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最終章 夏の始まり
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最終章『夏の始まり』
耳障りな音が断続的におれの鼓膜を刺激していた。
機械がエラーを起こしたときに鳴るアラーム音。
闇。それがおれの視界を一言で表現していた。
寝ている、ということだけはわかった。
おもむろに右手を伸ばす。すると闇の中で何かに触れた。
冷たい、と思った。
さらに手を伸ばすと、急に視界が明るくなった。
それと同時に、アラーム音が大きくなる。
おれは左手も使って、両手で目の前の物を押し上げながら上体を起こした。
がたん、と重々しい音が響く。
何もない部屋だった。窓もない。10畳にも届かない、狭くて無機質な部屋。
小さな照明だけが頭上で明滅している。
その部屋の中心にある、機械仕掛けの棺のようなものにおれは収まっていた。
とそこで、棺の淵に『ERROR』と表示されたディスプレイが赤く点滅していた。
おれがその隣にあった『キャンセル』を押すと、ようやく不快な音が止まった。
「…………」
やがて意識が冴えてくる。
そしてゆっくりと、この棺が冷凍睡眠装置だということを思い出した。脳の活動を停止させても夢が見れるのは、確か脳波をコピーして……詳しくはわからないけどそんな感じ。
照明がこんなに小さいのは、長期間光を見ていない瞳に強い光を浴びせたら失明する恐れがあるから、ということも思い出す。
おれは棺から出て、壁と同色ゆえにわかりにくい自動ドアに近づく。
ドアの上には『July A.D.9999』と表示されたディスプレイがあった。1の位の数字が明滅しているのは、きっと表示できる上限を越えているからだろう。
自動ドアを通ると、その先にあるのは階段だった。
おれはふらつきながらも上っていく。
すると今度は手動のドアがあって、おれは右手で開いた。
一段と光が強くなって、おれは反射的に目を瞑った。
ゆっくりと瞼を持ち上げていくと、そこは廊下だということがわかってくる。
その廊下には窓があった。
「……水族館?」
水の中だった。魚たちの姿は見えないけれど。
海の中なのだろうか、と頭によぎった思考はすぐに打ち消された。
ここは地上に建てられた冷凍睡眠施設だということを思い出したからだ。
地下に作りすぎたために、人々がやむを得ず地上に造ったものだ。
だからここは、海の中じゃない。
……いや、海の中というのはあながち間違いじゃない。
沈んだのだ。
人類がいなくなった大地を、世界は海で覆ったのだ。
それは単純な地殻変動の一種によるものかもしれないし、人類に対する弔いなのかもしれない。
ただ、耐震・耐水施行が施されたこの建物は生き延びたようだった。
「でも、やっぱり世界は滅んだんだな……」
そう呟くと、心の奥底から重々しいものが掘り起こされてきたのがわかった。
それは記憶。
冷凍睡眠装置に入る前の、おれの記憶。
おれには幼なじみがいた。
よく喧嘩もしたし、すれ違うことも多かったけれど。
本当に、仲がよかった。
おれたちの想いは恋に姿を変えて、やがて愛になった。
結婚の約束もした。おれから申し込んだ。
それを幼なじみは、快く受け入れてくれた。
気が狂ったように喜んだ記憶がある。
そうしておれたちは、永遠を誓い合って。
互いに19歳になって、式を挙げる予定だった夏に……
「あいつは戦争に巻き込まれて……」
二度と目覚めない体になってしまった。
……あぁそうだ。それでおれは絶望したんだ。
現実を直視できなくて、かと言って自殺する勇気はなくて。
だから『夢』の世界に逃げた。
冷凍睡眠装置に入って、永久に現実から逃げることにしたんだ。
おれは振り向いて、出てきたドアを見やる。
そのドアの中心に『ERROR』と赤く表示されたディスプレイが目を惹いた。
左右にも目を向ける。
同じようなドアがいくつも続いているけれど、そのすべてに『ERROR』。
「ま、そうだよな……」
どれだけ技術が発達しようと、人の手によるメンテナンスなくして永久に動き続ける冷凍睡眠装置なんて開発できるはずがない。
おれは運良く目を覚ますことはできたけど、他の人は目を覚ますことなく、そのまま……。
「あれ?」
とそこで、ひとつの疑問が思い浮かぶ。
どうしておれは、目を覚ますことができたのだろう。
いくら冷凍睡眠装置が壊れようと、夢幻病を発症した人が長時間眠れば自意識がその夢に依存し、目を覚ます人なんていないはずなのに。
誰かに起こしてもらったのか? いや、有り得ない。
