見返り坂 ~いなり横丁~

遠藤 まな

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~和菓子と洋菓子は似た者同士?~

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 節分が終わると暦上は春の始まりの立春を迎える。そうは言っても春を体感するにはまだまだ寒さ厳しかった。
 そんなまだまだ寒い季節ではあったが、横丁の和菓子屋東雲堂の庭では早咲きの寒梅が咲き誇り、さわやかな梅の香りが庭のみならず通りや隣近所にまで漂って、一足早い春の訪れを教えていた。
「時代は異文化とのマリアージュ!」
 紅梅や白梅が美しい花をつけているよく手入れされた庭に若い女の子の声が響き渡る。
——声の主は和菓子屋の看板娘の双子、薫だった。
「毬? 安寿? 安寿さんが毬遊びでもしているのか?」
「違~う」
 白い作務衣に身を包んだ老人——東雲堂の主で祖父の言葉に薫が強く否定する。
「薫。おじいちゃんに英語や外来語は使っちゃダメだと思うな~」
 縁側でのんびり熱いお茶を飲みながら、二人のやりとりを聞いていた華がやんわりと妹に注意をする。
「え~。んじゃあ、なんて説明すればいい訳?」
「おじいちゃんが理解できる言葉なら、普通に組み合わせでいいんじゃない?」
「なんかダサい言い方」
 薫は口を尖らせながら文句を言う。そんな薫に構うことなく華は祖父に向き直ると、薫が言おうとしていた言葉の通訳を始めた。
「純粋な和菓子も素敵だし美味しいけれど、それだけじゃバレンタインで和菓子を買う人少ないから、洋菓子と組み合わせて、美味しくて見た目も可愛い新しいお菓子があったら、きっと人気商品になると思うんだけどな~って薫は言いたかったみたい」
 華の説明で年老いた和菓子職人は理解したようで腕を組んで考え込む。
「和菓子より洋菓子が若い子に売れてるのおじいちゃんも知ってるでしょ?」
「そんな事を言っても、洋菓子の勉強なんてした事など一度も無いしな…」
「おじいちゃんだってお菓子職人なんだから、ちょっと勉強すれば大丈夫なんじゃない?」
 渋る祖父に薫が食い下がる。そんな妹に華が「和菓子と洋菓子は全くの別物」と指摘をした
「チョコや生クリームのお饅頭とか売れそうじゃない?」
「それ既にお土産物なんかの人気商品としてある」
 薫のアイディアに華がすかさずツッコミを入れる。
「んじゃ、スポンジの上に寒天を乗せたカップケーキ」
「それもある」
「フルーツサンデー風醤油せんべい」
「それ食べたいと思う?」
「…」
 双子の会話はまるで漫才のようだった。
「…食べていけるだけの売り上げもあるし、私は和菓子一筋で十分」
 孫たちの会話を聞いていた老職人はそう言うと、店の作業場へ行ってしまった。
「おじいちゃんは和菓子職人としての誇りを持ってるもの――洋菓子に媚びる必要はないって思っているんじゃない?」
 祖父の背中を見送った華がそう言うと、冷め始めたお茶をすすった。

