シンシンシンシンシンユウ

西野尻尾

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第2章

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第2章


放課後、予報通り雨が降っている中、わたしと海々は商店街のゲームセンターに来ていた。
「さーて、遊びまくるぞぉ」
海々はクレーンゲームの台を前に不敵な笑みを浮かべつつ何故か右腕をぐるぐる回している。果たしてこのゲームにその挙動は意味があるのかと考えていると、海々が首だけを動かしてわたしに言ってきた。
「今日はとことん付き合ってもらうからねっ」
「はいはい、わかってるよ」
わたしは苦笑しながら頷く。
例の3限目の件以来、海々はすっかりふてくされてしまっていた。朝もからかったからしばらくは機嫌が直る様子もなかった。わたしが話しかけても頬を膨らませてそっぽを向くだけで、この動作もものすごく可愛かったから放っておいてもよかったのだけど、やっぱり海々の笑顔が恋しいからわたしは素直に謝った。そしたら海々はわたしにこう言った。
「じゃあ、今日一緒に商店街に寄ってくれる?」
海々が商店街に行きたがる時は80%の確率でゲーセンが目当てだ。本人曰く中学生の頃にはまったらしく、だけど時々怖い人がいるからひとりで行くのは少し不安らしい。実際、絡まれたこともあるとか。
でも、わたしと一緒なら安心できるのだろう。
そこら辺のヤンキーやチンピラならわたしが撃退できるし、海々も安心して遊ぶことができる。だから海々はわたしをよく誘う。
「よっし、まずはこの猫さんをいただきだっ」
海々は嬉々としてお金を投入すると、ほぼ真ん中の位置にある三毛猫のぬいぐるみを狙ってアームを操作し始めた。
海々は可愛い。小さくて幼くて純粋無垢だ。
でも、それは身体的な弱さを併せ持つことも意味している。運動能力は並以下だし、腕力や脚力だって150センチにも満たない身長に比例している。つまり見た目通りに弱い。
だけど、そんな海々にだって特殊能力はある。
「これはもらった!」
アームを縦と横に動かし終えた海々が軽く飛び跳ねた。
アームはぬいぐるみの重心だと思われる位置を寸分狂いなく掴み、持ち上げるときに一瞬揺れたが、以降は全くぶれることなくわたし達の足元にある開口部へ落としていった。
「お、すげぇ」
「へへー、猫さんゲット!」
ぬいぐるみを手に持って頬ずりをする海々。
「次はあっち!」
海々は三毛猫のぬいぐるみを脇に挟み、クレーンゲームを1回やっただけで移動した。
今度はもぐら叩き。
クレーンゲームと同じくポピュラーでシンプルなゲームだけど、何気に難しいのがこれらの醍醐味っ、とは海々の言葉。
海々がお金を入れると、レベルを1番高いものに設定した。異様にテンポの速いBGMが鳴り出し、海々はハンマーを持って構える。
「それっ」
始まると同時にそんなかけ声を放った。
1秒間に3匹も出現するもぐらを、海々は残像を残して確実に全部叩いていった。
およそ1分後、BGMが鳴り止んだ。もぐらの出現が止まり、海々もハンマーを持った手の動きを止めた。
そしてディスプレイにはこう表示される。
『PERFECT!』
「さすが……」
わたしは嘆息するしかない。海々は自慢げにわたしの顔を見る。
「ふぅ。やっぱりこれは気持ちいいねっ」
無邪気な笑顔。わたしも釣られて笑顔になる。
「相変わらず第6感が人並以上に冴えてるね」
それが海々の特殊能力だった。
とにかく勘が鋭い。気配を察する能力に秀でているのだ。本人はいまいち自覚がないらしく、
おそらく生まれ持ったものだと思う。
ただ、海々曰く実用性はないらしい。
「でも、人の気持ちを読み取れるわけじゃないからね」
海々は苦笑する。
確かに、海々がわたしの冗談を見抜いたことはほとんどない。今日みたいなことは日常茶飯事で、いつも顔を真っ赤にしてわたしに突っかかってくる。
「ま、そりゃ人の気持ちなんて読めたらつまんないしね」
何気なくわたしが言うと、海々はいきなりハンマーをわたしに突き出した。
「そうっ、その通り!」
ハンマーで殴られるのかと思った。