ここにはもう、誰もいないのだから。
となれば、夢の中で何かが起きた、ということなのだろうか。
そうだとすれば、まだ納得はできる。
……でも。
覚えているはずがない。夢幻病とはそういうものだ。
起きたときに内容を忘れてしまうから、発症者は永久に眠っていることを望む。
おれもそのひとりだった。
永久の眠りを望んで、それに等しい永い時間を眠っていた。
内容は忘れている。
どんな人が出てきて、どういう場所を歩いていたのか、微塵も覚えていない。
当然だ。それが夢幻病というものだから。
それはわかっている。
わかっている、はずなのに。
「…………っ」
涙が出てきた。そして止まらなかった。
なぜかはわからない。
ただ漠然と、ものすごく悲しいと感じていた。ものすごく寂しいと感じていた。
大切なものを失ってしまったような。
大切なひとを失ってしまったような。
わからない。
どうして、おれは泣いているのだろう。
わからない。わからない。
どうして、こんなにも悲しいのだろう。
わからない。わからない。わからない。
「う…………うぁ…………」
嗚咽がこぼれる。
強く拳を握った。爪が手に食い込んで痛い。
それでも悲しみをまぎらわすことはできなかった。
それでも寂しさをまぎらわすことはできなかった。
「ナ、ツ……!」
無意識のうちに出た言葉だった。
それは誰かの名前だったか、それとも季節の夏のことなのか。
そう考えようとしたとき、
「なに?」
誰もいないはずの世界で、おれ以外の声がした。
振り向くと、数え切れないくらいに顔を合わせた人がいた。
「ずいぶんと懐かしい呼び方だね、それ。わたしはショウで、9歳か10歳くらいまでそう呼び合ってたっけ」
「夏月……?」
「そう。章吾も同じタイミングで目を覚ましたんだね」
「どうして……」
自然とそんな言葉が出た。
夏月はクスクスといたずらっぽく笑って、言った。
「戦争に巻き込まれて、大怪我して、もう助からないって言われたんだよね、わたし?」
そうだ。確かにそんな記憶がある。
「でもわたしね、死ななかったんだよ。お医者さんは奇跡だって言ってたけど、ちゃんと回復してみせたの。だって、死ぬわけにいかなかったもの。結婚も控えてて、これから幸せになっていこう、ってときだったし」
すると夏月は、笑いながらおれに歩み寄ってきた。
「でも……短気で、考えるのが苦手で、いつも早とちりしがちな章吾は、勝手にわたしを殺して、勝手に『夢』の世界に閉じこもった。あれだけ普段から『もっと冷静になって』って言ってたのに」
そして夏月は、笑いながら涙を流して、顔をおれの胸に預けた。
「バカ……章吾の、バカ……!」
おれは何かを言おうとして、けれど何も言えなくて、それでも何かしてあげたくて、夏月の体を抱きしめた。
「ごめん……」
「謝るだけじゃ許せないよ……」
「本当にごめん……」
「ダメ。わたしね、章吾が夢幻病を発症したことを知って、それがショックで、わたしまで夢幻病になっちゃったんだよ……」
「ごめん……ごめん……」
「いやだ、許さない……。今回は奇跡的にまた会えたけど、次はもう絶対ないよ……」
わかっている。
奇跡、なんて言葉は、きっと軽々しく使っていいものじゃない。
だけど、今の状況を説明するには、奇跡という単語を使わなければ絶対にできない。
おれは泣きながら、おれの胸の中で泣いている夏月に声をかける。
「聞いてくれ、夏月」
「なに……?」
真っ赤に腫らした目を、上目遣いでおれに向ける。
「たぶんさ、世界はもう滅んだよな」
夏月は答えない。
けれど、それが答えだ。
「人類ももう、おれたち以外に残っていないと思う」
「…………」
夏月が目を伏せた。
でも、おれはこう言葉を紡ぐ。
「ふたりだけでも、生きよう。こんな世界でも、まだ希望はある。おれたちがまた会えたように、絶望だけが残ったわけじゃない。どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、諦めさえしなければ、ちゃんと未来に繋がるんだ」
だから、
「一度は早とちりして、この世界から逃げ出してしまったけど、それでも、死ななくてよかった。生きていられてよかった。逃げただけにしてよかった」
こんな世界だ、立ち止まったり、逃げ出したくなることもある。
でも、生きてさえいれば、こうしていつか希望は見つかる。
不幸だけじゃない。
絶望だけじゃない。
いつの時代にも、どんな世界にも、必ずしあわせや希望は残っている。
それを見つけられる確率は、奇跡のようなものかもしれないけれど。
それでも、おれは見つけられたし、これからも探していきたい。作っていきたい。
