上 下
8 / 33

~ビー玉の中の宇宙~

しおりを挟む
 ――駄菓子屋。
 そこは子供たちの夢がつまる憩いの場所である。
 サイコロのデザインされた箱に入っているキャラメル、甘辛く味付けした竹串にささったゲソ、カレー味のせんべいやいろんな味の麩菓子、ひも付きのフルーツの形をしたどんぐり飴に一口サイズのチョコレート。小さなヨーグルトの容器入った乳酸菌味がするお菓子。
 お菓子類だけではなく野球選手やアイドル歌手の福引形式のブロマイドに面子、ベーゴマやビー玉、お化け煙と子供たちが呼んでいる指に付けてこすり合わせると煙に見える謎の粘着物が付いたシートなんかも根強い人気である。
 飲むと舌がオレンジ色に染まるみかん水、半分に割って食べる事が前提に左右に木の棒が差してあるラムネ味の氷菓子などは冷たく安価だったので暑い季節には大人気だった。
 小遣いの硬貨を握りしめ、予算内で何を買うのかを考えるのも子供たちに楽しみにする者も多い。近所の子供たちが集まる子供の社交場でもあった。
「お、サクランボ飴がある。懐かしいなぁ」
 バカ殿さまの様な格好をしたキャラクターと『御大人』のロゴが入ったTシャツを着た河童さんが、棚の下の方にあったピンクの四角い粒が並んで入っている小袋を見付け、嬉しそうに手に取った。
「爪楊枝に刺して食べる奴ですね。見た目が可愛いから女の子がよく買ってましたね。…あ、切り株チョコ何個買いましょう?」
 昔懐かしい様々な駄菓子に目移りしながら私が河童さんに訊く。
「5個ぐらいでいいんじゃないですか? シール付きのウエハウスのチョコ菓子も買う事ですし」
「似たような味と食感ですもんねぇ」
 河童さんの意見を聞いて、私は小さなプラスチックのかごに切り株チョコをいくつか入れた。
 私と河童さんという中年の男二人組が駄菓子屋で買い出しをしているのは、数日前、小料理屋の常連たちで駄菓子の話で盛り上がり、駄菓子パーティを開こうという話の流れになった。比較的時間に自由が利く私とカッパさんで駄菓子の買い出しをする事になり、こうして子供たちに交じって駄菓子屋でお菓子を見繕っているのだった。
「チョコバットも5本…みかんとブドウの箱ガムは外せないですね」
「コーラ菓子もいります?」
 小さな円筒形のプラスチック容器にコーラのデザインがされた駄菓子を河童さんが私に見せる。
「当然いりますね」
 そんなやり取りをしながら駄菓子を次々にかごに放り込んだ。かごの中に山の様に入っている駄菓子を子供たちが羨ましそうな目で見ていく。子供の頃憧れた駄菓子の大人買いをまさかやる事になるとは思いもしなかったが、これはこれでかなり楽しい買い物だった。
「駄菓子はこんなものかな? 面子とかどうします?」
 そう言いながら河童さんの手にはすでに面子や銀玉鉄砲があった。
「――買っちゃえ買っちゃえ」
 笑いながら私が炊きつけると、河童さんは追加の空きかごを持ってきて次々におもちゃ類を入れてゆく。
結局、駄菓子とおもちゃだけで数千円分の散財をして、大きな袋四つを下げて私たちは小料理屋へ向かった。
「…あきれた。これ全部駄菓子?」
 店に入ってくるなりカウンターに置かれた袋を見て女将が呆れたように声を上げた。
「三袋は駄菓子で後は駄菓子屋のおもちゃです」
「みんなで食べればすぐ無くなりますよ――つまみになりそうなカレーせんべいや甘辛のゲソ、横綱あられなんかは丸ごとのパッケージで買って来てますし」
 私たちの言葉を聞いて女将が笑う。
「駄菓子って意外にお酒のつまみになるようなものも多いのよね…」
「酢イカも買ってあります」
 すかさず河童さんは袋から酢イカを取り出し、にやりと笑った。
 女将さんは食器棚から煮物などを盛り付ける料理鉢をいくつか出してきて、それに小さな駄菓子の種類に偏りが無いように入れテーブルに並べていると常連客達が次々に店へ顔を出し、開始時間少し前には参加者全員が席に着いていた。