「人とのコニュミケーションは心のやり取りが大事なんだもんね! 相手が何を考えているのかとかがわかっちゃったらそれはコニュミケーションじゃない! 人の気持ちを理解しようとすることで、初めて他人を思いやる心や人の苦しみを知ることができる! つまりっ、相手の気持ちを想像することで繰り広げられる会話こそがコニュミケーションの本来あるべき姿なのだよっ」
海々はハンマーをわたしに突き出したまま天を仰いだ。決まったぜ、とでも言わんばかりに。
言っていることはすごくいいことなんだけど。ものすごく頷ける内容なんだけど。
「海々、どうでもいいことなんだけどさ」
「ん?」
「『コニュミケーション』じゃなくて『コミュニケーション』ね」
「……あれ?」
海々は首をかしげながらコニュミケーションとコミュニケーションを交互に呟きだした。
待つこと十数秒、海々が言い直す。
「コミュミケーション!」
「ごっちゃになってるっ」


海々は折り畳みの傘をふたつも持っていた。その理由を尋ねると、
「碧の分だよっ」
と答えた。何故わたしの分があるか尋ねると、
「だって碧、傘とか嫌いそうな性格だもんっ」
と答えた。よく意味がわからなかったから追究すると、
「えっ、嫌いじゃなかったの?」
と尋ねられた。別に嫌いではないことを伝えると、
「なんか意外ー」
と目を丸くされた。もう面倒なのでそれ以上は聞かなかった。
というわけで、わたしは海々の傘を借りて帰路についている。やはり元々は海々の傘なだけあってかなり小さいものだけど、濡れて帰るよりかはよっぽどマシだった。
だけど夏の雨の日はとにかく汗をかく。既に下着までびしょ濡れで、一刻も早く着替えたい。この嫌な気持ちを紛らわすために海々に話しかける。
「それにしても、今日も絶好調だったね」
わたしが言っているのはゲーセンでの海々のことだ。
「うんっ。すごい楽しかったっ」
ステップを踏むように水溜りを避けていく海々の足取りは軽く、その言葉に嘘はないみたい。
「でもさ、碧だってすごい能力持ってるよ!」
いきなり話題がわたしに変わる。
「そう? 自分では何もないつもりでいるけど。もしかして勉強のこと?」
「違うよぉ。勉強は碧が努力した成果でしょ?」
「え? まぁ……」
確かにその通りなんだけど、頷くのもなんだかはばかれる。
「人からそうやって言われると嬉しいなぁ。でも、勉強じゃないとしたらなに?」
「ケンカだよっ」
……あぁ。
「なんであんなにもケンカが強いのっ」
「んー、なんでだろうね」
別に答えをはぐらかしたわけではない。本当にわからないのだ。
幼い頃からそうだった。誰かがわたしを叩いたり殴ったりしそうになると、その手の軌道がわたしには見える。だから簡単にかわすことができるし、腕力がなくても喧嘩に負けたことはない。
とは言っても、今年になってからわたしが相手を殴ったり直接蹴ったりすることはない。相手の攻撃をかわして、あとは昨日の足払いのように威嚇程度の攻撃を繰り出せば相手の方から逃げていってくれるからだ。
だから周りがわたしのことを女帝と呼んでいても、最近はこの学校で相手をのしていない。噂が一人歩きしているのと、朱漢組を海々から追い返しているのがイメージを保たせているのかもしれない。
「まぁ、大切な人を守るために授かった力なのかな」
「うんっ、そうだよっ、きっと」
「ちなみに、わたしにとって大切な人は海々だよ」
そう言うと、海々は顔を真っ赤にした。地肌が白いからよくわかる。
「えっ、そ、そうなの?」
「うん。海々にはすごく感謝してるし、友達としても大好きだよ。だからこれからも、海々を守ってあげるからね」
なるべく自然に言ったつもりだけど、ちょっと気取りすぎたかな。
でも、海々はさらに顔を紅潮させていた。そして何かを言おうと必死に口を動かそうとしているけど、うまく舌が回らないのか、ただ一言だけをわたしに言った。
「……ありがとう」

家に着くと、キッチンで夕食を作っていた明音さんが迎えてくれた。
わたしは部屋でTシャツとショートパンツに着替えて、早速明音さんに手伝いを申し出た。
「あらあら、いいのよ」と遠慮されてしまったけど、世話になっている以上は甘えっぱなしになるわけにはいかない。わたしは食い下がると、申し訳なさそうに折れてくれた。
「そう? じゃあ、これはもう出来たから皮に包んでもらえるかしら」
そう言って大きなボウルを渡された。