夏月となら、それができる。
「おれはもう、夏月から一生離れない。たとえ離れるようなことがあっても、おれは何度でも呼ぶし、こっちからも向かおう」
いつの間にか、夏月はおれを見上げていた。
不安も悲しみもなかった。
むしろ輝いているようにさえ見えた。
おれは7月と表示されていたディスプレイを思い出す。
年号はカウンターストップしていたけど、季節はループになっているから止まらない。
だからおそらく、今が7月ということは信じていいだろう。
「なぁ、夏月」
おれは笑って、最後の言葉をこう締めくくった。
「新しい夏を始めよう」
それに夏月は、「うんっ、うんっ」と満面の笑みで何度も頷いていた。
うっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。
でもその涙は、悲しみによるものじゃない。
なんとなく、そんな気がした。
大地は海に沈んだ。人類もおそらくは滅んだ。
だけど、夏月がいる。
それだけで、何の根拠もない自信が湧いてくる。
こんな世界でも、きっと生きていけると思ってしまう。
そして。
おれはそんな世界に、感謝するのだ。
夏月と再び会わせてくれた世界に、感謝するのだ。
他の人はみんな死んだというのに、それでも喜んでいるおれは、薄情者かもしれない。
でも、おれは気にしない。
とそこで、子どもの頃に読んだおとぎ話をふと思い出す。
世界には『中核』というものがあって、海とか、森とか、あるいは塔とかに存在していると言われていて、それが人間を含めたすべての命を守っているのだという。
たとえそれが、ただのおとぎ話であっても。
その『中核』とやらが、果たして物なのか、人なのか、あるいは神のようなものなのかはわからないけれど。
そんな漠然とした『中核』に、心から感謝したいと思う。
「とりあえず、屋上まで行ってみよっか」
「そうしよう。どこまで海に沈んでるかわからないしな」
「一応言っておくけど、窓は絶対に開けないでよ?」
「わかってるよ。水圧が半端じゃないだろうしな。あと窓に触れるのも法度な。絶対に劣化はしてるはずなんだ、ちょっとした衝撃で最悪の事態を招く可能性もある」
「…………」
「ん?」
「章吾が冷静に考えられるようになってる……」
「はは、何を言っている。おれはいつだってクールだ」
さぁ、新しい『夏』の始まりだ――
耳障りな音が断続的におれの鼓膜を刺激していた。
機械がエラーを起こしたときに鳴るアラーム音。
闇。それがおれの視界を一言で表現していた。
寝ている、ということだけはわかった。
おもむろに右手を伸ばす。すると闇の中で何かに触れた。
冷たい、と思った。
さらに手を伸ばすと、急に視界が明るくなった。
それと同時に、アラーム音が大きくなる。
おれは左手も使って、両手で目の前の物を押し上げながら上体を起こした。
がたん、と重々しい音が響く。
何もない部屋だった。窓もない。10畳にも届かない、狭くて無機質な部屋。
小さな照明だけが頭上で明滅している。
その部屋の中心にある、機械仕掛けの棺のようなものにおれは収まっていた。
とそこで、棺の淵に『ERROR』と表示されたディスプレイが赤く点滅していた。
おれがその隣にあった『キャンセル』を押すと、ようやく不快な音が止まった。
「…………」
やがて意識が冴えてくる。
そしてゆっくりと、この棺が冷凍睡眠装置だということを思い出した。脳の活動を停止させても夢が見れるのは、確か脳波をコピーして……詳しくはわからないけどそんな感じ。
照明がこんなに小さいのは、長期間光を見ていない瞳に強い光を浴びせたら失明する恐れがあるから、ということも思い出す。
おれは棺から出て、壁と同色ゆえにわかりにくい自動ドアに近づく。
ドアの上には『July A.D.9999』と表示されたディスプレイがあった。1の位の数字が明滅しているのは、きっと表示できる上限を越えているからだろう。
自動ドアを通ると、その先にあるのは階段だった。
おれはふらつきながらも上っていく。
すると今度は手動のドアがあって、おれは右手で開いた。
一段と光が強くなって、おれは反射的に目を瞑った。
ゆっくりと瞼を持ち上げていくと、そこは廊下だということがわかってくる。
その廊下には窓があった。
「……水族館?」
水の中だった。魚たちの姿は見えないけれど。
海の中なのだろうか、と頭によぎった思考はすぐに打ち消された。
ここは地上に建てられた冷凍睡眠施設だということを思い出したからだ。
地下に作りすぎたために、人々がやむを得ず地上に造ったものだ。
だからここは、海の中じゃない。