「——心は子供のままの一同に乾杯」
 河童さんの音頭でみかん水で乾杯が行われ、駄菓子パーティが始まり、それぞれが懐かしい駄菓子やおもちゃを手に会話が始まる。
 入道さんの駄菓子屋の定番はカレーせんべいとチョコバットで、それを交互に食べるのが好きだったとか、猫さんは型抜きが大好きで、ひたすら爪楊枝で綺麗に抜くの事に執念を燃やしたらしい。我々より少し年齢が高い天狗さんと布袋さんは、二人でベーゴマを手にベーゴマで勝つ為のテクニックなどを語り合っていた。
「——女将、輪ゴムを二つください」
 小僧さんがそう言うと、もらった輪ゴムを駄菓子を取り付け、「これ、こうやって遊びましたよね」とそれを装着してみんなに見せると、みんなから一斉に笑いが起こった。
「眼鏡形のマーブルチョコ…やったやった」
 みんなが楽しそうに同意する。
「それを顔に付けて、首に風呂敷を巻いてマントみたいにしたなぁ」
 懐かしそうに布袋さんそう言うと、河童さんが得意げに袋からプラスチックの刀を取り出した。
「なつかしい! 風呂敷のマントを身に付けて、それでちゃんばらごっこしましたよね」と女将が言った瞬間、「女将が⁈」と一同から驚きの声がる。
「あれ? しませんでした?」
「やったよ…女将、結構お転婆さんだった?」
 布袋さんの言葉に女将は「男兄弟の中で育ちましたから」と答えて笑う。
「私の時代はそう言うものが無かったから、新聞紙を巻いて刀代わりにしていたね」
 最年長の天狗さんはそう言うと、チョコかけの麩菓子を一口齧る。
「今はスイーツなんかの甘いものも簡単に手に入るけど、昔は甘いもが少なかったから、チープな味付けのチョコなんかでもすごく美味しく感じたね」
「昭和70年代まではそうでしたね。砂糖を使ったお菓子自体少なくて、砂糖の代用品に麦芽糖を使った駄菓子も多かったですし」
「甘かったら何でもよかった」
 そう言って河童さんも笑う。
「当時は着色料って言葉はなくて、みんな色粉って言ってて…あの粉っぽい味って独特でしたよね」
 みかん水を飲み干して猫さんがオレンジ色に染まった舌を出して見せた。
「…染まると言えば、カレーせんべいも持っている指が染まるから、駄菓子屋では薄紙に挟んでくれなかった?」
「うちはそのままでしたよ。いつも最後は指に付いたカレー粉を舐ってました」
「おおらかだったよなぁ~。今と違って消毒だの抗菌だの神経質じゃなかったし」
「ちょっと怪我したぐらいなら唾つけて終わりでしたし」
 昭和あるあるに笑いながらみんな頷く。
「いつの間にか青っ洟を垂らした子供見なくなりましたよね」
「それ僕は知らないです」
 一番若手の小僧さんがそう言うと、昭和80年代までは栄養状態と衛生状況の関係かわからないが、鼻水を垂らした子供が多かったと布袋さんが解説をする。
「ティッシュじゃなく袖口で鼻水をぬぐうから、袖口が乾燥してカピカピになってテカっていた奴多かったよ」
「そういえば、そういう子いましたね」
「へぇ…今じゃ考えられないですね」
 若い世代の小僧さんには想像がつかない事のようだった。
「駄菓子屋のおもちゃは何で遊んだ?」
 天狗さんが数十歳年下の小僧さんに質問すると、カウンターの上に並んでいるおもちゃを指さしながら小僧さんが答える。
「シャボン玉、水鉄砲、パイプの形をした奴を吹いてボールを浮かべて遊ぶ奴…ぐらいかな?」
「ヨーヨーもわからない?」
「テレビで見た事はありますが、遊んだことないですね…他のおもちゃは遊び方がわからないです」
 小僧さんの言葉に他のメンバーの間に衝撃が走る。
「ベーゴマは仕方ないとして、面子、ヨーヨー、パチンコ、ブーメラン、ビー玉も遊び方わかんない?」
「わかんないっす…ビー玉って植木なんかに使うインテリア系の飾りじゃないんですか?」
「…そうなるんだ」
 ジェネレーションギャップを感じながら、入道さんがカウンターにビー玉を数個転がし、指先で一つのビー玉をはじいて、近くのビー玉に当ててみせた。