中には赤茶色の挽き肉が入れられていて、細かく切り刻まれた玉ねぎやら人参やらキャベツやら多彩な野菜が練りこまれている。
どうやら今日は餃子のようだった。わたしはボウルをテーブルの上に置いて、早速皮に包む作業に取りかかった。スプーンで具を皮の中央に置いて、指先に接着剤の代わりになる水をつけてしわを寄せながら包んでいく。1個できたら皿に置いて、また次へ。何回かやったこともあり、それなりに慣れているので大きな失敗をすることなく半分ほど終わらせた。
すると、海々が2階の部屋から降りてきた。
「あれ? 碧、手伝ってるの?」
「うん。餃子の皮を包んでんの」
「海々も手伝うよっ。餃子なら任せといてっ」
わたしが答える間もなく海々が向かいの椅子に座った。
なかなかやる気があるようで、わたしはそんな海々を頼もしく思った。
「それで、餃子ってどうやって包むの?」
「知らないのかよっ」
さっきまでの威勢は何だったのか。
「『餃子なら任せて』って自分で言ってなかった?」
「うんっ。だって餃子好きだもんっ」
「……だから?」
「だから、任せてって言ったんだよっ」
「その『だから』にはどう繋がってんの?」
「好きこそものの上手なれって言うじゃないっ」
「それ、使い方間違ってるからね」
とりあえず海々に見本を見せてあげ、海々が真似をしようとするけど、明らかに不慣れなその手つきではまともな形になるとは思えない。
「むぅ、意外にチョコザイな……」
渋い顔で四苦八苦している海々を他所に、わたしは作業を再開した。皮と具を次々に消化していき、残り5枚ほどになった頃、
「出来た!」
海々が声を張った。
わたしは顔を上げて、海々の手に乗った餃子を――、
「……えっ」
その物体を見た。同時にとてつもない衝撃を受ける。思わず言葉を失った。
「ただの餃子じゃつまんないから、ちょっとアートを施してみたっ」
海々はやってやったぜ!と言わんばかりに小さな胸を張っている。
「これは……」
どう感想を言えばいいのかわからない。わからないけど、とにかくすごい。
鶴がいた。
紙じゃない。餃子の皮の。
それに、ちゃんとお腹の部分に具が詰まっている。
「すごい……。すごいよっ、海々っ。どうやって作ったの? 教えて!」
「うんっ、いいよっ!」
なんだか自然とテンションが上がってきた。
餃子の皮で鶴を折るなど、こんな奇天烈な発想をする人なんか初めて見た。
「いい? 海々の真似してみて」
わたしは頷いた。
海々は一枚皮を手に持って、まず四つ折りにして折り目をつけた。ちなみに、この時点で既に餃子からかけ離れている。
「むっふふー、心を込めたら飛んでくれるかなー」
海々は嬉々としながら皮を折っていく。ちなみに、この独り言も餃子を包むときのものからかけ離れている。
数分後、何回も折ったりひっくり返したりを繰り返して、目の前の皿には。
鶴がいた。
紙じゃない。餃子の皮の。
さえずりが聞こえてきそうな頭、今にも羽ばたいていきそうな羽、ふっくらとしたお腹、しなやかな尾。そのどれをとっても、確かに鶴だった。
「…………」
わたしは言葉では形容できない、大きな感動が胸の中で渦巻いていた。
海々はそんなわたしの雰囲気を察してくれているのか、静かにわたしの言葉を待っていた。
「海々、わたしさ……」
「うん」
「なんだか、悲しくなってきちゃった……」
「……どうして?」
「この鶴は、確かに生きてはいないけど、でも、鶴だよね?」
「うん、碧が必死に作り上げた、確かな鶴だよ」
「この鶴は、餃子の皮で生まれて、幸せなのかなぁ」
「碧……」
「本当は、生命を持って生まれてきたかったんじゃないかなぁ。本当は、紙で作られた、折鶴として生まれてきたかったんじゃなかったのかなぁ」
「うん……」
「最初はさ、餃子の皮で鶴なんて革新的ですげぇ、って思ったけどさ、でも実際に作ってみると……、泣いてるように見えるんだ、鶴が」
「…………」
「これじゃあ、人間がクローンで作られるのと同じだよね。何の感情も持たない、生物兵器みたいなものだよ」
「それは違うよ!」
「海々……」
「碧は私欲のためにその鶴を折ったんじゃないでしょ? 感動して、胸を強くを打たれたから、自分の手で生んであげたいと思ったんでしょ?」
「…………」