……いや、海の中というのはあながち間違いじゃない。
沈んだのだ。
人類がいなくなった大地を、世界は海で覆ったのだ。
それは単純な地殻変動の一種によるものかもしれないし、人類に対する弔いなのかもしれない。
ただ、耐震・耐水施行が施されたこの建物は生き延びたようだった。
「でも、やっぱり世界は滅んだんだな……」
そう呟くと、心の奥底から重々しいものが掘り起こされてきたのがわかった。
それは記憶。
冷凍睡眠装置に入る前の、おれの記憶。
おれには幼なじみがいた。
よく喧嘩もしたし、すれ違うことも多かったけれど。
本当に、仲がよかった。
おれたちの想いは恋に姿を変えて、やがて愛になった。
結婚の約束もした。おれから申し込んだ。
それを幼なじみは、快く受け入れてくれた。
気が狂ったように喜んだ記憶がある。
そうしておれたちは、永遠を誓い合って。
互いに19歳になって、式を挙げる予定だった夏に……
「あいつは戦争に巻き込まれて……」
二度と目覚めない体になってしまった。
……あぁそうだ。それでおれは絶望したんだ。
現実を直視できなくて、かと言って自殺する勇気はなくて。
だから『夢』の世界に逃げた。
冷凍睡眠装置に入って、永久に現実から逃げることにしたんだ。
おれは振り向いて、出てきたドアを見やる。
そのドアの中心に『ERROR』と赤く表示されたディスプレイが目を惹いた。
左右にも目を向ける。
同じようなドアがいくつも続いているけれど、そのすべてに『ERROR』。
「ま、そうだよな……」
どれだけ技術が発達しようと、人の手によるメンテナンスなくして永久に動き続ける冷凍睡眠装置なんて開発できるはずがない。
おれは運良く目を覚ますことはできたけど、他の人は目を覚ますことなく、そのまま……。
「あれ?」
とそこで、ひとつの疑問が思い浮かぶ。
どうしておれは、目を覚ますことができたのだろう。
いくら冷凍睡眠装置が壊れようと、夢幻病を発症した人が長時間眠れば自意識がその夢に依存し、目を覚ます人なんていないはずなのに。
誰かに起こしてもらったのか? いや、有り得ない。
ここにはもう、誰もいないのだから。
となれば、夢の中で何かが起きた、ということなのだろうか。
そうだとすれば、まだ納得はできる。
……でも。
覚えているはずがない。夢幻病とはそういうものだ。
起きたときに内容を忘れてしまうから、発症者は永久に眠っていることを望む。
おれもそのひとりだった。
永久の眠りを望んで、それに等しい永い時間を眠っていた。
内容は忘れている。
どんな人が出てきて、どういう場所を歩いていたのか、微塵も覚えていない。
当然だ。それが夢幻病というものだから。
それはわかっている。
わかっている、はずなのに。
「…………っ」
涙が出てきた。そして止まらなかった。
なぜかはわからない。
ただ漠然と、ものすごく悲しいと感じていた。ものすごく寂しいと感じていた。
大切なものを失ってしまったような。
大切なひとを失ってしまったような。
わからない。
どうして、おれは泣いているのだろう。
わからない。わからない。
どうして、こんなにも悲しいのだろう。
わからない。わからない。わからない。
「う…………うぁ…………」
嗚咽がこぼれる。
強く拳を握った。爪が手に食い込んで痛い。
それでも悲しみをまぎらわすことはできなかった。
それでも寂しさをまぎらわすことはできなかった。
「ナ、ツ……!」
無意識のうちに出た言葉だった。
それは誰かの名前だったか、それとも季節の夏のことなのか。
そう考えようとしたとき、
「なに?」
誰もいないはずの世界で、おれ以外の声がした。
振り向くと、数え切れないくらいに顔を合わせた人がいた。
「ずいぶんと懐かしい呼び方だね、それ。わたしはショウで、9歳か10歳くらいまでそう呼び合ってたっけ」
「夏月……?」
「そう。章吾も同じタイミングで目を覚ましたんだね」
「どうして……」
自然とそんな言葉が出た。
夏月はクスクスといたずらっぽく笑って、言った。
「戦争に巻き込まれて、大怪我して、もう助からないって言われたんだよね、わたし?」
そうだ。確かにそんな記憶がある。
「でもわたしね、死ななかったんだよ。お医者さんは奇跡だって言ってたけど、ちゃんと回復してみせたの。だって、死ぬわけにいかなかったもの。結婚も控えてて、これから幸せになっていこう、ってときだったし」
すると夏月は、笑いながらおれに歩み寄ってきた。
「でも……短気で、考えるのが苦手で、いつも早とちりしがちな章吾は、勝手にわたしを殺して、勝手に『夢』の世界に閉じこもった。あれだけ普段から『もっと冷静になって』って言ってたのに」