「うちのバレンタイン商品?」
 金属串でたこ焼きを返しながら小僧さんが客として訪れていた薫を見返した。
「…そ。チョコ入りのたこ焼きとかやらないの?」
 イートインスペースでたこ焼きを頬ばっていた薫は、コーラでたこ焼きを流し込んで小僧さんに訊く。
「ロシアンたこ焼きの時にキッスチョコを当りとして入れる事はあるけどね…」
「何? そのロシアンたこ焼きって?」
 初めて聞くたこ焼きの名前に興味を持ったのか薫が話に食いついてくる。
「パーティーメニューのひとつだよ」
 そう言うと小僧さんはロシアンたこ焼きの説明を始めた。
「中に入れる具材をタコの代わりに梅肉やイカの塩辛、明太子、チーズ、ぼっかけ、ツナマヨ、海苔の佃煮、ウインナーなんかを入れて焼くんです――まんべんなく焼き目をつけるのに位置替えをしたりするんで、焼いている間にどれに何が入っているかわからないので、中身は食べてからのお楽しみ」
「楽しそう」
「楽しいよ…中身の管理が出来ないから、店では出せないけどね」
 そう言って小僧さんは笑う。
 そんな小僧さんの話を聞きながら薫は「アイディアは良くても商品としては難しいかぁ」とため息を吐く。そんな華に小僧さんが何かあったのかと尋ねる。
「…ん、うちのおじいちゃんにバレンタイン商品の開発を持ちかけたんだけど、断られちゃって」
「ああ、菓子業界にとっても重要なバレンタインが近いものな」
 壁に貼られたカレンダーに視線を走らせ、小僧さんが思い出したように言う。
「うちのおじいちゃんは和菓子職人一筋で生きてきたから、今更洋菓子とコラボとか、新しい事にチャレンジする気がなくって」
 不満そうな薫の話を小僧さんは黙って聞いていた。
「和菓子は洋菓子人気に押されてるし、店の将来を考えたら新しい人気商品が欲しいんだけど…」
「おじいちゃん…かなりの歳だよね? 跡継ぎどうするの?」
「それなんだよね…うちの父さん、洋菓子修行でヨーロッパに行ったままだし」
「へぇ、跡継ぎは洋菓子職人なんだ」
 小僧さんは初めて聞く東雲堂の家庭事情である。
「和菓子職人の跡継ぎは母さんなんだけど…、いろいろあって…」
「無理に話す必要はないけど、どうしてそんなに和菓子と洋菓子のコラボに拘るの?」
 小僧さんの問いかけに薫は「コラボ商品があれば、父さんと母さんを呼び戻せるんじゃないかって…」と言って苦笑いを浮かべた。
 普段は明るく振舞っている薫だが、彼女にも悩みや思うところはいろいろあるらしい。
「そういう理由なら、洋菓子と和菓子の職人の両親に直接相談した方が早い気がするけどなぁ」
 そんな小僧さんの提案に薫は首を横に振ると、「なんとか自分で開発してみる」と宣言する。そんな彼女に小僧さんは頑張ってとエールを送る事しか出来なかった。

 思い立ったら吉日がモットーの薫は、夕食後、連日にキッチンにこもって新メニューの試作を繰り返していた――洋菓子はバターなどの油脂を多く使うし、バニラエッセンスなどの香料のにおい移りを嫌った祖父から和菓子屋の作業場を使う許可が出なかったのである。
「…良く飽きないわね」
 呆れたように華が必死で卵白を泡立ててメレンゲを作っている薫に言った。
「バレンタインまであまり日にちが無いんだから、邪魔しないで」
「…で、今回は何を作っている訳?」
「あんバターのショートケーキ」
「それならあんバターのどら焼きの方が良くない?」
「…」
 華のアイディアの方が売れそうと思ったのか薫は黙り込んだ。
「昨日はクレープチョコレート饅頭だったよね? その前は豆大福風のチョコレート大福」
 どうも薫のアイディアは悪くはないが、商品としては微妙なものばかりのようである。
「ココアの粉入り最中はどう? マグカップにココア最中を入れてお湯を入れたらホットチョコレートが出来ますってやつ。それなら開発に手間もあまりかからないし、バレンタイン商品になると思うんだけど」
 薫に比べて華の方が現実的な発想が出来るらしい。そんな華に薫は不満げに「意外性が無い」と口を尖らせた。それを聞いた華が「お菓子に意外性は要らないし」と首を振る。
「時間が無いって自分で言っているんだから、現実的になろうよ」
「うるさい!」
 めったと喧嘩をする事が無い二人だったのだが、珍しく薫が声を荒げた。
「華はいつだって、お姉ちゃんぶって偉そうに意見するけど、私の気持ちなんて全然わかってない!」
 薫は叫ぶようにそう言うと、怒りに任せて泡だて器を華に投げつけ、キッチンを飛び出して行った。
「何、怒ってるんだろ?」
 華はよく分からないといった表情でつぶやくと、肩をそっと竦めた。