「その子は、きっと喜んでるはずだよ! 碧みたいなお母さんに産んでもらって、すごく幸せなはずだよ! たとえそれが、生命を持っていなかったり紙じゃなかったりしたとしても、鶴は鶴だよっ! 餃子の皮の、れっきとした鶴だよ!」
「海々……!」
「海々には聞こえるよ。その子は言ってる。『産んでくれてありがとう……、おかあさん』って」
「そう、なのかな……」
「そうだよ! だから碧はそんなことを嘆くよりも、その子の手を取ってあげるべきだよ! 手を差し伸べてあげるべきだよ!」
「うん……、うん……! そうだよねっ」
わたしは自分が折った鶴を、そっと手に持った。
「あぁ……、わたしの、餃子の皮の鶴……」
「ほら、わかる、碧? その子、泣いてるよ。もちろん、嬉しくてだよ」
「わかるよ。だって、この子は……、わたしの子だから……!」
そしてその鶴を、天に向けて高く突き上げた。
「海々、わたしは誓うよ。もう、二度とこの子を哀れんだりはしない。ちゃんと愛情を注いで、きっと自慢の子にしてみせる」
「うんっ、その意気だよ、碧っ」
わたしと海々は目をしっかり合わせ、そして強く頷いた。
沈黙が流れた。しばらくして、様子を窺っていた明音さんが声をかけてくる。
「よくわからないノリが長く続いてたけど、そろそろ焼いてもいいかしら?」
「あ、どうぞ」
包んだ餃子(鶴含む)の載った皿を明音さんに渡した。

そして夕食。
「うわぁ、頭の方が全然焼けてないね……」
「ホントだ。辛うじて中の具に火が通ってる感じだね」
「ごめんなさいね、いびつな形だったからうまく焼けなくて」
「いえ、悪ノリしたわたしの自業自得ですから」
なんであんなバカバカしいノリになったのか、ひたすら自責の念に駆られているわたしだった。


「お、おはようっ」
「どもっす、先輩」
「沙理沢っ、お塩持ってきたよっ」
「頼んどらん」
「沙理沢様っ、今日もお肌の調子がいいようでっ」
「あんた、昨日も会ったよね?」
今日も鬱陶しい時間を乗り越え、教室で一息ついた。
一緒に登校した海々も自分の席に座り、今日の授業で使う教科書やノートを鞄から机の中に移し替えている。
「よっ」
そんな海々を頬杖をついて眺めていると、昨日と同じように爽やか少年の二宮が話しかけてきた。
「おはよ」
わたしは椅子の背もたれに深く腰かけ、息を吐くように返した。
「沙理沢ってさ、毎朝かったるそうに登校してくるよな」
爽やかにそう言う二宮。
本人は嫌味のつもりで言っているのではないだろうけど、この甘いマスクにはどうも変な疑いをかけてしまう。
「別に疲れてるとか眠いとかじゃないんだけどね。ただ、朝っぱらからこうも知らない奴らから挨拶されるとさぁ」
「なるほどね。変に気を遣われたくないんだ?」
「そ、それ」
有名人は大変だな、と二宮は同情してくる。
「で、何か用?」
別に二宮のことは嫌いじゃないけど、用事があるならさっさと言って欲しい。
「あ、あぁ。用はあるんだけどさ……」
二宮がばつが悪そうに言葉を濁す。
「なに? わたしを怒らせる、あるいは機嫌を損ねるようなこと?」
「……おそらくは」
ホントかよ。冗談のつもりだったのに。
「それがわかってて、わたしに言うわけ?」
「ん。沙理沢じゃなきゃダメだからさ」
……ったく。
「だったら、尚更さっさと言って」
冷たくそう言ったら更に言い辛そうにした二宮だったけど、少しの間を置いて、心苦しそうに口を開いた。
「こんなこと言ったら、沙理沢はすげぇ訝しがるかもしれないけどさ、猛さんに勝負をしてもらいたいんだ」
「はぁ?」
何のためらいもなく怪訝な顔をしたわたしに、二宮は苦笑する。
「いや実はな、昨日、うちの組の奴がたまたま沙理沢と杞蕾がゲーセンにいるところを見かけたらしいんだ。それで、猛さんが沙理沢に頼みごとをしようと決めたんだよ。理由や経緯については猛さんの方から説明されると思うから省くけどさ、とりあえず、俺の方から先にお願いしとこうと思ってね」
「なんで二宮が先に?」
「そりゃあ、いきなり猛さんが沙理沢に頼みごとをしても断るかな、と思ってさ」
「……確かに」
あいつ自身とはいがみ合ってこそいないものの、朱漢組に対しては普通に嫌悪を抱いている。内容次第ではあるけど、あいつの頼みは断る可能性が高い。
「こんなでしゃばった真似はしたくなかったんだけどさ、猛さんは真剣なんだ。だからさ、なるべく猛さんの頼みを聞いてやって欲しいんだ」
