悪役令嬢ですが、前世で乙女ゲームは未プレイなもので!

席ゆづる

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▽たったひとつのねがいごと

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懐かしい夢を見た。

まだ純粋に、アリシアちゃんを愛し、アリシアちゃんを世界で1番幸せに出来るのは自分だと信じていた頃の夢を見た。


ぼんやりとしながら肌に張り付くシーツをめくると、フワリとムスクの香りがした。口汚く舌打ちがこぼれる。

アリシアちゃん以外の香りを残されるのは好きじゃない。

素肌に直接シャツを羽織り、整髪、顔を洗い、歯磨き、制服を軽く着崩したら、蘭の香りの瓶を取り出して首と手首に軽く振って擦り付ける。


「ありがとう、じゃ、またがあったらね。」


未だ眠る家主を置いてドアを潜る。

それにしても幸せな夢だった。あれは、たぶんアリシアちゃんの下僕が来なくなって、アリシアちゃんの婚約者紛いが倒れて、一番アリシアちゃんと過ごしていた時の記憶だ。

何度思い出しても甘美で、それと同時に、神童なんて呼ばれていたあの頃と今のギャップが酷い。

あの頃、アリシアちゃんとの幸せな未来のために邁進していた自分のおかげで、今の僕は学園で何もすることがないから、こうしてフラフラとしていても誰にも制約されることがないのだが、確実にあの頃の方が幸せだったと断言出来る。無知とは幸せなことなのだ。


一応今も、英才教育は役立ち、社交界では華。政財界にも顔が効き始め、学園では入学まもなく生徒会の声がかかった。行かなかったけれど。


アリシアちゃん。僕の天使。僕の行動理由は彼女だけ。そんな人生をもう10年以上送ってきたのだ。今更軌道修正なんて出来ない。

…でも、この懊悩をなんとかしなくては、僕は最後の立ち位置まで無くしてしまうのだ。


ふうっと息を吐いて目を開ける。

まだ授業中のうちに、噴水の広場の一番いい席を獲得する。アリシアちゃんは煩いのが苦手だから、あと数分でこの広場に逃げ込んでくる。


「アリシアちゃん!」


ブンブンと手を振ってアリシアちゃんを呼ぶ。

アリシアちゃんは毅然として湖面でも歩いているようにスっスっとこちらに向かってくる。もしかしたら地上から数センチ浮いてしまっているのかもしれない。


「アリシアちゃん、ごめんね!友達のうちに泊まっちゃったからお昼分けて?」


貴族が通うこの学園では、衛生面安全面から、ランチやティーセットは基本的に全て持ち込みだ。


「そうだと思って、多めに持ってきたから大丈夫よ。」


慌てる必要は無いわ。とランチボックスを渡してきた。

シンプルなハムとチーズとレタスとトマトのサンドイッチ。

じっとランチボックスを見ていると、アリシアちゃんも自分のランチボックスを開けた。

自分の普通の白とは違う、茶色いパン…「粉が違うのよ」って言っていたアリシアちゃんがたまに焼くパンに、白い…クリーム?と、キラキラしたフルーツがカットされて挟まれている。

レーダーが働いた。ピンと来た。


「アリシアちゃん、そっちのサンドイッチ、アリシアちゃんが作ったでしょ。」

「そうよ。いきなり1食増えたから、私が適当に間に合わせたの。」


気にすることないわ、そちらの料理長が作ったものを食べなさい。


姉らしく譲っているつもりらしいが、間違っている。

アリシアちゃんの作り出す「なにか」美味しいもの、は今や『血の繋がった弟』でしかない僕の、数少ない特権だ。

アリシアちゃんの作った「なにか」で食べられなかったのは、婚約者風情に邪魔をされた時。その1点だけ。『弟』の僕にだから許される、特別。

忌々しい血。

これが今、僕をアリシアちゃんの一番隣に居させてくれて、近い将来、永遠の断絶を運んでくる。


神を呪ったのはいつだっただろうか。


姉とは添い遂げられないと知った時だろうか。

違う気がする。あの時、立派に跡を継いでアリシアちゃんを養う決意をしたのだから。


姉に婚約者が出来た時だろうか。

違う。こんな奴は場繋ぎで、すぐに僕が迎えに行くからと勉学により励んだ。


いつ?いつ?いつ???


…あねのめが、おとうとであるから、みてくれているのだと、きづいたとき?