 癇癪を起して家を飛び出した薫は、気が付くとおいなり様の小さな社の前にいた。夜のおいなり様の前は見返り坂の方は賑やかで人通りも多いが、横丁に繋がる小道を通る者はこの時間になると少ない。
「華のバカ…」
 薫は小さく呟くと、お社に向かって静かに手を合わせた。
「…お父さんとお母さんと暮らせますように」
 日本では女性から男性へチョコレートを渡して愛を伝える日とされているが、バレンタインの由来は、結婚を禁止されていたローマ帝国の兵士の為にバレンタイン司教がこっそりと結婚式を執り行っていた事に由来する。海外では恋人たちの日として、本や花を贈り合ったりするイベントである。
 薫もそれは知っていたので、日本のバレンタインが商業的イベントになっている事に違和感を覚えてはいた。薫のバレンタインのコラボ商品開発に対する想いは両親と仲良く暮らしたい願いから来ている事だったので、本来のバレンタインの趣旨に近いものと言えた。
 薫は何も持たずに家を飛び出してきた事に気が付いて、何かお供えできるものが無いかとポケットを探るとハートの形をしたチョコレートが一枚出てきた。それをそっとおいなり様の前にそなえると薫は「こんなものしかなくて、ごめんなさい」と頭を下げ、大きくため息を吐いて家に帰る事にする。
 油揚げではなくハートのチョコレートをお供えされたお狐様は、どこか困っているようだった。

 バレンタイン当日も東雲堂は平常通りだった。
 洋菓子が苦手な客がチョコレートの代わりに和菓子やおせんべいを買ったりもしたが、特に忙しい訳でもない。
 のんびりした時間が過ぎて、そろそろお昼という時間になった頃店に大きなトランクを引いた男性が和菓子屋に入ってきた。客かと思って顔を上げた薫が驚きの声を上げる。
「お父さん!」
「元気だったか?」
 連絡もなく突然帰ってきた双子の父親は、軽く手を上げて笑顔を見せた。
「おかえりなさい」
 華も突然の父の帰宅に驚きを隠せない様子で父に声をかけた。そんな二人に父はただいまと言うと「話はあとでな…親父に挨拶してくる」と言い残し、大きなトランクを店の奥にある住居の方へ運んでいった。
「びっくりした」
「いつものことだけど連絡なしにいきなり帰ってくるんだもんね」
 薫と華は顔を見合わすと、苦笑いを浮かべた。
 言いたいことはいろいろあるが、久しぶりの父の帰宅に喜びを隠せない双子である。
「今夜はお寿司でも取ろうか?」
 そんな相談をしていると、再び大きなトランクを抱えた人物が入ってきた。
「お母さん!」
「お母さん!」
 びっくりした双子の声が重なる。
「ただいま~。いい子にしてた?」
 可愛らしい印象の母はにっこりと笑うと、双子に歩み寄ると二人を抱きしめた。
「連絡ぐらいしてよ」
 薫が文句を言うが、その目は笑っている。
「——ほんと、似たもの夫婦って言葉があるけど、この二人の事をの為にあるんだと思う」
「この二人?」
 華の言葉を聞いて母は首を傾げる。
「父さんもさっきいきなり帰ってきたの…今、おじいちゃんのところへ行ってるよ」
「あらやだ」
 娘たちの言葉に母は慌てた様子でトランクを持つと、こちらも奥の住居の方へ行ってしまった。そんな母を見送って、華は呆れた表情になる。
「…二人で打ち合わせして帰ってきたんじゃ無さそうね」
「二人が揃うのって久しぶりだよね」
「…気まぐれっていうか、どういう風の吹き回しなんだか」
 そんな会話をしていたが、何かを思いついたように薫が身に付けていたエプロンを外した。
「どうしたの?」
「ちょっと出かけてくる」
 薫は上機嫌でそう言うと、店番は華に任せて店を出る。
 薫の行き先は横丁のおいなり様。もちろん途中でお供えの油揚げを買うのは忘れずに…。

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