そう言って、二宮は手を体の後ろで組み、足を肩幅ほどに開いて、腰を九十度に曲げた。
朝っぱらから朱漢組のナンバー2が頭を下げているものだから、クラスの注目を独占している。
「おいっ、あの二宮が女帝に頭を下げてるぜ!」
「なんだろう、また何かしでかしたのかな?」
「ま、まさか交際を申し込んでるとか……!」
声を押し殺しているつもりなんだろうけど、わたしの耳に届くには十分な音量だった。
そんなひそひそ話が聞こえてしまってからには、
「わかったよ」
わたしはこう答える他になかった。
「善処する」
まぁ、綿谷は真剣だって言っていたし、これで本人が頭を下げれば引き受けてあげてもいいかな。内容次第だけど。
勢い良く顔を上げた二宮は、爽やかかつ晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「ありがとう!」
「言っとくけど、綿谷の頼み方がなってなかったら、当然、断らせてもらうよ」
「それは心配ないっ。猛さんはすげぇ誠実な人なんだっ」
誇らしげにそう言っているうちに、教室の前のドアが開いた。入ってきたのは綿谷。
「っと。じゃ、俺はこれで失礼するな」
二宮が颯爽と綿谷のもとへ駆け寄り、快活に挨拶をした。
綿谷はおう、と返し、そのままわたしの席に歩み寄ってきた。
今日も立派なリーゼントにはしっかりと艶が出ている。
「ちょっと屋上までいいか? 頼みがある」
早速か。
それにしても屋上だなんて、教室の中では頼みにくいことなのかな。
「いいよ」
わたしが立ち上がると、綿谷がついて来いと言わんばかりに背を向けて歩き出した。
そのすぐ後ろで、両手を合わせて「頼む!」と視線を送ってくる二宮。
「頼み? 屋上? 一体これから何が起こるんだ……?」
「まさか、『わしの嫁になってくれ!』とかっ」
「なにぃっ、最強夫婦じゃねぇかっ」
またもやしっかりとわたしに届いてくるひそひそ話。綿谷にも聞こえているだろうけど、完全に無視している。
それにしても、こいつが頼みごとねぇ。
『わしの嫁になってくれ!』は絶対にないだろうけど、全く想像がつかないのも事実。そもそも、きっかけがわたしと海々がゲーゼンで見かけたから、っていうのがわからない。そこにどういう意味があるのだろう。
綿谷は黙々と歩き続け、何か話す気配は見られない。おそらく、屋上に着くまでは振り向きもしないだろう。
二宮は時々わたしの方を振り向いては、爽やかな笑みを浮かべてウインクをしてくる。本人には全く悪気はないんだろうけど、二宮にウインクなんかされると詐欺に引っかかった気分になるのは何故だろう。
「ふぅ」
まぁ、二宮に先手も打たれているし、よっぽどじゃなければ引き受けてあげるつもりだけどね。綿谷がわたしに頼みごとだなんて初めてだし。

「わしと勝負しろ!」
「拒否する」
話が違った。
「ちょっ、猛さん。話が飛びすぎですよ!」
二宮が慌てて取り繕う。
綿谷は言われてから気付いたように大きく息を吐いて、改めてわたしに申し出てきた。
「……頼みがある。だが、それを素直に申し込むなど、そんなおこがましいことはできん。お前には、部下共がわしの監督不行き届きでえらく迷惑をかけている。だから、わしと勝負しろ。それでわしが勝ったら、その頼みを聞いてもらう」
真剣な眼がわたしを射抜く。
『猛さんはすげぇ誠実な人なんだっ』
二宮の言葉が思い浮かぶ。
わたしからすれば「普通に頼めばいいのに」と言いたいところなのだけど、こいつは頭としての責任を感じているようなので、それを無下にすることはできない。
どうして勝負に持ち込むかは全く理解できない。でも、綿谷のプライドも傷つけたくはない。
「いいよ」
だから、そう言った。
本当はものすごく億劫なんだけど。きっと、それは表情にも出ていたと思う。
「感謝する」
綿谷は低く、太い声で礼を言って頭を下げた。
「で、なんの勝負? まさか、殴り合いでもするわけ?」
「そんなものは望まん」
「じゃあ何?」
そこまで考えていなかったのか、綿谷はわたしから視線を外し、少しの間地面を見つめていた。
数秒が経って、再びわたしに目を向ける。
「一昨日、あいつらが言っていたな……。アレにしよう」
「アレ?」
一昨日って、何かあったっけ。
わたしが記憶を辿っているうちに、綿谷は低く、渋い声で言った。
「かくれんぼだ」
カクレンボ……?