「これはね、自分の玉を指ではじいて他の玉に当てて遊ぶんだ…当たればそれが自分のものになるし、逆に他の玉が自分の玉に当たればそれは当てた奴のものになる」
「おはじきなんかも同じルールだったわよね」
 猫さんの言葉に女将さんも頷く。
「…ええっと、おはじきって何ですか?」
「うわわ~」
 河童さんが小僧さんの言葉を聞いて頭を抱えた。
「おはじきやビー玉はガラスのおもちゃ。小石でも同じような遊びをする事もあったけど、大きさや形がおはじきは統一されていたし、キレイな色のものが多かったから、女の子がおもちゃの指輪やネックレスと同じように箱に入れて宝物にしている子も多かったわよ」
 そう言いながら猫さんはスマホで検索したのか、おはじきの画像を小僧さんに見せる。
「男子はビー玉を集めている子が多くて、ビー玉の場合は大きさとか色、形にバリエーションがあって、ピンポン玉よりひとまわり小さい大玉から2センチぐらいの小玉までいろいろ—-再生ガラスの青っぽいガラスも多かったなぁ」
「再生ガラスの色?」
「瓶コーラの瓶の色なんだけど、わかんない?」
「…はあ」
 頼りない小僧さんの返答に再び猫さんが画像検索した写真を見せた。
「ああ、これもテレビで見た事があります」
 予想通りの返答にめまいの様なものを覚えながら、天狗さんはどんなもので遊んでいたのかを小僧さんに訊く。
「ゲーム機ですね。後はトレーディングカード」
 典型的な現代っこの遊びで小僧さんは育ったようだった。
「…なるほどね。家庭用ゲーム機は80年代ぐらいからだったかな?」
「インベーダーゲームのブームが70年代後半ぐらいでしたから、だいたいそのあたりですね」
 それまではデジタルな遊び道具など一つも無かった時代である。
 インベーダーゲームがブームになり、最初の頃の家庭用ゲーム機はブロック崩しやテニス、パックマンなど、一台のゲーム機で一つか二つのゲームしか遊べないものばかりだった。
「ミニゲーム付きのデジタル腕時計がプチブレイクして、その前後ぐらいに任天堂のゲームウォッチが爆発的に売れましたね」
 入道さんが自分が遊んできたゲームの記憶をたどる。
 ゲームウォッチがいまでいうポータブルタイプの日本製ゲーム機の走りだったのかもしれない。
「その後にファミコンが発売されて…スーパーマリオで家庭用ゲーム機が一気に普及したって感じで…」
 子供たちの遊びがアナログからデジタルへ移行していったのもそのあたりからだったのかもしれない。
「遊びにいいも悪いもないのかもしれないが…」
 そう言いながら天狗さんは油玉と呼ばれる虹色に輝くビー玉を手に取る。
「ものが無かった時代だったから、野山をかけまわって大自然そのものが遊び相手だったし、少ない道具を工夫して新しい遊びを自分たちで考えたりするのが楽しくてね…今のゲームなんかの遊びの世界は、誰かが作り出した世界を楽しむ事が出来るレジャー施設みたいなものなんじゃないかなと私は思ったりするんだ…」
 クリエーターはその世界の創造主として支配する者となり、消費する者は娯楽の代償として永遠に搾取される構図になっているのではないか? そんな疑問を投げかけてきた天狗さんに、女将が「私たちの世代はビー玉の中に宇宙を作りだし夢を見たけれど、今の子供たちはゲームの世界で夢を見ている。夢が癒しになり生きる原動力になるのならどんな形であってもいいんじゃないかしら」と優しく微笑んだ。
「…哲学的だな」
 やり取りを聞いていた入道さんが呟く。
「人生哲学と美学と言って下さい」
 天狗さんが笑いを含んだ様子でそう言うと手にしていた油玉を照明にかざす。
 光を受けたビー玉が虹色に輝きを放った。
「ビー玉の中の宇宙…ポケットに収まるほど小さいけれど、その中には無限の可能性が詰まっている—-こちらの方が僕らしい夢の世界です」
 そう言う天狗さんの横顔はどこか少年めいて見えた。
しおりを挟む

処理中です...