そして夏月は、笑いながら涙を流して、顔をおれの胸に預けた。
「バカ……章吾の、バカ……!」
おれは何かを言おうとして、けれど何も言えなくて、それでも何かしてあげたくて、夏月の体を抱きしめた。
「ごめん……」
「謝るだけじゃ許せないよ……」
「本当にごめん……」
「ダメ。わたしね、章吾が夢幻病を発症したことを知って、それがショックで、わたしまで夢幻病になっちゃったんだよ……」
「ごめん……ごめん……」
「いやだ、許さない……。今回は奇跡的にまた会えたけど、次はもう絶対ないよ……」
わかっている。
奇跡、なんて言葉は、きっと軽々しく使っていいものじゃない。
だけど、今の状況を説明するには、奇跡という単語を使わなければ絶対にできない。
おれは泣きながら、おれの胸の中で泣いている夏月に声をかける。
「聞いてくれ、夏月」
「なに……?」
真っ赤に腫らした目を、上目遣いでおれに向ける。
「たぶんさ、世界はもう滅んだよな」
夏月は答えない。
けれど、それが答えだ。
「人類ももう、おれたち以外に残っていないと思う」
「…………」
夏月が目を伏せた。
でも、おれはこう言葉を紡ぐ。
「ふたりだけでも、生きよう。こんな世界でも、まだ希望はある。おれたちがまた会えたように、絶望だけが残ったわけじゃない。どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、諦めさえしなければ、ちゃんと未来に繋がるんだ」
だから、
「一度は早とちりして、この世界から逃げ出してしまったけど、それでも、死ななくてよかった。生きていられてよかった。逃げただけにしてよかった」
こんな世界だ、立ち止まったり、逃げ出したくなることもある。
でも、生きてさえいれば、こうしていつか希望は見つかる。
不幸だけじゃない。
絶望だけじゃない。
いつの時代にも、どんな世界にも、必ずしあわせや希望は残っている。
それを見つけられる確率は、奇跡のようなものかもしれないけれど。
それでも、おれは見つけられたし、これからも探していきたい。作っていきたい。
夏月となら、それができる。
「おれはもう、夏月から一生離れない。たとえ離れるようなことがあっても、おれは何度でも呼ぶし、こっちからも向かおう」
いつの間にか、夏月はおれを見上げていた。
不安も悲しみもなかった。
むしろ輝いているようにさえ見えた。
おれは7月と表示されていたディスプレイを思い出す。
年号はカウンターストップしていたけど、季節はループになっているから止まらない。
だからおそらく、今が7月ということは信じていいだろう。
「なぁ、夏月」
おれは笑って、最後の言葉をこう締めくくった。
「新しい夏を始めよう」
それに夏月は、「うんっ、うんっ」と満面の笑みで何度も頷いていた。
うっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。
でもその涙は、悲しみによるものじゃない。
なんとなく、そんな気がした。
大地は海に沈んだ。人類もおそらくは滅んだ。
だけど、夏月がいる。
それだけで、何の根拠もない自信が湧いてくる。
こんな世界でも、きっと生きていけると思ってしまう。
そして。
おれはそんな世界に、感謝するのだ。
夏月と再び会わせてくれた世界に、感謝するのだ。
他の人はみんな死んだというのに、それでも喜んでいるおれは、薄情者かもしれない。
でも、おれは気にしない。
とそこで、子どもの頃に読んだおとぎ話をふと思い出す。
世界には『中核』というものがあって、海とか、森とか、あるいは塔とかに存在していると言われていて、それが人間を含めたすべての命を守っているのだという。
たとえそれが、ただのおとぎ話であっても。
その『中核』とやらが、果たして物なのか、人なのか、あるいは神のようなものなのかはわからないけれど。
そんな漠然とした『中核』に、心から感謝したいと思う。
「とりあえず、屋上まで行ってみよっか」
「そうしよう。どこまで海に沈んでるかわからないしな」
「一応言っておくけど、窓は絶対に開けないでよ?」
「わかってるよ。水圧が半端じゃないだろうしな。あと窓に触れるのも法度な。絶対に劣化はしてるはずなんだ、ちょっとした衝撃で最悪の事態を招く可能性もある」
「…………」
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「はは、何を言っている。おれはいつだってクールだ」
さぁ、新しい『夏』の始まりだ――
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