「って、かくれんぼ!?」
「そうだ。日本の伝統ある遊びだ」
「ごめん、ちょっと待って」
綿谷のあまりにも唐突な発言に狼狽せざるをえない。
今にして思えば、海々がたまにバカげた理由で絡まれることがあるのも、もしかしてこいつの悪影響のようなものかもしれない。
「そんなんでいいの?」
そもそも、こいつが物陰に隠れる姿が想像できない。
「『そんなん』、だと?」
「いやいや、そんなあからさまに機嫌を損ねないでよ」
綿谷は片方の眉を吊り上げ、口をへの字に曲げた。
「だいたい、頼みごとの内容ってなによ?」
「む、それはだな……」
尋ねると、綿谷が一瞬ばつの悪そうな顔になった。
でも、すぐに表情を戻す。
「それは、杞蕾の力を借りたいのだ」
「……海々の?」
それは思いがけない言葉だった。
「これでも、わしにだって大切な人はおる。それで、明日がそいつの誕生日なんだ。だからわしは、あいつが欲しがっているキャラクターのぬいぐるみをプレゼントしようと思っとるのだが、どこにも売ってなくてな。唯一見つけられたのが、ゲーセンのクレーンゲームだったのだ」
なるほど、だいたい話が読めてきた。
「聞くところによると、杞蕾は得意だそうじゃないか。わしも何回か挑戦したが、取れる気配が一向になかった。そこにおる希祐きすけも、他の奴らもな」
綿谷の脇で二宮が苦笑していた。
「そこで、海々に取って欲しいって?」
わたしと海々をゲーセンで見かけたからって、どうしてわたしに頼みごとをしようと思ったのか謎だったけど、ようやく納得のいく答えを聞くことができた。
「そういうことだ」
「あんたの言いたいことはわかったけど、どうして海々に直接頼まないの?」
「あいつには、お前以上にうちの部下が迷惑をかけているからな。そんな都合よく頼みごとなどできん。それに、お前が黙っていないだろうと思ってな」
確かに。それはご明察。
「まずはお前に通してから、改めて杞蕾に頼むことにする」
おそらくだけど、海々だって朱漢組に絡まれることは、綿谷が悪いわけではないことはわかっていると思う。だから、海々に頼んだとしても断ることはないだろう。
何より、理由が「大切な人のため」ときた。
それは家族なのか、親友なのか、あるいは恋人なのかは知る由もないけど、そういうことならわたしだって断ることはない。いくら悪名高い朱漢組の頭とは言え、それくらいを区別できる器量は持っているつもりでいる。
「わかった。じゃあ、まずはわたしと勝負ね」
でも、綿谷はわたしに許しを乞おうとしている。プライドなのか仁義なのかはわからない。
ただ、自分達のこだわりを貫きたい気持ちはわたしにだってわかるから、ここは素直に受けておこうじゃない。
「うむ、感謝する」
だけど、普通にかくれんぼじゃ芸がない。
「ちょっと変わったルールでやろうよ」
綿谷は訝しそうな目をわたしに向ける。
「変わったルール?」
「そう」
「どんなのだ?」
「そうだなぁ」
かくれんぼの基本ルールは単純だから、アレンジなんていくらでもできるはず。
面白くて、スリルがあって、それでいて真剣になれそうなかくれんぼ。
あ、これは海々を巡っての勝負なんだから、どうせなら海々も絡めたいなぁ。
うーむ……。

1時15分ちょうど。昼休み。
午前の授業を終え、さっさと昼食を済ましたわたしはすぐに屋上まで赴いた。
そこには既に綿谷と二宮が来ていて、綿谷は手を後ろに組み、足を肩幅くらいに開いて直立している。二宮は3歩離れた位置に立っていた。
「待った?」
わたしの問いに、二宮が「いや」と首を振って、
「沙理沢はここに」
そう言って綿谷から2メートルほど前の地点を指差した。
わたしは首を傾げながら指定された位置に立つと、綿谷が低く、渋い声を放った。
「勝負は礼に始まり、礼に終わるもの」
なるほどね。
よく聞く言葉ではあるけど、これは朱漢組の間にも存在するようだ。
「それでは、互いに礼っ」
審判を努めることになった二宮が仲人の位置できりきりと言って、綿谷が機械的に頭を下げた。とりあえずわたしも後に続く。
「では、ルールを確認いたします」
続いて二宮によるルール説明。
「勝負はかくれんぼならぬ、『碧流変則型かくれんぼ~海々争奪戦~』で行われます。原則的には基本ルールに則った上で、範囲は東校舎の2階――つまり2年生の教室及び廊下のみに定め、トイレ等は認めないものとする」
これは綿谷が定めたルール。
範囲を広くしすぎては始まってそのまま終わってしまう可能性があるし、他の学年にまで害を及ぼすのはいかん、とのこと。不良の言葉とは思えないね。
