「ああああのっ、まずは、ということは、他にも何か、あるんですよね……?」

 生まれてこの方、美形の男に正面きって褒められた経験がない咲耶は、動揺のあまり声がうわずってしまった。世辞と解っているだけに、自ら茶化して平静を装うつもりが、失敗に終わったのだ。
 そんな咲耶の心中をよそに、虎次郎は咲耶に対し、とんでもない要求を突き付けてきた。

「率直に申し上げれば───これから私と共に、大神社に出向き、主に会っていただきたいのです。できるだけ、内密に」





 咲耶は、虎次郎を客間にとめおき自室に戻って眷属たちを呼び寄せた。

「……って言ってるんだけど、どう思う?」
「どうもこうも、内密にってのがあからさまに怪しいだろ。つか、旦那のいない時を狙って来たみたいで、気分ワリぃし」

 即座に応えたのは赤虎毛の甲斐犬・犬朗だった。頭の後ろで腕を組み、面白くないといわんばかりに鼻を鳴らす。それに同意しながら、タヌキ耳の少年・たぬ吉が、ちらりと上目遣いで咲耶を見た。

「あ、あのっ、会うだけでいいのなら、ボクが咲耶様に変化へんげして、行ってきましょうか? そうすれば、良からぬ策をめぐらされても、未然に防げますし……」

 最初に会った頃よりも、どもり癖のなくなってきた たぬ吉に対し、咲耶のひざ上で甘えるように寝そべるキジトラ白の猫・転々が言った。

「んー、でも、下手な小細工して国司さまの機嫌を損ねるのは得じゃあない気もしますよ? あたいら眷属は、付いて行っちゃだめだって、言いなさってるんですか?」
「一応、お供は少数で、とは言われたわ。目立たないようにってくぎも刺されたから、影に入ってもらうか隠形おんぎょうで付いてきてもらうかに、なると思うけど」

 尊臣は、少数の取り巻きを連れて大神社に滞在しているだけなので、咲耶のほうも仰々しい来訪は避けて欲しいとのことだった。

「尊臣は一体なんのために、咲耶サマに会いたいって言ってきてるんだ?」
「まぁ、本当かどうかは別にして、私に正式に謝罪したいってことだけど」
「……胡散うさんくせぇな」
「だよね?」

 犬朗が鼻にしわを寄せ、咲耶も苦笑いで応じた。

 茜や闘十郎が話す尊臣像と「花嫁の首をすげ替えろ」発言を思えば、虎次郎を通じての申し出は、すぐには信じがたい。そんな咲耶と犬朗の会話に、転々がくるんと身体を丸めながら口をはさんできた。

「心配するのも無理はないですけどね、お三方。よく考えてご覧なさいな? いまの咲耶さまに害を為す必要が、いったいどこにあるって言うんですかね?」

 尊臣は神力が扱える花嫁を望んでいたはず。手のひらを返して咲耶を大事にすることはあっても、その逆はあり得ないだろうというのが、転々の考えだった。

「……利用する価値はできたってコトか」
「け、犬朗さんっ、そんな言い方は……!」

 耳の後ろをうっとうしそうにきながら犬朗が言ったのに対し、たぬ吉が声をあげた。身もふたもない物言いを責めただけで、たぬ吉も同様に思っているらしい。

「問題は、を考えているかってコトなんだよな」

 独りごちたのち、犬朗は小さく息をつく。

「……しゃーねぇな。俺が隠形で付いて、タンタンが影に入る。テンテンは、念のため犬貴にこの件を伝えてくれ───ってな感じで、どうよ、咲耶サマ?」

 実質、眷属たちのまとめ役のようになってしまっている犬朗が、最終判断を仰いでくる。咲耶は気が進まないながらも、遅かれ早かれ尊臣と対面することになる覚悟はしていたので、うなずいてみせた。

「うん、そうしよう。じゃ、みんな、よろしくね」

 咲耶の了解を得て、うなずき返す眷属たちを見ながら、咲耶の胸のうちにはひとつのり所もあった。

(まぁ、転々の言う通り、殺されるとかはあり得ないと思うけど。ヤバそうだったらハ───和彰をいいんだもんね)

 ───『想う』だけで気持ちが『届く』存在になった相手。以前、そのように百合子が言っていたことと合わせ、和彰本人からも、

「お前の身に何かあれば必ず駆けつける。危ういと感じた時は、すぐに私を

 とも言われている。幸い、そんな機会は今までなかったので、試したことはないが。

(うーん、試してみたい気もするけど、そんな事態にならないのが一番だしね)

 複雑な思いを抱えながら、咲耶は正装である白地に金ししゅうの水干すいかんと、黒地に金ししゅうのほどこされた筒袴に着替えた。



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