夜明けの夢想者

四方山八方

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2.情景

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 それからというもの、カヅキは好奇に溢れた表情を隠さず、私の素性を続け様に尋ねてきた。私は近所にある高校の二年生である事、母親が市立病院に入院していて、度々面会に来ている事を話した。問答のさなか、カヅキも自身の事を語った。彼女も私と同じ高校二年生で、この病院に入院している患者らしい。互いの身の上を少しばかり教え合った後、私は今いる夢の世界について聞こうとした。

「あー、ミモリさんは、ここについてはどれくらい――」

 私が質問を言い終える前に、カヅキは少しむっとした表情で口を挟んできた。

「なんだか堅苦しいよ。カヅキって呼び捨てにしていいし、もっと砕けた感じで話してほしいな。私達、同い年なんだからさ」

 カヅキの快活な声に言葉を遮られた私は、またもや面食らってしまった。初対面の相手を呼び捨てにするのは、どうにも心苦しいし、気恥ずかしい。それはそうと、先程はこちらの年齢を聞く前に、私の名前を呼び捨てにしてきたような……。

「同い年って知る前から、呼び捨てにしてたと思ったでしょ?」

 内心を言い当てられて、私はぎくりとする。何か言い訳をしようとあたふたしていると、カヅキは相変わらず明るい口調ではっきりと告げた。

「ごめんね。こんな所で同年代の女の子に会ったせいか、妙な親近感が湧いてさ。初めから友達だったみたいな気がして、あんな調子になっちゃったんだ」

 説明を終えると、カヅキは眉尻を下げながら「やめた方がいいかな?」と言って、私の顔を見上げてきた。申し訳無さそうに顔色を伺ってくるカヅキに対して、断るのも気が引けた私は「いや、うん、大丈夫」と、曖昧な台詞を曖昧な口調で返した。カヅキは心底嬉しそうに「やった」と控えめな歓声を上げた。玩具を与えられて喜び回る子犬のような愛らしさがあった。これは狡い生き物だなと、私は内心で呟いてしまう。

「それでミモリさんは、いや……カヅキはここについてどれくらい知ってるの?」

 砕けた話し方に慣れていない私が、辿々しい口調で問うと、解れていたカヅキの表情が少しだけ引き締まった。

の事だよね?」
「さっきも言っていたけど、ムキョウって?」
「ああ、ごめん。私が勝手に名前を付けたんだ。夢と現実の境が曖昧なこの世界には、ぴったりな名前だと思ってね」
「ああ、なるほど『夢境むきょう』か」
「そう、夢境!」

 それから私達は夢の世界――もとい夢境について知っている事を教え合った。カヅキはこの病院に入院してから夢境に入れる事に気付いたという。そして、己の好奇心に任せて、そこら中を調べ回ったらしい。私は彼女の話を聞いて、心の在り方に大きな差異を感じた。カヅキよりも早く夢境の存在を知ったにも関わらず、私はその臆病さゆえに、日が差し込む自室の窓から海を眺めて、鬱々と物思いに耽っているだけだった。

 自身の憐れな姿を頭中に浮かべているうちに、屋上に来た理由を思い出した。そういえば、私は夢境の様子がいつもと違う事が気になって、ここまで来たのだと。

「カヅキは、今の夢境について気になる事は無い?」

 カヅキに問い掛けながら、私は屋上の端へと歩を進めた。質問の意図に気付いたのか、カヅキは迷い無く私の後を付いてくる。屋上の端に立った私は、転落防止用に取り付けられた柵の上に肘を置いて、遠景を望んだ。

 月の輝く明るい夜空、群青に染まる果ての無い海。空と海を隔てる水平線は黒々とした闇に覆われ、その境界は朧気に塗り潰されていた。

 視線を病院の傍らに移す。建物の周囲は白い砂浜に覆われ、所々に深青色の花が群生していた。一陣の風が吹き、花の群れが一斉にこうべを揺り動かす。滑らかな質感を持つ花びらが、白砂に反射する月の明かりを飲み込んでいく。青い花々はきらきらと光を放ちながら、漣のように踊っていた。

「綺麗だね」

 隣りに立ったカヅキが夢境の景色を眺めながら呟く。私は彼女の声に応じて、「そうだね」と短い言葉を呟いた。

「陽波が気になっていたのは、この景色の事だよね」
「うん」
「私が知ってる夢境には、海や砂浜なんて無かった」
「私も、あの月と青い花の事を知らない」
「あの海は陽波のもの?」
「……どうだろう」

 私は己の陰性さゆえに否定的な答えを返す。『陽波』という自身の名から、この夢境が生まれているような気がするのが気恥ずかしかった。海も自分の名前も決して嫌いな訳ではないし、むしろ好きな方だ。けれど、自分の名前から世界を象るなんて、無意識とは言え発想があまりに安直過ぎやしないだろうか。何よりも、あの美しい海が濁った私の所有物であるとは到底思えない。

「あの月と花は、カヅキのもの?」

 気付けば私は、カヅキと同じ問いを口にしていた。しかし、中々答えが返ってこないので、カヅキの居る方を伺ってみる。月の光を吸い込んで青みがかったカヅキの瞳が、私を真っ直ぐに見据えていた。思わず息を呑む。対して、彼女の唇は微かに息を吸い込んでいた。