「更に追加ルールを3つ設け、これはこの勝負において恒久的に適用される。ひとつ、隠れている者が鬼に発見された場合、両者とも必ず杞蕾にツッコミを入れにいくこと。ふたつ、このツッコミを1回1ポイントとし、このポイントが多かった方の勝ちになります。この追加ルールについては、缶けりのものをイメージすれば理解しやすいと思われます。尚、ツッコミはその場に応じたツッコミのみ有効とし、的確かつ軽快にされなかった場合はアウトとなり、相手のポイントに加算されます。その判定については、不肖ながら自分がさせていただきます。そして最後のみっつ、どちらにポイントが入ったかに関わらず、公平性を保つために1回ごとに鬼を交代します」
うんうん。わたしの要望もちゃんと組み込まれている。
「以上でよろしいでしょうか?」
「おう」
「いいよ」
「それでは12時20分から開始いたします。勝負は5限目の予鈴が鳴るまでとし、その時点でポイントが多かった方の勝ちとなります」
にしても、綿谷がこんなルールを承諾するとは意外だった。わたしの要望に何も反対しなかったけど、綿谷は挑戦者側だから権限がないとでも思っているのかな。
そもそも、綿谷がちゃんとツッコミを入れられるのか心配だ。
その綿谷は目を閉じ、微動だにしていない。どうやら精神を集中させているようだった。
「1分前です。それでは、鬼を決めます」
二宮が財布を取り出し、硬貨を1枚取り出した。柄の方を表、数字の方を裏とし、親指で硬貨を真上に弾いた。ちょうどよい高さまで舞い上がり、その硬貨が二宮の左手の甲に乗ったと同時に右手をかぶせた。
「わたしは表だ」
「なら、わしは裏でよい」
二宮が頷き、右手を左手から離す。
「表です。よって、鬼は猛さんからのスタートということになります」
わかった、と綿谷が頷いた。続いて視線をわたしに向ける。
「たとえ勝負がどんなに小癪な内容であっても、わしにとっては大きな意味を持っている。悪いが、負けるつもりはさらさらない」
なんだかわたしのセンスが悪く言われている気もするけど、綿谷が本気なのは理解している。
だからこそ、わたしも全力で戦わせてもらうとしよう。
仮に見つかったとしても、綿谷より先に海々にツッコミを入れればいいのだ。
これは普段から一緒にいるわたしにとって、大きなアドバンテージになるはず。
「10秒前です。開始して10秒が経過したら、猛さんが捜索にかかります」
二宮が腕時計を見つめながら言い、五秒前のカウントダウンを始める。
「2……、1……」
わたしは足にぐっと力を込め、
「スタート!」「それっ」
合図と同時に颯爽と屋上から降りていった。

範囲が2年の教室と廊下と狭く定められている以上、これは『見つかるまで隠れ通すかくれんぼ』じゃない。
鬼に見つかってからいかに素早いスタートを切り、いかに海々のもとへ早く駆けつけ、いかに的確かつ軽快にツッコミを入れるかが重要だ。
これにはちょっとした工夫が勝敗を左右する。
とりあえずわたしは2年4組の教室に入った。普通のかくれんぼならカーテンの中とか机の下に隠れるのが常套だけど、この碧流変則型かくれんぼにそれは通じない。
わたしは1組側のドアに1番近い席が空いていることに気付き、そこに座って、両腕を枕にして顔を伏せた。これなら多少は寝ている女生徒にカモフラージュできるはず。
「あの人、1組の沙理沢さんよね……?」
「な、なんで女帝がこのクラスにっ」
もちろん、4組の連中からは痛いくらいに視線が飛んできているんだけど。
わたしは雑音を無視して、とにかく耳を澄ませていた。自ら視界を塞いでいる以上、頼りになるのは聴覚しかない。
しばらくして、廊下がややざわつき始めた。わたしは綿谷が近くに来ていることを悟る。
綿谷が教室に入ってきて、中まで歩いていったらすぐに移動できるように準備をしておくことにした。
その直後、
「失礼する! ここに沙理沢碧は来てないか!」
「なっ」
綿谷の怒鳴り声にも似た大声が教室に響いた。
「そんなのありかよっ」
こうなってしまえば誰かがわたしを指差すのは時間の問題だ。だから自ら顔を上げ、素早く机を飛び越えた。
「見つけたぞ!」
わたしを見たと同時に綿谷は廊下を走っていた。その約1秒後にわたしも出ていく。
「ぬあぁぁああああ!」
廊下を全力で走っていると自然と声が出る。
この学校で皇帝と称されている男に女帝と称されている女が追いかけるように走っているのだ。廊下を歩く生徒達はほぼ条件反射で道を作ってくれる。障害がなければ単純なスピード勝負だ。
わたしが4組の教室を選んだのは理由がある。それは、1組から1番離れていること。距離が長ければ長いほど、わたしの方が足が速いから有利なのだ。
2組の教室の前で追いつき、なんとか綿谷よりも先に1組の教室に入ることができた。
「くそっ」
綿谷の声が背後から聞こえるが無視。