あの瞬間、僕自身に価値は無くなり、空っぽの僕には、「アリシアちゃんの弟」という器だけが残った。

それでも、僕の天使は微かに残った僕のすべてを千千に乱し続け、空っぽの器を嵐がすぎる度に器自体がキーキーと音を立てて、その残った僅かな立ち位置さえ奪われそうになってしまって、心が苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて…自分の心を裏切った。

1度の裏切りは2度目を呼び、気づいた時には名前も知らない「おともだち」がたくさんいた。


ある時は社交界で出会った他国の姫で、ある時は鷹狩で出会ったご令嬢。勉強のためよく通った図書館の司書などだ。

いずれも、ローランに呼んだことは無い。全て相手の家に行くことにしている。ローランに汚いものは持ち込みたくなかった、なんて、自分がいちばん汚いことはわかっている。それでも嫌だったし、そんなことになってもまだ、アリシアちゃんからの男としての評価を落とすのは嫌だった。

そもそも存在するかも分からないものを無くすのを怖がっているのだから滑稽だ。


「アリシアちゃん、取り替えっこしよ。」

「?プロが作ったものの方が美味しいわよ??」


既にアリシアちゃんはフルーツの「なにか」をひとつ食べかけている。手元には、ベーコンと炒り卵のサンドイッチはわかるが、それ以外の作品が全く見たことがない。


「ね。」

「不味くても知らないからね。」


わーい!と純粋な弟を心掛けてランチボックスを取り替える。

アリシアちゃんの作るものは柔らかで、温かで、安心する。でも、ずっとこの安心を求め続けられるわけじゃない。

信じられないけれど、アリシアちゃんはいつかロマンス小説みたいな恋をして、王子様と幸せに過ごすのだ。そして、残念なことに、アリシアちゃんの王子様は、僕じゃない。


これは、人生の決定事項だ。まだ人生は続くというのに覆すことの出来ない事項だ。


神様、かみさま、カミサマ!


ひとつだけでいいんだ、他に何もいらない。


勉強だって今よりもっと頑張る、剣術だって馬術だって、ダンスのエスコートも、誰にだって負けない王子様になるよ。


だから、アリシアちゃんをください。

それだけ、ひとつだけ、お願いします。


どうかアリシアちゃんを僕にください。


…諦められるはずが無いから、常に自分の中は大嵐がビュービューと思いを巻き上げて勢いは止まらない。

その思いをどうにか壊れそうな器で押し止めて、今日もアリシアちゃんと午後の優しい時間を過ごした。


教室になんて行ったって仕方ないから、噴水の広場で寝転がると違和感に気づいた。


無い。


アリシアちゃんに貰った、黒曜石のタイが無い。

しっかり育ってしまったから、今はもう付けることは出来ないけれど、制服の内ポケットにいつも持ち歩いていた。


「どうしよう…」


本当に困る。アレがないと、日々風化しそうな器は崩壊してしまうだろう。


「アリシアちゃん…。」


今、あの時みたいに抱きしめて。僕の天使。思いで潰れて死んじゃいそうだ。

心当たりは、朝起きた時、ブレザーを確かめなかったこと。ということは、ムスクの女の家。

もう二度と行くことは無いと思っていたが、背に腹はかえられない。

しかし、授業が終わるまで行くことは出来ない相手だった。

それまで心を落ち着かそう、と噴水の広場で座っていると、パタパタパタっと軽く足音を立ててアリシアちゃんがやってきた。まずい。決壊してしまう。


「アレクシス、あなたこれを落とさなかった?」


その小さな白い手に乗るのは、黒曜石が美しい一本のタイ。


「アリシアちゃん!これどこで!?」


まさかムスクの女がアリシアちゃんに直接?と最悪の事態が頭をよぎる。


「アレクシスが昼間、膝枕をせがんだでしょう。その後予鈴のチャイムが鳴って、あなたが御手洗に立ったあと私の足元に落ちているのを見つけたのだけど、チャイムが迫っていたから私の方で預かっていたの。」


それなら家で渡してくれればいいのに、一コマ受けただけで彼女はいつもしない小走りでここまで来てくれた。


「あなた、昔これを無くした時大騒ぎしたでしょう?また取り乱しているのではないかと思って持ってきただけよ。」


少し上気する頬。乱れた息。なのに、しゃんとした姿勢。こちらを100%考えた思いやり。

お守りは戻ったけど、心はタイフーンを受けたみたいだ。


神様、かみさま、カミサマ!


ねがいなんて、ひとつしかないんです。



どうかどうか、神様。


僕からアリシアちゃんを取らないで。

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