「私のものだよ」

 澄み切った声で断言しながら、カヅキは柔らかく微笑む。その言葉と表情から溢れる純粋さを羨望するあまり、私はカヅキと顔を合わせているのが辛くなった。視線を逸らそうとしたが、不意に伸びたカヅキの指が私の髪に触れてくる。彼女の指は続いて、私の耳朶に吊られたピアスを軽く揺らした。私は逃げる事も抗う事もできずに、その場に固まってしまう。

「陽波って案外謙虚だよね。最初はもっと積極的な子かと思ってた。こんなに髪が明るい色をしているから。それにピアスまで付けてるし」

 言われてしまった。私は気付かぬ内に歯噛みしていた。本当に謙虚ならば良いが、単に卑屈なだけだ。カヅキは私の髪の毛先を一束抓むと、優しく引っ張った。緩やかに巻いたオレンジ色の髪が真っ直ぐに伸びて、私の視界に入り込む。

 この鮮やかな髪色の発端は、己の卑屈を払拭しようとする見当違いな反抗心である。無論、髪色を明るくしても、私の心は暗いままだった。変化を求める事を諦め切れずに、ピアスを付けたりもしたが、望んだ成果は得られていない。歯止めが効かなくなるのを恐れた私は、それ以上の虚飾をきっぱりとやめる事にした。

 外面を変える事で内面が変わる人間がいると聞くが、私の場合はそうではなかったらしい。変わったのは他人との距離感だろうか。彼らが私に抱く感情は無関心から忌避に近付き、精神的な孤独に加えて、物質的な孤独を獲得する事になった。

 このオレンジ色の髪は本来の目的を果たす事はできなかったが、私の中で『白瀬陽波』という存在をにわかに確立させた。髪色ごときに自己同一性を求めるのは浅はかに思えたが、その事実は少なくとも、自らを消失させようとするよこしまな陰気からは遠ざけてくれた。

 私はこの髪を嫌っていると同時に、愛おしく思っている。だから、私の内外が対照的である事は他の誰よりも分かっているが、それを他者からの言葉として耳に聞くのは苦しかった。私に内在する矛盾を再認識してしまい、自虐的な思惟が拡大していく。

「私の外見に何を求めているかは知らないけど、あなたの勝手な期待を押し付けるのはやめて」

 私は溢れ出す自己嫌悪を留め切れず、見知ったばかりのあどけない少女に向かって、まるで悪態をつくように言い捨てた。カヅキは私に触れる手を引っ込めて、目を丸くしている。彼女が困惑する表情を見て、私は思わず顔を伏せた。

 髪色を変えて、私に人々が寄り付かなくなって以来、久方振りに私の心に触れようとするのが、どうしてカヅキなのだろう。純粋な気質を帯びているであろう彼女に、私の暗澹たる精神から育まれた毒気を浴びせるのは、あまりに酷だ。常日頃、自身を呪うだけに留めている私でも、今回ばかりは運命を呪った。
 
「……えっと、ごめんね」

 辿々しい声でカヅキは謝罪した。悪いのは私の薄弱さであって、彼女には何の罪も無いのに。

「でも、陽波に期待しないっていうのは難しいかな。勿論、髪の色とかは関係無いよ」

 カヅキの言葉が続く。私は俯いたまま、黙ってそれを聞いていた。

「陽波はもう私の期待を越えてるんだ。私だけじゃ、爽やかな潮風も穏やかな波の音もこの世界には有り得なかった。あの綺麗な海がここにあるのは、陽波のおかげなんだよ。……ありがとね」

 カヅキの声を聞いている内に、俯いていた私の顔はいつの間にか彼女の方へ向いていた。今度は私の方が目を丸くして、言葉を失っている。カヅキは私の驚いた表情に気付いたのか、ふっと優しげな笑みを見せつけてくる。私はこそばゆくなって視線を逸したくなったが、彼女には面と向かって伝えないといけない事があった。

「私は……自分を表に出すのが苦手で、他人と話す時もそういうのが出てくる事がある。つまり、その、私は素直じゃない。凄く捻じ曲がってる。何とかそれを変えようとしてるけど、いつも上手くいかない」

 私の覚束ない語り口を聞きながら、カヅキはにこにこ笑っている。恐らくカヅキは私が本当に言うべき言葉を待っている筈だ。

「……えっと、さっきは言い過ぎた……。とにかくその……ごめん」

 ぱちぱちぱちぱち。私が頭を下げた途端、カヅキは勢い良く手を叩き始めた。

「これで仲直り!」

 鳴り止まない拍手と共に、カヅキは茶化すような口調で言った。恥ずかしさや怒り、はたまた嬉しさが私の心中でぐるぐると駆け巡る。混沌とする情動が選択できた行動は、顔をしかめる事くらいだった。小馬鹿にされたのは癪だが、しかし気分は存外にすっきりとしている。これもカヅキのおかげだろうか。彼女と一緒に居ると、今までに感じた事のない不思議な心地に包まれているような気がした。
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