海々は自分の席で弁当をつついていた。その周りには3人の女子。
「あ、そのタコウインナーさんおいしそうだねっ」
「ん? 海々ちゃんにも1個あげようか?」
「ホント? ありがとー!」
わたしのアンテナがピキン、と反応する。
わたしは猛然と海々に向かう。程よいタイミングで大きく息を吸い、
「『タコウインナーさん』じゃなくて『タコさんウインナー』だろうがーっ!」
ビシィ!と聞こえんばかりにツッコミを決めた。
しんと教室が静まり返る。全員がわたし達に注目していた。
そして二宮の声。
「有効! 沙理沢に1ポイント!」
「よっしゃー!」
右手でガッツポーズを決め、天井を仰いで高らかに叫んだ。
「ちっ。わしの方がいいスタートを切ったんだがな」
「作戦勝ちだよ」
綿谷は舌打ちをして、悔しそうな表情を浮かべた。
「では、鬼を交代してリスタートします。10秒後に沙理沢が捜索にかかります」
二宮がそう告げると、次はわしがポイントをもらうぞ、と言って綿谷が教室から出ていった。
「ね、ねぇ、碧。これ、なんなの?」
何も知らない海々は当然のように尋ねてきた。
「知りたい?」
「そりゃ、うん」
「あんたを賭けた争奪戦だよ」
『えぇっ!』
海々だけじゃなく、クラスのほとんどの生徒が驚嘆の声が上げた。
「でも、海々は安心してっ。わたしが守ってあげるから!」
わたしは親指を立て、爽やかに海々に励ましてみせた。
「いや、そもそも話が見えないんだけど……」
相変わらず困惑している海々だったけど、
「10秒経過しました」
「よしっ」
二宮の合図とともに教室を抜けた。

よく考えてみれば、これって全然かくれんぼになってないなぁ、と思いながら廊下に出たわたしは、最初に目に入った男子に声をかけた。
「そこの少年。綿谷見なかった?」
「え? えっと、さっき2組の教室に入っていきましたけど……」
「でかした」
早速その足で隣の教室を覗いてみる。ドアからではなく、廊下の窓からだ。こうすることによって、教室の中にいる綿谷よりも素早く1組の教室に向かえる。
とりあえず教室を見回してみたけど、綿谷の姿はない。他の教室に移動したのか?
「ねぇ、ここに綿谷来なかった?」
窓から顔を入れて、近くにいた女子に声をかける。
「いるじゃん。真後ろに」
「えっ!」
思わぬ言葉に急いで振り向くと、確かにそこに綿谷がいた。
既にスタートする準備をしていたのか、姿を認めたと同時に走り出した。
「いつの間に!」
虚をつかれたわたしは一瞬スタートが遅れ、それが敗因となった。
今度はすぐ隣の教室のため、抜くことはできなかった。
その巨体は教室に入っていき、わたしが遅れて入っていく。
「うわっ、また来たっ」
そんな声がクラス中で浮かび上がる。
肝心の海々はさっきと同じメンバーでまだ弁当をつついていた。
まぁ、まだ1分くらいしか経ってないから当然なんだけど。
「こいつぅ、皇帝と女帝を決闘させるほど愛されてたなんて、罪なオンナだねぇ」
「まったくだ! そんな罪深いオンナはこうだっ」
「わっ! 最後に食べようと思ってたコロッケがぁ……」
「あたしももらいーっ」
「あっ! 最後に食べようと思ってたミニハンバーグがぁ……」
「じゃ、うちもー」
「あぁっ! 最後に食べようと思ってたりんごがぁ……」
そんな会話が綿谷の背中越しから聞こえてきた。
そしてこの機会を逃すことなく、綿谷は大きく床を踏み込んだ。そして、
「お前は揚げ物と肉と果物を一気にかっこむつもりかーっ!」
普段の綿谷からは想像もつかない、文句のつけようがない見事なツッコミを繰り出した。
さっきとは少し違う意味でしんと静まり返る。
「有効! 1対1!」
「おっしゃあっ」
二宮の判定に綿谷がガッツポーズ。
正直、これはかなり悔しい。
「ねぇっ、これってホントになんなのっ」
海々がさっきよりも不安が込められた声で問いだした。
すると綿谷が低く、渋い声で、
「お前を賭けた争奪戦だ」
海々の目をまっすぐ見て、そう言った。
『ええぇぇぇっ!』
今度はひとり残らずクラス中の生徒が驚愕した。
「お前には迷惑をかける。だがな、わしも真剣なんだ」
その言葉通り、綿谷は真剣な眼差しを海々に向けていた。
そんな綿谷の姿に、クラス全員が押し黙った。同時に全員が動きを止める。
まるで、この教室の中だけ時間が止まってしまったかのように。
海々はひたすら頬を紅潮させ、
「で、でも海々は……、あの……、あの……」
気が狂ったかのように動転していた。
そんな様子が、またとてつもなく可愛い……。
でも、なんで動転しているのだろう。

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